第3話 呪いの聖剣

 私が手をついた場所はちょうど泉のほとりだった。

 そしてそこに月明かりの中、うっすら映っていた自分の手のすぐそばに剣が漂っていた。


 祈りの魔剣フェアヴァイレ。


 泉の中の剣は私が名付けた魔剣、まさしくそれだった。

 確証は無かったが私がとっさに水中に手を伸ばすと、そこには確かな感触があった。

 魔獣の魔剣はすぐそこに迫っていた。

 もはや迷う必要は無かった。

 私はフェアヴァイレで魔獣の魔剣を受け止めた。


「な!?なんだそれはあ!」


 魔獣もものすごく驚いているようだ。


「私にも分かりかねますが、どうやら今この場に顕現したようですね。それにしてもあなた本物のフェアヴァイレなんですか?本物は輪廻の中にいるはずなんですけど…。」


 ―我は本物だ。


「ということは今輪廻の中の私はあなたがいなくて困っているのではないですか?」


 ―案ずるな。そちらには我が確かにいる。今、我は間違いなく輪廻に存在し、あちらのディアドラと共にあり、今お前と共にある。不思議な感覚ではあるがな。


「いずれにしてもありがとうございます。あなたを握っているとあの聖剣のレプリカでさえも及ばないほどの力が湧いてくるのを感じます。」


 ―悠長にしゃべっている場合ではないだろう?くるぞ!


「剣を出そうが関係ねえ。俺はお前を殺す!!」


 魔獣は大きくジャンプしながら渾身の一撃を振り下ろしてきた。

 私はその一撃を正面から剣で受け、そのまま空中へと魔獣を弾き返した。


「なっ!?」


 私は魔獣が着地するや否や一気に距離詰めて連続で斬りつけていった。

 魔獣は後退しながら私の攻撃を防ぐだけとなり、一気に形勢は逆転した。


「ぐぅっ!おのれぇおのれえ!」


 魔獣への攻撃の途中、私は連撃の動きを利用して聖剣のレプリカを左手に取り、そのまま二刀流の連撃を仕掛けていった。


 気が付けば私たちはかつて魔獣の集落があったところにまで来ていた。


「ああ、ここはぁ!ああ、そんな…ナベルぅ…ナベルーー!」


 魔獣は集落に来ていたと気づいた途端かつてないほど咆哮をあげ、魔剣を漂う瘴気も今までにないほど膨れ上がっていった。


(しまった押し切れないままここに来てしまったのはまずい…。魔獣が明らかに暴走している。)

