第2話 剣と剣と剣
魔獣に吹き飛ばされて泉に落ちた私が目を開くとそこはさきほどまでいた森ではなかった。
そこは夕暮れ時のようなオレンジの空と足元から地平線の彼方まで雲のカーペットが続いているだけの場所だった。
「ここは…。これは……雲?」
私は立ちあがり辺りを見回した。
雲の上は普通の地面と変わらぬ感触をしていた。
若干の霧があるようだったが全く見えないというほどでもなかった。
魔獣の姿は見えない。
ここがどこか分からないが、早く戻ってなんとしてでも魔獣を止めなくては、街が、アンたちが危ない。
私は出口を探そうと歩いた。
しばらく雲海の上を進んでると少し遠くに何者かの影が見えてきた。
私は小走りでその影に近づいた。
近づくにつれその影の全容は明らかになっていった。
影は自分より大きくそして人の形をしていない。
私はまだ手に握っていた剣を構えるとゆっくりと影に近づいた。
そして漂う霧が一瞬晴れた瞬間影の正体を知った。
「魔物!?」
そこにはキノコの姿をした魔物が立っていた。
「え?」
今のはこの魔物の声か?
「今喋った…のですか?」
私は暢気なことに思わず魔物に話しかけていた。
魔物は私の方へと振り返り私の顔をじっと見てきて、私もまた魔物の顔…というよりキノコの魔物の口の上のあたりを見ていた。
「うぇええ!?」
「やっぱり喋ってたあああ!」
お互いほぼ同時に叫んだ。
「一体なぜここに人間が?…いやあなたはまさか。」
理解の追い付かない状況だけど正直今はこの魔物ですら頼みの綱だ。
「あの、あなたがどういった魔物なのかは分かりませんが、元の世界に帰る方法を知りませんか?私急いで元の世界に帰らないといけないんです。」
「ふむ、なるほど色々分かりました。私は剣の泉の精霊、武器を司るものです。あなたのお名前は?」
「…ネーサと名乗っております。」
「名乗っているとは妙な言い回しですね。」
「私記憶を失くしていて、その時お世話になった人に付けてもらった名前で本名ではないんです。…それでその時お世話になった人たちの身に今まさに危険が迫っているんです。ですから何としてでも元の世界に帰らないと。」
「私の力で元の世界に帰すことは可能です。」
「でしたら早くお願いします!」
「落ち着いて、そして安心してください。ここと外の世界では時間の流れる速さが全く異なります。こちらで何年過ごそうと外の世界では一瞬の出来事、あわてる必要はありません。」
時間的余裕はある…ということか?
思わず普通に会話してしまったが、どうやらこの剣の泉の精霊はその普通の会話というものが成立するようだし信じてみるのもありかもしれない。
それにずっと自分を殺そうする相手から逃げてきて身も心も疲れ切っているし休めるならそれに越したことはないか。
「そう、ですか。はぁ…。」
時間に余裕があるのならばと私は剣の泉の精霊と話してみることにした。
まずは私自身のこととしてさきほどまでのことの顛末を話した。
「それは大変でしたねえ。ちょっと待ってくださいね…。どうやらその魔獣はまだ泉の側にいるようですね。剣の気配で分かります。」
「そういえば武器を司るあなたならあの剣のこと何か分かりませんか。あの剣からにじみ出る邪悪さにはただならぬものを感じました。」
「あれは、なんと言ったらいいか、もはや魔剣と言って差支えが無いかもしれませんね。元になる剣自体はどこにでもあるような剣なのですが、魔獣族を護る加護を付与された宝具の羽を剣に取り付け、加えて死んだ魔獣たちの牙や角を無理やり負の感情と共にねじりこませて結果として剣の形が歪むほどのエネルギーを内包した剣となったようです。」
「そんな!…どうしてそんな剣を作ったんでしょうか。」
「それは……わかりませんねぇ。」
その後も私は気になることを訊いた。
ここはどこか、あなたはどういう者か、なぜ私はここに来たのか。
それらすべての質問に剣の泉の精霊は可能な限り答えてくれた。
ここが武器たちしか辿り着かないすべての時空を超越した世界であること、剣の泉の精霊はそこで武器を落とした者に試練と報酬を与えているということ、人間である私がここに来たのは奇跡的に私の魂が剣としての格を得ていたがゆえに泉落ちた時ここに来たということなど、色々教えてくれた。
