番外編・SS
クロマノールが女と喧嘩するSS
◆基礎設定
・クロマノール:魔法学院『作家』科。
・アーチピタ:魔法学院『獣使い』科。魔力がゼロ。
・《ノール》:アーチピタの獣。大きい猫か馬のよう。喋れない。
※こちらは尾崎末久楽さんと一緒につくった世界観の作品です。
***
クロマノールが喧嘩をしているぞ。
との不穏な報告をアーチピタが聞いたのは、空駆ける
「喧嘩? まさか。とっつきにくいが、あいつは誰かと争うのが好きなタイプじゃない」
「そうだが。でも、事実、やってる」
報告を持ってきたマルカルは困ったなあと頭を掻く。うーん、これは本当にそうなのかもしれないな。
わざわざ学園のこんな僻地までアーチピタを頼ってきたということは、マルカルの手にはどうしようもなかった、ということなのだろう。いちおう、一度はマルカル自身でなんとかしようとしてくれたに違いない。しかし、本気になったクロマノールを彼の口でどうにかできるとも思えなかった。
そもそも、喧嘩? クロマノールが?
しかしよくよく考えれば、アーチピタには、たった一人だけだがその相手に心当たりがあった。彼女なら、あるいは――と思わなくもない女性が一人いる。作家科のエリート(つまりそれはこの学園においてトップ中のトップということだが)であるクロマノールと対等に喧嘩ができる人間はそれほど多くはないだろう。そもそも誰もふっかけないに違いない。
「で、クロマノールは誰と喧嘩している?」
マルカルの返事は、アーチピタの想像通りだった。
「ユーレマリア」
厩に入れたばかりの《ノール》は、声を掛ければ喜んで大きく身体を広げ離陸の姿勢を取った。そもそもこの子はここに居たくなくて、この二時間駄々をこねていたのだ。出るぞとたった一言告げれば、さきほどまでの勘気をすべてまるっと忘れて背に乗せてくれた。まったく、単純で純粋な生きものだ。このあともう一度、ここに戻り、あの二時間の死闘を繰り返さなければならないと思うと嫌になる。しかしマルカルにどうしてもと言わると、この獣の背に乗ってとにかく急ぐしかなかった。
「おれはクロマノールの保護者じゃない」
と、小さな反論も試みたが、
「似たようなもんでしょ」
とにべもない返事をされて終わりだった。まあ、言えている。
クロマノールはべつに嫌われているわけでも妬まれているわけでもない。むしろ好かれているか、あるいは恐れられている。友人は少ない。そのクロマノールと、唯一接続しているのがアーチピタだった。《ニグラム》の死病に侵される前は、もう少し周囲に人がいたような気もするが、今となっては誰も簡単にはクロマノールに近づけない。学年きってのエリートであり、かつ死病に侵されており、作家科らしい高慢さをきちんと装備しているクロマノールは、嫌われてはいなくとも積極的に好かれ懐かれることがない。
そのクロマノールに、ユーレマリアは一体何を言ったのだろう。
彼女はアーチピタやクロマノールと同学年だった。だから幼い頃から知っているし、何度か話をしたこともある。今までは、特に諍いを起こしたことはなかったはずだ。少なくともアーチピタの目の届く範囲では。
《ノール》の足なら食堂は5分とかからぬ距離だった。着陸後、外の杭に《ノール》を繋いだうえで、少しだけ小さくなっていろと命じ、猫ぐらいの大きさにまで縮んでもらった。この獣は大きさをある程度自在に変えられる。珍しい月馬を一目見ようと群がる人混みをかき分け、食堂の中に入る。
クロマノールはすぐに見つかった。明瞭な中低音の声が、まるでホールの中みたいに響いている。それだけしんとしていたのだ。
「ぼくは自分のことは自分で決められる。きみに面倒を見てもらう必要はないよ」
「まあ、そう言わないでクロマノール。べつに何もかもわたしが決めてあげましょうねって言ってるわけじゃないのよ」
「同じことを何度も聞きたいみたいだね、ユーレマリア。ぼくは――」
――ああ、これはダメだ。マルカルが俺を呼びにくるわけだ。ふたりとも声を荒げているわけではないし、努めて冷静なようにふるまってはいるが、言葉があまりにも強い。周囲が静まり返り、二人を遠巻きに見つめているのにも気が付いていない。ただ相手を打ち負かすことだけに意識が集中し、半ば逆上している。特に、クロマノールのほうが。