「ごおわああああ!」


 言葉にならない咆哮をあげて魔獣は斬りかかってきた。

 今までの精神的な不安定さからくる鈍重な動きから、怒りに身を任せた暴力的なものへと変化した攻撃はどれも目で追えないほど速く、そして重かった。

 私は辛うじて両手の剣での防御が間に合ったが、それはたまたま相手の剣の軌道が防御しやすい軌道だったというだけだった。


「いっつ!」


 ―愚か者め。すぐに楽にしてやらないからこうなるのだ。


「あんな状態でもあの魔獣は最前線で戦っていた兵士です。あと一歩を追い詰めるのはとてもじゃないですが今の私には無理でした。」


 ―あの攻撃はあと一度とてまともに受けられんぞ。


「……あの剣の軌道を一方向に絞る方法はあります。とても褒められた方法ではありませんが。」


 ―くるぞ


 私は素早く右手のフェアヴァイレと左手の聖剣のレプリカを持ち替えて、集落跡のあの場所へと走った。

 唸り声をあげながら魔獣は私を追ってきた。

 私は例の場所で魔獣を待ち構えた。


「うぐぉおおおお…!」


 私は魔獣が攻撃してくるだろう間合いに入ったその時、右袈裟斬りしてくると決め打ちしそこへ右手のレプリカを叩き込んだ。

 パリーンとまるでガラスが割れるかのような音と共にレプリカは砕け散り、魔獣は一瞬の隙を見せた。


「はあっ!」


 私は左手のフェアヴァイレで魔獣を斬った。


「ぐぁあああ…。」


 魔獣はその場に仰向けで倒れ、斬られた勢いで魔獣が離した呪いの魔剣は離れたところの地面にずしゃっと音を立てて突き立てられた。


「ああ……ナベル、ナベルぅ…。殺戮者アナベル、お前のような奴は地獄落ちろ!いや呪うまでも無いな…ふふふふあははは!」

「……。」


 何も言い返せなかった。

 さっき私が待ち構えていた場所は魔獣の記憶の中で見たナベルが植えた白いアジサイの咲いている場所だった。

 右手に剣を持っていた魔獣が花を傷つけることなく攻撃するには右袈裟斬りするしかないような、そういう場所で私は意図的にそこに誘い込んだのだ。


「ああごめんよ、ナベル…。許してくれみんな…。この俺たちの恨み、憎しみ、悲しみ、怒り…晴らせなくてごめんな…。でも俺たちのこの呪いは消えないよ…。未来永劫人間どもへの災厄となって徹底的に苦しめてやろうな。さあ!俺を殺せよアナベル!罪なき者を殺し、自分だけ都合よく記憶を失い平穏に暮らし、ひとの大切なもの盾にして生き残ろうとした血も涙もない大罪人さんよお!」

「……。」


(考えろ!何か、何か忘れているはずだ。そうだ剣の泉の精霊のあの言葉…。)


 ―ディアドラよ。我を使いあの者を楽にしてやれ。


「………。いえそれには及びません。フェアヴァイレ、おまえには迷惑をかけるな。」


 ―……よせ。


 私は歩き出した。

 呪いの魔剣の方へと。

 魔剣まであと数歩というところでまるで結界に阻まれているかのように強い力がばちばちと弾けた。


 ―その剣の本質はおまえを全否定するものだ。無理に触れれば死んでしまうぞ。


 ものすごい激痛だった。

 剣に近づくほど雷のような衝撃と痛みが私を襲った。


(それでも引くわけにはいかない。この剣ならきっと…)


 魔剣に手が届く距離まできた。

 私は右手を魔剣の柄へと伸ばした。


「ははは馬鹿な女だぁ。いいさ、そのまま死んじまえ死んじまええええ!」

「つッ!なんて拒絶反応…。けど諦めるわけには…いかないわ。」


 あとちょっとで柄に手が届くというところからの拒絶反応が強烈だった。

 手を伸ばしてもものすごい力で弾かれて全く掴める気配がない。


(もう、こうなったら一思いに…。)


 私は意を決して勢いよく掌を呪いの魔剣の柄に伸ばし柄を掴んだ。

 しかしその瞬間ボキボキとどこか間抜けな音が自分の右手から聞こえた。


「…っ!うぅ…ゆ、指がぁ…。」


 人差し指と親指の第二関節があらぬ方向へ曲がっていた。中指も折れていた。


(痛い…痛いけど、なんとか剣は握れたわ…。)


