第1話 ツーランデレンヴェルト

 目を開くと、そこは知らない世界だった──

 そこには見たことのない景色が広がっていた。


 辺りを見回すと、腰程の高さがある黄色いイソギンチャクのような形をした草のような物が一面に広がっており、所々に青々とした背の高い木が生えている。

 一体、何が起こったの……?

 わたしはただ呆然としていた。

 あの高台は?

 ちょうどオレンジ色に染まった陽が照らしているのが見えた。

 さっきまで見ていた夕陽……とは、違うよね。あたしは……ここはどこなの……どういうこと……?


 夕陽に照らされた黄色の植物が光を受けて金色に輝いており、普通の人なら綺麗だと感じるのかもしれないその美しさに理由のない恐怖を覚えた。

 得体のしれない草原にしゃがみ込み、頭を抱える。

 ネズミの容姿をした、しかし明らかにそれではない不思議な色をした生き物が私の足元をかけて行った。

 どうしよう。ここは何なの……違う世界に、きちゃったの……?


すぐ近くで草が揺れる音がした。

 驚いてそちらのほうを見る。

 そこには、一匹の大きな犬のような生き物がじっとこちらをみつめながら走ってきていたのであった。

 その生き物が近づいてくるにつれ、だんだんとその正体がわかってきた。

 前に動物園でみたことがある。

 ……狼だ。

 咄嗟に走り出そうと後ろを向くと、そこには何十匹もの狼が私に向かって近づいてきていた。

 どうしよう! たべられちゃう……!

 なす術もなく、あたしは次第に狼達の輪に取り囲まれていく。

 もうダメだとおもった瞬間、信じられないことが目の前で起こった。


 突然狼達が煙に包まれたかと思うと、彼等の姿はなくなり、代わりに人間が立っていたのだ。

 いや、狼達が人間に変化したというべきか。

 全員が黒と緑をベースにした制服のようなものを纏っており、その目の瞳孔は人間のそれとは違い、縦に長く見えた。

 あたしが驚き固まっていると、彼らのうちの一人が口を開いた。

「ここをジェダン国の領地としっての侵入か。ディクライットの連中はつくづく頭が悪い」

「え……私、しらない……」

「知らないとはどういうつもりだ! その瞳を見ればわかる! 自分の種族を忘れたとはいわせないぞ!」

 男はキレやすい性分なのだろうか。彼は叫んだかと思うと私の腕をつかみ、何処かへ連れて行こうとする。

「いや! 離して!」

 抵抗するも、子供の私が敵うような相手ではない。屈強な男たちに取り囲まれている状況だ。

 こんなところで死んじゃうのかな……。


 後ろにいた男達のほうから、悲鳴のような声が聞こえ、その場にいる者全員がその方向に注目する。

 その瞬間、なにかが私達の目の前に飛び込んできた。

 金色の毛並みの犬……いや、狼だ。

 私の手を掴んでいた男の手が外れる。と、そのとき知らない少年の声がした。

「いまだ逃げるぞっ!」

 そう叫んだ声の主があたしの手を掴む。

 男たちが罵声を浴びせているのが聞こえる。

 彼の手に導かれるまま、あたしは駆け出していたのだった。




 急に手を引いていたものが立ち止まった。

 いきなりのことで対応しきれなかったあたしはそれに思い切り激突する。

 あっ!と思うのもつかの間、彼は転んで尻餅をついた。

「もーなにするんだよー!」

「ご、ごめんなさい!」

 急いで彼を助け起こす。

「いってて……まぁいいや、君は? 大丈夫?」

 そういってにっこり笑った少年は、オレンジがかった赤色の髪の毛を少し短めに切り揃えていた。

 燃えるような色だ。地毛なのかな……。

 年はあたしとおなじか、一つ上と言ったところだろう。癖毛なのか寝癖なのか、前髪の一部が跳ね上がってしまっていて、なんだか子供っぽい。

 目は綺麗な紫色…その引き込まれそうな瞳の猫のように縦長に伸びた瞳孔を見つめながら、あたしはいった。


「あなたが、たすけてくれたの?」

「へ? あ、そうだよ! 俺が助けたの! 国防軍の奴等が集まってたからさ、何かとおもって見にいったら、女の子を取り囲んでるじゃない。嫌がってるみたいだったし、タイミングをみて飛び込んだんだ」

「そうなの……ありがとう。助かった……」

「いいよいいよ! それよりさ、なんで女の子が一人であんなとこうろついてたのかきかせてくれねーかな? あと、名前は? なんてーの?」

「え、ええ、いいの……?」

「うん! 全然! 面白そうだし! いいだろ?」

「う、うん……あ、あたしは結衣菜」

 あたしが戸惑っていると、彼が言った。

「俺はジェダン族のチッタ! よろしくなユイナ!」

 チッタは軽くガッツポーズのような姿勢をとり、その足を進めた。

「ま、待ってよチッタ!」

 あたしは、彼の背中に追いつくため、走り出した。




 しばらくあたし達は黄色の草原をあるいていたが、不意に、前を歩いていたチッタが足を止めた。

「チッタ?どうしたの?」

「家……俺の……家が……」

 驚いて彼の目線の先をみると、真っ赤に燃え盛る炎に包まれた、小さな小屋があった。

 火事……?

