第23話「ただいま、でいいんですかね」
1週間はあっという間に過ぎて、すぐに始業式の日がやってきた。奏音の小説は結局10位内に乗ることはできなかった。
しかし得られたものだって無かったわけではない。
新作の小説をあげるまで毎日1万字以上の小説を投稿することに決めて、試しに夏休みの終わりに最終話と同時に上げてみると、これが意外と好評でPVを稼ぐことができた。
恐らく奏音が毎日小説を投稿していたおかげで小説を書く技術が向上したからだろう。
夏休みの間に奏音が得られたものは確実に夢へと近づいていることを感じさせられたし、これからも全力でサポートしていこうと決めた。
学校の始業式は滞りなく済み、休み明け一発目の実力テストで死ぬという、去年と同じようなことを繰り返してから僕は帰路についた。
夏休みの間本当に勉強していなかったので、これからは奏音の手伝いの合間にきちんと勉強もしていかないといけないと、この時は誓った。・・・・・・なんか今までずっと同じように、テストが終わってから勉強する誓いを立てている気がする。
結局こういうのって最初のうちはするけど3日以上たつと続かない人が多くいそうだな。
なんてどうでもいいことを考えていると、僕は家に着いた。
ふと向かいからとぼとぼと白い女の子が歩いてくるのが見える。
奏音だ。見違えるはずがない。僕は夏休みの間ずっと彼女のことを見てきたのだ。遠目で見ても一瞬で識別できるくらいにはなっている。
「どうした、奏音」
「え、ああ、おにーさん・・・・・・ただいま、でいいんですかね」
僕に声をかけられた奏音は顔をあげ「はは」、と死んだ笑みを浮かべてそういった。
明らかに何かある。誰がどう見てもわかった。
「いいんだよ・・・・・・おかえり。ところで何かあったの?」
「いいんですね・・・・・・特に何もないですよ」
「・・・・・・そっか」
「はい」
奏音はうつむいて答える。
何もないはずないじゃないか、なんて言葉は出てこなかった。
言えなかった。かなり嫌な予感もしていたのに。対策を自分なりにしていたのに。
そのすべてが、奏音の表情を見て、消え去ってしまった。
自分で言うのも難だが、奏音と僕の間にはそれなりに深い信頼関係を結べているつもりだった。
僕の前では、つらいことがあっても隠さずに伝えてくれると思っていた。
その何もかもが、僕の勝手な思い込みでしかないのでは。そう思えてきてしまって仕方がなかった。
夏休みの間、僕は奏音と仲良くなれたはずだった。はずだったのに…・・・なんだかどこか距離を感じてしまっている僕がいる。
その感情を認めたくなかった。
どうしようもなく襲ってくる不安感を無理やりに押さえつけ、僕は「ただいま」と玄関の中へ入っていく。
奏音はただ入る時に「ただいま」とつぶやくのみで、あとはうつむいたまま、ついてくるのみであった。
やがて日は落ちきり、深い夜がやってきた。結局、その日は奏音の部屋に行くことはなかった。
なんとなく行きづらかったし、奏音の方から僕のところへやってくることもなかったから。
「そういえば・・・・・・」
暗い部屋に一点、スマホの光が灯る。Twitterのアプリを立ち上げ、僕が上げた奏音のアカウントだ。
見てみると、今日は全く更新がなく最新のツイートは一日前のものになっている。
続けて小説サイトの方へ行くと、こちらも今日の更新はなく昨日投稿したものが最新のものになっている。
僕は奏音の部屋へ行きたくなる気持ちをぐっと飲みこんで我慢した。
きっと何かあって、まだ心の整理ができていないだけだ。きっとそうだ。
あれから時間を置くことができたおかげで、そう思えるようになった。また数日経ってから、もう一度何があったのか聞こう、そう思って僕はスマホの光を落とし、横になった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
待ちに待った・・・・・・とは決して言えないけれど、今日は夏休みの明けを告げる始業式の日だ。
夏休みは夢のように一瞬で過ぎ去ったように思える。
勝さん――おにーさんが来てからというもの、いろいろなものが変わった。
昼夜逆転した生活習慣も治ったし、家族でご飯を食べるときに本を持っていくこともなくなった。
何より他人と関わるように――小説のためというのもあるけれど――自分から学校に行く選択をした。あんなにも行きたくないと思っていたのに学校へ行く準備は手間取らなかったし、以前ほどの・・・・・・不登校になる前ほどの圧倒的な負感情に押しつぶされることもなかった。
どれもこれも、おにーさんのおかげだ。彼がワタシを変えてくれた。
多分こんなことを言ってもおにーさんはいつもみたいに「変わったのは僕じゃなくて奏音自身が変わろうと思ったからだよ」なんて、キザったらしいことを言いそうだから決して言わないが。
久しぶりではあるけれども歩きなれた通学路に懐かしさすら覚える。