 私は力を込めて剣を引き抜いた。

 だがその瞬間、魔剣の剣先がグネグネと動き分裂した。


「えっ?」


 分裂した剣先は全て私の方を向くと私を殺さんと勢いよく伸びてきた。

 死を覚悟し目を瞑った瞬間ガキンと音が聞こえた。


「…フェアヴァイレ?」


 ―剣の攻撃は我が請け負う。お前は為すべきことを…。


 目を開けるとそこには呪いの魔剣と同じように変形したフェアヴァイレが魔剣の凶刃を受け止めているのが目に入った。


「ありがとうフェアヴァイレ。」


 私は倒れている魔獣の側に行き、呪いの魔剣をゆっくりと掲げた。

 掲げている間も分裂した剣先が私を殺そうとしてきたが、全てフェアヴァイレが止めてくれていた。


「なんの…つもりだ、殺戮者…。」

「武器の価値は使い手によって決まる…。いかな聖剣も悪人が悪意を持って使えば凶器となる…。逆もまた然り!…ならばできるはずよ!」

「何を…言ってやがる…。」


 私は呪いの魔剣に力を集めた。


「呪いの魔剣よ、今こそかの魔獣の真なる呪いを成就させよ!すべてを否定するその力で聖剣の務めを果たせ!」

「おれの…呪い?そんなのお前を殺したい、に決まって…。」


 すると紫色のエネルギーを呪いの魔剣が吸い込みだして、代わりに金色のエネルギーが溢れてきた。


 ―我を使え!その祈りはお前を殺すものだ。


「わかったわ!」


 私はフェアヴァイレにも意識を集中した。

 私の体を介して、呪いの魔剣が呪いを吸い込み祈りを吐き出し、フェアヴァイレが祈りを吸い込み呪いを吐き出していった。

 そしてどんどん循環する祈りと呪いの量が増えていき、速さも加速度的に増し、ついには目が眩むほどの光を放った。

 光が止むと私の手にはさっきまで握られていたフェアヴァイレと呪いの魔剣はなく一対の美しい剣が握られていた。


「これは…。」

「…なんだ、おまえのその姿は…。」

「私の姿?」


 私は剣に自分の顔を反射させてみた。

 するとそこには金色の髪と紫色の髪の混じった女の顔が映っていた。


「私にいったい…。」


 生まれ変わったような気分だった。無尽蔵のエネルギーが自分の中を渦巻いているの感じた。

 よく見ると右手の負傷も治っていた。

 私は右手の剣を見た。

 確かにその剣は呪いを力に変えていたが、生み出していたのは祈りだった。


「…あなたは、彼を助けたかったのね。」


 ―急げ。今お前の体は祈りの力と呪いの力が奪い合いせめぎ合っている状態だ。しかし若干呪いの力が負けている。早くその者の呪いを果たせ、死にたくないのならば。


「…フェアヴァイレ!分かったわ…。呪いの魔剣…否、呪いの聖剣よ。力を貸して…。」


 私は右手の聖剣に祈った。


 ―祈らないで


「…今の声は、フェアヴァイレじゃない…。聖剣、あなたなのね。」

(さっきまでの禍々しい雰囲気からは想像もできないような可愛い女の子の声だったわね。)


 ―あたちのこと聖剣って言ってくれてありがとう。でもあたちは呪いを果たすための剣だから祈られてもなにもできないわ。


「なら私の中の呪いを使って…。」


 呪いの力を私はよく分からなかったがとりあえず私は聖剣に意識を集中した。

 とにかく彼を救ってほしい、その一心だった。

 するとばちばち弾けるような音がして大きく黒い時空の穴が開いた。


 ―二人とも来て。


 聖剣が時空の穴は私たち二人を有無を言わせないまま吸い込んでしまった。


 着いた場所は真っ暗な何もない空間だった。

 私が辺りを見回していると魔獣の声が聞こえた


「なんだこれは、お前何しやがったんだ!…ってなんか体が軽いな。」

「ごめんなさい。私も聖剣に導かれただけなのでいったい何が起こったのか…。」


 ―見て


「何だ今の声は!?」


 どうやらここでは魔獣にも聖剣の声が聞こえるらしい。


 ―あたちはあなたに作られた呪いの魔剣よ。今は聖剣だけどね。ここではあなたの怪我も痛みも無いわ。安心して。


「…俺が作った魔剣が。」



 ―それより見て。


 聖剣がそういうと光が空中に広がり、何かが映し出された。

 魔獣はそれを一目見て何か分かったようだ。


「これは俺たちの集落を上から見た風景か?」


 ―そうよ。


 そこに映し出されていたのは集落を俯瞰から見た風景らしかった。

 だがしかしこれは…。


「待ってくれ!これは…この風景はあの日の!」


 ―そうよ。


「なんで俺が作った君がこんな風景を俺に見せるんだ!この後…俺の仲間は、家族は…ナベルは…。」


 ―私はあなたを癒そうと懸命に昔の幸せな映像をあなたに見せてきたわ。そうでもしないと、あなたはきっと帰ってこれないところまでいってしまったもの。けど、私は今日このお姉さんの聖剣になって力も得たしそれも終わりよ。私はあなたを救うわ。


「救うって…。まさかナベルを、みんなを生き返らせてくれるのか!」


 ―ちがうわ


「じゃあいったい…。」


 ―あなたもあの場所で死なせてあげること。それが私ができるあなたへの救いよ。


「死ぬ……。そうか、そうだな…そうすればもうこんな苦しみも味あわなくて済むもんな。たしかにあの日あの時あの場所で死ねていればどれだけ楽だっただろうか…。」


 ―決まったようね。お姉さん、早く魔獣さんの心臓に私を突き立てて。そうすればあの場所に彼を送れるわ。


(……。)

 正直呆れた。


 ―どうしたのお姉さん?


「…だめよ。」

 そうか私の中には確かにあの冷酷で独善的な聖騎士アナベルがいるんだなと感じていた。


 ―何を言っているの?