「……クロマノール」
アーチピタは、努めて冷静に話しかけた。背中に注目が集まっているのを感じる。
「あれ、アーチピタ」
振り返ったクロマノールの顔には、ほとんど怒りの色はなかった。アーチピタが話しかけてから――振り返ってこちらを見るまでのほんの一秒の間に、激しさは溶けて影を潜めたかのように思われた。どこにも熱はない。ほんとに喧嘩してたのか? と疑いたくなるほどだった。
「クロマノール。せめて家の中でやったらどうだ」
「……あれ、ぼくって今、叱られてるのかな」
クロマノールは肩をすくめ、周囲を見回して、ようやく自分が何をしていたかに思い至ったようだった。ユーレマリアのほうは変わらず微笑んでいるだけで、これはこれでアーチピタにとってはかなり恐ろしい。
「はいはい、もう終わりにするよ」
クロマノールはほとんど手付かずの食事が並ぶトレイを手に取り立ち上がる。スープは冷たそうで、肉も堅そうだ。食事がまずくなる程度に長い時間、かれらは喧嘩をしていたらしい。
ねぇ、と、カウンターへ向かうクロマノールの背中へ、ユーレマリアの声がかかる。その長い髪が揺れる。クロマノールが眉をひそめる。
「明日も食堂で食べる?」
クロマノールは、一応の礼儀を示すみたいにしてユーレマリアを振り返った。
「まさか、冗談だろ?」
それじゃあもう二度と会いませんように、と呪いみたいな言葉を残して、クロマノールは食堂の外へ出ていく。
「わざわざ来てくれたの? 悪かったね」
と、クロマノールが俺に言うわけもない。待たせたね、と労ってもらえているのは獣の《ノール》のほうだった。この二人の名前が似ているのはもちろん偶然ではなく、他でもないクロマノールから名前を半分貰って命名した。性格に似ているところは少しもない。《ノール》は少なくとも他の獣と長時間いざこざを起こしたりはしない。飼い主であるアーチピタに我儘をいう事はあるものの、おおむね穏やかで純粋な生きものなのだ。
《ノール》を杭から外し、クロマノールの家へ向かう。作家科にはひとりにつき一軒の家が与えられている。伸縮するドア、青いランプ、大量の本、そして立派な書きもの机。暖炉に火を入れる。ミルクを温めながら、そういえばこいつが食堂のほうに行くなんて珍しいな、とアーチピタはふと思った。といってクロマノールは料理が出来るわけでもないが。
「なにか言いたいことがありそうだよね」
「分かるか?」
「もちろん。あんまり聞く気はないけど」
そう言われると言ってやりたくなる。
「ユーレマリアに、もう少しやさしくしてやったらどうだ?」
「きみに友情のことについてアドバイスを貰わなければならないなんて面白いね」
明らかな嫌味に対して、なにか言葉を返そうとは思わなかった。こういう時に言い返さないから、アーチピタは今日までクロマノールと大した喧嘩もせずに済んでいるのかもしれない。
「……一体なにを言われたんだ?」
「別に。身体の具合はどうかと聞かれただけだよ。最初は普通に返事してやってたんだけどさ、なんか、苛立ってきちゃって」
「ユーレマリアのことが嫌いなのか?」
「うーん……」
「嫌いじゃないなら……」
ねぇ、とクロマノールが《ノール》を抱えてアーチピタのほうを振り返る。今や《ノール》は子猫のように小さかった。
「きみってひょっとして、ユーレマリアのことがそこそこ好ましいの?」
「まあ、別に嫌いじゃあないが」
「好ましいの?」
「細かいなあ……」
なんと答えても怒られそうだ。まぁ、たしかに、ユーレマリアの気の強さにも困ったものだが……。
「ぼくは全然好きじゃない。あの、自分のことをやさしい人間だと信じて疑っていないところ……とにかく自分のすることなすことを正しいと疑っていないところ……ああいう人間がそもそも好きじゃないんだよ」
これほどクロマノールが何かにこだわるのを、アーチピタは初めて見たように思った。ここまで怒らせたことは未だかつてない。そうだ――アーチピタはクロマノールを苛立たせたことはあっても、怒らせたことは、多分一度もない。
