第3話 蒼髪の女騎士

 それがチラチラと舞い始めたのは、私たちが歩き始めて二刻ほど経った後のことだった。

「雪?」

 その問いに、エリルさんが答えた。

「ええ、雪よ。ジェダンを抜けたわね。ディクライットはだいぶ積もってるはずだわ」

「そうなの……」

 ジェダンと呼ばれたチッタたちの国は全く雪なんて降ってなかったのに……。

「どうしたユイナ、雪嫌いなのー?」

 不思議そうにチッタがこちらを振り返る。

「ううん、そういうわけじゃないんだけど、突然降り出したから……」

 エリルさんはうーん、と少し唸るとこういった。

「ディクライットとジェダンの国境線は魔法できっちり引かれているの。旅人や行商人がわかりやすいようにね」

「どうしてそんなこと……」

「……ジェダンは危ない国だから」

 そう呟いたおばさんの瞳は何処か遠い所を見ているような気がした。


「エリルさん……」

 あたしはかける言葉を失い俯いた。

 この世界に来てからあたしは何一つこの人達の役に立っていないように思う。

 住む場所を失い、他国に逃げている途中だというのに別の世界から来たなど信じられないようなことを言うあたしの面倒も見てくれている。その迷惑は小さなものではないだろう。

 彼らをせめて元気付けることはできないだろうか。果たしてあたしにはそんなことができるのだろうか……。


 突然、チッタの声が響いた。

「ユイナ、危ない!」

 勢い良く彼に手を引っ張られ、半ば倒れるようになったあたしの肩すれすれのところを、何か黒く大きい生き物が突進するかのように越えて行った。

「エグラバーだ!ユイナは下がってろ!」

 チッタが叫び、黄金の毛並みを持つ狼の姿に変化したかと思うと、エグラバーと呼ばれた、大きなくろいクマのような姿をした生き物に向かった。

 白い小さな狼もチッタの隣に構える。エリルさんだ。


 エグラバーが一つ大きな咆哮を上げ、チッタに向かって突進して行く。

 チッタは向かってきたエグラバーの横にするりと入り込むとその腹の部分に噛み付いた。

 恐らく急所だろう。

 けたたましい叫び声を上げながらそれは彼を振りほどこうと体を大きく揺らした。

 エリルさんがそのタイミングで飛びかかる。

 一度腕に噛み付いた彼女だったが、すぐに振りほどかれた。


 動揺したチッタにエグラバーは勢い良く立ち上がると彼の体を勢い良く吹っ飛ばした。

「チッタ!」

 チッタが弾き飛ばされ、エリルさんも気を取られ、勢い良くエグラバーのかぎ爪が彼女に降りかかる。

 危ういところでよけ切った彼女だったが、体制を崩したらしい。

 そして周りの狼達を蹴散らしたエグラバーは、あろうことかあたしめがけて突進してきた。


「逃げろユイナ!」

 腰が抜けて動くことができない。

 もうだめだ……!

 と、その瞬間突然の馬の嘶きとともに、私の視界は大きな黒い影に遮られた。

 馬のような生き物にまたがったその人が何かを振り上げると同時にけたたましい獣の鳴き声が響き渡る。

 おそらくエグラバーだろう。

 それはまるで黒い霧のように変化しそして、消えた。


「あなた達、大丈夫?」

 先ほどの獣の鳴き声とはかわり、凛とした通る声がきこえた。

 彼女は薄い青色の毛並み──馬のような生き物からゆっくりと降り立った。

 あたしに手を差し伸べたのは重そうな鎧を着て、右手には何か文字のようなものを刻まれた剣を手にした女の人だった。

 その剣には鮮血が流れていて、そしてそれも先程のエグラバーのように黒い煙へと変化し、消えた。


 じっとこちらを見つめる瞳はエメラルドのように美しく、高い位置で一つに結えられ、蒼く伸びた髪の先は少し紫色がかっているように見えた。

 このような人を美しいというのだろう。あたしはその人に美貌にただ、目を奪われていたのだった。

 彼女は少し怪訝そうにこちらを見る。そのとき、あたしは先ほどからずっと差し伸べられていたその手に気がついたのだった。

「ご、ごめんなさい!」

 彼女の手を取り、立ち上がる。


「立てるみたいね、よかった……。こんなところでエグラバーに出くわすなんて……運が悪いわねあなた達……」

 彼女は何やらつぶやきながら、私の後ろに目をやった。

「ティリス……? ティリスじゃないか!」

 チッタが半ば叫ぶかのようにそういった。

「チッタ? ……エリルさんも……どうして」

「ティリスちゃんこそ、ここはディクライットの外れでしょう、こんなところまで見回り?」

 おばさんがすこし不思議な様子で尋ねる。

「私は……」

 ティリスと呼ばれたその人は少し目を伏せ言葉を濁した。


「ティリス、何があったかわかんないけど……俺たち、お家燃やされちゃったんだ。それでディクライットに行ってフィリスおばさんにたすけてもらおって言ってたんだけど……」

「燃やされ? ……ああ、ついに国防軍が。わかった、私が手配するわ」

 それを聞いたおばさんがこういった。

「仕事は? 大丈夫なの?」

「ええ、この見回りは自主的なものなので……大丈夫です。もうすぐ日が落ちるわ。魔物も活発になるでしょう」

 魔物……不気味な言葉に心を震わせながら、あたしは先ほどのクマのような生き物が消えた場所を見つめていた。


「この子は?」

 ティリスが言った。

「この子は…ユイナちゃんっていうの。話すと長くなるのだけれど…」

 おばさんがそう言いかけたところでチッタが口を挟んだ。

「詳しいことは着いてからにしよーぜっ! 俺お腹減っちゃったー」

「そうね……じゃあ行きましょうか」

 再びティリスが馬のような生き物にまたがり、歩を進め始める。


 あたし達が彼女の案内でディクライットという国に辿り着くことになったのはその日の陽が沈んだ後なのであった。

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