「そんな終わり方じゃダメって言ったのよ。」

「おまえまさか罪を重ねたくないとかそんな甘っちょろい理由でやらないつもりか!やっと、やっと楽になれそうなんだ。仇のお前でもいいんだ。おれを解放してくれ。」

「あなたはそれでいいのですか?その結末だと結局あなたの家族は死んだままなんですよ!あなたは自分が楽になるのと自分が苦しくても家族が元気でいてくれるのとどっちがいいのですか?」

「それは家族が元気で生きていてくれた方がいいに決まってる!でももう死者は生き返らない…おまえが殺したせいだ。けど過去の事実変えられないんだ。だからもうこの苦しみの輪廻を死んで消し去りたいんだ…」

「終わりなき輪廻から解放されるのは死によって消すだけではありません!」


 私は映像の前に立った。


(そう私はやってのけたじゃないか。)


「私は因果の起点に立ちし始まりの騎士!終わりなき輪廻に新たな始まりの楔を打つ者なり!」


 私は聖剣を映像に突き立てた。

 そして聖剣の力を極限まで解放した。


 ―あなた一体なにを!?


「さあ!魔獣さん私にありったけのあなたの呪いをぶつけてください!あなたの呪いが必要です!」

「そんなことをしたって何がどう…。」

「映像を見て!もう兵士たちは森に入りました!楔を打つ時がずれたらきっと取り返しがつかないことになるわ!」

「わ、わかったよ。」


 魔獣が目を閉じ苦悶の表情を浮かべ始めた。

 すると剣に膨大な呪いの力が吸収され出した。

 映像に突き立てられた聖剣を中心に亀裂が大きく広がり始めた


 ―確かにあなたが私を使い、あの魔獣さんの呪いの力を借りれば不可能なことも成し遂げることができるかもしれません。ですが彼の呪いは…


 その瞬間だった。右手の聖剣から金色のエネルギーが溢れ出して私に向かって流れ出してきたのは。


 ―その金色はお姉さんの死と絶望を望む祈り!お姉さん私を離して逃げて!


「…今離すわけにはいきません。お願いフェアヴァイレ、助けて…。」


 ―我もそこに突き刺せ。


「フェアヴァイレ…。」


 私は言われた通りフェアヴァイレを聖剣の隣に突き刺した。

 するとさきほどのような祈りの力と呪いの力の循環が始まった。

 亀裂はどんどん広がっていった。


「はぁああっ!」


 私はここぞとばかりに二振りの剣を差し込んだ鋏を広げるように渾身の力で広げた。

 そしてついに映像が砕け散り、世界は金と紫に包まれた。






 アルテナは港湾都市リンデの大使館にいた。

 浮かない顔をしているのは今日入ってくるであろう報告が、嫌な報告になるだろうということが容易に想像できるからだ。


「いよいよ今日正確な数字が出るのね…。」


 アルテナは窓際で海を見つめて調査員の帰還を待った。

 そしてドアをバタンと大きな音を立てて調査員と思われる大急ぎで入ってきた。


「…し、失礼します アルテナ様!」


 アルテナは調査員の様子と報告されるであろうことに乖離があるのを感じた。


「どうしたの?そんなに慌てて…。息を整えてからゆっくり報告して頂戴。」

「はぁ…はぁ…。じ、実は先の戦争による魔獣の戦死者数なんですが、その、信じられないかもしれませんが非戦闘員や民間人に限ってですが0人なんです!」

「はあ?…あなた冗談にしても言っていいことと悪いことがあるわよ。」

「ほ、本当なんです!正確には聖騎士アナベルが騎士団長に就任してからの数なんで戦死者ではありませんが。」

「あなた本気なの?今迄に上がってた既に死傷者が出たという情報はどうなるというの?」

「それが死亡と報告されて生きていた者に話を聞くと、なんでもミグランスの軍が住んでいるところに近づいていると知った途端、変な光に包まれ眠ってしまったようです。そして目を覚ますとものすごい時間が経っていて、ある者は戦争がいつの間にか終わってたとかいつの間にか戦争が始まって終わってたとかそんなこと言っているようです。」

「変な光…気になるわね。…それとあまり聞きたくないけどミグランスには確認したの?」

「もちろんです。彼らが言うには『騎士団長の命で何人も魔獣を殺した。非戦闘員も含めて殺してきた。けど戦争が終わったらみんな生きていて驚きを隠せない』というようなことを言ってました。」