「偽善的な人間は嫌いじゃないって、この間言ってなかったか? ほら、収穫祭の……」
「他の奴なら我慢する。でも、ユーレマリアには我慢ならない」
もうただ単に嫌いってことなんだろうな、とアーチピタは理解した。であればユーレマリアのほうに、今後はちょっかい出さないでくれと頼むのがよさそうだが、あちらもあちらで頑固そうだ。正直なところ、アーチピタにとってはクロマノールよりも手に負えない。
「だから食堂って行きたくないんだよね。人の視線も気になるし、手の痣も見られるし」
《ノール》を抱えたまま、クロマノールが左手を掲げる。たしかにそこには、手の下半分をインク瓶にどっぷりと浸したかのようなどす黒い痣がある。
「きみが可哀そうだと思わないのか、だってさ。ぼくが自棄になると、その友人であるきみが可哀そうに思われるってわけだ」
「俺?」
驚いた。俺の話が出ていたから、マルカルは俺を呼びに来たんだろうか。
「そう、きみ。でもきみに言わせれば、多分、どちらかというと可哀そうなのはぼくのほうだろうし」
「って、言ったのか?」
「どうだったかな。でも、きみがぼくのことを『可哀そう』だと思っているのは周知の事実だろ。ま、アーチピタだけじゃなくて、他の人だって大抵そうだと思うけど」
「いや、それは……」
アーチピタは咄嗟になにかを弁明しようとしたが、結局なんと言えばいいのか分からなかった。
お互いに、お互いのことを哀れに思っている。それは分かり切っている。
アーチピタは、才能あるクロマノールが死病を得ていることを哀れに思っている。
そしてクロマノールは、魔力のないアーチピタが獣使いでいなければならないことを哀れに思っている。
でも、言葉にしてしまえばなにかが確定してしまうような気がするから曖昧にしたままここまで来た。
なんと言えばいいのか考えている間に、クロマノールが続きを喋る。
「聞きたくないな。『おれはお前のこと可哀そうだなんて思ってないよ』だったっけ? あれはもう聞きたくない」
――そっちだって俺のことを『可哀そう』だと思ってるくせに。
言わない。しかし、言わない、ということが、結局クロマノールのことをほんとうに『可哀そう』だと思っている証拠になってしまう気がする。頭の回転の速いこいつは、いろんなことにすぐに気が付いて苛立ちを持つ。しかし俺は何も言わないから、結局クロマノールは一人で勝手に苛立ちを処理し、怒りまでには育てない。
「……もういいや、今日は泊っていくの?」
「ああ、いや……ダメなんだ。戻らないと」
「そうなの? じゃあ《ノール》だけでも残っていくかい?」
「いや、クロマノール。《ノール》は厩のほうに入れないといけない」
「どうして? そんな獣臭いところ、嫌だよねえ」
猫でもかわいがるみたいに、クロマノールが《ノール》の顎をくすぐってわらう。
ようやく自分の代弁者を得た《ノール》は、よろこんで尾を左右に振っている。――まったく。二匹分の面倒を見なくてはいけなくなった気分だ。
ため息をつく。《ノール》の冬眠訓練は、まだもう少し先のことになりそうだ。一か月ほどかかるだろうから、できれば今日のうちに着手して、ちょうど今月ぐらいで終わるようにしておきたかったのだが――仕方ない。
「冬越しの訓練は、明日からってことにするよ。ちょっと餌をとってくる」
クロマノールは特に返事をしなかったが、聞こえていないわけでもあるまい。ユーレマリアの悪口を一通り言い終えたことで機嫌はすっかり元通りになったようなので、そのまま触れずにおいておくことにした。
外に出て、扉を閉じる。まったく不思議な魔法だ、鍵穴はどこにもないのに、きちんとロックがかかる。この扉の名前は《アーチピタ》。魔法具に自分の名前を付けられたことについては勿論文句を言いたいが、クロマノールの名前を獣の名付けに借りた以上、あまり強くは責められなかった。
《アーチピタ》。再び入るときには、戸に対し呼びかけ、許可をもらわなくてはならない。
さて、獣使い科の倉庫に、いくつか予備の餌があったはずだ。今日はとりあえずあれでいいだろう――と思いながら、扉を背に一歩踏み出す。と、そこに。
