11・獣人の国にて


 数百メートルは歩いただろうか。寒さと疲労で足の感覚がとっくになくなったころ、廊下の先に階段が現れた。


 螺旋構造の吹き抜けをのぞき込むと、遥か上階へ続いている。おぞましいほどの長さだ。これを上ると思うと、無意識に頬が引き攣った。


かえで、こっちだ」


 シロツキとサジールは階段の隣にある門の前にいた。サジールが門を開ける。中は床も天井もない二メートル四方くらいの空間だった。


「これは?」

「ボニー・ヴィータと呼ばれる水力昇降機しょうこうきだ。この紐を引っ張ると──」


 シロツキが部屋の中に垂れ下がっていた縄を二度引く。


「上階への合図になる」

「水力って言ってたけど、どうやって?」

「この国は山の一部を掘りぬいた場所に位置している。山の反対側にこういった機構を支える管制室があって、そこにあるタンクに雪解け水を注ぐことで操作するんだ」


 水を注げばこちらが持ち上がり、水を捨てれば向こうが持ち上がる。


「……大規模なシーソー、って解釈でいいのかな?」

「あるいは滑車、だな。来たぞ」


 部屋の中にゴンドラに似た乗り物が舞い降りた。若干揺れるそれに、恐る恐る乗り込む。シロツキが再び合図を出して、ゴンドラにつながった鎖がピンと張る。ガラガラとやかましい音を立てて上昇が始まった。周囲のごつごつした岩壁が下がっていく。


「壁に触らないよう気をつけろ。何人か指を持っていかれた事例がある」


 さらりと怖ろしいことを言う。僕は中央でしっかりバランスをとった。

 と思ったら、ゴンドラがにわかに傾いた。ゴンドラのへりが岩壁に衝突したらしい。


「うわっ」


 背後に傾いた僕の腕をシロツキが引く。と同時に、背中にもトンと手が添えられた。振り向くとサジールが支えてくれている。一旦停止した水力昇降機ボニー・ヴィータは、わずかな沈黙を生んで、再び上昇を始めた。


「……あの、ありがとう」

「助けたんじゃねえよ。こっちに寄るな」


 サジールが岩壁すれすれまで行ってこちらに背を向ける。名前に敬称をつけて呼んでしまった事実が、僕らの間であまりにも深い溝になっているらしい。


 彼女に言葉をかけることは躊躇われて、それから黙ったままだった。




 しばらくして、岩壁に取り付けられた門が上から姿を現した。

 門に手をかけたサジールが振り返らずに言う。


「ここからは人が一気に増える。できるだけ口を閉じろ。あたしらの足を引っ張んなよ」


 僕はマントのフードを今一度深くかぶり直した。


「はい」


 返答と同時に門が開かれる。

 眩い光が網膜を焼いた。機能しない視界の代わりに、聴覚が情報を受け取る。喧騒と呼ぶにふさわしい音の集まりだった。人の声や、物を動かす音。


 頭痛に似た目まいが治る。広がる光景に、息を呑んだ。


 僕たちは巨大なドームの中にいた。頭上数十メートルの位置に白い天井がある。どういう原理なのか、全体が淡く発光している。地上には大小さまざまの建造物が所狭しと並ぶ。カンテラの明かりを灯した家々が、目移りするほど美しい街並みを生み出していた。


 多くが西洋風の三角屋根だ。赤、青、緑、黄、紫に白、黒も。瓦屋根の多彩な色合いが、絢爛な印象に拍車をかける。


「ここが獣人の国。私たちはカルヴァと呼ぶ」


 シロツキの説明に頷くことしかできない。


「行くぞ、はぐれんなよ」


 歩き出したサジールの後を慌てて追いながら、あたりに視線を走らせる。


 舗装された道の上を獣人が当たり前のように歩いていた。人型で二足歩行の者もいれば、動物の姿で四足歩行している者もいる。近くの屋根の上を、ネズミと猫が仲むつまじげに駆けていった。逆の通りでは熊の獣人とシマウマの獣人が、互いの手を引きつつ僕らとすれ違う。


「きょろきょろすんな」


 サジールに囁かれ、慌てて視線を落とした。僕はあくまで侵入者だ。お忍びの身であることを忘れちゃいけない。でも、種族の垣根を超えたこの国に人間がいないことが、なんだか寂しく感ぜられた。


「よぉ! サジール!」

「んぁ? よぉ、ランハ」


 活気のある呼びかけに振り向くと、荷車を引いた栗毛の馬がやってくるところだった。シロツキが僕の前に出て、そっと壁になる。


「シロツキ様も同伴か。相変わらず仲がいいな」


 ──様?

 僕はちらとシロツキの背中を伺う。そんなに高い身分にあるのか。


「今日は何か用事か?」

「これから謁見だ。さっきの戦闘の報告」

「じゃあ時間はねぇな」


 ランハと呼ばれた馬が荷車に積まれた麻袋を顎で指した。


「ああ。薬草はまた今度。じっくり吟味させてもらうよ」

「吟味できるほど数が揃っちゃいねぇけどな。せめてもう少し農地があれば……シロツキ様、そちらは?」


 会話の矛先が向けられ、思わず身をすくめる。

 サジールの顔が一気に強張った。


「そのマントってことは、もしや?」

「私のちょっとした知人だ」


 シロツキが答え、ランハがへぇと驚いて見せる。


「ルートニク最年少の知人が、ヒルノートの隊員ですか。そりゃあすごい」

「かえ──、この者は医療部隊じゃない。先の戦闘で軽傷を負ったんだ。これから治療に当たらせる」

「……そうでしたか。これは失礼を」


 ランハが優しいまなざしでこちらに向き直った。


「人間に遭遇して、怖い思いしただろうな。この方たちと一緒にいればもう安心だぜ。ゆっくり休めよ」


 僕は頷いた。聞き慣れない単語と、唐突に与えられた役どころに必死に食らいつく。本気で心配している相手に嘘をつくのは胸が痛いけれど、こればかりは仕方ない。


「引き留めて申し訳ない。サジールも、またな」

「おお」


 ランハは来た道を引き返していった。彼が人波に紛れて見えなくなったころ、サジールはたいそうな息をつく。


「死ぬかと思った」

「人通りの多い場所は危険かもしれない。路地を抜けていこう」

「ああ。──行くぞ」


 僕はもう一度頷いた。






 ドームの壁に沿うように移動すること約十分。


 着いたのは『十二医療部隊ヒルノート』の石板がかかった洋館の前だった。ほかの民家に比べてひときわ敷地が広く、建物自体も通り一つ分にまたがって建造されている。


 付近の掃除をしている獣人、窓の中でせわしなく動き回る獣人……全員がサジールと同じ黒装束を着ていた。ランハの言葉と照らし合わせるに、このマントは第十二部隊の制服替わりなのだろう。


 顎でついて来いと示すサジールに従い、館に足を進める。

 廊下をすれ違う獣人に怪しまれないよう背筋を伸ばしつつ歩いた。


 通されたのは四階の最奥に位置する小さな部屋。

 部屋の入口には同じように石板が掲げられ、『Sajirサジール』と刻まれていた。

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