「一体何が起きたのかしら…。」

「はい。それとこちらの兵ですが、こちらには戦死者が多数出たようです。ですが、これも不思議なことに全員遺族の元へ帰れたようです。…あ、いえ一人だけ東の最前線で戦ってた者が行方不明による生死不明となってますね。まあ、それを差し引いても奇跡ですね。」


 アルテナは窓際に立った。


「奇跡、たしかに奇跡的なことだけどこれは…。」





 壊滅した魔獣の集落跡。

 何もないそこの中心に光が現れた。

 光が大きく広がるとそこにはたくさんの魔獣たちがいた。


「なんじゃ。一体なにがあったんじゃ…。」

「たしかミグランスの軍が近づいてるって報せが来て…。」

「そしたら急に眠くなって気が付いたら…あ!おれの大事にしてた壺壊されてるじゃねーか。」

「なんかまるで既に襲撃を受けたような有様ね。」

「それになんか色々汚れてるしみんな眠くなった後何かあったのか?」


 魔獣たちは自分たちがさっきまであった状況と今の状況が激変していることに困惑しているようだった。

 その中一人の幼い女の子は何か違うものを感じたかのようにきょろきょろとしていた。

 母親と思われる魔獣の女が女の子に近づいた。


「ナベルもお片付け手伝って。」

「…うん!分かった!」


 魔獣の親子は手をつないで崩れたテントの方へと歩いて行った。


「おーい!みんな無事かああ?」


 遠くの方より魔獣の男が集落へ駆けてきた。


「お前無事じゃったんか。」

「まあな。敵の新兵が誤って錬仗兵器で爆発事故起こして敵軍壊滅。その隙に逃げてきたってわけよ。…で、あいつは?先に来てると思うんだけど…。」

「あの人ならまだ帰ってきてないわ。先に帰ってきてるのよね?心配だわ。」

「お父さんはまだ帰ってこないの?」

「うーん、なんかお仕事大変みたいね。ナベルがいい子にしてたらきっとすぐに帰ってくるわよ。」

「うん!あたしいい子にして待ってる!」


 風が吹き、花壇に咲く白いアジサイを優しく揺らした。


「…お父さん?」


 女の子は空をふと見上げた。





 魔獣は声を上げて泣いていた。


「ああ、ありが、とう。ありがとう。うぅわあああ!」


 聖剣に連れてこられた空間そこから見下ろせる魔獣の集落には殺されたはずの、私が殺したナベルや妻や魔獣の仲間たちがみないそいそと集落の再建をはかっていた。


 ―本当にここまでのことをしてしまうとは驚きました。


「はぁ…はぁ…ええ。」


 私は何とか返事をした。

 私は歴史改変を成し遂げた。それも独善的で手前勝手な改変だ。

 世界を創ったものですらここまで好き勝手なことはできないだろう。

 しかし私はやった。

 しかしその時の呪いと苦しみの大部分が私の中に蓄積し私の精神と体を容赦なく蝕んできていた。


 ―一度戻りましょう


 聖剣はそういうと来た時と同じように私たちを元の世界に返した。

 しかし戻った場所はさっきまでいた集落ではなく剣の泉の近くだった。


「…やはり俺は帰れないか。……なんだか眠いなぁ。」


 魔獣は呟き、そして息を引き取った。

 とても穏やかな顔をしていた。

 そうだ、今あそこには魔獣たちがいるはずなんだ。

 せめて一目見ることもできなかったのか…。


 ―さてどうやらあなたたちが行ったことの代償を払う時が来たようですね。


 今、体中を巡る痛みや苦しみは代償ではないというのか。

 しかし聖剣がそう言った後、魔獣と私の体から光の粒子が少しずつ出ていっていた。

 …そうかこれが代償か。


 ―あなたたちは世界の理を破りました。あなたたちは如何なる時空にも属さない、世界の外側の外側の完全なる無の世界で永遠の時を過ごすことになるでしょう。


 しかし私はそんな大事な話すらまともに聞けない状況だった。


「うぅ…はぁはぁ。うぐっ!」


 痛みが一層増してきたようだ。


 ―あなたは彼の肉体的苦痛と精神的苦痛を負ったのです。


「そう…でしたか。うぅ…。」


 その時、森の奥から場所から声が聞こえた。


「これはまた随分と変わった状況だね。人間と魔獣が無へと消えかかってるじゃないか。」


