7・ヒトダマ


 真っ暗だ。

 気づくとよくわからない場所にいた。


 自分の体がないことだけはわかる。


 それは奇妙な感覚だった。

 喩えるなら、体育座りをしているような……いや、それだって体があって初めてできる。体がないのだ。何もかもフワフワとして落ち着かない。


 目も、鼻も、口もない。

 それなのに周囲が真っ暗だとわかる。

 僕と同じようなナニカが無数にいることがわかる。


 彼らは全員死んだ人らしい。

 僕と同じように。




 僕は死んだのだ。

 痛みがなかったところを見るに、恐らく即死だったんだろう。

 運転手には悪いことをした。罪を犯したことが無いだろう善良な人に、トラウマを植え付け、あげく社会的立場を奪うことになってしまった。後から後から、罪悪感だけが胸を焼く。


 ごめん。ごめんなさい。

 声が届くわけがないけれど、そう思わずにはいられない。


 ──どうしたの。


 僕の隣で誰かが言った。

 それは音のない声だった。


 ──後悔しているの?


 うん。

 と僕は答えた。


「何もかも失って、あげく赤の他人に迷惑をかけて死んだんだ」


 ──そっか。つらかったね。


 ──わたしもね、色々亡くしたんだ。

   最後は望まない死に方しちゃった。

   大切な家族を残してここに来ちゃった。


「うん」


 ──家族を悲しみに追いやったって考えると、さ。やっぱりつらくって。どうしようもないことなのに、死んだことを後悔するんだ。


 どうしてだろう。

 隣の誰かは、心から悼んでくれているらしかった。僕にはそれが分かったし、すんなりと彼女の言葉を受け取ることができた。きっと、どちらも死を経験しているからだ。相手が自分と同じ存在であることに安心している。


 それきり僕らは黙った。









 ふと気が付けば、膨大な時間が流れていた。

 そんな感覚だけがある。


 とろとろと溶けだしそうな思考は、あまりにもゆったりしている。

 何か一つのことを考えるだけで時間が過ぎていく。


 妹のことを考えていた。両親のことを考えていた。


 みんなもここにいるんだろうか。

 無数の生命体の中から見つけ出すことができるだろうか。いや、体を動かせないな。それに、見た目と言うものが存在しないここでは、到底無理だろう。僕はどこまで行っても救いようのない世界に、腹を立てた。


 隣の彼女は、じっと傍にいた。






 また時間が流れた。何年。何十年。

 シロツキのことを考えていた。


 僕の身勝手で延命し、僕の身勝手で事故に晒してしまった、あの白猫のことを。


 シロツキ。シロツキ。

 君は生き延びただろうか。


 その小さな体なら、車の隙間に上手く入ることもできたんじゃないか?

 きっと、生きられるはずだ。

 そのまま好きなところへ行くんだ。

 幸せになってくれ。お願いだから。






 ふと危ういことが起きる。

 僕は、僕が何者なのか、一瞬わからなくなった。


 膨大な時間と、おかしな思考の歪みのせいで、記憶が薄れているのか。


 いやだ。


 いやだいやだいやだ。


 忘れてたまるか。


 もう二度と家族を失う苦しみを繰り返したくない。忘れたら、忘れたら、また繰り返してしまう。そんなのは、絶対に……。もう耐えられない。


 忘れるな。忘れても思い出せ。

 家族の死を。あの苦しさを。

 縁側に倒れていた沙那の姿を。

 墓石へ話しかける虚しさを。


 お願いだ。

 頼むから。






「──!」


 突然なにかに引っ張られた。

 ないはずの体がどこかに持っていかれる。

 痛い。やめてくれ。

 皮膚を裂かれるような感覚。

 叫ぼうにも喉がない。


 『僕』が静かに運ばれていく。

 真っ暗な世界の中に丸い光が生まれた。


 ──痛い。


 隣の彼女が言う。

 僕はないはずの手を伸ばした。


 彼女の手をつかむ。

 行かないでくれ。どうか。

 必死にとどめようとした。

 でも退く力はそれよりも強い。


『楓』


 誰かが呼ぶ。それが自分の名前だと気づくのに一秒。

 驚いた僕は力を抜いてしまった。


 そのまま。

 名前も知らぬ彼女ごと光の中に吸い込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る