22:30

 人ごみに揉まれているうちに、いつの間にか改札から出てしまっていた。

 私はようやく柱の陰のわずかなスペースをみつけて立ち止まる。駅ビルのガラス越しに見る夜の街は、あっという間に白に包まれていた。

 

 会社を出た時から嫌な予感はしていた。さっきみたスマホのニュースによれば、今夜東京では、予想外の大雪が降って、電車が大幅に遅れているみたいだった。乗換駅まではなんとかたどり着くことができたけれど、そこで私は立ち往生していた。

 

 ホームも改札の中も駅舎の中までも、朝のラッシュでも見ないような大勢の人でごった返している。電車に乗るためにはこの人ごみをかき分けて、なんとかホームまでたどり着かなくてはならないのだと考えると、それだけでため息が出てくる。

 

 私が乗るはずの電車が来るのは何時になるのやら。いずれやってくるのだろうけれど、それが何時になるのかはまるで分からない。スマホを確認してみるけれど、詳しい情報は一向に更新されていなかった。

 

 いつまでもこんなところで待っているわけにもいかないか……。

 仕方ない。と私はもう一度ため息をつく。

 

 電車が動き出すまで、どこかで時間を潰すしかない。

 お腹も空いていたし、それ以上に、一日働いて満員電車に揺られて行く当ても無くなって、とにかく疲れ切っていた。

 

 どこか、ゆっくり座れるようなお店を探そう。私は人ごみを避けるように、ノロノロと駅舎の出口へと歩き出した。

 

 乗り換え駅だから数えきれないくらい通ったことはあるけれど、駅から出るのは初めてだった。

 駅舎を出ると少し開けた広場があった。その先には、繁華街というほどではないけれどそこそこ栄えた駅前通りが続いている。普段だったら地元の人で賑わうのだろうけれど、今は雪のせいで人影はまばらだった。

 

 コーヒーチェーンやハンバーガーショップ、激安を謳う居酒屋なんかは目についたけれど、どうにもそんなところに入る気分ではなかった。

 こんな災難にあっているのだから、どうせなら個人でやっているような、小さくてひっそりとしているけれど落ち着けるような、そんなお店が見つかればいい。

 

 そう思って歩き回っているうちに、道はどんどん狭く薄暗くなっていった。雪のせいもあって、段々自分がどこに居るのかも分からなくなりそうな気分だった。

 

 ふと、ビルとビルの間の細い路地の先に、Barと書かれた小さな看板が見えた。普段だったらそこに路地があることにすら気づかなかったかもしれない。近づくとそこには、妙に時代がかった木の扉があった。

 店名は書いてないけれど、扉の上部についた小窓からは温かな灯りが漏れてきている。中からは微かな物音がしているけれど、人の話し声は聞こえない。

 

 いつもだったらこういうお店は近寄りがたいと思ってしまうだろう。けれど、どうしてか今日は、入ってみようかなという気持ちになった。もしかすると、この雪が非日常を連れてきてくれたのかもしれない。

 

 扉を引くとキィと蝶番のきしむ音がした。それからドアベルの澄んだ音色が鳴る。

 扉の向こうは、何に使うのかもよく分からないようなもので溢れた、雑多だけれど決して乱雑ではない空間だった。看板がかかっていなければ、雑貨屋だと思ったかもしれない。

 バーカウンターがあって、その手前には椅子が五、六脚並んでいる。カウンターの向こうには、外国人なのだろうか、薄茶色の髪に青い瞳の若い男の人が一人。そのほかには誰も居なかった。

 

 彼は入ってきた私に気づくと、何かの作業をしていた手を止めた。それから私に顔を向けて小さく微笑む。それは海外のCG映画にでも出て来そうな、美しく整った表情だった。

 

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