 そこには大鎌を持った魔獣の男がいた。


「僕はゼヴィーロ。魔獣の魂を煉獄界へ送ることを仕事にしていてね。あまりに凄まじい魂の奔流を感じたから来てみればなんだい、そこの魔獣の魂は今まで見てきた度の魂よりも穏やか…ってこの魂はまさかセレナ海岸付近で暴れまわってた魔獣じゃないかい!?驚いたな。一回近くで見かけた時は負の感情が強すぎて、たとえ煉獄界に送っても浄化されず災厄級の魔物になるだけかと思ってたのに、いったいどうしたらあそこからこんなきれいな魂になれるんだい?」

「はぁ…はぁ…。」


 私は痛みがひどすぎて何も言えなかった。

 ゼヴィーロは魔獣の男に鎌を振るとその魂を取り出した。


「まあ、いいさ。この魔獣の男の魂は貰ってくよ。ほっといても無になるだけだからね。これだけきれいな魂だ、煉獄界で浄化されれば、きっといい生まれ変わりができるだろうね。」

「わた…しも。おねが…い。」


 なんとか声を絞り出した。


「申し訳ないけど、それはできないんだ。僕が送ってやれるのは魔獣の魂だけでね。…さて、僕はもう行かせてもらうよ。あまり痛々しくて見ていられないんでね。…せめて無の世界ではその苦痛も無に消え去っていることを願うよ。」


 そう言い残してゼヴィーロは立ち去った。

 まあ、あの魔獣が永遠の無に消えないのならまあよかった…かな。


「うぐっ!」


 私はついに立っていられなくなり、その場に倒れ込んでしまった。


「もう、終わりね…。」


 私があきらめの言葉をつぶやいた。

 これから永遠にこの苦痛と共に無の世界で一人過ごす…。

 それが復讐の輪廻から自分だけ解放されてのうのうと生きた私に与えられた罰なんだ。


 ―諦めるな。


「フェア…ヴァイレ?」


 するとフェアヴァイレは自身の魔力を高め自らを浮かせる勢いで私を引きずるように運び始めた。


「何…してるの?」


 ―我を決して離すな。


 しかし先ほどの歴史改変で魔力を使い果たしていたのか、ほどなくして動かなくなってしまった。


「もう…いいのよ。」


 ―黙れ。


「もう…いいから。」


 ―黙れと言っている。聖剣お主も手伝え。

 ―わかったわよ。


 すると二振りの剣が私の体を引きずりだした。


「…分かったわ。立つから力を貸して。」


 魔力が送られてくるのを感じ私は立ちあがった。

 そしてよたよたと歩き始めた。


「はぁ…はぁ…。」


 少しずつ消えていく体。

 行く当てもないのにただ歩いていた。

 やがて泉のほとりにさしかかった時、ついに足が消え去り私はバランスを崩して泉に落ちてしまった。


 目を開けるとそこは以前来た剣の泉の中の世界だった。

 私は手をつき立ちあがろうとしたが、力が入らず再び倒れ込んだ。


「短い間に随分と様変わりしましたね。」


 上から声が聞こえるが、顔を動かすこともできないので姿は確認できないが、この世界で言葉を話すのは剣の泉の精霊だけだろう。

 消える前に誰かと少し話せるのは嬉しかった。


「…精霊さま…ね。」

「ええ、そうですよ。」

「精霊様…の言葉、とても…助けにな…りました。あり…がとうご…ざい…ました。」

「いいえ。それを活かしたのは紛れもなくあなたですよ。」

「私消…える…みたいで。あ…のお世話になり…ました。」

「いえ、とんでもないです。武器を通して分かりますよ。歴史改変ができるなんてさすが魔剣、今は聖剣さんでしたか。時空を超えたそんな神の御業に等しいことができるなんてやはり魔獣はオーガ族の末裔なんて言われてるだけありますね。」

「あ、ああ…。」


 どうやら本格的に消える時が来たらしい。

 視界も真っ暗になり、音も遠くなってきた。


(これが私の罰。…けどちょっとこわいなぁ。)


 世界がどんどん遠くなっていった。

 そんな世界が遠くなっていく中で最後に聞こえた声が聞こえた。



 ――――さて、では問いましょう………。

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