第7話

アステレジア総合学院。


広い神都における数ある建造物の中でも最大の面積を誇るそれは、第八外周門の外の北東の街道と自然公園に併設され、旅行く人々の目に留まりやすい。


広大さもさることながら、神話時代に建てられたその校舎や関係施設は歴史的価値も高く、数度の補修や改装を経てかつて以上の荘厳さを醸していた。


満十六歳までであれば誰でも、それこそ耳無しと揶揄される魔法不能者ですら入学が可能であり、学問を司る『識剣アステレジア』が定めたその学習要項は広く、深く、初年度の主要基礎学習単位ですら地方の基礎学校の卒業課程を大きく上回る質と量を詰め込まれることになる。


入学の際に問われる資質は多様であり、また、前年度から大きく変わる年もあるため、総合力と応用力が重要となる。


神都中央から北に歩き、外周門を八度くぐり抜けるとすぐ右手に第一専門校舎が見えるほど中央との距離はほど近く、各層にある企業施設を利用した社会学習なども盛んに行われており、卒業生徒の進路は多岐にわたり、また在学中に優れた成績を残した者は国定三法四剣、つまり七葉の各家から直接声がかかることも少なくない。


神国内で最も厳しく、優れた基礎学校であることを疑うものおらず、また、貴族商族平民を平等に扱う能力至上主義の面は、批難する者もいることにはいるがおおむね好評とされていた。


神都の知恵者は皆その学校を出ているとさえ言われ、生徒達は学内では厳しい指導に、学外では期待や羨望に晒されながらかけがえのない十代を過ごしていく。




そんな夢と希望にまみれた場所の一角。


四つある専門校舎に四方を囲まれた中にある三階建ての巨大な本校舎の最上階。


『学院長室』、と赤い塗料で荒々しく書かれた木の札を上部に張り付けたドアの内部。


一人の人間に与えられるにはあまりにも広いそれはそのまま権力の表れであった。


乱雑に書類が散らばる机、横長のローテーブル、それをコの字に囲むソファ。


それら全ては上質さの極みに位置する素材と技術によって作られたものであるのに対し、校庭もとい自由演習場を臨む一面に取り付けられた窓は全て開け放たれている。


そのどちらもが、この部屋の主たる者をよく表していた。




やわらかな風をまぶたに受け、シュラは目覚める。


背中に当たる感触は馴染みのあるものだ。


仰向けに横たわる身体を起こし、長いソファに座り直した際に自分が上半身に何も纏っていない事に気がつく。




「随分と可愛い寝顔だったぞ、シュラ坊」




右耳を突き抜けたその声に、シュラは眉をひそめ頭を抱えたくなる衝動に駆られることになる。


明瞭にして快活、腹の底から幾度も反響し希想まで纏っているのではないかと疑うほどの力のある女性の声。


これほど存在感のある声帯を持つ人間の心当たりは、シュラには一人しか無かった。




「ごきげんようございます。学院長」




「ああ、ごきげんよう。まあ私がご機嫌じゃない日など無いが」




「………」




橙が燃える髪、金の双眸に、優美可憐な顔立ちと獰猛に歪む口端。胆力の無い者であれば相対するだけで足がすくんでしまうであろう、全身から放たれる闘気。


男性用の黒い改造執事服を完璧に着こなし、その上から特注の赤黒い外套をマントのように羽織っている。


威圧感をそのまま形にしたような容貌は、穏やかな秋の日にあまりにも不釣り合いである。




ディアーネ・アステレジア。


かの名高い七葉の一端、学問を司る『識剣』の現当主であり、アステレジア総合学院の理事長兼学院長である。




七葉の当主は原則として一人あるいは複数人の護衛を常につける、半ば義務のようなものがある。


単身で国を動かしうる彼らの命を狙う者は少ないとは言い切れず、しかし実行に移す者は滅多にいない。


それでも権威の証明として強き者を従える事は、国民に示す意義のあるものと言えるだろうとされていた。


しかし彼女は今の座に就いてから一度たりとも守護者をたてた事が無い。


それは群れるのを好まないだとか、権威を傘に着ることを望まないだとか、そんな可愛らしい理由では断じてなかった。




「シュラ様」




今度は背後から。


ディアーネのものとは対照的な、落ち着き払った静かな声。


抑揚の抑えられたそれもまた聞き知った声であった。


首だけを九十度動かし、視界に入るぎりぎりの所に彼女はいた。




「よお、リラ」




相も変わらず従者服を着込む彼女の瞳は心なしかいつもより細められ鋭い印象を見る者に持たせる。


なぜかは知らないが怒っている…!、雰囲気だけでそう判断したシュラは軽すぎた挨拶を訂正しようとして逆に先手を打たれる。




「よお、ではありませんよ。勝手にいなくなったと思えばぼろぼろになって帰って来て。傷が塞げばいいというわけではありません。自分の痛みに鈍くなればそれだけ他人の痛みも鈍く感じるようになります。それにあなたを担いでここまで運んできたのが誰なのかわかっているのですか?だいたい昔からあなたは」




