第2話

神都リグ=ステイリア。


人口約一千万人が暮らす大都市は、平時に比べ密やかに浮わついていた。


神が住まうとされている月追の神殿を中心に、水面に波紋を作るが如く同心円状に建造物と街路が何層にも交互に立ち並ぶ様は、見慣れた者と言えど感嘆を抱かずにはいられない。


元は要塞として作られたこの街は、半径の異なる巨大な円形外周門で層を区切ることによって堅牢さを誇っていた。


終戦後、大陸全土で神歴が使われるようになった後は、それぞれの層の外周門はそのままに砦は取り壊され、ぐるりと囲う門の壁に沿って商人達が出店を建て人の往来に繋げる。


人が街を作り、街が人を呼ぶ構造は発展と呼ぶにふさわしいものだった。


長い年月を経て、最適化された要塞は最適化された都市へと変貌し、大陸随一の観光地として名を馳せるまでに至っていた。




九の月の終わり、この地ではその年に枯れた花、ひいては死んだ者を悼み造花による献花を行う習慣があった。


時を経て大規模な植樹祭へと変わった今、祈るのは長くを生きた者ばかりになり、多くの人々は祭りという一点に気を寄せていた。


堀に囲まれた月追の神殿の正面に構える記念公園には前日であるにも関わらず、多くの観光客と行政によって集められた植樹祭実行委員会及びその有志が各々の目的に身をやつしていた。


園内中央に設けられた噴水広場は夕方にも関わらず入場規制がかけられるほどだ。


賑わいはそこだけに留まらない。


商業施設で固められた三層から五層(月追の神殿、終戦記念公園、大時計塔のある中央観光区を大きく囲む外周門のすぐ外側の街路を一層とする)は商機を逃すまいと日夜盛況さに拍車をかけている。


リグ=ステイリアの名物ともされる都全域に敷かれた冷たい石畳には、いつにも増して人々の熱があてられていた。








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医療や福祉に明るい七層には複数の総合病院がある。それぞれは民間運営でありながら表立って競い合うことは無く、時に連携し医療技術を高め合っていた。


命は、彼らにとって商売相手であり、商売道具だからこそ、そこでは何よりも尊ばれた。






『イアン医療会本部』三階。


階段から最も遠い病室の前に、一人の影が立っていた。


背に追う大きな窓からは西陽が差し、病室のドアに掛けられた名札を焼くように照らしている。


『ブランド・ロッソ』と書かれたそれを男は一瞥し右手で鍵穴の無いドアノブを引く。


戸を叩くことも声をかけることもしない、乱暴とも言える無遠慮な仕草だったが咎める者はいない。




部屋の中にいたのは痩せた男だった。


老人と呼ぶには若く、中年と評するには疲れた顔立ちだ。


ベッドから上体だけを起こし、読んでいた本を閉じる。




「久しぶりだな、シュラ」




病室のドアを背負ったまま、来訪者である灰髪の男はかけられた言葉をただ受け止めた。


返す言葉は無い。


無視でもなく、返事を考えている様子でもない、それを察したブランドは仕方なさげと言わんばかりに浅く鼻から息を吐く。




「無様なものだろう」




それは自嘲だった。


ブランドの視線は腿の上に置かれた本に落ちる。


鍛練から離れ一年、自分の腕はこれほど細くなっていたのか、と彼は目を逸らさずにはいられず、結局視線は無言を貫く灰髪の青年、シュラへと戻る。


胸中を知っていれば哀愁を誘う動作だったが、その空色の瞳が揺れることはなく、口は固く閉ざされている。




「先月妻と娘が去っていった。久々に『ロッソ』を名乗ったよ」




田舎の出であるブランドは、若くして国内の地方貴族同士の争いの鎮圧や平定を中心とした、他の人間が避けたがるいわゆる面倒ごとに対して積極的に向き合っていたことやその高い戦闘力、判断力を買われ、三十に満たぬうちに神室直属の部隊へと抱えられた。


