第3話

中央観光区でも一際目を引く大時計塔には三つの顔がある。


物見櫓として神話の時代に建てられたそれは、終戦後に街の発展に伴い姿を変え、頂上部に取り付けられた直径十五メートルもある時計盤が主だった役割として人々に知られていた。


十二時と六時に決まって鐘が鳴らされる理由は、忙しないこの国の人々に過ぎ去る時を再認識させるためだというのが通説だった。


これが一つ目。


名目上、大時計塔は観光地とされてはいるが一般人は内部へ入ることは許されていない。


塔の周囲を高く盛り上げた土台で囲み、さらに数えるのが困難な程の蒼薔薇で足元を隠すように覆っている。


更にその周りを腰の高さ程ある柵で四角く囲いこまれているため、観光客が寄れるのはそこまでが精々だった。


縦五十メートル以上ある巨大な四角柱とそれを厚く囲う蒼薔薇という光景は、遠目からだろうと十分観光地として機能するだろう。


土台に乗り人の背よりも高く咲く蒼薔薇が塔の半径十メートルに渡って覆っているため、一見すると塔内部へ地上から入ることは難しく思えるが、一ヶ所だけ例外が存在する。




大陸で最もよく見られる花である蒼薔薇は、希想によって芽吹き、育ち、その花を枯らす際に希想を放出するという他の花には見られない際立った特徴を持つ。


それゆえに魔法による細工を施しやすく、この国の重要な場所において蒼薔薇の咲かない地は無いといって過言ではなかった。


その日の零時、月が時計塔を照らし映し出した影が倒れる角度が『順路』となる。それが、ここを管理する者が作った仕掛けである。




「お待ちしておりました」




少し膨らんだ半月が思い出した様にその声の主を今さら照らす。


魔法の気配はない。穏形の高い技量が垣間見えるが、それを褒める声はない。


蒼く活性化した希想が首もとに届くかどうかのその黒い後ろ髪を淡く映す。


見目麗しいと評してなんら問題ないその相貌。瑞々しさと色香とを併せ持つ肌の上に気品を損なわせぬ薄い化粧を纏い、闇を呑む髪と同じ色の足元まで隠すワンピースの上に装飾の色皆無な白エプロンを着こんだ伝統的な従者服を着込んでいる。


想光灯によって昼とは異なる景観を醸す大時計塔の蒼薔薇畑にはよく似合っていると言えるだろう。


夜の闇に溶け込む様な落ち着いた声に応えるように、もう一つの影が浮かび上がる。


まず目につくのは白い軍服だ。神国特有の上下を揃えられた雪色の隊服は、昼間であれば酷く目立つものだ。たとえ今が月の登る頃であろうと、治安維持のために想光灯がそこかしこに立つ今の神都では人目は避けられない。


だが奇妙なことに、神国随一の観光地であるはずのこの大時計塔の周囲にはこの二人を除く人の影は見られない。




「珍しいこともあるのですね。あなたの隊服姿など。記念式典ですら私服でいることの方が多いでしょう?」




「耳無しの俺が普段からアレを着てるとうるさい輩がいるんでな」




ベールを脱ぐように闇から現れた灰色の髪。女従者とは対照的に一切の希想を纏わず、その身を照らすのは月ばかりだ。




「会議は先ほど終えたばかりです。今ならまだ"道"も残っています」




「ああ。ここに来るまで胡散臭い奴らを随分見たよ」




大時計塔の二つ目の顔。


それは『七葉会議』と呼ばれる国内権威最高位に位置する者達による会談が開かれる会場としての役割である。


神国をうたうヴェスタであるがその実権の多くを握るのは神室ではなく、国定三法四剣をそれぞれ司る七葉の家である。


『医法、司法、国法』の三つの法。


『軍剣、商剣、識剣、交剣』の四つの剣。


中央貴族の中でも突出した力を持つ彼ら七葉を政府、力の集中を懸念し結成された地方貴族や商人によって作られた貴族連盟。


この構造が生まれたのは神歴が定められてから百と十五年後。時に協力し、対立し、大きく国益を損なう恐れがある争いが起きた際は神室による介入が行われることによって、ヴェスタという国は磐石さに磨きをかけていた。


