9・檻の中の再会


「──つが、──す、だ」

「その──と──」

「、た──ろすのか──」

「──えで、がいは──い」


 話し声が聞こえる。言い争っているような、片方が片方を責めているような声。意識がぼんやりしていて内容はうまく拾えない。


 体がだるい。そのまま睡眠に身を任せたくなったけれど、状況に対する疑問が勝った。目を覚ますために深く呼吸する。

 脇腹がきしんだ。


「うッ……」


 お腹を押さえようとして、それができない。両手足が不自然に引っ張られている。


 僕はうっすらとまぶたを持ち上げた。

 石造りの天井が見える。目線を動かすと、段々この部屋が何なのかわかってきた。自分が横たわっているのは簡素なベッド。正面には空間を仕切る鉄の柵。左右と背後は石の壁。薄暗い空間。


 ──牢屋だ。捕らえられているのか。どうして?


 呼吸の度にお腹が痛む。いい加減つらくて身じろぎするが、やっぱり体は動かない。首を持ち上げて確認すると、左右の壁から伸びた鎖が僕の四肢と繋がっている。ベッドの上で大の字に拘束されていた。厳重に。


「なんで……」

「起きたのか」


 声の方を見ると、檻の外に二人が立っていた。


 一人は背の高い女性だった。青空を固めたような、真っ青な瞳を持つ。腰までまっすぐに伸びた白の髪が絹糸を思わせる。しなやかな体には、およそ服らしい服を纏っておらず、硬質的な黒の防具が、首、腕、胸、腹、もも脹脛ふくらはぎ、足を護っていた。鋭利な白黒の色彩の中で、目だけは異様に青い。


「死ななくて良かったな。いや、悪かったのか?」


 もう一人の少女が不愛想に鼻を鳴らす。

 こちらは背が低い。ボブカットの黒髪に、黄色い目が光る。マントのような黒い装束に全身をすっぽりと包んでいて、足元は裸足だった。


 およそ訳の分からない状況だ。僕は言葉を失う。


「……あの」

「無駄口を叩くなッ、人間の分際で」


 質問しようとした矢先に、背の低い少女が鉄柵を蹴った。石壁に反響する轟音。

 自分以外の誰かと声を交わすのが久しぶりということもあって、僕はそれだけで体を震わせてしまう。まるで好意的とは言えない反応だ。心細くなって、言われた通り口を閉じる。


