第47話「アタシ、おにーさんに話があるの」

高校2年生の朝。夏は過ぎ去り、秋の残滓も消え失せ、こたつから離れたくなくなる季節になった。

あの日から2月ほど経過した日曜日。今日は待ちに待った奏音の文化祭当日だ。


「おはよう!」

「おはよう、響佳。早いんだな」


今はまだ午前6時を過ぎたばかりである。文化祭開始は9時。奏音もまだ寝ている時間だ。


「だって楽しみすぎて! 奏音が書いた脚本に、奏音自身も出るんだよ!? 期待しないわけなくない!?」

「そうだなぁ、まだ信じられないよな。まさか演技指導してたら少しでいいから出てくれって頼まれるなんて」


本当にすごいものである。たしかに奏音の演技力は一般人と比べるとかなり特出したものだと思う。初めてあったとき、書いている小説のキャラになりきっていたのを見たくらいだが、それだけでもすごいものだと感じられたし、当然と言えば当然なのかもしれない。


「準備は昨日したけど……うわー、落ち着かないよー!」


響佳はアワアワとリビングを歩き回る。落ち着かないものわからなくはないが、限度というものがあるだろうに……。


「ねね、お母さんたちいつ来るんだろうね」

「うーん……どうだろう、もうこっちにはいるとおもうんだけど……」


と、響佳と話しているとピンポーン、と誰かの訪問を知らせるチャイムが響いた。

うわさをすればなんとやら、というやつかもしれない。


「「はーい」」


僕と響佳は2人揃って玄関を開ける。


「「ただいま」」


そこには親父と母さんがいた。母さんは、妊娠4ヶ月ということで、以前より少しばかりふっくらしたことが見て取れる。


「おかえり! おかーさん、お腹!」


顔を合わせるやいなや響佳はさっと母さんの側に寄る。


「あら、響佳久しぶり」

「うん! 久しぶり! お腹、触ってもいい……?」

「ええ、いいけどゆっくりね」


と、久しぶりに会えた喜びと本当に家族が増えることの喜びを分かち合っている2人を横目に、僕は親父に話しかける。


「おかえり、えっと……」


何を話そうか決めていなかった。というか決めていなくても、会ったらすぐに出てくるものだと思っていたから、すぐに出てこなくて正直ちょっとびっくりした。


「何を話そうか案外出てこないもんだな」


そう口を開いたのは僕ではなく親父の方だった。


「……そうだね。僕もびっくりしてる」

「ははは、そうか。親子同士似たんだな」

「嫌な似方だ……」

「そう言うな」

「ああ……とりあえず上がりなよ、2人とも……って、もう母さんたちいないし」


いつの間にか2人はリビングのこたつに入っていた。しっかり飲み物も出している。


「……ところで、あと2人がいないようだが、まだ寝てるのか?」

「うん、多分。まあそのうち起きてくるよ」

「そうか」

「うん」


僕は親父をリビングに案内して、お茶を出した。

こたつは4人で入っても問題ないくらい余裕があった。あと2人は入るだろう。


「それでね――」

「うんうん――」

「……」

「……」


楽しそうに会話をしている2人とは対照的に、僕らは長い沈黙が続く。


「その、だな」


沈黙を破ったのはまたもや親父だった。


「なに?」

「将来の夢、とか決まったのか?」

「え? ええっと……」


言われて考えてみるが、これといってパッと浮かぶものは……。


「あ」

「なんだ、なんかあったのか?」

「いや、あったといえばあったけど」


一瞬、ほんの一瞬だけ。奏音の小説の編集作業がフラッシュバックした。


「編集者、とか……あはは、冗談」

「ほお、編集者……」


僕は笑って誤魔化してみるが、親父は至って真面目に受け止めている。


「いや、別に本気ってわけじゃないし」

「今はそれでいいんだよ、なんとなくで。正直『ない』って返ってくると思ってたから以外だったぞ」

「そう?……そっか」

「ああ」


と、そんな話をしていると、2階からドドドッと大きな足音が聞こえてきた。


「「帰ってきてたの!?」」


バンッ!と閉めていたリビングのドアが強く開かれ、先程起きたらしい奏音と軽音姉さんが勢いよく入ってきた。と、同時に廊下の冷気も入ってくる。こたつに入っている部分は温かいのに、さらされているところが寒い。