その彼らが月に一度、七葉それぞれの家長と貴族連盟の代表数名が集まり成果や問題の報告、対応やそれに伴う協力を講じる会談が『七葉会議』である。




「随分と乱暴な開き様だな。この雑っぷり。一番乗りは『識剣』だったのか?」




「ええ。七葉の御当主様の中で唯一御自分で"開く"ことが出来る御方ゆえ私も手出しは致しませんでしたが、後から来られた他の方々からは随分と不評でした」




「だろうな」




彼らの身長より高く咲く蒼薔薇の壁には一ヶ所だけ裂け目が出来ていた。


蒼く光る土の土台ごと左右に別れ、大時計塔への道が生まれる。


蒼薔薇は枯れる際希想を放出するが、実はこの因果を逆転させる手段がある。


『愛された者』の中でも特に希想の激しい活性を可能にする者が魔法を行使した際に、周囲の希想がその意思に染められ取り込まれることがある。


希想を溜め込んだ蒼薔薇は、その希想を失うと枯れ、霧散する。


それを利用したのがこの蒼薔薇による壁と順路だった。




「一応の規則として身体検査が設けられていますが」




「俺には意味が無いだろう」




「それもそうでしたね」




蒼薔薇を肩で掻き分けながら縦に並んで歩く二人は、そう歩を稼ぐことなく大時計塔の入り口へと辿り着く。


目の前に立つ大両扉の鍵穴に女従者が取り出した鍵を差し込み回す。


縦にも横にも長いその両扉は片側だけ開ければ十分だ。


二人が中に入り内側から鍵を閉める頃には、割れていたはずの蒼薔薇の海はすっかり繋がっていた。








━━━━━━━━━━━━━━━━━━








大時計塔の内部はその外見からは想像もつかないほど華美に装飾されている。


正方形の大部屋に西、東、北にそれぞれ設けられた両扉があるだけで、それだけ聞けばその高さと広さをどちらも活かせていないように思われるかもしれないが、大部屋中央に置かれた大理石の円卓と出席者それぞれの体格に合わせられた機能性を重視された椅子、床に敷かれた無地の赤い絨毯、それらを取り囲む様に壁に掛けられた絵画や装飾品の数々。


会談には不必要な物ではないかと懐疑的な意見を持つ参加者も少なくないが、誰が見る訳でもない、見られる訳にはいかない会談ですら貴族としての矜持、見も蓋もない言い方をすれば見栄は、七葉の長達と言えども無縁のものとは言えなかった。


