第6話 魔女の理由
一人でも戦争を続けると大見得を切ったものの、エイジはそのための手段をなにも持ち合わせていなかった。
だからこそ魔女に頼ったのであり、魔女の力を借りるようになってからは、彼女に与えられたものを考えもなしに使っていたに過ぎなかったのである。
それで自分こそが世界のために戦っているのだと錯覚していたのだから、いかに無知で愚かだったのか思い知ることになった。
なにしろ、今の彼の手元には何も残っていないのだ。
魔女の元に置いてきたあの仮想世界の銃を思い出す。アレだけが、自分が宇宙人どもと戦える唯一の手段だったのだ。
虚無感に捕らわれてしばらく考えたあと、エイジはおもむろにスマートフォンでARメモアプリを開いた。
すぐに画面の中にあの宇宙人が寄ってくる。
先程見たような人体パーツの生えていない、鱗のようにウインドゥを纏ったいつもの姿だ。
その宇宙人がメモを喰らい尽くす姿を、エイジはただ黙って見ていることしかできない。
今のエイジにはなんの武器もないのだ。
エイジの目の前でメモを喰らいつくした怪物は、新たな獲物を求めてそのままどこかへ去っていった。
一連の怪物の行動を見続けて、エイジは自分にとっての戦争がスタートラインに戻ってしまったのを実感する。あのときと同じように、ただ見ていることしか出来なかったのだ。
どうすれば、このおぞましい存在を払いのけることが出来るのか想像さえもつかない。自分がコイツらと戦うというのなら、まずはその方法から勉強していくしかない。
そう思ってARについて検索してみるが、すでに検索結果はAR空間を蹂躙した宇宙人についてのマスメディアの記事と、それに対して有る事無い事ばかり書かれたブログニュース、あとは有象無象のSNSの感想ばかりが引っかかるだけで、必要なことはどこにあるのかもわからない有様だった。
山のような、無限とも思える情報が押し寄せてくるが、そのどれもが今のエイジには無用なものにしか見えない。
あの宇宙人はAR空間を壊しただけでなく、その事象がWebの情報そのものを押し流してしまったのである。
どこかにはまだ戦争以前の情報も漂っているのだろうが、なにを検索していいのかさえわからないエイジにそれを探す術はなかった。
(誰か、それを教えてくれる人はいないだろうか)
ふとそんな事を考えてしまい、思わず首を振る。
それでは、これまでとなにも変わらない。
今はなんとしても、自分ひとりで事をなさねばならない。
ならばもうこの調子のインターネットをアテにすることはできないだろう。
エイジは少しでも自分の求める情報を得るために、本屋へと向かい自転車を漕ぎ出した。
だが本屋にあった光景は、予想とはまったく逆の形でエイジに強い衝撃を与えるものだった。
店内も、そこに着くまでの街もいたって平和で、開戦前となに一つ変わらない日常がそこにあったのだ。
今現在もAR空間では戦争とすら呼べない蹂躙が続いているとは思えないほどの落ち着きぶりだ。
本屋のどのコーナーにもこの今起こっている戦争について触れたものはほとんど無く、陳列された週刊誌の見出しだけが僅かに『今の戦争』を物語っているに過ぎない。
そこにあったのは情報に押し流されたWebとは真逆の世界だ。
本棚も、人々も、今この場所でさえ戦争が続いていることすら認識していない。
この場所ですら、ARを開けば、すぐそこに宇宙人は現れるというのに。
その平穏さに、エイジは逆に息が詰まりそうになる。
どうしてこんなに平和でいられるんだ!