「言わなかったかしら?」

「言って……たわね、すっかり忘れてた」

「ワタシも……」


文化祭のことばかりであまりそちらは頭になかったらしい。似ている……。


「まあまあ、文化祭まで時間はあるし……って、もう7時か」

「え、7時!?」


7時というワードに強く反応を示したのは奏音だった。何か用事でもあったのだろうか。


「なんかあったか?」

「いや、8時から最後の合わせが……!」

「マジか……」


と言いつつも、多分大丈夫だろう。ここから奏音の中学校までそう遠くないし、準備だって昨日のうちに済ませているし。


「ごはんある!?」

「あー……まあ惣菜パンくらいなら」

「じゃあそれ頂戴! 食べたら出る!」

「食べながらじゃないのか」

「行儀悪いじゃん」

「お、おう……」


言いながら大急ぎで僕の渡したパンを食べて牛乳で流し込む。

少女漫画とかだと、食パン加えてる女の子が運命的な出会いをする、ってテンプレみたいなものがあるけど……まあ現実とフィクションをごっちゃにするなということだろう。


「ごめんね、おかあさん!……と、おとうさん! みんな、行ってきます!」

「ええ、後で私達も行くわ」

「うん!」


奏音はそう言うとさっと荷物を持って玄関へと走っていく。すぐに玄関が開かれる音が聞こえた。


「うおおお……」


隣からなにかうめき声がすると思ったら、親父が半泣きだった。多分「おとうさん」と呼ばれたのが効いたのだろう。親父らしくて好きではあるが、朝からうめき声を上げながら泣かないでほしいというのが本音のところである。


「さて、わたし達も朝食を用意しましょうか。何か食べたいものはある?」

「あ、お母さん、私も手伝うわよ」

「あら、ありがとう。軽音」


こたつからでて棚からエプロンを取り出す母さんと、それについていく軽音姉さん。2人共エプロン姿が様になっている。


「僕は特にないかなぁ」

「俺もないな。目玉焼きとかでいいよ、鈴さん」

「あら、そう? じゃあそうするわ」


と、今日の朝食は目玉焼きに決まったのだった。ちなみに僕は完熟が好きです。



☆ ☆ ☆ ☆



目玉焼きを食べ終え、奏音の中学校へと僕らは来た。

プログラム通りに文化祭は進み、いよいよ奏音の出番となった。

結果を言うと、大成功だった。

脚本を書くことになった当初はどうなることかと不安になったが、全く問題なかったようだ。

奏音の演技も完璧で、僕以外の家族はみんな初めて見る奏音の演技に感激していた。といってもそんなにセリフも多くないちょっとした役ではあるが。

そんな感じで、奏音の文化祭は幕を下ろした。

そして、僕らは帰りの車に乗った――。


「いやあ、奏音の演技すごかったわね!」

「おねーちゃんずっとそればっか! まあ分かるけど!」

「も、もうやめて? 恥ずかしい……」

「あら、いいじゃない奏音。おかーさん、脚本を書いたってだけでもびっくりなのに、演技もバッチリで感動しちゃった」

「ああ、俺もびっくりだ。勝はどうだ?」

「僕は奏音の演技を1回だけ見たことがあったし、そんなに驚きはしなかったかな」

「おにーさん」

「うん?」


親父の運転する車の中で喋っていると、隣りに座っていた奏音が突然僕のことを呼んだ。


「それは忘れてくださいっっっっ!」


車の中に奏音の珍しい怒号が響いた。

驚いて面食らっている僕に、奏音は更に言葉を重ねる。


「その、あれは結構恥ずかしいので、本当に忘れてください!」

「そう言われると逆に記憶に残る……」

「もうっっっ!」


車の中に笑い声が響く。悪くないな、と思う。こんな風に家族みんなで笑い合えているこの瞬間がとっても幸せに感じられる。みんなでいろいろなことを経験していけたらいいな、なんてそんなことを考えながら、みんなの話に混ざった。

