第12話

傾いた日が本校舎を正面から照らす。


中央の階段から上がってすぐの一学年の教室も例外無く朱に当てられている。


授業が終わり、多くの生徒は認可された同好会にそれぞれ足を運んでいる頃だろう。


無人のはずの教室には、一人の少女がいた。




「メア」




不意を突かないよう意図的に室内靴で小さく音を立てながら教室に入り声をかける。


その配慮の甲斐あってか、声をかけられた少女の反応に驚きは無かった。


読んでいた本を栞を挟まず閉じ、机の中に仕舞う。


ちらりと見えた表題からしておそらく兵法書かその類いだろう。おおよそ十六歳の少女が読むような物とは思えないが、シュラは頭の片隅に置くに留め教室の隅に立つ。




「珍しいわね。


どうしたのかしら、兄さん」




「話がある」




どこか神妙な空気を察し、金髪の少女も椅子から立ち上がり身体の向きを変えシュラと目を合わせる。


金と空の瞳が見えない線を結ぶ。






「明日からまた戦場に戻る」






初め兄が教室を訪れた時は、メアは少しだけ自分の幸運を喜んでいた。


兄の方から話しかけてくることは非常に稀である。数刻前の階段でのやり取りで少し強く当たりすぎた事も謝って、夕食の買い出しに一緒に行こうかとまで考えていた程だった。


冷や水を浴びせるどころではないその言葉は、彼女の心臓に早鐘を打たせる。


めまいを覚えなかっただけマシだろう。






「……………どう、して……?」






蛮族アーネスティア共との国境の不干渉地帯のいざこざにかまけた紛争。


両軍の魔装兵士は合わせて五百人にも満たない比較的小規模な山岳地帯の小競り合いだ。


ただ、敗色濃厚な上に援軍も寄越せない、押し返せなければ国防に大きな影響が出るのは避けられないだろうとのことだ」




「なんで……?なんで兄さんが行くのよ!?


こういう時の為に軍剣レガシオン交剣ルクセリオがいるんでしょう!?」




「あいつらは今動けない。


教会との対立の溝が深まる現状、表立って軍を動かして付け入る隙を与えるわけにはいかないってのがお上の意見だ」




「戯れ言よ!どうせまたくだらない権力争いでお互いを縛ってるだけでしょう!?


貴族連盟の義勇軍でも西方の辺境伯の私兵でもなんだって使えばいいじゃない!」




「なあ、メア」




息を荒立てる彼女を刺激しないよう一歩ずつ踏みしめるようにゆっくり歩き、机一つ挟んだ距離で止まる。




「どうして俺がやりたくもねえ仕事に振り回されてるか、知ってるか」




「そ……それは、……私達のせいで…………」




「そうだ。お前らに飯と家と人並みの学力を与えるためだ」




元々頭一つ分違う二人の身長差は、萎縮するメアと、背筋を正したシュラという各々の姿勢によって夕焼けの作る二人の影は随分と大きさに開きがあったかもしれない。


堪えるように両手を強く握るメアの右手を、シュラはそっと取り、俯いていた彼女の視線を再び取り戻す。


悲しませる為に、こんな話をしているわけではないのだ。






「俺にはもうそれしか残ってなかったんだ。


だから、お前らの為に傷付いて死ぬことになんの疑問も持てなかった。


俺が傷付けば悲しむ人がいるって知ってても、他に生き方を知らなかった」




「…………」




「これからも多分そうだろうな。誰に止められても、どれだけ迷惑がられても」




メアにはなぜ兄が今になってこんな話を自分にしたのかわからなかった。


彼はこういった面はひた隠しにしていたはずだ。自分達に迷惑をかけまいと。


それがなぜ急にここまで踏み込んだ話をしてくれたのだろう。


悲痛な想いが満たす彼女の胸中には、兄が心情を吐露してくれた事の喜びも少し混じっていた。




「……ねえ、……兄さんは、やりたいこと、ないの?」




「無かった。この間まではな」




それは予想外の返答だった。


誰かの為を想って、苦しんで、死んでゆく、それが運命が決めた兄の生き様だったはずだ。


よく見れば兄の空色の瞳は憑き物が落ちたかの様に澄んでいる。




なにより兄が、薄くだが確かに笑っている。


陰惨な笑みなどではない、もっと無垢で、慈悲すら感じるような。






「生きる理由なんて大層なもんを、ずっと昔じいちゃんに貰ってたのを思い出した。


だからな」




メアの頭上、夕日に照らされ少し赤みを帯びた金髪にそっと右手を乗せる。






「絶対に死んでやらねえ。


俺はもう、お前らを理由に死のうとなんてしない。


自分の為に苦しんで、傷付くだけだ」




「…………結局、傷付くんじゃない」




兄に頭を撫でられるのは初めてだった。


孤児院にいた頃、シスターと呼んでいた女性が、自分が駄々をこね泣いていた時によくこうしてくれていたな、とメアはふと思いに耽る。




結局事態は何も解決していない。兄は戦場へ向かうし、自分はその間ずっと杞憂に揉まれ煩悶とするのだろう。


それなのに、こんな言葉と仕草だけで、随分と心が楽になってしまう自分を、メアは我ながら扱いやすいと思ってしまう。




多分、自分は心のどこかで、兄は死ぬことを望んでいるのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。


生きていたい、死ねない、そう言われて初めて安堵に近い感情が生まれる。






「……………ねえ、兄さん。


来年になったら私の『泥天ブランディア』への入隊を許可するって約束、忘れてないでしょうね」




「あー……、それはやめておいた方が……」




「レンやシエルは二学年時で入隊したのでしょう。


もう取り消させなんてしないわよ」






重々しかった空気は気付けば消え去り、残るのは二人の兄妹の他愛のないやり取りだった。

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キルエルフ @snoume3

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