12・お節介


 顎でついて来いと示すサジールに従い、館に足を進める。

 廊下をすれ違う獣人に怪しまれないよう背筋を伸ばしつつ歩いた。


 通されたのは四階の最奥に位置する小さな部屋。

 部屋の入口には同じように石板が掲げられ、『Sajirサジール』と刻まれていた。




「そこで待ってろ」


 サジールは部屋の隅に置かれた金属製のクローゼットを開けた。中から衣服を運び出しはじめる。ベッドに積み重ねられていくそれらは……すべて黒マント。

 それを横目で眺めつつ、僕は尋ねた。


「シロツキ、この建物は?」

「戦争で負傷したものを集中治療する病院だ。医療の心得を持つ者の宿舎でもある」

「どうりで……」


 アルミ製らしき机の上に空の注射器が放置されている。石の床を覆う絨毯の上には本が落ちていた。表紙に獣人の体の模式図が描かれている。解剖学、というやつかもしれない。


 本を拾い上げると、背表紙に「Kvhill gnote」の記載があった。


「ヒルノート、って?」

「この国に組織された軍隊の、各部隊の別名だ。ヒルノートは第12医療部隊。『血を宿す者』という意味だ」

「ルートニクは?」

「第三遊撃部隊。『否定する者』」


 否定。


「何を?」


 その質問に、シロツキは目をすがめるだけだった。答えたくない内容なのか。詰問するのもはばかられた。質問を変えることにする。


「さっき、ランハさんに『様』って呼ばれてたけど、シロツキは身分が高いの?」

「それは……」

「シロツキは逸材いつざいだぞ」サジールが服を運びながら言う。「よわい十八にして、あの第三部隊の一員だからな。歴代最年少の期待の星だよ」

「……えっと、それはすごいんですか?」

「すごいんだよッ! すごいのッ! 少しは察しろッ!」


 唾を飛ばす勢いでサジールが文句を垂れる。


「第三と言えば、人間狩りのエキスパートなのっ。攻守ともに優れたエリートの集まりなのっ! ここ一年間の戦争での隊員生還率百パーセントなのッ!」


 不穏な単語に耳を疑った。言葉をなくす。

 サジールが「む」と表情をしかめ、作業に戻った。

 シロツキを伺えば、彼女は固く口を閉ざしうつむいていた。どうしてそんな顔するんだよ。これこそ否定してほしい話なのに。


「人間狩りって……どういうこと?」

かえでには知ってほしくない」

「そういう問題じゃ──」




「サジール! そんなに大声出してどうしたの?」




 部屋の外から快活な声が響いた。

 その場にいた全員の体が飛び上がる。


「ッ、こっちだ」


 シロツキに手を引かれ、僕は窓際のカーテンの裏に隠れた。体をしまい込むと同時に部屋のドアが開く。


「何かあった?」

「あ、ああ、レウさん……なんでもないです。ちょっとシロツキと会話してただけで」

「ケンカしちゃだめだぞ。この部屋はわたしの管轄かんかつなんだから」


 カーテンの隙間からこっそりのぞき込むと、優し気な風貌の女性が立っていた。白いニットの上にエプロンを着ている。首には赤いチョーカーをつけていて、緩くカーブした角が二本。頭から生えている。ヤギの獣人、だろうか。


