第9話

どこの国にも暗部はある。


救世の歴史が偽りであるとか、讃えし神が薄汚れた箱だとか、そう言った秘密を抱え墓場まで持っていかなければならない人間は、たとえ黒幕と揶揄されようとある種の被害者とも言えるだろう。


権力を、財力を持ってしまったがゆえに、知識に要らぬ贅肉が付き、独りで抱え込む事から逃げた同類に貧乏くじを引かされる。


貨幣が足にまとわりつき、人脈が重石となってのし掛かり、気付けば底無し沼に足が沈んでいる。


養老会とはまさにその沼の底と言える組織だった。




神国ヴェスタ。


この国に神は居ない。


その事実が禁忌であることなど誰の目にも明らかである。


明るみに出ることは許されない。どれだけの犠牲を払ってでも、神の存在は演出しなければならない。


この七百年、伝承のみにしか居ない神をあたかも存在するよう仕立て上げ、国を争いから遠ざけてきた。


中身が空洞のまま箱ばかりが肥大化した結果、要らぬ掟ばかりが国を縛り実害すら出ていた。


かといって今さら神の不在を大陸に公表することなど出来るはずがない。


至る国からあらゆる難癖を付けられ、戦火のもとへ晒されるだろう。


そんながんじがらめのヴェスタの深部を支え続けてきたのが養老会だった。










神歴651年10月2日




大時計塔付近の人通りはここ数日とはうってかわって減少傾向にあった。


植樹祭が終わり、人々は忙しい日常に帰る。


希想照明でその外観を飾られていた昨日までならいざ知らず、夜も遅くに頼りない街路灯と共にこの地を観光しようと考える物好きはそう多くはないだろう。


だが、それにしても今日のこの場所は静かだった。


例えるなら大空の更に上、風凪いだ森、そして、地抉る沼の底。


今宵も、気高き国の養い合いが行われようとしていた。








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「あの小娘は…何を考えておるのだ」




五人が一定の距離を保ち円卓を囲み終えた刹那、その内の一人が忌々しげに会話の端を切る。


彼らは皆一様に老いていた。目が窪んでいる者、震える手で杖を握る者。だがその弱々しい身体とは裏腹に、隠しきれない老練さを宿す瞳はさながら猛禽のそれを思わせる。


皆が皆、百戦錬磨。舌先三寸で社交場を渡り歩き、国を守るためならば躊躇い無く九十九を切り捨て百を取る胆力を萎んだ体躯に秘める者達。


それが五名、一同に会すれば、ただ腕力で選ばれただけの護衛がそれぞれ萎縮せざるを得ないのも無理は無い。




「この五人が集められた、つまりはそういうことだろう」




「……情報が…漏れたのか?」




「七年前とは訳が違う。今王国を刺激しようものなら…!」




「あの識剣アステレジアのじゃじゃ馬がもう少し積極的に戦場に立てば風向きも変わるじゃろうて」




「都市制圧において指定魔法所持者の数の不利は覆しようがない。軍剣レガシオンも存外役に立たぬ」




「だから儂はあの耳無しの小僧の処分に反対だったのじゃ!教会はおそらく奴が下手人だと気付いておらぬ!見えぬ重りの乗った秤を均衡に保とうと言うのがそもそも愚の始まりじゃろうが」




「あの灰の小僧は国か、我々か、神室か、いずれかを強く憎んでいる。


如何に利用価値があれどあんな危険分子を何時までも手元に置いておく気にはなれぬ」




「七年も生かしたことがそもそも失敗だった。『槍』の総隊長もくだらぬ情に流されおってからに…」




やがて各々の私情も交えた口論の場と化していた大時計塔に二つ、西の扉を叩く音。


やっとか、という半ば呆れ気味の表情で会話を打ち切り、一応の礼儀として襟を正した彼らが見たのは、大時計塔の番である黒髪の女従者ではなかった。




「ごきげんよう、老害諸君」




大きな両扉を全開にして、礼の一つもなく入ってくる一人の男。


灰色の髪に影の差す面差しに丸い耳、赤黒い防弾シャツ、白いラインが入った烏羽色のコートの下から伸びる少しだぼついた黄土色のズボンは随所にあるポケットから危険な匂いを漂わせている。




「耳無しの………灰の小僧…!」




「あんたは確か、国法リバランガの……何代目だっけか。まあどうでもいい」




彼がこの部屋に入ってから十数秒が経過していたこの段階で、円卓に座る養老会の背後に控えていた護衛五人は主の命待たずして五人全員が灰の青年を捕らえようと動き出していた。


明らかに正規の手続きを踏める人間ではない。そう判断した護衛達は闖入者目掛け魔法を放つような真似はしない。


主に危険が及ぶような行動は最終手段だ。


魔法不能者一人相手なら格闘戦で十分だろう。


だが、その目論みは、まるで果たされることはなかった。




「がっ…!?」




「ぅぐっ…!」




身体が、重い。


彼らが大時計塔に着いたときに感じたそれは、初めはそんな、漠然とした違和感だった。


活動に支障を来すほどではないが、何かがおかしい。


だが主達は平然としている。よく訓練された五人の護衛達は一応の懸念材料として頭の隅に何かしらの攻撃の恐れありと留めるだけに済ませ、忙しい主の手間を取らせるような真似は慎んでいた。