しかし最後にした質問の答えはやはり気になった。
「私の魂が剣としての格を得た時のことを剣の泉の精霊の力で探って私の記憶を取り戻すことはできませんか?」
「残念ですがそれはできません。武器の生まれた由来を知ることは私にもできるのですが、今回は呪いの力が働いて私の力も弾かれてしまうのです。」
「そうですか。それなら仕方ないですね。はは、記憶が戻ればあの魔獣が襲ってくる理由も分かりそうだったんですけどね。」
道が閉ざされたようだった。
記憶が取り戻せれば魔獣の説得もできるかもしれないと思ったがどうやらそれはかなわないらしい。
たとえ私が元の世界に帰ったとしてもこのままではただ魔獣にやられ、アンたちもきっとそのまま…。
兵士から借りたこの剣、この剣では魔獣に近づくことすらできないだろう。
私はあまりにも無力だ…。
私は大きく息を吐いた。
「さてネーサさん。そろそろ私は私の務めを果たさせていただきますね。」
「務め…試練のことですか?」
武器も落としていない今の私に一体どんな試練を与えるというのだろうと考えていると次に放たれた剣の泉の精霊の言葉にビシっと頭が割れるような頭痛が走りそれどころではなくなってしまった。
「では問いましょう。あなたが落としたのはこの金の騎士ですか?紫の騎士ですか?」
「えっ!?」
剣の泉の精霊がそういうとその脇に金髪の騎士と紫の髪の騎士の後ろ姿が霧の中に浮かんでいた。
(私、この人を…!)
「すみませんね。しかし辛くてもこれが剣の泉の精霊の務めなのです。さあ、お答えを…。」
「頭が…痛い。やめて…ください。だめ、もう頭が割れそうで…。」
「答えれば楽になりますよネーサさん。」
なんだ、何を言っているんだこの剣の泉の精霊とやらは。
落としたも何も私は落ちただけで何も落としてはいない。
それにその二つの後ろ姿、私の過去に関わっているのだろうが頭が割れそうになるばっかりで全く思い出せない。
もう考える余裕は無かった。
「ごめんなさい。私分からないです。金の騎士も紫の騎士も知っているのかもしれませんが思い出せません!うぐ、早くこの頭痛から解放してください。」
「…わかりました。」
剣の泉の精霊がそういうと騎士たちの影は消え去り私の頭痛もかなり和らいだ。
そして私はある可能性へと頭を巡らせた。
「うーむ、正解ではないが正直な答えですねー。記憶喪失の人間にこの問いをするのはいかんせん初めてでどういった武器を与えればよいか悩みますね。」
「はぁ…はぁ…剣の泉の精霊さん。あなた本当は私の過去のこと知ってるのではないですか?」
今の影を見せてきた剣の泉の精霊、因果は想像もつかないがこの者は本当は私の過去を知っているかもしれない。
何か言えない事情があるだけで。
「それは教えることはできません。」
「…理由を教えていただくことはできませんか?」
「申し訳ありませんが…。ですが悲観することは無いと、それだけは言えます。ですからどうか希望だけは捨てないでください。」
「そうですか…。そういえば武器をいただけるのですよね?」
「ええもちろん、あなたは私の問いに正直に答えてくれましたからね。」
「なら、元の世界のあの魔獣を倒せる武器が欲しいです。たとえこのまま戻っても私は結局無力なままですから…。」
「倒せる剣というのは試練に対する報酬としては難しいですが、ある程度渡り合える武器なら用意できますよ。」
「剣の泉の精霊さんはあくまで中立なんですね。では、その武器をいただけますか?そして元の世界に私を…。」
「分かりました。あと私は最も中立から遠い存在ですよ。私には武器たちが最優先で第一に考えるべきことですから。」
剣の泉の精霊が舌で舐めるような動作をすると私の前に光が集まり一振りの剣が目の前に顕れた。
その剣は全体が金色で刃の根元の鍔に近いところで鳥が羽を広げたような装飾が2対施されていた。
そしてその剣を見ているとほんの少しだけ頭痛がした。
「この剣…どこかで…。」
「それは聖剣のレプリカです。形は本物そっくりですが内包する魔力は微々たるものです。しかしその剣でもあなたの剣の腕と合わされば魔獣の魔剣とも渡り合えるかもしれません。」
「覚えている限りでは剣の修練などしたことないんですけどね。」
私は苦笑を交えながらも剣を手に取った。