それから一年も経たずして名のある家に婿入りし、数年後に子を授かることになる。


苦労が無かった訳ではないが、その人生を多くの人は順風満帆だと認めただろう。




「たかだか肺一つ、痛めただけでこの落ちぶれ様だ」




一つの病が彼から全てを奪っていった。


戦場に立つことが出来なくなった彼は除隊を言い渡され、年の半分をベッドの上で過ごすことになる。


国に見放され、妻子に見捨てられた彼の見舞いに来る者は、かつての部隊員くらいのものだった。






「…なぜ殺さなかった、シュラ」




それは諭すような口調だった。


聞き分けの無い子供に優しく言い聞かせるように、癇癪を起こす老人を宥めるように、相手を否定することのないそれはある種の真摯さすら帯びていた。




「私はこの七年間常に警戒していた。運ばれてきた紅茶に、渡された書類に、戦場で背後に立つお前に、それなのに、………それなのになぜ」




「………ああ」




「可能だったはずだ、お前ならば。


……そのために、私の全てを教えこんだのだから」




自分でも随分と都合の良いことだ、とブランドは皮肉げに笑う。


罪の意識から逃れたかった訳ではない。


長く戦場にいる者にとって、罪悪感は不要なものであり敵だとすら言える。


心を殺さねば、心が壊れてしまうから。


ブランドには自分がわからなかった。


恨まれることなど慣れたはずだった。


奪った命にも遺された者にも詫びるつもりなど更々無い。自らの正義に従った結果だからこそ、それを貫かなければならない。


謝ったところで返ってくるものなど無い、帰ってくる者もいない。




「私が強くある内に、お前は私を葬るべきだった。それとも弱る私を嘲笑うことの方が好みだったか?因果とは素直なものだ、全てを奪ったがゆえに全てを失うとは。


ここまで来ると喜劇の類いだな」




「聞け、ブランド」




熱を帯び始めたブランドの声に被せるようにシュラは口を開く。


その目は一瞬何かを考え込むように閉じられ、逸らすことなくただ前に向けられていた。




「お前達を許すことなど無い。


どんな事情があろうと、決断の為にどれほど葛藤しようと、俺達の家族を踏みにじった事実に変わりはしない。


お前は知らない事だが、あの時奪われたのは過去と現在だけではない。


償う事など到底出来ない」




「……ああ、よくわかっている。しかしだからこそお前は…!」




「この国に来て、暮らしていく内にあいつらは笑うようになっていった。あの日泣きじゃくる事しか出来なかったというのに、今では随分と明るく振る舞うようになった」




あいつら、とはおそらくシュラの弟妹達のことだろう。


確かにブランドは最初の内は彼らが人並の暮らしが出来るよう遠回しに便宜していたこともあった。


だが、奴隷のように国に奉仕し命を張った対価で彼らの生活面を支えていたのは彼らの兄であるこの男だ。




「それが何だと言うのだ。奪ったのも我々だろう。お前の怒りも憎しみも、そんな生ぬるい覚悟のもとにあるはずがない!」




「…この話はここまでだ。この後俺がどこへ向かうか、知っているだろう」




一方的に打ち切られた会話に憮然とした表情を作るブランドだったが、続く彼の言葉の意味したものを理解し、諦めたように遠い目を浮かべる。




「危険だ。


お前が求めるものなどあそこには無い。いたずらに傷付くことになんの意味がある?」




「俺には知る権利がある」




「世迷い言を……!無知なまま生きていく事がそんなに難しいか!?


大衆に迎合することは腐敗ではない!お前は……!ッ…」




言葉を詰まらせそのままブランドはしばらく背を丸め咳き込む。


彼の身体はこれしきの激情すらもはや許してはくれなかった。


シュラの瞳には何の色も映りはしない。


哀れみも悲しみも怒りも、ともすればそれら全てが混在するからこそ、平時と変わらぬ空の色を落としていた。




「時間だ、ここらで失礼する。少しは自分の身体と折り合いを付けることだな」




「……"神"を暴いて、お前はどうするのだ…」




「……」




ドアノブに手をかけたシュラの背中に、息を整えながらブランドは問う。


追いすがるような彼の瞳は、シュラの目に入ることは無かったがその足を止めることには成功する。


ふと訪れた静寂は、長くは続かなかった。




「…国ごと嘲笑ってやるさ」




それだけ言って、シュラは音を立てず退出する。


時間にしてみれば短いものではあったが、ブランドからすれば随分と長いこと問答していたように感じた。




一人になった病室で膝に置いた本の表紙に目を落とす。


あの灰髪の青年は今頃月追の神殿に向かっているだろう。


おおよそ七百年前、大陸全土を舞台にした神話の戦争。


勝利した神々が大陸を解放した後、その血族が興したとされるのが神国ヴェスタである。


その際、祖なる神々を奉る為に作られたのが月追の神殿であり、そこに住まう神の血を引く者達とそれを補佐する一部の近縁者を『神室』と呼んでいた。


彼らが人前にその姿を見せることは一切無い。神の姿をみだりに見せることは神格の低下に繋がるとされていた為である。


観光地として解放されている月追の神殿は一部に過ぎず、本殿は幾重にも張り巡らされた想光障壁によって侵入どころかその姿を見ることすら叶わない。






『神室への謁見を許された』


三年前、北方防衛の任の際、仮設隊舎の食堂で休憩中に彼はそう呟いた。


あまりにも唐突にもたらされた話題にブランドは困惑を隠せなかった。


仕方の無いことだろう。一般人はおろか貴族の中でも上流に位置する者ですら表立って拝謁を許可される事などあり得ない。


それがなぜ、神室直属の部隊員とは言え一介の兵士、それも耳無しの青年などが神の社の地を踏むことを許されたのか。


その時、ブランドはそれ以上問うことが出来なかった。


あまりにも不可解ではあったが、彼がたちの悪い連中に騙される様な可愛い性格だなどと思ってはいない。


上手く言葉を作れないままでいる内に、気付けば哨戒を行っていた隊員によって鳴らされた警報でその場は打ち切られた。


その時の彼はおそらく何かを求め、自分に機密中の機密と言えるそれを漏らしたのだろうが。


上官としては失格だろう。




(後悔はしていない。あの場で聞いてしまえば、おそらく私は奴を引き留めただろう)




それが誰にとって良いことなのか、悪いことなのか、判断することは誰にだって不可能だろう。


たとえそれが神であろうと。




(お前は、お前の力で弟妹に笑顔を取り戻した)




この七年間、身を粉にし、ありとあらゆる地獄を経験したはずだ。


幼い耳無しという、普通の兵士であればまず油断せざるを得ない容姿と、図抜けて高い戦闘力は『天の槍』の名声の向上に大いに貢献した。


ありとあらゆる場所に潜入し、神の敵たる者を幾度も葬り去ったはずだ。


時には単身国外へ赴き破壊工作を行っていたとも聞く。


思えば神室に目をかけられる理由は多少はあるのだろう。それが拝謁に繋がるとはとても考えられないが。


政府上層部や貴族連盟からしてみれば精々使い勝手の良い飛び道具程度だろう。


苦しむために生まれてきた様なその生きざまは、近くにいればいるほど見るに耐えない。


その地獄の一端を担っている、発起人とも言える自分がそんなことを考えるのはなんと醜い事だろうか。






「………誰がお前に、笑顔をもたらすのだ」




少なくとも、神などで断じてはないだろう




閉じた本の続きを読む気は、すっかり失せていた。

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