第4話
長く短い階段を登り終え、最初にシュラの目に留まったのは祭壇によく似た何かだった。
想光偽装によって普段からその外見を正しく認識することは出来ないが、内側から見る本殿は随分と小さく見える。
見渡せば簡素と言う他無い場所であった。
精々が三十メートルの四方の、黒い壁に囲まれた部屋の中央に、ぽつんと鎮座するそれを形容する言葉をシュラは知り得なかった。
大きな正方形の骨組みの上から上質な淡い青色の布を被せただけにしか見えないそれが、本殿内に存在する唯一の無機物だった。
シュラは懐の内ポケットに手を入れ、慣れ親しんだそれを引き抜く。
旧式の回転式拳銃、銘を『
装填された弾は六発。
そのままゆっくりとした動作で銃口を部屋の中央に向ける。
神に弓引く行為を咎める声は無い。
シュラの隣に立つ女従者は手を体の前に置き待機の姿勢を貫いている。
その光景は、神室に篤信を抱く者であれば卒倒しかねないものだった。
意外なほどあっさりと、その引き金は引かれる。
薬莢底部の雷菅が叩かれ、急速に燃焼した火薬が燃焼ガスを生む。
爆発的な勢いに押し出された弾丸は銃口が向く方向へ、主が敵と定めた対象物へ真っ直ぐに進む。
四方に垂れ下がる布はその貫通力に耐えきれず、結果二度の貫通を経て背面の壁に弾丸を渡すこととなる。
回転式弾倉に残された五発の弾の出番は無く、薄月は再び持ち主の懐へと仕舞われる。
不敬の文字を知らぬが如く、シュラは中央に小さな穴の空いた青色の布を捲り上げる。
中にいた者は、なかにあった物は
「まあ、そんなところだろうな」
そこには何も、ありはしなかった。
憎むべき仇も、壊すべき力も、祈るべき神すらも。
眼前に広がる虚無に、ついにシュラは笑いを堪えきれず口端を歪めくつくつと声を上げる。
神室使用人、リラ・ガルディアは目の前で声なく哄笑する青年から目を離さず、笑うことも怒ることもせず、ただその様子を見守っていた。
やがて青年が落ち着きを取り戻し、彼女の方へ振り返ったのを見て、覚悟のもと形の良い唇を震わせる。
「七年前、古戦場にて不審な研究を行う魔法不能者の集団がいるという出所不明の噂が旅の商人の間で密かに流れていました。
まともに取り合う者のいなかったその話を知った『養老会』と当時の『交剣』『国法』の慌て様は異様とも言えるものでした」
「…」
「丁度その時期を同じくして領土問題を主とした言いがかりに近い内容を理由にアーネスティア王国との対立が再燃していました。
この国の深部に根差す者達はある憶測に囚われることになります
神室など、神の血を引く者など、"とうにいない"という事が、ついに知られたのではないか、と。
王国はそれを知り、このような強引な手段を取って来たのではないか、と。
神話の戦争を終わらせたとされる神室の存在は大陸諸国にとっても軽々しく扱うことは出来ません。
強大な力を振るうとも、無限の知識を持つとも言われ、各国に畏怖されていたがゆえに、このヴェスタは戦禍に巻き込まれること無く中立的な立場を貫くことが出来ていました。
神室の不在は養老会と七葉の一部のみが知る事実です。
当時、その事実が明るみに出るようなことはあってはならないと躍起になった彼らは、あらゆる可能性の芽をしらみ潰しに摘み取り回りました」
「………」
「国内外問わず行われた、被害者にとっては理由無き蹂躙に対して、先代の御側付きである私の義母と『医法』が説得を繰り返している間に、気付けば王国は領土問題から手を引いていました。
後から見てみれば、王国には初めから国土侵攻の意思など無く、統一教会との和平交渉を長引かせる為の言い訳を小競り合いとして演出していただけでした。
結局、彼らの心配は杞憂に終わり、人道に反した行いは『司法』に咎められ、当時の『交剣』と『国法』の当主は表向きは勇退の宣言をし、地方監査の任を受け僻地に向かった数ヵ月後に、それぞれが事故で亡くなっています。
養老会はこの蛮行を積極的に支援していた者らを摘まみ出し、尻尾を切って我関せずとしました」