「ふふ、冗談です。あなたならできます。私には武器のことならなんでもお見通しですからね。」
「ええ、ありがとうございました。あのついでといってはなんですが、この兵士さんから借りた剣は元の場所か遺族の方に返していただくことはできますか?」
「お安い御用です。」
剣の泉の精霊がそういうと魔獣から逃げている途中で拾った剣が光に包まれ消えた。
「よし!私もそろそろ元の世界へ送っていただいてもいいですか?」
「承知しました。ですが最後に一つだけ。」
「?」
「武器の価値は使う者次第で決まります。いかに聖剣として作られたとしても悪人が悪意を持って人を刺せばたちまち人殺しの凶器へとなり果てます。逆もまた然りです。忘れないでください。武器たちにも気持ちはあります。ですがどんなにつらくても悲しくても彼らはいつもあなたたちの傍らにあり続けるだけなんです。剣はただ其処に在るだけなのです。」
「分かりました。心に深く留めておきます。」
「それでは元気で。どうか何があっても諦めないでください。」
剣の泉の精霊がそういうと私の周囲は光包まれて、次に光が消えた時には私は剣の泉のほとりに立っていた。
「そぉんなところにいたのかぁあ!!」
声はすぐ後ろからだ。
私は振り向きざまに目の前にまで迫っていた魔剣をレプリカで受け止めた。
その一撃は腕が痺れるほど重かったが、先の地面をえぐるほどの剣気は私自らの剣気で弾き返せたようだった。
兵士の剣では確実に耐えられなかったであろう一撃。
これを凌げるのであれば勝機も全くゼロではない。
私は剣を弾きざまに間合いを取り、そして剣を構えた。
「いざ尋常に勝負です!」
「なぁんだその剣はぁ?どこで拾ったか知らねえが関係ねえ!殺してやる殺してやるぅ!!」
魔獣は剣を大きく振り上げた。
「遅いです!」
剣の力は不思議なものだ。
兵士の剣はとても重く感じ、体も上手く動かなかったが、このレプリカなら剣自体も軽く感じ、体も軽く思い通りに動いてくれた。
私はがら空きの足元から股下を滑って潜り抜け飛び上がりざまに相手の背中を斬り上げた。
「ぐお!そんな攻撃で私たちの悲しみや苦しみがとめられるかあああ!!」
振り向きざまに横に薙がれる剣。
しかし剣の素人かつ巨体もあいまって全ての動きが鈍重な魔獣の攻撃は避けるには易かった。
私は必要最低限の動き、半歩下がるだけでそれを躱すと一回転して通り抜けるようにがら空きになった左胴と左足首を斬った。
不思議な感覚だ。
記憶にある限りでは剣を振るうことさえ初めてなのにどう動けばいいかどうすればいいか頭が直感で判断し、体が勝手に動いてくれる。
記憶を失う前の私は中々の剣豪だったのかもしれない。
「ぐぉあ!…ああ、違うんだごめんよ!ごめんよおおお!!」
斬られて蹲っていた魔獣を魔剣から溢れた瘴気が包み込んだ。
「あの魔獣またあんな風に…。あなた、その剣を離して!それは魔剣よ!それさえ離せばきっと…!」
「うるさい黙れ黙れえええ!!」
「これは…まずいわ!」
魔獣は正気を失ったのか、辺り一帯を見境なく魔剣の瘴気で破壊し始めた。
私は巻き込まれないようにひたすら避けることに専念した。
「ああ、魔剣よ!呪いの魔剣よ、我が恨み!憎しみ!いくらでも捧げるから!……あいつを殺してくれぇ…うぅ、あいつを、聖騎士を騙る殺戮者を、アナベルを殺してくれ――!!」
頭が割れるようだ…目の奥が痛む。
私は立っていられなくなり、膝をついた。
(聖騎士アナベル…それは、その名は…。)
魔獣が魔剣を天高く掲げ始めた。
すると魔剣から黒い柱のような瘴気が上り、魔獣も瘴気に包まれていった。
「魔獣…のお方。お…しえて…くだ…さい。はぁ…はぁ…私はある代償…の呪いとして…記憶をうし…ない…ました。わたし…はなに…もの?あな…たはなぜ私を?」
「…忘れたのは本当だったのか。」
魔獣を包む柱のような瘴気は収まったが、魔獣が纏っている瘴気が先ほどまでと比べものにならないほどに体の周りを渦巻いていた。
「ゆるさない…許されるものか…。呪いで忘れただと?ほざくな!!俺たちの呪いがそんなちゃちなものに及ばないとでもいうつもりか!お前は、お前だけは今この場で確実に殺す!!」
魔獣が再び斬りかかってきた。
(まずいっ!)
