第6話

八十八代目神室御側付き、リラ・ガルディア。


彼女は今、混乱の極致にあった。


場所は天下御免の神室本殿、自分以外誰もいないこの場所で、目を張り表面上は冷静を保ちながら問題の解決に当たっている。


"自分以外誰もいない"ことが大問題なのである。




(かすかに希想のざわめきはありますが…。彼は魔法を使えないはず。彼の持つ例の異能は希想に頼らないものだったと記憶していますが、だとすれば…?)




シュラが告げた約束通り五分きっかりでこの部屋に戻ってきたリラであったが、この暗く簡素な部屋に人の影は無い。


抜け道(今では本道だが)は一つしかない上に一本道だ。


部屋の中をくまなく探せど、灰色の髪一つ落ちていない。


まるで最初から、存在していなかったかのように。




思えば、昔から目を離せばすぐいなくなってしまう方だった、とリラは少しのんきとも言える感想を頭の片隅に寄せる。




五年前、先代の神室御側付きである義母が現役でありその補佐をしていた時、とある事件が起きた。


神室の襲撃、公にされることはついぞ無かった国を揺るがすその大事件は1人の少年によって引き起こされた。


正確には、神室御側付きであった義母への闇討ちとも言える行いである。


ある夜、主無き本殿を後にし、神都の第一層居住区(貴族や商族が主に住まうとされる)に義母と帰る際、その少年は夜闇の中から現れた。


神室の身辺警護や身の回りの世話を主とする御側付き、その存在は秘匿とされ、七葉の一つ、『国法』が徹底的に情報を管理し、一般人はおろか中流貴族ですらまず知る者はいない。


大時計塔の蒼薔薇の壁を抜ける際も人の目には常に気を配っていたはずだ。


ただの通り魔ならまだよかった。


神都でそのような狼藉を働く者がいるとは思えないが、まだそちらの方が現実みがある。


少年は、こちらを神の遣いと知って襲いかかってきた。


殺意は無い。いやその身から溢れだすそれは殺意に他ならなかったが、どうにもそれを向ける方向がまばらだ。


神を守る者として最低限の、最大限の戦闘力を誇る神室御側付きとその補佐相手に彼はよく戦った方だろう。


首に薄い刃を突き付けられ義母に尋問される自分より四、五歳程年下と思われる少年。


義母が少年を評して言った感情豊かという言葉が、その時は理解できなかった。


表情に乏しく、整った顔立ちがゆえになおさら人形の様に感じてしまうそれを見て、なぜそのような事が言えたのだろうか、と疑問を覚えた。


結局義母は彼を解放した。


空っぽならば、義母は自分と同じように養おうとしたかもしれない。


だが彼の裡は空洞などでは無かったのだろう。


酷く悲しげに去る少年の背に、義母は一つ声をかけた。


『あと五年して、それでも憎しみが消えなかったのなら、その年の植樹祭の前日に会わせてあげよう』


誰に会わせるのか、など決まっているだろう。


居るはずのない神を約束の出汁にするなど随分と残酷なことをする、と思った。


なぜ五年という数字にしたのかは未だにわからない。


楽天的な義母の事だ、特に考えがあったわけでもないのだろう。


その夜の事を義母は引退するまで、引退した後も口外することはなかった。


定期的に『天の槍』へ自分を遣わせ、彼の様子を伺わせた辺り、気に入ってはいたのだろう。


気配を消して様子を観察しても、必ず見つかりすぐに煙のように姿を消してしまう彼を、不満げに報告する自分ごと義母は笑っていた。




(……理由無く姿を消す方ではありません。やはり何か事件に巻き込まれたのでしょうか?


しかし、なにもこの様な場所でそんなことが)




そんなことが、可能なのだろうか?


外部からは物理的な壁と希想による障壁によって攻撃など届くはずがない。


神都で一番安全な場所と言っても過言でないだろう。




「…………?」




ふと、リラの纏っていた希想が活性化し、強い蒼色を放つ。


主の意思無く高ぶる事など本来はあり得ない。


やがてそれは彼女の周りだけでなく、地脈そのものを猛らせる。


部屋に溢れかえった希想の群れは天井に吸い寄せられ、誰かの意思によってそれを発動する。


あまりのまばゆさに視界を腕で覆っていたリラは、地下通路への退避を一瞬考えすぐに取り消した。




暴れ狂っていた希想は、弾けるように消える。


否、それは吸収された。


蒼い光が収まった部屋の状況を確認しようとしたリラの視線は、部屋の中央、かの祭壇へと向けられる。




「シュラ……、様…?」




祭壇にかけられた布は捲られたままだ。


その中に居た人間がシュラだと理解するのはそう難しくない。


皺一つ無かった隊服は血と水で汚れ、その至るところが破けているが、それでもその灰色の髪を間違うことはない。


それにも関わらず、彼女が目を疑ったのは、彼が一人ではなかったからだ。


膝をつくシュラが両腕で抱えるその女性の姿を見て、リラは絶句してしまう。


その美貌ゆえ、ではない。


確かに羨みようが無いほどの整いすぎたその相貌や雪のように白い肌は目を引くが、彼女が最も衝撃を受けたのはそれらではなかった。




「蒼……薔薇…」




滝のように落ちる長い髪。それらは根本から輝き、暗い本殿に光をもたらす。


人目で希想の影響だとわかるそれには、異様な点があった。


その蒼髪は希想を、"纏っていない"。


言わば完全な同化であった。




この大陸には様々な髪の色を持つ人々が暮らしている。


赤、橙、黒、白、金、茶などその色彩は多様だ。


強い希想を纏う者は元々の色と相まって緑や銀に見えることも稀にある。


そんな世界で唯一存在しない色。


それが蒼だった。




存在しえないはずのその色を前にして、リラの脳裏に浮かんだのはこの国に古くから伝わるおとぎ話。




もし違えば不敬となじられるだろう。


それでも言わずにはいられなかった。


自分の"主"がそこにいるのだから。






「神祖、様……」






その呟きに応えるかのように希想の息吹が祭壇を吹き飛ばし、四方に散った加工木材は壁にぶつかり乾いた音を響かせる。


黒い簡素なドレスに身を包んだ人ならざる存在は、その絶美も相まって超越者という言葉がよく似合っていた。








かくして神国ヴェスタは大きな変革に見舞われることとなる。


すぐそこまで近付いていたはずの破滅の気配は、何かに怯えるように歩みを躊躇っていた。

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