 そのまま黙っていると、背の高い女性が檻に手をかけた。はっとするほど静かな動作だった。


「質問に、答えられるか」

「……はい」


 彼女の隣で黄色の目が光った。


「無駄口を──!」


 返事もダメなのか。


「サジール、黙って」


 僕が叱責に備えた瞬間、白銀の声が背の低い少女をとどめた。


「彼は返事をしただけ」

「……ああ」


 サジールと呼ばれた少女は渋々といったていで二歩下がる。檻の外の壁に背を預けた彼女はそれ以上何も言わず、薄明りの中から警戒の視線を向けるのみだった。


 青い目の少女が言った。


「これまで戦っていた記憶はあるか?」

「ありません」


 即答する。本当に覚えがない。

 どの口が言う、とサジールが吐き捨てた。


 否定の意味も込めて続ける。


「ずっと、なにか、黒いところにいたんです。本当に長いあいだ。──気づいたら……気づいたら」


 雪の中で守られていた。

 誰に? 目の前の彼女に。


 そっと視線を持ち上げる。青い目がまっすぐにこちらを見ていた。


 どうしてだろう。妙な既視感を覚えた。こうして見つめられたことが今までになかっただろうか。どこで? いつ? 思い出せない。でも単なる妄想だとも思えない。


 静かな緊張感の中、僕はサジールの叱責を覚悟して口を開いた。


「あの、さっきはありがとうござました」

「……?」

「守ってくれて」


 青い目が少し大きくなる。お礼を言ったことが意外だったのかもしれない。

 彼女はそれに関しては答えず、話を進めた。


「次の質問だ。お前は、シロツキという名前に覚えはあるか」

「ッ……!」


 聴覚から受け取った情報を脳が理解した。突如目の奥が焼けるように痛んだ。記憶の糸が逆行を始める。急激な時間の奔流ほんりゅうさかのぼって、思い出す。


 あの真っ暗な世界に行く前のこと。家族のこと。父親、母親、妹の沙那さな

 独りぼっちになったこと。冬の始まりのあの縁側。朝食のパン。

 事故。シロツキ。


 記憶のかたまりが頭蓋骨の中にぶち込まれた。殴られたような痛みに呼吸が荒くなる。頭を押さえようにも拘束がとけない。僕は無様に手足の鎖を鳴らした。


 どうしてか、鉄柵の向こうの青い目が驚きをあらわにする。細い指先が檻をぎゅっと握りしめた。


「覚えているのか……!?」

「っ、覚えて、います。……僕は、一度事故で、死んでしまって」

「ああ……!」


 言葉に出すことで頭痛は徐々に治ってきた。順番に記憶を整理できたからだろうか。


「家族が、両親と妹が死んでしまってから、一人で」


 そうだ。ずっと一人だった。一人だけど孤独ではなかった。死ぬ直前まで。


 頭痛は痛みの痕跡を残して消え去った。

 僕はまっすぐ彼女を見すえる。


「シロツキは、僕の、僕と沙那の、大切な飼い猫です」


 そして、青い目の女性が初めて表情らしい表情を見せた。

 どうすればいいのかわからないという風に視線を泳がせ、桜色の唇を震わせる。吐息と共に、彼女の眼がしらから涙が零れた。鮮やかな青色の宝玉がその命と引き換えに輝くようで、不謹慎かもしれないけれど、綺麗だと思った。


 今までの冷たさが嘘のように、彼女は機敏きびんに振り向く。


「サジールッ、カギを開けろ!」

「なっ、ダメに決まってんだろ! これは規則だぞ!?」

「知ったことかっ、この檻を開けられないというのなら私が壊すッ。開けろ!」

「おおお落ち着けよ~……あたしがどやされるじゃんか……」

「私の責任だと言い張れ!」


 壁際まで追い詰められたサジールは女性の迫力に負けたらしい。


「後でどうなっても知らねーぞッ」


 そう吐き捨ててマントの中から鍵を取り出した。小さな銅色のそれが錠に差し込まれ、まもなく鍵が開いた。鉄柵の一部が開き、向こうとこっちの空間がつながる。


 青い目の女性が駆け寄ってきた。


「早くっ、サジール。手と足の錠もだ」

「いや、それは……お前、相手は人間だぞ、危険だろうが!」

「──お前が彼の何を知っている」


 静かながら芯のある、絶対零度の声。


 本気で怒った様子の少女に、気勢を取り戻しかけていたサジールのみならず、僕も震えた。第三者ですら凍える気迫。


 正面からそれに相対した少女は、もはや半泣きで鍵を取り出すしかなかった。


「あああ開げる、開けるからっ、あだしに怒んないで……」


 僕は状況を全く呑み込めず、解放される己の手足を見ていた。左足、左手、右手、右足と、鎖が外れる。ようやく自由を取り戻した。さっきまで横たわっていたベッドへ腰掛けた。


 サジールはすぐさま檻の外に距離を取った。どうにも警戒されているらしい。

 それに反して、青い目の少女はすぐ傍にいた。涙で赤くなった目元が僕を見下ろしてくる。


「あの……」


 何か言う前に抱き着かれた。身長差のせいでほとんど覆われる感覚に近い。華奢な腕が僕の背中を支え、きつく抱きしめてくる。その温もりに、僕は一つ、懐かしい感覚を思い出した。


 ──まさか。

 思考がついて行かず、声を出すことも忘れた僕の耳に、彼女の痛切な声が響いた。


かえで……楓っ。もう大丈夫だ」


 名前。僕の名前だ。


「大丈夫。もうあんなことは起きないからっ。私が絶対守るからっ」


 。もはや、確信する。

 あまりに荒唐無稽こうとうむけいで、不可思議な出来事で、それでも、こう考えるしかない。


 僕はそっと手を伸ばし、彼女の頭を撫でた。

 指先に伝わる感覚が、あの時と全く一緒だ。


「──シロツキ?」


 囁くと、僕の耳元で彼女は頷いた。

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