私は痛みに耐えながら辛うじて剣の直撃は躱した。
躱したが…
(この瘴気はさっきまでと違う。)
魔剣に纏わりついていた瘴気が空気のように体を通り抜けていった。
痛みなどはなかったが次の瞬間、知らないイメージがフラッシュバックされた。
「事前調査した魔獣の数に一匹足りませんね。何をやっていたのです?」
(これは私の声か!?なんて冷たい…。)
「は!しかし、調子に乗った新兵が敵をバラバラにしたあげく燃やしてしまい数が分かりにくく…。」
「言い訳は結構です。ちゃんと照合すれば分かることです。とにかく一匹逃げています。迅速かつ確実な始末をしてくださいね。」
「は!」
(もしかしてこれが私の記憶なのか?うっ!またイメージが…。)
「お父さん!あたしね、ちゃんと守り神様にお祈りできたよ。」
「そうかあ、ナベルは偉いねー。」
自分をなーちゃんと呼んだ魔獣の幼子を優しく抱き上げる両腕。
その後のイメージには終始、魔獣の幼子の笑顔と笑い声があるだけだった。
(このイメージはまさかあの魔獣の…。)
「はっ!」
気が付くとまた魔剣が迫ってきていた。
頭痛は少し引いていたが、さっきまでより動きが鈍くなったようだ。
今度は軽く剣で受けながら魔剣をいなした。
しかし瘴気は止められず再び体を通り抜けた。
「言ったはずです。魔獣に少しでも甘い考えを持つ者は敵だと。よって魔獣一匹を逃したままおめおめと帰ってきたあなたは処刑となります。以後の業務は下の者が引き継ぐので安心して見せしめとして死んでください。」
「そ、そんなぁ。どうしても、どうしても見つからなかったんです。どうか!どうかか今一度挽回の機会を!」
「あなたにはすでに一度挽回の機会を与えたはずです。」
「…おのれ、おのれぇ。ただで死んでたまるかああ!」
処刑を宣告された兵士が剣を抜き私に向かってくる。
私は兵士を見据えた後、兵士の腕を取りいつの間にか奪っていた兵士の剣で兵士の心臓を貫いていた。
さっきまで無意識に動いていた体のその訳をありありと見せつけられてしまった。
「部屋が汚れます。剣は処理室で抜いてくださいね。」
他の兵士に死体の処理を任せ、私は普段のように机につき雑務をこなし始めた。
(そんな私はこんなことを…。それに私、今のイメージのどこでも気持ちが、感情が動いてないっ…!)
もう何も見たくなかったがまたイメージは流れ込んできた。
「お前には幼い子がいるのにすまんな。」
(魔獣の老人と話しているのか。)
「気にしないでください。戦争とはそういうものです。まあ、私が配置されるのがここから最も遠い最前線になったのは不安がありますが…。」
「言ったって、お前がこの集落で一番つえーから仕方ないっしょ。」
「そういうお前も最前線だけどな。」
「あーそれ言わないで。おれさ、お前と違って家庭とかなくてフットワーク軽そうだから呼ばれたんだと思うんよ。腕っぷし大して強くないのに最前線に送られるおれの気持ちかんがえてみーよ。」
「わかったわかった。すまなかったって。」
その時テントの暖簾が勢いよく開け放たれた。
「お父さんおそい!もうやくそくの時間だよ!一緒に花壇つくるんでしょ!」
「ナベルぅきちゃったのかぁ。」
でれでれしてるのが丸わかりな声で優しく幼子を抱き上げる
「長様、ごめんなさい。まだ話の途中だったかしら?」
「いや丁度終わったところじゃよ。」
「そうでしたか。」
暖簾から顔を覗かせている魔獣の女性を見る。
「ナベル。勝手にテントに入っちゃダメって言ったでしょ。あなたもナベルをあんまり甘やかさないでくださいね。」
「ああ、わかってるよ。」
「今日はやくそくの時間守らなかったお父さんが悪いんだもん。あたし悪くないもん!ぷー。」
ナベルのふくれっつらを見る
「そうだねえ今日はお父さんがわるかったからナベルはわるくないもんねー。」
「「ねー。」」
「…あなた。」
「あ、はいすみません。」
「そうだお父さんこれ見て。小さくて白い花ぁ、きれいでしょ?なんかこれが固まってまぁるくなってるの。」
「ああ、きれいだ。ふふ、その花はね、ナベルが生まれた日にキレイに咲いていたんだよ?」
「へぇそうなんだー。じゃああたしこれ育てる!」
「ああ、ナベルが育てればきっと綺麗に咲いてくれるよ。」
「うん!」
(あの魔獣の感情が…気持ちが……。こんなに幸せな…)
「許さない!返せ返せええ!!絶対に呪い殺してやるうう!!」
再びイメージから戻ると私の体は魔獣の斬撃を条件反射だけで避けていた。
景色が滲む。
私はどうやら泣いていたらしい。
頭痛はほとんど無くなっていた。
(私はあの魔獣の刃を受けるべきではないだろうか…。)
ナベルのあの笑顔が目に焼き付いていた。
しかしその時アンの顔がよぎった。
(だめ!私が倒れたらアンが…!)