車が家につく頃には寝ていた……なんて距離ではないけれど、少し話し疲れてみんな口数が少なくなっていた。これはこれでまたなんだか面白い。


「よーしついたぞー。荷物持って降りろー」


親父が車を止めていうと、各々荷物を持って車から降りる。


「鍵は軽音姉さんが持ってたよね?」

「ええ、今開けるわ」


ガチャリ、と音を立てて軽音姉さんがドアを開くとほぼ同時だっただろうか。

誰かの携帯が鳴った。みんなそれぞれの携帯を確認していく。


「あ、ワタシだ。ちょっとごめん」


奏音がポケットからスマホを取り出して少し離れたところに行く。


「わたし達は先に入ってましょうか」

「そうね」


母さんに言われてみんなが入っていく中、僕は気になって奏音の電話が終わるのを待った。

奏音がもどってくるのに、あまり時間はいらなかった。


「あ、あ……」


戻ってきた奏音は、涙ぐんでいた。


「どうした!? 何があった!?」

「その……しょせ、きかの……だし……んが」

「え?」


奏音が涙声でいうので聞き取りづらかったが、今、「書籍化の打診が」とか言わなかったか?


「あの……ワタシの小説を読んでくれたらしい、〇〇文庫の編集者さんが……ワタシの小説を、書籍化しないかって……」


今度はしっかりと言うことができた奏音。

泣いて炊いたのは、嬉しかったかららしい。長年の夢がかなったのだ、僕なら涙どころか叫びたい気分になるかもしれない。


「うっっううあ……うわぁん……」

「よかったな」

「ううあ……」


奏音を優しく抱きしめてやる。服が濡れていくのがわかるが、不快な感じはしない。


「……どうしたんだ?」


ちょうど車を車庫に直して来たらしい親父が、訝しげな表情で僕を見てきた。


「その……奏音の小説の書籍化をしないかって、編集者から連絡が来たらしくて……」

「なにっ! それはみんなに伝えないと……!」

「うん、けど今はそっとしておいてくれないかな、こんな感じだし」


僕は未だに泣き続ける奏音を見る。


「ああ、分かった……わかった……!」


親父のことではないだろうに、本当に嬉しそうに家の中に入っていった。


「さて、これからどうしようかな」


多分、奏音はこの話を蹴らないだろう。もちろん、ちゃんとした文庫かどうかを調べてからにはなるだろうが……。

書籍化が決まったとき、僕と奏音の関係はどうなるのだろうか。僕はただの高校生で、働いている編集者じゃない。

思い出すのはあの日、僕と奏音が初めてであった日のこと。『小説作りの手伝いをする』という約束。


僕は、嬉しさと同時に、焦りと不安も感じながら、奏音を抱きしめた。



☆ ☆ ☆ ☆



あれから数日。僕は奏音の部屋にいた。


「なあ、奏音」

「なんですか? おにーさん」


「僕、編集者になるよ」


瞬間、部屋が静まり返る。暖房の音がよく聞こえる。


「え、えと、それは……職業として、働き手として、って、ことですか?」

「もちろんだ。……奏音、僕はお前と『小説作りの手伝いをする』って約束したよな」

「しましたけど……そんな、別にそこまでして手伝ってほしいだなんて……」

「僕が編集者としてお前を手助けするのは嫌か?」


僕はしっかりと目を合わせて聞く。真剣に、僕は話をしているんだと伝わってくれるように。


「いやじゃ、ないです。むしろ嬉しいくらいです」

「そっか。安心した」

「けど、編集者ってそう簡単になれるものじゃないんじゃ……」


奏音が不安そうに僕のことを見つめてくる。


「大丈夫、僕には『夢を叶えた』奏音がいるんだ。叶わないわけ無いだろ?」

「そんなの……」

「っていうか決めたから絶対なる。絶対なって奏音と最高に面白い小説を作り上げる」

「……言いましたからね」


不安そうに僕のことを見つめていた瞳が、変わった。


「言っときますけど、おにーさんが早く編集者にならないと、最高の編集者と最高の物語をたくさん書いちゃいますからね」

「ああ、それくらいの気持ちでいいよ」


その日、僕は編集者になることを覚悟した。

そして、奏音の小説の書籍化も、家族内で話し合った結果、決定した。



☆ ☆ ☆ ☆



『ねえ、絵里ちゃん』


書籍化の決まったその日、ワタシは絵里ちゃんにメッセージを送っていた。


『何?』


