12・お節介
顎でついて来いと示すサジールに従い、館に足を進める。
廊下をすれ違う獣人に怪しまれないよう背筋を伸ばしつつ歩いた。
通されたのは四階の最奥に位置する小さな部屋。
部屋の入口には同じように石板が掲げられ、『
「そこで待ってろ」
サジールは部屋の隅に置かれた金属製のクローゼットを開けた。中から衣服を運び出しはじめる。ベッドに積み重ねられていくそれらは……すべて黒マント。
それを横目で眺めつつ、僕は尋ねた。
「シロツキ、この建物は?」
「戦争で負傷したものを集中治療する病院だ。医療の心得を持つ者の宿舎でもある」
「どうりで……」
アルミ製らしき机の上に空の注射器が放置されている。石の床を覆う絨毯の上には本が落ちていた。表紙に獣人の体の模式図が描かれている。解剖学、というやつかもしれない。
本を拾い上げると、背表紙に「Kvhill gnote」の記載があった。
「ヒルノート、って?」
「この国に組織された軍隊の、各部隊の別名だ。ヒルノートは第12医療部隊。『血を宿す者』という意味だ」
「ルートニクは?」
「第三遊撃部隊。『否定する者』」
否定。
「何を?」
その質問に、シロツキは目を
「さっき、ランハさんに『様』って呼ばれてたけど、シロツキは身分が高いの?」
「それは……」
「シロツキは
「……えっと、それはすごいんですか?」
「すごいんだよッ! すごいのッ! 少しは察しろッ!」
唾を飛ばす勢いでサジールが文句を垂れる。
「第三と言えば、人間狩りのエキスパートなのっ。攻守ともに優れたエリートの集まりなのっ! ここ一年間の戦争での隊員生還率百パーセントなのッ!」
不穏な単語に耳を疑った。言葉をなくす。
サジールが「む」と表情をしかめ、作業に戻った。
シロツキを伺えば、彼女は固く口を閉ざし
「人間狩りって……どういうこと?」
「
「そういう問題じゃ──」
「サジール! そんなに大声出してどうしたの?」
部屋の外から快活な声が響いた。
その場にいた全員の体が飛び上がる。
「ッ、こっちだ」
シロツキに手を引かれ、僕は窓際のカーテンの裏に隠れた。体をしまい込むと同時に部屋のドアが開く。
「何かあった?」
「あ、ああ、レウさん……なんでもないです。ちょっとシロツキと会話してただけで」
「ケンカしちゃだめだぞ。この部屋はわたしの
カーテンの隙間からこっそりのぞき込むと、優し気な風貌の女性が立っていた。白いニットの上にエプロンを着ている。首には赤いチョーカーをつけていて、緩くカーブした角が二本。頭から生えている。ヤギの獣人、だろうか。
「って……サジール。なんで服ぐちゃぐちゃにしてるの」
「えっ。あ、ああ。えっと、これは……」
「私がサジールの服を汚してしまったんです」
シロツキが代わりに答えた。
「なので、せっかくなら一番いいものを
「あー、それで。選び終わったら元に戻しておいてね。いっつもそこらへんに服を放り出すんだから、大変なんだよ」
「はい、気を付けます」
「それじゃ、また夕食でね」
「どうも」
サジールがふーっと息をつき、
「あ、それからさ」
「はいっ!」
「たまには窓も開けた方がいいよ。空気入れ替えないと」
「は、はい……」
「それじゃあね」
ドアが閉まる。
背中に冷や汗が這った。
「バレて、ないよな?」
「おそらく」
「はぁ……死ぬかと思った。パート2だ」
「二度もあってほしくない」
僕はカーテンから這い出る。
「今のは?」
「レウさん。この建物の寮母だよ。ありがたいことに、お節介で有名な、な」
サジールが疲弊した様子で答えた。それから、すっかり空になったクローゼットを指さした。
「ほら、ここに入れ」
「え」
「あたしらが戻ってくるまで絶対外に出るんじゃねぇぞ」
隠れ場所、ということか。それで服を外に出していたんだろう。きっとサジールは人間の匂いが付くのを嫌がってるから。
「ありがとう」
「うるさい、さっさとしろ」
謝辞は取り付く島もなし。僕はクローゼットに収まった。
「すぐに戻ってくる。しばらくの辛抱だ」
シロツキが申し訳なさそうに戸を閉めた。
*
待ち時間というのはときに有益だ。
なにか大きな異変が起こった時、それを考える余裕になるから。
僕はこの世界に来てからのことを思い返しながら、自分がいまだ何も知らないことに気がつく。獣人の存在。それが当たり前のこの世界。
夢だと言われた方がまだ現実味がある。でも僕は実際に体感してしまった。暗い世界からの蘇生も、ハパウの香水の香りも、カルヴァの街の明るさも、僕の腕を握るシロツキの体温も。
現実。現実なのか。
何度も確認する。──どうやらそうらしい。
考えれば考えるほどに奇妙だ。僕は一度死んだのに。
「……なんで生きてるんだ」
呟くと、より疑問が深まる。だめだ。どれだけ考えてもわかるようなことじゃない。サジールが言っていた通り、『理解できないことの一つや二つ、これからいくらでも起きる』んだろう。
でも考えなきゃいけないこともある。
人間狩りのこと。
人間を国に連れ込むことは重罪だとサジールは言っていた。彼女の言葉、ランハの言葉、人間狩りという単語。ここから考えるに、獣人と人間は戦争状態にあるのではないだろうか。思えば、蘇生された直後の僕は大けがを負っていた。
「……」
気になってマントと軍服を
「ぅ、わ……」
ひどいとしか言いようがなかった。大きく裂けた皮膚が黒い糸で縫い合わされている。わずかな隙間から赤黒い血肉が顔を覗かせる。周辺の皮膚が
よく今まで気にせず歩いていたものだ。この体の持ち主はかなりタフだったのかも。あるいは治療が完璧なのか。僕はサジールのことを思い出した。後者だと思った。
「……」
本来負わなかったはずの傷だ。
僕はこれからどうなる。元の世界には、日本には帰れないのだろうか?
いや。帰っても、あの孤独を繰り返すだけか。そう考えると、行き場がない。
どこに行けばいい? 何を目指せばいい?
こんな状況に
──じゃあ、今は?
わからない。命をどう使えばいいのか。
今のところ、僕という存在はシロツキに迷惑しかかけていない。なら死んだ方がいいかもしれない。そんな考えに捕らわれる。
「……なんで僕を生き返らせたんだよ、シロツキ」
シロツキを本当に信じていいのだろうか? 彼女は僕のせいで事故にあった。僕に恨みを抱いていてもおかしくないんじゃないか?
そう思う反面、彼女の言葉が脳裏にちらつく。
──私が絶対守るから。
僕はため息をついた。
「サジールー?」
「っ……」
部屋のドアが開く音。ぎくりとする。
「……服片付けてって言ったのに、もう」
レウさんと呼ばれた獣人の声だった。彼女の足音がベッドに近づく。大量のマントを抱えるのがクローゼット越しに見えた気がした。
足音がこっちに近づいてくる。
金属の擦れる音がして、戸が──。
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