しかし私は戦いへの集中力が完全に切れていた。
迫ってくる魔剣がどんどん加速しているのに気が付かなかった。
「しまっ!?」
深く切り込んできた魔剣を私はなんとか剣で受け直撃は避けたが剣は弾き飛ばされ、私も体を大きく後ろに飛ばされた。
そして飛ばされているその空中で今度は滝のように大量のイメージが流れ込んできた。
「そうね。だったらその突然現れたという一個師団に魔獣殲滅をさせてみてください。それができれば頼もしい仲間ですし、できなければ処刑してください。」
「…は!」
「いきなり現れた一個師団ですか…。さすがに怪しさはぬぐい切れないですね…。やはり私直々にも確認してみますか。」
私は剣を取った。
「少し出ます。出立の準備を。」
「は!」
(やめて。おねがいもうやめて…。)
今、目の前にあるのは変えようのない過去の事実なのは分かっている。
分かっているけど、気持ちが全く受け入れてはくれなかった。
「明日からお父さんはしばらく遠くでお仕事だからね。なーちゃんは我慢してね。」
「うぅぅ、あたしお父さんと離れたくない!」
「いいかナベル。お父さんは遠くでみんなをいじめる奴を退治してくるんだ。かっこいいヒーローになるんだぞ。お父さんがヒーローっていうのいいだろ?」
「…うん。でもお父さん早くかえってきてね。」
「分かってるさ。それとお父さんが居ない時に悪い奴来た時のことちゃんと覚えてるか?」
「うん!『悪い奴がいなくなるまで大きな火の中に隠れる』だよね!あたし忘れないよ。」
「そうだ!えらいぞ~。」
立ちあがり妻を見る。
妻の目が涙ぐんでいる。
「すまないな。少し行ってくるよ。」
「ええ。必ず、必ず帰ってきて。」
妻と抱き合いそしてキスをする。
「あー。お父さんとお母さんらぶらぶでずるい~。あたしも~。」
ぴょんぴょん跳ねる我が子を抱き上げる
(ああ、そう。そうなのね…)
錬仗兵器による爆発音が聞こえる。
「どうやら片付いたとみてよさそうでしょうか。」
私は一人突然現れた一個師団が魔獣殲滅作戦を遂行している魔獣の集落への道にいる。
ここは非戦闘員の魔獣がいるため攻め入ることは条約上できないことになっているが、いつでも魔獣形態になれる魔獣に非戦闘員など居ようはずもない。
しかし女子供の多い集落なのは事実なのでいきなり現れた謎の一個師団の魔獣殲滅への精神を試すには丁度いいと思い滅ぼすことにしたのだった。
件の魔獣の集落に着く。
しかしそこにあったのは幻滅するような風景だった。
兵士たちは命令を遵守したつもりなのだろうが、全くダメだできていない。
「あなた達…いったい何をしているのです?」
「ハッ!この声は騎士団長アナベル様!」
「指令を遵守していればとうに事はすんいるはず。」
「それが……先日入隊した例の一個師団が手こずり……。」
「私は何をしているのか……と聞いたのです。言い訳を聞きたいのではありません。」
「は、はい…。」
「なぜあなた達は非戦闘員の魔獣たちを……。」
私は大きく燃え上がる火へと近づいていく。
(ああ、お願い!やめて、もうやめて…)
私は腕の一振りで火を消す。
そこには母親と思われる魔獣とその子と思われる魔獣が潜んでいた。
(だめ!分かったから!もう全部思い出したから、私が…私が斬られるからもうやめてーー!)