 いまにも小屋は崩壊しそうで、黒い煙が鮮やかな青空を覆っている。

 チッタは、一瞬固まったように動かなかったが、不意にハッとした表情を浮かべてこう叫んだ。

「おばさん!」

 彼が突然煙のようなものに包まれたかと思うと、小さな金色の毛並みを持った狼 が、黄色い草の広がった草原を駆け出していた。

「あっ!」

 あたしも焦って彼を追いかけ、再び走り出したのだった。


 息をきらしてやっとたどり着いたそこには、小さな山小屋を思わせるような建物が立っており、そしてそれは真っ赤な炎に包まれていて、みるみるうちに焼き焦げていく。

 その家の前には四十過ぎぐらいの歳で、チッタと同じ色の髪の毛と緑色の瞳を持った女の人がいた。

 彼女は手のひらを燃えている家に向け、何かをつぶやいているところだった。

 チッタはそれをただじっと眺めていた。

と、その瞬間なにかが、女の人の手のひらから飛び出した。

 なにかが、と思ったのは一瞬で、それは到底信じられない量の水であることが、ほんの少しの後に明らかとなった。

 女の人の手から迸る水が、みるみるうちに家を覆っていた炎を消していき、後には焼け焦げた木の板の炭だけが残った。


 しばしの沈黙の後、チッタが口を開く。

「どうして、こんな……」

 女の人がそれに返す。

「チッタ……ごめんなさい……これしか、持ってこれなかったの」

 彼女がチッタに差し出したのは、小さな絵のようなもの。

 チッタの幼いころだろうか、赤い髪の少年と緑色の髪の少年、綺麗な碧の髪の毛を持った少女が、微笑んでいる。

 あたしの気のせいだろうか、写真の中の三人が心なしか動いているようにみえた。

「魔映写か。ありがとうおばさん。それよりも、おばさんが無事で良かったよ……」

「チッタ……ありがとう……その子は?」


 チッタがやっと気づいたように言う。

「この子はユイナってんだ。国防軍のやつらに捕まってたから、たすけてやったんだぜ!」

 それを聞くと女の人は突然声を荒げた。

「なんでそんなことしたの! 危ないでしょう!」

 チッタは面食らった様子で口をパクパクさせている。

 女のひとは自分の言ったことに気がつき、こういった。

「あ、ごめんなさいね、あなたを助けるなっていう意味じゃないのよ。あぁ、怪我がなくてよかった……。チッタ、国防軍のひとたちは何をするかわからないから、近寄ってはダメと散々言ったでしょう」

「……ごめんなさい……」

 いままで明るく振舞っていたチッタが、しゅんとした表情でうつむく。

 それをみた女の人は、ひとつ長いため息をつくとこういった。

「まぁでも、女の子を助けたのはいいことね、今回は許しましょう」

 それをきくとチッタの表情がぱっと明るくなる。

「やった! おばさん、ありがとう!」

 そう、明るい声でいったのだった。


 小屋を取り巻いていた炎が収まり、やっとひと段落した頃。

 私はこれまでのいきさつを二人に説明し、お互いこれからどうするべきかの議論をしていた。

 焦げ臭い匂いが充満しており、煤があたり一面の黄色い植物に被さっている。

 話の流れをまとめると、この女性はチッタの叔母さんのメリルさんといい、この家で一緒に暮らしていたらしい。

 この二人がどうしてあたしのありえないような話を信じてくれたのかはわからないが、あたしは、どうやらあたしが住んでいた世界とは違う世界に飛ばされてきてしまったらしい。そのため、帰る方法を探さなければいけない。

 この不思議な世界のことを、チッタやおばさんのようなこの世界に住んでいる人たちは、ツーランデレンヴェルトと呼んでいるという。


「……というわけで、新しい家を探さなきゃね!」

 頬についた煤をほろい、おばさんが言った。

「でも……そんなの、もうこの国では見つけられないよ?」

 チッタが不安そうな表情を浮かべ、叔母さんに尋ねる。

「それなら隣のディクライット王国にいきましょう。私の古い友人がいるはずだから」

 彼女がそういうとチッタはわかった。という風にひとつ頷くとこういった。

「それなら、ユイナも一緒に行こうぜ? 行く場所の当て、ないんだろ?」

「え、でも……あたし」

 あたしが戸惑っていると叔母さんは優しく笑い、こういった。

「女の子が一人なんて危ないからね。一緒においで、ユイナちゃん」

 一人は不安だし……。

「ありがとうございます!」

 そんなわけで、あたしは素直に彼女たちについて行くことにしたのだった。

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