1分もしないうちに返事が届く。絵里ちゃんは深夜じゃなければ基本すぐ返信してくれる。


『そのさ、小説の書籍化が決まったんだよね』

『えまってまってまって!?』


そのメッセージのあと、いくつものスタンプが届く。ここまでスマホが震えているのを見るのは初めてかもしれない。


『マジ!?』

『マジ』


そういえば、以前は敬語だったのに、今となってはすっかりタメ口で話してくれるようなになったなぁ。初めて出会ってからもう結構経つんだ。びっくり。


『おめでとう!』

『ありがとう。それで、さ……ちょっと電話してもいい?』

『いいよ』


返事が来ると同時、彼女の方から電話がかかってきた。


「もしもし?」

『もしもし。電話で話したことって何?』

「うん、それなんだけど――」


ワタシは、少し間をおいてから、言う。

思い出しているのは、あの日見た絵。


「ワタシの小説の絵を描いてくれないな」


ワタシの小説はいわゆるライトノベルに分類される。

編集者さんにイラストレーターを誰にするか考えるだけでもしておいてください、と言われて真っ先に彼女が思い浮かんだ。


彼女しかいない。


だからワタシはこうして、電話をした。

ほんの少しの無言のあと、向こうから返事が聞こえてくる。


『嬉しい……もちろん、引き受けるよ。絵、描く。ずっと、そうしたかったんだ。わたしが最高の絵を描いて、奏音ちゃんが最高の小説を書くの』

「それ、最高だね」

『うん!』

「許してもらえるかわかんないけど……許してもらえたら、その、よろしく」

『こちらこそ、よろしく』


そう言ってどちらからともなく電話を切った。

ああ、これからがとっても楽しみだ。



☆ ☆ ☆ ☆



勝さんが、編集者になることを奏音に誓ったらしい。奏音が言っていたのだから間違いないだろう。

まさか、小説家になったあとも編集を手伝おうとするとは思わなかったと、私も奏音も意見が一致していた。


「そっか……すごいね。ただ責任感が強いだけってレベルじゃないよ。怖いくらい。けど、そういうところ、私は嫌いじゃない……むしろ」


むしろ、好きかもしれない。

言葉にするのは1人きりの今でも恥ずかしいけれど。

いつか、この気持ちがはっきりとする時が来るのだろうか。


「……うん、お酒のも」


最近、お酒を飲む頻度が増えてきている気がする。流石にまずい気がしなくもないが……アルコール中毒にならないように気をつけてはいるので大丈夫、なはず。

みんなが寝静まった深夜。私は1人リビングでコップいっぱい分のお酒をちびちびと飲む。度数は弱めのものだ。


「相変わらず、他の男の人は無理なんだけどな……やっぱり近くに入る分いいとこも悪いとこも目に入るからかしら……まあ、今はいいわ」


ぐびっと、最後の一杯を飲み切る。

そうね、彼が編集者になる手助けくらいはしてあげようかな。



☆ ☆ ☆ ☆



彼が来てから、いろんなことが変わった。

まず、あの引きこもりだった奏音が、ご飯を一緒に食べるようになった。それから徐々にアタシやおねーちゃんと話すようになって……今ではあんなに明るく振る舞えるようになった。

おねーちゃんはおねーちゃんで、軽度ではあるものの、男性のことを忌避し、距離をおいていたおねーちゃんが、勝さんに対してだけとはいえ、自分から関わりを持とうとしている。

みんな、彼が変えてくれた。

だったら、彼は、もしかしたらアタシのことも変えてくれるかもしれない。

この、空っぽなアタシのことも。

文理選択の希望調査書が配られたその日。

アタシは一緒に帰る勝さんに話しかけた。


「ねえ、おにーさん」

「ん、なに?」


少し前を歩いていた彼は、のほほんとした様子で振り返る。


「あのね。アタシ、おにーさんに話があるの」

「うん」

「その、アタシみんなと違ってなんにもなくて空っぽで……普段はバカなムードメーカーとして振る舞おうとしてるけど、1人になると時々、とてつもない焦燥感に駆られるの」

「うん」

「だからさ」

「うん」


「だから、アタシを変えてよ。奏音や、軽音おねーちゃんにそうしたように」


言うと、彼は少し驚いたような顔をしてから、すぐに笑う。


「当然だ。だって、助け合うのが家族ってもんでしょ」

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