「まだ生きながらえさせているのですか?」
「ひっ…!?ど、どうしてここが…!?」
「ああっ…お母さん…!」
「ふふ…その身を灼く熱と息苦しさに耐え抜けば隠れおおせると考えたのですね。確かに人間にとっては炎の陰に忍ぶなど思考の死角…。しかし火のエレメンタルの力で熱に強い魔獣が存在することは先刻承知です。さて…その機転に免じて私が剣を抜くとしましょうか。」
「お、お願いします。私はどうなってもかまいません!ですからどうか…どうか娘の命だけは…!」
「…。…安心なさい。悪いようにはしないわ。」
「ああ…ありがとうございます…。」
「あなたは逃げなさい…。強く生きるのよ…。」
「いや…お母さん…!そんなこと言わないでよ…!」
私は我が子を見つめる母魔獣を斬る。
「おかあさあぁぁんっ!うっ…うぅ…!」
「お母さんと別れて悲しいのね。でも安心するといいわ…すぐにあなたも彼女の所へ行けるのだから。」
「えっ…?」
(私は…私は…)
「はぁ…はぁ…くっそぅ、なんなんだよなぁあの錬仗兵器ってやつは。」
「全くだな…。あの兵器のおかげで敵軍は新兵どもも一線級の働きをしやがる。」
「言ったって、所詮新兵だけどな。とっ捕まえたらべらべら色々喋ってくれたぜ。…お前よ、急いで集落に帰んな。」
「なんだ!何かあったのか!」
「なんでも兵の精神を試すためにあえて非戦闘員の多い集落を襲撃させるんだとよ。まったく正気じゃねえよな。」
「そんな…まさか…第一あそこは条約上は攻撃されることはないはず…!」
「分かってんだろ?アナベルだよ。あいつが仕掛けやがったんだ。」
「そんな…今すぐにでも帰りたい。帰りたいがそんなことをしてはこの前線は…!」
「…もう気にすることはねえよ。生き残ってるのは俺とお前だけだ…。だからよここは捨ててお前だけでも帰りなって。」
「何を言ってるんだ!撤退するなら二人で撤退すればいいだろ!お前も…一緒に…。」
「へへ今隠れてる壕から出て数百数千の錬仗兵器と兵士を振り切って集落に帰るってか?夢見てんなよ…。」
「なら投降しよう。それなら…。」
「あほだなぁお前は。投降なんかして捕まったら絶対集落に帰れないだろうが。それによ、投降を受け入れて捕虜にした兵士長が処刑されたって話も聞いたぜ。魔獣を殺さなかった罪で処刑になったんだとよ。だから投降の選択肢はねーのよ。」
「俺は…お前に…。」
「泣くなって。お前ってつえーくせに結構泣き虫だよな。まあダメ押しじゃねえがよ、アナベルって殺戮者は叩く魔獣の数を正確に数えとくんだとよ。そして数が合うまで徹底的に探して殺すそうだ。」
「…それじゃ例え逃げ切ったとしても追われつづけるのか。」
「ちょっと痛てーが我慢しろよ?」
魔獣の男は素早く鉈を振り下ろすと視界の左上から血が滲む角を持ってきた。
このイメージの主の角のようだった。
「いってぇ!いきなにしやが…。」
魔獣の男はこれまた素早く傷薬を角の断面に塗った。
「代わりじゃねえがこれやるよ。」
魔獣の男は自分の角の欠片を渡してきた。
「おい…お前まさか…。」
「さっき捕まえた新兵がいるって言ったろ?そいつが錬仗兵器で仲間たちを片っ端から殺してな、死体になっても撃ち続けて…分かるだろ?これそいつが持ってた爆発する小型錬仗兵器な。」
「やめろよ…そんな風に生きて帰れてもおれは…。」
「もうそれしか手がねえんだよ!勝つこともできねえ、投降することもできねえ、逃げ帰ってもどこまでも追ってくるってなったら、もう全滅に見せかけて敵をだますしかねえ…そうだろ?」
「…俺お前と出会えてよかったよ。」
「男に言われても気色わりぃな…。ま、俺もだよ。…あの小山の向こうに仲間の死体と新兵を括り付けてある。そこから爆発音がしたら逆方向へ走るんだぜ、いいな?」
