5・シロツキ


 二階の自室に籠り、窓を開け、イスに寄りかかって、そのまま一時間近くぼうっとしていた。

 冬の陽は短い。いつのまに太陽の位置が低くなっている。

 空はゆっくりと暗くなっていく。夜に近づいて行く。


 足元から鳴き声がした。

 視線を落とせばシロツキが行儀よく座っている。

 エサが欲しいのだろう。


「わかった」


 一階に下りて、アルミの皿に缶詰を開ける。

 静かに食事を始めた白猫の背中をそっと撫でた。

 サラサラとした毛並みの中に一か所。ザラリとした小さな丸があった。


 それは火傷の痕だった。

 前の飼い主にタバコの火を押し付けられたものと思われる。


 いつ見ても痛ましい小さな斑点を、僕は愛おしく思った。この小さな生き物がなんとか生きてきた証明だ。

 誰かと生きることを諦めた僕には、少し眩しいくらいの。






 シロツキはメスの白猫だ。

 出会った当初、段ボールの中で震える体は信じられないほど小さかった。獣医に見せると、生後一ヵ月も経っていないことが判明した。


 可哀そうだ。

 勝手にそう思った。


 シロツキを拾ったのは母をうしなって二か月後。

 僕は小さな生き物を守れる自分に酔いたかったのだと思う。


 首輪がないこと、段ボールに捨てられていたことなどから、きっと飼い主は現れないだろうと予想された。


 家に連れて帰ると、妹は驚いて事情を聞いてくる。


「捨て猫だったんだ。小さくて、かわいかったから連れてきた」

「しょうがないな、楓は」


 叱るような口ぶりだったが、沙那の口元は小さく笑んでいて、喜んでいるのがわかった。




 それから二年だ。

 シロツキは、僕の家族の全てを知っている。


 父と母が死んでしまった話を、妹と一緒に聞かせた。この白猫は、自分の体に降りかかる沙那の涙を不思議そうな目で見上げた。沙那の顔に鼻を寄せて小さく鳴いた。


「ありがと」


 泣き笑いになった沙那の顔を、僕は忘れられずにいる。


 シロツキはぜんぶ知っている。


 沙那がいなくなってしまったことも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る