そして今この時、自分達はなぜか地に臥せって寝転んでいる。


意識はある。だが身体が思うように動かない。重力が突然何倍にもなったような、そんな錯覚に襲われる。




「何をしている!?お前達!」




「貴様!何をした!魔法か!?協力者はどこだ!…こんなことをして…」




ただで済むと思っているのか。


そう続けようとした皺だらけの老人は、次ぐ言葉を発せないでいた。


灰の青年が入ってきた開け放たれた両扉をくぐる者が二人。


一人は見知った顔だ。


黒い髪に黒い瞳。何の変哲もない従者服にこれまた黒いローヒール。


八十八代神室御側付き、リラ・ガルディア。


彼女が自分達を呼んだのだから現れるのは道理だろう。


地を這う五人の護衛達を除いて、五体が自由なはずの老人達までもが動けずにいたのはもう一人の方が理由だった。


長い時を生き美醜を見飽きた彼らですら目を奪われる美貌。


存在し得ぬはずの蒼い髪を、舞う希想によって柔らかくはためかせ、吹き込む冷たい夜風と共に部屋を照らす。


式典でのみ着用を許される、青黒い女性用の上級軍服を着込み同じ色のマントを羽織っている。


この場に居る、彼女を知らぬ者達はすぐさま彼女が魔法を行使していると気付くが、それで何か行動を起こせるわけでもなかった。


彼らの知識に、こんな魔法は存在しない。


希想によって圧を加える魔法自体は体外放射を可能とする者も居るだろうが、戦闘を生業とする護衛達はその五体を持って奇妙な感覚を覚えていた。


これは"そんなもの"ではない。


これほど正確に、多人数、それも高い戦闘力を有する自分達を、これだけの時間縛り付ける魔法など存在するのだろうか。




「謀ったな、リラ・ガルディア」




比較的装飾の少ない厚手の上着を椅子の背もたれに掛けたまま、金髪の老人が憎々しげに正面に位置する彼女を睨み付ける。


一人入り口に背を向けていた者は椅子を九十度回し、身体を捻るように目を向けていた。




「とんでもございません」




「ふ、…ふざけるのも大概にしろ!神の代理人である我々にこのような……!」




くすり、と笑う者が一人。


リラ・ガルディアが、鋼の面の様な顔をうすら崩し、笑みを浮かべている。


老獪を絵に描いたような五人の肝に冷や汗が伝う。


背筋が凍る、悪魔的な嘲笑。


それは人形が突然動き出すような、理不尽さ、不気味さに起因するものだった。


二の句を次げない杖を握る老人に代わり、リラは完全に主導権を奪う。




「紹介致しましょう。


我が主です」




リラが一歩引き、並んでいたその者を面に立たせる。


絶句している彼らを置き去りに、蒼髪の麗人、ステイリアは波立たぬ表情のまま告げる。




「貴様らの言うところの神だ。よろしく頼む」




あっけらかんと放たれたそれに対し、否定することも平伏することも出来ないでいる五人はそれぞれが必死に脳を働かせていた。




何もかもがおかしい。


正体不明の魔法を使う正体不明の女が、軍服を着て女神を名乗っている。


荒唐無稽もいいとこであり、しかし否定することのできない直面した現実。


自分達の傀儡に飽いたリラ・ガルディアが蜂起の様な形で枷から逃れようとしているのか。


それとも本当に神話の存在が降って湧いたのか。


まだ前者の方が現実みがある。


だが同時に、神を騙る軍服の女から発せられる希想はただ事ではなかった。


国の重鎮たる自分達を護衛するのは、当然相応の能力を持つ者達だ。


その彼らが何も出来ず地に縛られている。


これが神の所業でないのだとしたら歴世管理機関の怠慢もいいとこだろう。


なにより問題はその髪色だった。


蒼髪は珍しいの一言で済ませられる代物ではない。


神話の色濃く残す一部の地域では、染料で染めることすら不敬とされる神の色。


血を引く者と言われれば十分信じるに値する材料が、残念ながら目の前に揃っていた。


だが、なぜ今になって現れたのか?それもどのようにして?考えれば考えるほど思考は疑問符で満ち、答えを遠ざける。




事実を知るシュラはそんな彼らの苦悩を察し、少しだけ同情していた。


わかるはずがない、当事者の自分ですら理解できていないのだ。


だが彼らに事情を事細かに説明するつもりは無い。


無駄に頭の回る者達に情報を与えるのは得策ではない。味方ではないのだから、精々利用するだけだ。




爺共じじいども、固まってるとこ悪いんだがこれ以上の情報はやれねえ」




「今宵の度重なる非礼、お許しください。


聡明なあなた方ならわかるでしょう。何のために、何をすべきか」




そそくさと帰り支度をする二人に背中を押されステイリアは大時計塔の外へと追いやられる。


その瞬間護衛達は身体の自由を取り戻し、一人塔内に残ったシュラへの警戒に全力を注いでいた。


重圧をそよ風でも浴びるかのように流し、灰髪の青年は自分の話を始める。




「西方最終防衛線への出向の件、無かったことにしてくれ」




それはあまりに気さくな、仲の良い友人に語りかけるような口調で、国の黒幕たる彼らに告げられた。


驚きを隠せないといった表情とは裏腹に、養老会の面々はそれぞれ素早く思考を展開し眉間に寄った皺を更に深める。


青年の言葉の意味がわからないわけではない。なぜ通達前に彼が知ることが出来たのかは不明だが、大方青年に与するあの女従者が吹き込んだのだろう、と五人全員が同じ予想をしていた。