二人はそれらの家具や宝飾品に目を向けることなく、唯一両扉の無い大部屋の南側の壁の前に並んで立つ。


巧妙に隠された四角く切れ目の入った絨毯の隙間に女従者が指を差し込み捲り上げる。




「随分と地味な仕掛けだな…」




「派手な方がお好みでしたか?」




「作った奴とは気が合いそうだと思っていた所だ」




絨毯の下に隠されていたにも関わらずその銀板にはささやかな装飾が施されていた。


取っ手となる部分には宝石が埋め込まれ、触れることに躊躇いを覚える人間もいるだろう。


外された銀板の下には闇が広がっていた。




神話の時代、物見櫓として建てられた現大時計塔には様々な仕掛けが施され、そのいくつかは今でも取り払われることなく残されていた。


月追の神殿の本殿には現在は地上から行くことは叶わない。


その事実を知っている人間は少なくない。だがなぜそうなったのか知る人間は、この国でも数える程しかいない。


理由を探ろうとする物好きがいない訳ではなかったが、如何せん神室絡みの行き過ぎた詮索は誰もが教えられることなく禁忌だと察していた。


知らなくていい事ならば、知らずに生きていくのが懸命なのだ。




神国ヴェスタの地下にはいくつもの地下連絡通路が存在する。


神話の大戦の際、地上からの脱出が困難だとされた場合にと用意されたそれらは、神国全土の重要な場所へと繋がっている。


この大時計塔の地下通路は現在も通行可能な数少ない本殿への道である。




「シュラ様、ここから先は少し歩きます」




「ああ、話してくれるんだろう」




平均的なそれより少し高い背格好の女従者と、その彼女より頭半分背の高いシュラ、二人が窮屈さをまるで感じない程には地下連絡通路は機能していた。


壁の断面は天井まで几帳面に均されており、どれだけの人数と技術を費やしたのか想像もつかない。


響くはずの足音が一切無いのはこの二人の仕事柄ゆえだろう。


女従者の手元には古典的な装飾のランタン型の想光証明が小さく揺れ、暗がりを柔らかく照らす。




「………まず、近況から。


単刀直入に言いますと、あなたは………西方防衛の最前線に送られることになります」




「任期は?」




「……ありません」




「事実上の島流しか、処刑だな」




政府には表面上は尽くしてきたつもりだったシュラではあるが、非公式に受け取った勲章の数が増えるにつれ上層部の自分の扱いが年々雑になっている事に気が付いていない訳ではなかった。


耳無しの台頭、といっても表立って活躍を称えられた事など無いが、それでも不満に思う者が軍部にはごまんといるだろう。


ただ、それだけの理由でこんな暴挙に出る者がいるとは思えない。




「教会の指定魔法所持者を殺ったのがまずかったか。とは言えあれも任務なんだが」




『旧大魔法図書室及び歴世管理機関』


大陸における大破壊を防ぐという名目で活動しているそれは、運営者不明、本部所在地不明というあまりにも胡散臭い不透明な団体である。


神話の代から存在していると言われているが憶測の域を出ることはなく、歴史学者からは常に疑念の眼差しを向けられている。


だが、大陸各国はこの存在を無視することは出来ないでいた。


神歴四百四十年、各国の政府に全く同じタイミングで、ある一通の手紙が届く。


歴世管理機関とされた差出人を見て、悪戯の類いだろうと思いつつ中身を確認した書記や秘書は、書面に踊る文字に目を丸くすることになる。




神話の大戦以来、各国は来るべき領土争奪戦にあたって力を蓄えていた。


こと魔法において、情報の開示は戦力の半減を意味する。


強大な力を持つ魔法部隊ほど、その存在を秘匿とされ、切り札を表に見せることはなかった。


だが各国に届いたその一通の手紙には、赤裸々と言っていいほどに、あらゆる戦略事情が記されていた。


漏洩させた者は首を吊るどころでは済まされない自国の軍事機密が。


喉から手が出るほどに欲していた隣国の魔法部隊の秘部が。




それから一月程経った後、どの国にも与しない事を前提として、歴世管理機関と名乗るそれはとある宣言を世界に放つ。




『この大陸において、一定以上の破壊または殺傷を可能とする魔法とその所持者の情報の公開』




最も影響力のある情報媒体である新聞をもって告げられたそれはすぐに人々の目にするところになり、政府が規制する間など無かった。


所属する国家の機密情報を漏らすどころか公に見せびらかすなどという愚行を同様に取った各国の新聞社は、そのことを問い詰められるまで、なぜか誰も疑問に思うことが出来なかった。


彼らは一様に同じ言い訳をする。


『まるで魔法にかけられた様だ』と。




強大な希想保持者を観測するなんらかの手段を持っており、人心を操る未知の魔法を行使する。その事実に目を背けることはどの国も出来ず、結果歴世管理機関は各国の公認のもととなる。