「あーわかったわかった。俺が悪かった。後でちゃんと謝るから。


それで、学院長。俺の隊服の上は?」




「ああ、私自ら洗濯してやろうと思ったんだが、一つくしゃみをしたら力が入って燃やしてしまった」




「えぇ……」




ディアーネ・アステレジアが護衛を付けない理由。


それはひとえに彼女自信の戦闘力にある。


有象無象の刺客をあしらえる程度、どころではない。


大陸全土に九人、この国において一人しかいない歴世管理機関による指定魔法所持者。


固有の体外放射である魔法名は『大陽炎おおかげろう』。そのまま転じて彼女の異名とされ、畏怖と敬意を込め人々からそう呼ばれている。


彼女が本格的に戦闘を展開すれば生半可な者では護衛どころではない。


直接触れずとも希想の炎に肺を焼かれ立っていることすら叶わないだろう。




「心配するな。今度は真っ赤なのを見繕ってやる」




「いや、んな阿呆な。………冗談ですよね?」




彼女の財力を考えれば出来ない事の方が少ないだろう。


上下真っ白の隊服は目立つ上に良い思い出が無いため好きではなかったが、上下真っ赤はそれはそれで嫌だった。




「仕方ないだろう。"あんなもの"が近くにいては、さしもの私でも高ぶる希想を抑えきれん」




「あー………」




「説明して頂けますか、シュラ様」




三人の視線は一ヶ所に集まる。


シュラと机を挟んで反対側にあるソファの上で足を伸ばして横向きに眠りこける一人の女性。


大きな茶色いブランケットから覗くその手足を活性状態にある希想が蒼白く照らしている。


通常本人の意思無く希想が活性化することはまず無い。希想が還るとされている地脈が大きく乱れているか、それとも希想の主がよほど強い"核"を持っているかのどちらかだろう。


ここに居る三人は三者三様の視点で同じ感想を抱いていた。


『尋常ではない』、と。




(蒼も気になるがあの黒いドレス。あんな素材は見たことがない。名高い神都の仕立て屋に再現を頼んだところで突っ返されるのが道理であろうな)




顎に手を当てる右手とその腕を支える左腕とで思案の姿勢を取るディアーネ。


希想の支配に優れる指定魔法所持者でさえ乱されかねない静かなる奔流。


両手を胸の前で重ね寝息をたてる彼女の希想は好き放題に飛び回り、誰彼構わずその影響に晒さんとばかりだ。


だが、その動きは荒れ狂う荒波や吹き荒ぶ大嵐の様なものとはどこか根本的に異なっている様に感じる。








(まるで…希想が遊んでいるようですね)




あらかじめ蒸らしていた紅茶を銀製のティーポットから三人分の見るからに高価そうな陶磁器のカップへ注ぎながら、リラは横目にその蒼髪を見遣る。


それは普通の情緒を持つ者ならば見とれずにはいられない色。物珍しいだとかそんな話ではなく、自然界に存在するものとはとても考えられない神秘性。


神国ヴェスタには幾つものおとぎ話が存在する。


実話をもとにしたもの、誰かの意思を是とするために作られたもの、旅商人の伝えた詩をおこしたものなどその由来は様々である。


その中の一つに神の存在を示す著述を含むものがあるが、それが書かれたのはつい三百年前だ。


しかも書いたのは無名の歴史学者ときており、内容が辛うじて神々を賛美する物だったから今も受け入れられている様なものだ。


リラは幼い頃からこの話が好きだった。


争いに疲れた人々を見かねた蒼き髪を持つ王が、大陸中にその髪と同じ色の蒼薔薇を咲かせ戦を止めたという内容。


神室の存在は彼女にとって他の人々より身近であり、遠い理想だった。


一度は絶望し、それでも居ないという事実を守ることこそが神室御側付きたる自分の役目だと強く言い聞かせ、義母に拾われたあの日から今日までを生きてきたのだ。


そこに降って湧いた数奇な運命のかたち。


波立たぬ彼女の心に波紋が残るのも仕方ないと言えた。








(海で拾ってきた。なんて言っても信じねえだろうなあ…)




自分ならまず信じないだろう。


シュラは必要のないはずの言い訳を必死に考えていた。




(海がダメなら山ではどうだろう。いや、そもそも人を拾ってくるという行為が問題なのでは?


………幸いなのはこいつ(ステラ)がどう考えても普通じゃないって所だな。


これが一般人だったら今頃頭だけじゃなくて全身灰になってる)




寝起きの回らない頭をなんとか動かすもそれらしい思い付きは浮かばない。


結局シュラは素直に全て白状することにした。


誠実は美徳なのだ。聡明な彼女らならわかってくれるだろう。




「海みたいな所で拾ってきました」




「嘘つけ」




「シュラ様………。もっと良い言い訳が他にあったのでは…」






想い、通じず。




諦める事を知らないはずの彼が半ばくじけながら詳細な説明を二人にしている間に、太陽はすっかり本校舎の真上に昇っていた。

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