「アーチピタ」
「……ああ」
ユーレマリアがそこにいた。
彼女と話したことは殆どない。ある意味クロマノールと同じく、一段レベルの違う人なのだ。簡単に言うと高根の花というか――。
だから、ユーレマリアとクロマノール、二人が並んでいる姿は、案外しっくりくるような気もした。同じぐらいの何かを持っているというか。二人とも、たやすく他人を寄せ付けることはないが、ぼんやりと好まれている。彼女らがなにかを口にすると、とりあえずみんな黙ってそれを聞く。というところが、よく似ている。
「クロマノールのご機嫌はいかが?」
「その前に、いったいあいつに何を言ったのか聞いてもいいか?」
「本人に聞かなかったの?」
「ねんのため君にも聞いておきたくて」
「フェアなのね」
ユーレマリアがほほ笑んだ。
「身体の具合はいかが、とか、そういう普通のことよ。途中から、クロマノールが怒ってるってことは分かってたけど……実は昔、寮の掃除当番とか、一緒だったことがあるの。結構クロマノールとは喋ったことがあるのよ、知らなかったでしょ?」
「たしかに知らなかった」
「わたし前から嫌われているの。知ってた?」
「まあ、今は……知ってる」
どうしようかな。ふと、アーチピタは彼女になにか頼み事をしておいたほうがいいだろうかと考えた。《ノール》を冬眠に入れたら、また暫くアーチピタは外にでるだろう。その間、また喧嘩をされてはたまらない――が、クロマノールが孤立するのも、それはそれでよくない、という気がする。
「あんまり、変なこと言わないでやってくれないか。あいつに」
「変なことって? お身体はいかが、と聞くとか?」
「病気の話はしないでやってくれ」
「それはそれでいいけど。でも、クロマノールがなんで怒ったのか、わたし結局よく分からないんだもの」
たしかに、分からない。アーチピタはあの喧嘩の最後の部分しか聞けていないが……まあ単純に、ユーレマリアの物言いが癇に障ったというただそれだけのことのように思うが……。
「アーチピタって、意外と」
「え?」
「甘やかしてるわね」
「そうかな」
「そうよ。ちゃんとクロマノールのことは叱ったの?」
それを言われると痛いな。たしかに、あまり強く出れなかったのは事実だった。しかしそれはクロマノールのことをかわいそうだと思っているから――というよりは、単純にあいつは気が強くて、なかなか物を言うのが難しいから、というのが理由だけれど――。
「だからあなたに甘いんでしょうね、あなたがクロマノールに甘いから」
とだけ言って、ユーレマリアはさよならも言わずにブーツの足音鳴らし去っていった。え、と間抜けな声が出る。しかし彼女は振り返らない。結局なにひとつ頼めなかった。
「いや、クロマノールに甘くしてもらったことなんてない気がするんだが……」
独り言をつぶやいたところで、ユーレマリアに聞こえるとも思えない。もちろんクロマノールにも……と思ったところで、そういえばと気づく。背後を振り返る。家までの距離はたったの三歩、不仲のユーレマリアは勿論知らないだろうが、この家の扉には魔法がかかっている。この扉は、伸縮し、鍵穴もないのに鍵をかけ、外の人間を見張る監視の役割も持つ。――外の声を聴く機能は、付いていただろうか――。
アーチピタはおそるおそる扉に近づいた。
「クロマノール……ちょっと忘れ物をした、入れてくれ」
反応がない。冷たい。扉が石のようだ。絶対聞こえていたんだ。
「……別に、変なことは言ってないだろ? 多分……いや、……どうだったかな……」
悪かったって。と謝るのもおかしな話のような気がする。
「ごめんって、入れてくれって……」
まったくもって返事がない。何度か声をかけ、一度その場を立ち去り、餌を運び、また声をかけ、ちょっとまた離れ……を繰り返し、数時間後に「ああごめんごめん、つい昼寝しててね」と言ったクロマノールの言葉を、アーチピタは信じなかった。
<了>
クロマノール mee @ryuko
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