リラは語り続ける間、一時も目の前の青年から目を逸らすことはなかった。
たとえ彼が、見たことのないおぞましい笑みを浮かべていたとしても。
その見開かれた空色の瞳が微かに潤んでいようとも。
それが責務だと自分に言い聞かせ、自分の中から湧き出る感情を殺し、数歩先から濁流の様に押し寄せる声無き慟哭を受け止める。
「あなたの仇は、この国にはもういません」
勇気など自分とは無縁な言葉だと思っていたリラは、今日この日、その考えを改めることになった。
事実はいつも凄惨で、真実はそれに輪をかけて残酷だ。
それでも知りたいと、彼が望んでいるのなら、包み隠さず伝えなければならない。
「…………五分だけ、一人にさせてくれ」
声と共に流れる一筋の涙にリラは抵抗を覚えることが出来ず、足音無く隠し階段を降りる。
自分の周りを漂う希想だけで照らされた地下通路の壁は、酷く濁った灰色に見え、少し迷って彼女は階段近くの壁にかけたランタン型の想光照明を手に取り希想を込める。
その心持ちを表すかのような不安定な照明の光量の揺れを指摘する者はいなかった。
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復讐が、したかったのだろうか。
それならば、なぜブランドを生かしているのだろう。
落ちぶれ、死に損ないとなった彼を見て、自分は満足したのだろうか。
心に巣食う憎しみの影は、何に起因して、誰を恨んでいるのだろう。
隙を見せれば口から溢れだしそうになるこの暴れ狂う激情は、誰に向かっていくのか。
誰を傷付け、誰を救ったところで大切な人が帰ってくることなどない。
全部手遅れなのだ。
それなのになぜか自分は生きている。
弟妹達は七年で立派に成長した。
自分にはもったいないほどに、賢く強く正しく育ち、助けなどもう要らないだろう。
必要とされなくなることは怖くない。
必要とされ続けることの方がよっぽど怖かった。
この七年間、たくさんの命を奪ってきた。
彼らには友がいて、仲間がいて、家族がいたのだろう。
きっと今の自分と同じか、それ以上に強い憎しみを抱いている。
同じ境遇の人間を増やしたかった訳じゃない。
それでも我が身可愛さに憎悪の連鎖に他人を巻き込んだのだから、自分はブランドや養老会のクズ共と同罪だ。
それなのに、なぜ
「……俺は、死ねない」
消えたいと、死にたいと、幾度考えたことか。
戦場で迫り来る刃に、吹き荒れる炎に、一歩身を晒せば楽になれたはずだ。
解放への喜びすらどこかで感じていたはずなのに、どうしても死ねない。
あの時と、一緒だ。
姉を置き去りにして、冷たい梯子を登っている時も、そうだった。
苦しくて、悲しくて、痛くて、辛くて、それなのになぜか身体は生きようともがいている。
心の中で支える何かが、命を繋ぎ止めて離さない。
止めどなく溢れる涙が煩わしくて天井を仰ぐ。
潤んだ視界には、どこか懐かしいものが映ったような気がして
「…………ぇ…?」
見間違いか、走馬灯か、あり得るはずのないそれは、しかし確かに頭上に浮かび上がっている。
それは、
"あの時"はわからなかった、かの花の名。
七年前、ワイズが落とした銀の鍵に彫られていたものが、孤児院三階の倉庫の壁に浮かび上がったその紋様が。
神のいないこの神殿の天井に、全く同じ模様で黒く輝く石に彫られている。
そうだった。なぜ自分が死ねないのか。
どれほど考えても、忘れていたのだからわかるはずがなかった。
無意識に封をしていたのは怖れと罪悪感からか。
苦しみ抜いて、否定され、奪われ続けても、生きる心が死なない理由。
それは、答えにまだ辿り着いていないから。
あの日、感じた高揚感。長く忘れていた正の感情。
思い出せるはずだ、
━━花に病み、
━━━空より高く、地より深く
━━━━其の魔導、これをもって完と成す
━━━━━いざや行かん、
「『星の船』」
極光が、世界を包む。
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