叫びそうになるのを抑えながら、なんとか目当てのパソコン関連の本棚までたどり着く。店の奥ということもあってかコーナーは閑散としており、あらためて人々の関心の低さをまた突き付けられる形となった。
気を取り直してまずは入門解説書らしき本を探す。
なにしろエイジはそもそも、ARがいったいどういったものであるかさえ理解しきれていないのである。もっとも、ARそのものがまだ発展途上の分野であるため関連書籍の冊数は多くなく、まさにそれこそが、宇宙人の侵略が現実に大きな影響を与えなかったことの具現化であるかようにも思えるものだった。
その中からいくつかの本を見ていくと、一つのソフト解説書に目がついた。
それは魔女の言っていた、スマートフォンで自分の作ったアバターをAR上に自由に表示するソフトのガイドブックだ。
その表紙に描かれたアバターの人物たちの質感は、エイジがまさに今日見たあの人体にそっくりだった。
中身を見ていくと、ソフトの使い方と無数にも思えるパーツやポーズの一覧図が掲載されており、それに続いてユーザーの声が載せられている。
ユーザーたちは皆、いかに自分の作ったアバターを愛しているかを口にしている。
そこで語られる言葉が気になって、エイジはすぐさまその本を買って急いで帰宅し、そのソフトを検索する。
この状況の中でもソフトはすぐに見つかり、それと同時に、多くのユーザーのページも検索結果に引っかかって来た。
まずはその中の一つに目を通してみる。
それは日記であり、最後の更新は戦争の直前のものだった。
何気ない日常の光景に、その日記の主が作ったであろうアバターが添えられている。アカシアと名付けられた、可愛らしいメイド服に身を包んだアニメ調の少女だ。その小さな姿は、人間というより人形に近い。
アカシアは料理の並べられた机の前に座り、両手を広げて自慢げにその料理を示している。
日付を遡っていってもだいたい同じだ。
アカシアというアバターは様々な日常で、毎日のように日記の主の代わりに感情をあらわにしていた。
他のサイトも見てみたが、形の違いはあれ、どこも同じようにアバターへの感情で構成されたコンテンツで満たされていた。
もう少し技術的な話をしているところでは、そのパーツ配置などの調整がミリ単位で行われ、まずアバター作成に数時間を費やしているという話もあった。
彼らはそんな風に時間を掛け、思い入れを込めて作ったアバターたちと日常を共に過ごし、日々の記録を撮影をし、思い出を作っていく。
そうしてアバターたちはただのデータを越え、生活の一部になっていくのが伝わってくる。
自分の分身のようでもあり、ペットのようでもあり、子供のようでもあり、パートナーのようでもあるが、そのどれとも違う。
アバターはまさしく『アバターという存在』だ。
一つとして同じものはないし、また同じものを作れるわけでもない。アバターを作り上げるのはなにより共有した『時間』なのだ。
だからこそ、ユーザーたちはそのアバターを特別なものとして愛でるのだ。
エイジもいくつものブログやSNSを見てその事を理解していた。
だがそんなアバターたちは、あの日突如始まった理不尽な戦争に巻き込まれることになった。
エイジのメモが失われた時のことを考えると、このアバターたちも同じように、引き裂かれ、喰らい尽くされ、蹂躙されたと思われ、アバターの主たちはなにもできず、それをただ見ていることしかできなかったのだろう。
アバターの日記のいくつかは開戦後にも更新があったが、そのどれもが、大切なものを喪った虚無のようなものに満ちていた。
あの日までは毎日更新を続けていた最初の日記……アカシアの主は、開戦後どうしているだろうか。あの日以降更新はない。
そこに想いを馳せ、そして気が付く。
おそらく、あの魔女にも同様の事が起こったはずなのだ。
それでエイジはようやく、あの時の魔女の反応の理由に触れられた気がした。そして同時に、あの魔女がなぜこの戦争に乗り出したのかも。
たかがメモアプリを失ったくらいで怒り狂っていた自分が、なんとも小さな存在に見える。
自分のしてしまったことが押し寄せる。
そうして、魔女のために出来ることを探す。
だがその前にまず、ひとつエイジがしなければならないことがある。
「謝らないと……!」
全てはそれからだ。
そうして、エイジは再びあの喫茶店へと駆け出した。
夕暮れの少し前、エイジは再び喫茶『こかげ』に駆け込んだ。
だがすでにそこに魔女の姿も、机に広げられていた道具一式もない。
昨日までなら、日が落ちても魔女はそこに座っていたのに。
マスターに聞いてみても、あの後しばらくしてどこかに出ていったきりだという。
あの魔女の行きそうな場所を考えてみる。
魔女はおそらく、自分のアバターを取り込んだ宇宙人を探しているはずだ。
そのために、魔女は広くてなおかつ人目につきにくい場所を求めていることだろう。おそらく、魔女とアバターの思い出の場所。それも、そう遠くない場所だ。
エイジには魔女の好みなどわかりはしなかったが、それでも一つだけ、なんとなく思い当たる場所があった。
この住宅街の片隅にある、雑木林の中の名も知らぬ小さな神社。
普段は無人で、参拝客もほとんどいない静かな場所だ。
おそらく魔女は普段からあの神社でアバターを利用していたのだと思う。
写真映えのいい場所だし、年末年始でもなければ人も寄り付かない。
そういった場所として、あの神社は最適だ。
エイジが神社に駆けつけると、予想通り、境内には一つの人影があった。
しかしその人物はもう魔女の格好ではなく、いかにもくたびれたジャージ姿である。
だが、その特徴的な髪の色でひと目で魔女と分かる。
それにエイジがその顔を見間違えるはずがない。
そこにいたのは間違いなく魔女のマリー、喫茶店のマスターに影山マリカと呼ばれていた女性だった。
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