彼らが悩んでいたのはその言葉に従うか否か、ではない。


"どう断るか"、その対応の仕方に苦しんでいる。




その中でただ一人、例外がいた。








「それは出来ない。軍剣レガシオン識剣アステレジアも表立って動けない今、西方を放置すれば野蛮なアーネスティア共が勢いづくだろう。


貴様の力は必要不可欠だ。それがわからぬわけではあるまい」




流れを断ち切るように、一人の老人が静かに声を上げる。


身なりは質素だが、年の割に体格の良い男だ。


その鋭い目付きと巌のような顔付きは相手からすれば強い圧と感じるだろう。




リーヴェ・クロイス辺境伯。


それが彼の名と権力のかたちであった。




「死ぬとわかってて行くわけねえだろ。


それともここで俺に殺されてみるか?」




不穏な空気が一面に立ち込める。


灰髪の青年の右手にはいつの間にかナイフが握られ、塔内に付けられた想光照明に鈍い光を返している。


その刃が冗談の類いなどでは決してないことなど、この場にいる者は皆瞬時に悟った。


濃密な殺気。幾度もの戦場を経て、浴びた地獄の血の数だけ研ぎ澄まされたそれはとても青年の放つ者とは思えなかった。


だが、そんなものを前にしても、リーヴェは眉一つ動かさない。




「例えこの五体刻まれようとも、首を縦に振ることはあり得ぬ」




場が凍りつく。無用に挑発すれば自分の首が即座に飛ぶことなどリーヴェはわかっている。


だが彼には確信があった。


目の前の礼を失する青年は愚かではない。


今、辺境伯である自分を殺したところで生まれるのは国内の不和ばかりだ。


緊張する国際関係のなか地方と中央の連携に疑いを持たせる様な真似は絶対にしてはならない。


国を人質に取る行為に後ろめたさは無いが、一方的に有利に進め続けず落とし所を上手く見つけなければこの禍根はいつか自分の首を取りに来るだろう。


頭の中で駒を進めながらリーヴェは鉄面皮をもって胸中をひた隠しにしていた。


睨みあってたっぷり十秒。


折れた方が先に口を開くこととなった。




「チッ、食えねえ爺だ。


…………だがこっちも犬死にする気はねえ。


俺の部隊から十人連れていく。兵装の限定も解除。均衡または優勢まで持ち直した後即帰投する。いいな」




忌々しげに舌打ちを響かせるシュラ。


依然として表情の変わらないリーヴェ。


年の功か、国の暗部たる矜持か。


舌戦では彼ら養老会は老いてなお高みに居ることを再確認させられた。






「………ああ。元より貴様を失うのは痛手だと論じていた所だ」




「なっ!?辺境伯殿!?教会との力関係はどうされるのですか!?指定魔法所持者を一人失ったかの国がアーネスティア王国に拠り所を求める可能性は決して低くはないのですぞ!?


指定魔法所持者を討ち取った何者かは西方にて散ったと、教会に向け発信せねば彼我の戦力差にいらぬ恐れをなした教会がどんな行動をとるか…」




「ヨルグ統一教会は未だ何の声明も出していない。


アーネスティアはおろか自国の民ですら指定魔法所持者の損失など知らされてはいないだろう。


交剣ルクセリオであるあなたがよく知っているはずだ。


奴等とてすぐに王国との国交を正常化させることなど出来やしまい。


下手に動けば最も深手を負うのは教会自身なのだ。


今我々が杞憂に呑まれ、指定魔法所持者に及ぶ戦力を失う事こそ深手だとは思わんかね」




「ぐっ…それは……」




毅然と淡々と述べるリーヴェに対し、返答に窮した老人の方は苦々しげに俯くことになる。


静観を貫く残りの三人の老人達も何か言いたげだが、同じように反論されると思ったのか声を出せないでいた。




「じゃあ俺は帰るぞ。後はあんたらで勝手にやってくれ」




あまりにも呆気なく円卓に背を向けるシュラを引き留める声はない。


加工木材で出来た両扉の軋む音の後、大時計塔内部に吹き込む風はぴたりと止まり静寂が十人の男達を包む。








結局この日、養老会の面々はその老体にむち打ち議論に勤しみ、日付が変わってしばらく経ってからやっとそれぞれの結論へと至ることになる。




底無し沼だと思っていたものは気付けば煮えた釜に変わっていたが、老い先短い彼らにはどちらも似たようなものだった。

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