弱小国としては張っていた見栄を剥がされ他国の侵攻を許すことになる。


しかし、列強国としても互いに牽制し合い情報の精査から始めなければならない中で、安易に他国を脅かし力を見せつけるのは躊躇われた。




それから三百年が経った今でも、歴世管理機関は未だに活動を続け、どの国にとっても迷惑なことに、彼らが定めたとされる希想保持量を超える者が現れた際には、全ての国に対象者の名前と詳細な魔法の説明の載った手紙の通達が行われている。




現在、それに該当する魔導者は九人。


内訳は、アーネスティア王国に四人、リーヴァス王国とヨルグ統一教会にそれぞれ二人、そして神国ヴェスタに一人。


ひとたび戦場に立てば一騎当千、あらゆる大破壊を可能にする彼らを人々は畏敬を込めて、『国枯らし』または『薔薇狩り』と揶揄することがある。


どちらも魔法を行使した際に発生する蒼薔薇の希想反応から取って付けられた名だ。




「あの任務もあなたを処分する為の方便でした。私とディアーネ様以外、誰もあなたが帰ってくるなどと思ってはいませんでしたよ」




「運良く、偶然、油断しきったところを不意打ちで仕留めただけだと、何度も釈明したんだがな」




「………。いずれも養老会より、ヴァラン候からの命です。先々代『交剣』当主と言った方がわかりやすいでしょうか」




養老会とはこの国の裏側に座する、権力者達の集いである。


『国を養う』という、ある種不遜なその中枢理念に則り、彼らが国益とするものの為ならばその莫大な資産と権力をもって手段を選ぶ事なく目的の為に暗躍する。


七葉に根深い者も多いため現行の政治に口を出すことも少なくない。




「教会との軍事力の天秤を傾けるべきではないと、それだけ仰っていました」




「命令以外の言葉が聞けるとは。あんたも随分と食い下がったみたいだな」




「…………今回の任務はこれまでとは訳が違います。敗戦必死とされている戦地へ単身向かわせるなど、正気ではありません」




「……ここまで強気だとはな、ついに探られたか」




女従者はその足を止め、振り返ることなく後ろで同じように歩みを止めたシュラに背を向け語りだけを続けようとする。


言葉が浮かばないという様子ではない。


喉まで出かかった言葉に詰まるということは、要はそういうことなのだろう。




「あなたと、あなたの弟妹の素性が彼らに知れ渡りました」




「そうか。拒否権は、無さそうだな」




先に闇の中へ歩みだしたのはシュラだった。


追い越された女従者の方も慌てる様子はなくその背を追うが、先ほどまでとは違いその視線は正面より少し斜め下に向けられていた。


直視出来ない。眩しさゆえではない。見るに耐えない凄惨さ。


自己犠牲などではない。この青年が望んで自分を傷付けている訳でないことはわかっている。




「なあ、リラ」




「……はい」




「この先に行けば、わかるのかな」




少しだけ柔らかく感じる声音は、哀愁すら漂わせ空気を更に重く淀ませる。


年相応な雰囲気は彼にはあまり似合ってはいない。


小さな子供が剣を握る様なちぐはぐさが、この違和感の正体なのだろうか。




それからしばらく口を開くことなく歩いていた二人は、眼前に広がる階段の前でその足を止める。


歩いた距離からして、丁度本殿のすぐ下辺りだろうか。




「これより先は神の御前です」




「そうか」




「あなたの望むものなど、ありはしません。


あなたを満たす真実など存在しません」




「ああ」




「それでも、向かわれますか」




肩を並べ立ち尽くす二人は、顔を合わせることなく言葉を交わす。


沈黙を邪魔するものはこの冷たい地下通路には有りはしない。




「知らなければ、死ねないからな」




それは裏を返せば、知れば死ねると、そう言っているようではないか。


お互いの煩悶とした感情を面に出すことなく、二人は埃一つ無い石階段を踏みしめる。


空へ上るように。天に登るように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る