第2話 輝く月の下
時と場所はかわり、ユイナがツーランデレンヴェルトに飛ばされる少し前の夜のこと。
雪で白銀に染まるディクライット城で、一対の男女が青白く光る月を眺めていた。
「ねぇディラン、明後日がちょうど満月になりそうね」
私は月光に照らされるディクライット城の屋上の塀に手をついたまま、彼に語りかけた。
「ああ……」
気のない返事。
「婚姻の儀の当日が満月なのよ? 素敵じゃない?」
拍子抜けがするほどに上機嫌でそう言い終えた時、彼の瞳がどこか遠いところを見つめている事に気づいた。
どこを見ているのかと訝しげに見つめてみても、彼の視線の先にはなにもない。
ただ広いディクライットの城下町が広がっているだけだ。
見ているところに何かあるのかと屋上の塀からすこし身を乗り出して覗き込んだ私を、彼が慌てた様子で腕を引っ張った。
「あぶなっかしいんだから……」
少し眉を寄せ、拗ねたような声を出す。
こういって心配してくれているのだろうと思うと、自然に口の端が緩む。
「なにへんなかおしてるの」
彼は口元に小さく笑みを浮かべた。
はにかんだときに左だけえくぼがでてくるのは今も昔も変わらない。
あの頃のディランは可愛かった。もう一人の幼馴染のチッタはいまどうしているのだろう。 昔はよく幼馴染の三人でふざけあったっけ。
唐突に思い出した記憶の中の光景に笑みをこぼすと、それをみて彼も微笑んだ。
「……思い出し笑い?」
「何故分かったの?」
首を傾げる私に彼は雪がちらつく空を眺めて言った。
「僕も……思い出してたから」
彼の瞳は、少し揺れているように見えた。
「そっか……でも、昔はこんなこと思いつきもしなかったよね」
そうだね……と、また生返事。
「もう明後日なのにね……」
おそらく何か違うことを考えている彼に、私は笑いかけた。
明後日の根雪の月十八日は私とディランが婚姻の儀式をあげる日。
私の十七回目の生誕日でもある。
城の聖堂で王族以外のものが式を挙げるのは珍しいのだが、両親を失い幼い頃から現在の国王陛下であるクラウディウス王に気に入られて国王直々に魔法も教わっていた彼なら、疑問を持たれることもないのだろう。
陛下にとって彼は息子のような存在だということは、城に仕える者たちの間では周知の事実として知れ渡っていた。
彼は嬉しくないのだろうか。
「ねぇディラン。……ほんとに、私で良かったの?」
唐突に、思ったことが口をついて出ていた。
「……なんでそんなこと聞くの?」
彼はほんの少し目を伏せそういった。
「……」
私は答える言葉が見つからなかった。
幼馴染である私と彼がいままで過ごしてきた長く幸せな時間を疑うのには、あまりに安直だと感じたからだ。
きっと傷つけてしまっただろうという考えに取り憑かれた私はしばらくの沈黙を破ることができずにいた。
そんなとき、不意に彼が口を開いた。
「婚姻の儀で着る衣装。……できたんでしょ?」
「え? ええ! ……すごいのよ! とても素敵なの! きっと見たら驚くわ!」
私は昼間の興奮を思い出し、半ば叫ぶような勢いで彼にそういった。
「あはは……ティリス嬉しそう」
彼が微笑み、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてから、彼は屋上の塀に寄りかかった。
私には危ないって言ったのに、自分はいいのね。
心の中で文句を呟きながら再び青白く光る月を見つめ、しばらくの間私達はたわいのない話を続けていた。
ふと会話が途切れていた。
私は何か話題を見つけようと彼がいる方向に振り返る。
彼の瞳から、一筋の涙が流れていた。
「ディ、ディラン、どうしたの!? 大丈夫? どこか痛いの? なにかあったの?」
思いがけない涙。それに焦って口数が多くなる。
「なんでもないよ、ごめんね……」
彼の表情はそれが事実ではないことを私に知らせていたが、詮索を避けるように目を合わせようとはしなかった。
「……本当?」
「本当だよ。心配させてごめん」
そういって彼はへにゃりと笑い、私の体を引き寄せた。
「……さっきの、私でいいのってやつ。大好きだから。ティリスじゃなきゃダメだから僕……だからさ、心配しないで?」
彼が私の体を抱きしめる腕が強く締まる。
「……分かってる。私こそ変なこと聞いてごめんね。変だったわ」
そういって笑い、私も彼を抱きしめ返した。
「ティリス……愛してる」
その声に顔をあげると、彼の綺麗な蒼い瞳と目があった。
細い指が私の頬を撫で、彼の唇が近づきそして……触れる。
青白く輝く月だけが、二人を照らしていた。
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