けれど感じるのは懐かしさだけではなく、新鮮味もあった。歩いていると様々な変化に気づかされる。
例えば、以前は空き地だった場所にコンビニが建設されていたり、散髪屋が移店していたり。
きっと、以前のワタシならこんなにものたくさんの変化に気づかなっただろう。下を向いて歩いていたから。理不尽な現実が、いつになったら終わるのだろうかなんてことを考えていたから。
とにかく、ワタシは変わったのだとどこか晴れやかな気持ちで通学路を進むワタシだった。
やがて学校が見えて来て、ちょっとばかり体が強張る。
大丈夫だと思っていたけれど、どこかやはり心のどこかで恐れているのかもしれない。
けど大丈夫。ワタシには家族がいる。傷ついたって癒してくれる。話を聞いてくれるやさしさにあふれた家族が。
気を取り直してワタシは校門をくぐり、教室へと確かに歩む。
教室に入ってすぐにワタシの机だ。
夏休みに入る1ヵ月ほど前から不登校になって、席替えがあった際担任の先生が気を使って後ろのドアを開けてすぐそこの席をワタシの席にしてくれている。
席についてから、なんとなく緊張してしまって背をピンと張って前髪を少しいじる。
正直今は帰りたい気持ちでいっぱいだ。吐き気すらこみ上げてくる。
心臓が緊張からか激しく体中にその音を響かせる。
ふと、ワタシは自分のいじっていた髪が目に入った。昼夜逆転など生活習慣の悪さから変色し綺麗とすら言えそうな白髪。
学校をさぼり気味だったワタシが学校へ全く行かなくなり不登校になった原因の一つ。
日本中どこを探したってなかなか見つからないであろう髪色。
それも染めたりカツラをしたりしているわけでもない。
遠くから声がした。「あれだれ?」「どれ?」「あの子。白髪の」「ああ、確か奏音だっけ。不登校だったのによくこれたよね」「あー、あの不登校の?髪が白いから不登校だったの?」「知らない。けどおかしいよね、髪が白いなんて。なんか不潔」
不潔。ワタシの心にずきりと何かが刺さるような音がした気がした。
・・・・・・大丈夫。これくらい、初めてのことじゃない。もう慣れた痛みだ。
また声が聞こえた。
「ねえねえ、これ見てよ。そーじが教えてくれた奏音の小説」
「えーどれどれ・・・・・・へー、こんなの書いてるんだ」
ガタッ、というワタシの膝が机に当たった音は教室の喧騒に飲まれ一瞬で消え去った。
そーじ。宗次。聞き覚えがある。ワタシのこの学校における唯一の友達――だった人だ。
『なんで? なんでワタシの小説が?』
湧き上がるのはそんな疑問ばかり。
自分がなんだがふらふらしているのが分かった。
あたまがふらふらしてるのか、からだがふらふらしているのか、よくわからない。
ただ、浮いたような感覚で、自分が教室の中において異端であり、あまり受け入れられていないという事実がはっきりと告げれていることはわかった。
ワタシは唇をキッっと結び、綺麗に整えられていたスカートに皴ができるほど力強く拳を握る。
悔しい。変われたなんて思いあがっていただけんだ。おにーさんが優しかっただけなんだ。
だって、現実は不登校になったときから何一つ変わっていないのだから。
そこから先のことはよく覚えていない。
ただチャイムが鳴って、先生がやってきて体育館に移動して、始業式が執り行われ、校長先生のありがたいお言葉を聞いて、帰路についたころには、ワタシは茫然と沈みゆく太陽を・・・・・・夕陽を見ていた。
誰かの影が目に映り、顔をあげる。
「どうした、奏音」
おにーさんが心配そうにワタシのことを見る。
ああ、そんな顔をしないで。ワタシは自分で「学校に行きます」なんて言いだして、初日で心が折れそうだなんて、恥ずかしくて言い出せない。
ワタシは必死に笑顔を作るがうまいことできている気がしない。
涙がこぼれてきてしまいそうだ。
それでも必死に笑う。
「え、ああ、おにーさん・・・・・・ただいま、でいいんですかね」
疑問が口を突いて出た。思えばおにーさんとは外へ出て帰ってくる、というのは初めてだ。
「いいんだよ・・・・・・おかえり。ところで何かあったの?」
「いいんですね・・・・・・特に何もないですよ」
「・・・・・・そっか」
「はい」
ワタシはうつむいて答える。
ちらりと見たおにーさんはどこか諦めてしまったような、悲し気な顔をしていたのが心に残る。
そんな顔をしないで。話さなくてごめんなさい。近いうちにちゃんと相談するから。頼るから。だから今はどうか、ワタシに心の整理をさせる時間をください。
そしてまた、同じように「何かあったの?」って、聞いてください。
しばらく間があってから、おにーさんは玄関を開けて「ただいま」と入っていく。
ワタシもおにーさんと同じように「ただいま」と小さくつぶやいて、俯きながらおにーさんについていった。
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