「って……サジール。なんで服ぐちゃぐちゃにしてるの」

「えっ。あ、ああ。えっと、これは……」

「私がサジールの服を汚してしまったんです」


 シロツキが代わりに答えた。


「なので、せっかくなら一番いいものを見繕みつくろおうと」

「あー、それで。選び終わったら元に戻しておいてね。いっつもそこらへんに服を放り出すんだから、大変なんだよ」

「はい、気を付けます」

「それじゃ、また夕食でね」

「どうも」


 サジールがふーっと息をつき、


「あ、それからさ」

「はいっ!」

「たまには窓も開けた方がいいよ。空気入れ替えないと」

「は、はい……」

「それじゃあね」


 ドアが閉まる。

 背中に冷や汗が這った。


「バレて、ないよな?」

「おそらく」

「はぁ……死ぬかと思った。パート2だ」

「二度もあってほしくない」


 僕はカーテンから這い出る。


「今のは?」

「レウさん。この建物の寮母だよ。ありがたいことに、お節介で有名な、な」


 サジールが疲弊した様子で答えた。それから、すっかり空になったクローゼットを指さした。


「ほら、ここに入れ」

「え」

「あたしらが戻ってくるまで絶対外に出るんじゃねぇぞ」


 隠れ場所、ということか。それで服を外に出していたんだろう。きっとサジールは人間の匂いが付くのを嫌がってるから。


「ありがとう」

「うるさい、さっさとしろ」


 謝辞は取り付く島もなし。僕はクローゼットに収まった。


「すぐに戻ってくる。しばらくの辛抱だ」


 シロツキが申し訳なさそうに戸を閉めた。




     *




 待ち時間というのはときに有益だ。

 なにか大きな異変が起こった時、それを考える余裕になるから。


 僕はこの世界に来てからのことを思い返しながら、自分がいまだ何も知らないことに気がつく。獣人の存在。それが当たり前のこの世界。

 夢だと言われた方がまだ現実味がある。でも僕は実際に体感してしまった。暗い世界からの蘇生も、ハパウの香水の香りも、カルヴァの街の明るさも、僕の腕を握るシロツキの体温も。


 現実。現実なのか。

 何度も確認する。──どうやらそうらしい。

 考えれば考えるほどに奇妙だ。僕は一度死んだのに。


「……なんで生きてるんだ」


 呟くと、より疑問が深まる。だめだ。どれだけ考えてもわかるようなことじゃない。サジールが言っていた通り、『理解できないことの一つや二つ、これからいくらでも起きる』んだろう。


 でも考えなきゃいけないこともある。

 人間狩りのこと。


 人間を国に連れ込むことは重罪だとサジールは言っていた。彼女の言葉、ランハの言葉、人間狩りという単語。ここから考えるに、獣人と人間は戦争状態にあるのではないだろうか。思えば、蘇生された直後の僕は大けがを負っていた。


「……」


 気になってマントと軍服をまくる。クローゼットの隙間から差し込む薄明りで、右わき腹を照らした。


「ぅ、わ……」


 ひどいとしか言いようがなかった。大きく裂けた皮膚が黒い糸で縫い合わされている。わずかな隙間から赤黒い血肉が顔を覗かせる。周辺の皮膚がただれたように変色している。直視にえない。見ているだけで傷が開きそうで、慌てて服を元に戻す。


 よく今まで気にせず歩いていたものだ。この体の持ち主はかなりタフだったのかも。あるいは治療が完璧なのか。僕はサジールのことを思い出した。後者だと思った。


「……」


 本来負わなかったはずの傷だ。


 僕はこれからどうなる。元の世界には、日本には帰れないのだろうか?

 いや。帰っても、あの孤独を繰り返すだけか。そう考えると、行き場がない。


 どこに行けばいい? 何を目指せばいい?

 こんな状況におちいって初めて、僕には夢というものが欠落していることがわかった。当たり前だ。あの家で生きて、死ぬことだけを目指していたんだから。


 ──じゃあ、今は?


 わからない。命をどう使えばいいのか。

 今のところ、僕という存在はシロツキに迷惑しかかけていない。なら死んだ方がいいかもしれない。そんな考えに捕らわれる。


「……なんで僕を生き返らせたんだよ、シロツキ」


 縁側えんがわで膝に乗ってきたあの愛猫は、どこにもいない。僕は今のシロツキをシロツキだと受け入れることができないでいる。だって、違いすぎる。


 シロツキを本当に信じていいのだろうか? 彼女は僕のせいで事故にあった。僕に恨みを抱いていてもおかしくないんじゃないか?

 そう思う反面、彼女の言葉が脳裏にちらつく。


 ──私が絶対守るから。


 僕はため息をついた。




「サジールー?」

「っ……」


 部屋のドアが開く音。ぎくりとする。


「……服片付けてって言ったのに、もう」


 レウさんと呼ばれた獣人の声だった。彼女の足音がベッドに近づく。大量のマントを抱えるのがクローゼット越しに見えた気がした。


 足音がこっちに近づいてくる。

 金属の擦れる音がして、戸が──。

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