「…ああ。」
「泣いて道間違えるんじゃねぇぞ!…それじゃ、あばよ!」
魔獣の男は走り出した。
しばらくして敵兵の声と錬仗兵器の機械音、そして爆発音が聞こえた。
(お願いもうやめて。これ以上見せられたら私は、もう壊れて…。)
「はぁ…はぁ…チクショウ。こんなところで倒れるわけには…。」
魔獣は疲れ果てていた。
当然だ。
4日以上かけて進軍してきた道を20時間ほどで8割以上戻ってきたのだ。
道中敵兵に見つかることは無かったが、何体かの錬仗兵器と戦い体も怪我だらけになっていた。
水もとうに底をつき、食べ物も一切食べておらず、睡眠もとっていなかった。
しかしそんなことをしている暇も探している暇もない。
集落までの距離とユニガンから集落までの距離では圧倒的にユニガンからの方が近い。
食べ物を探してる間にアナベルどもが集落に着いてしまう可能性を考えたら一刻の猶予も許されない状況だった。
「……ぁあ、こ、えが…。」
何気なく『ここまでくれば…』と呟こうとしたが、声が全く出なくなっていた。
出血してる上に、水も飲んでいない、おまけにずっと全力疾走で呼吸も荒くなっていたために喉が完全に機能しなくなっていた。
それでも魔獣は走った。
集落はもうすぐだ。
…
煙が視界に入った。
集落の方からだ。
「…ぁる。ぁえぅ。」
小さなかすれ声を振り絞って娘の名前を呼んだ。
あと少し。あと少しだ
「っ!?」
突然足に痛みが走り倒れてしまった。
痛みの正体は錬仗兵器に足を撃たれたことによるものだったらしい。
足を撃ってきたのはいつもなら片手間に倒せる程度の弱いタイプの錬仗兵器だった。
魔獣は小型の斧を取り出すと錬仗兵器に投げつけた。
斧は錬仗兵器の中心にささり、錬仗兵器はほどなくして止まった。
魔獣はもう走れなかった。
意識は朦朧とし、口に入った泥や草を吐き出す力さえ残っていなかった。
しかしそれでもなんとか這いつくばって集落を、家族のいるところを魔獣は目指した。
そしてとうとう魔獣は集落裏手の藪に辿り着き、そこで…
妻が殺され、娘が殺される瞬間を目の当たりにしたのだった。
その後の男のイメージは断片的だった。
信仰していた守り神の翼を引きちぎる場面、牙、角、爪を剣に呪いと共にねじ込み呪いの魔剣を作り上げる場面。
全ての場面において魔獣は泣いていた。
途方もない悲しみや苦しみや怒りや憎しみで心は完全に壊れていた。
(あああ、私はそんななんてことを、私は私は…。)
気が付くとそこは剣の泉のほとりだった。
どうやら吹き飛ばされて丁度ここに落ちたらしい。
目からは涙が止まらなかった。
「…私は生きていてはいけない、私は生きていてはいけない。」
もう、斬られよう。
それで全て解決するんだ。
「ああ、苦しい!許せない!憎い!殺してやる、絶対に殺して…ああ、あ、ああ待っていてねナベルもうすぐ、もうすぐだから…う、うぅ、うわあああ。」
(そうか彼の異常に見えた言動は魔剣のせいかと思っていたけど違ったのね。彼はいたって普通に心が壊れていただけだったのね。)
魔獣がすぐそこまで近づいてきていた。
角は片方無かった。
私はただ棒立ちで魔獣が来るのを待った。
(これで全てが終わる。)
「俺の見た地獄を、お前も見たようだなぁ…へへへ。もう分かってるよなぁ!死ねええ!聖騎士アナベルっ!」
魔獣は大きく剣を振り上げた。
そして勢いよく振り下ろされた。
私は
私はそれを避けていた。
目に焼き付いたナベルの笑顔にアンの笑顔がちらついたのだ。
この魔獣に私が殺されたらアンたちが危ないのだ。
それに私は全てを思い出した。
そう、私の名前はディアドラだ。
あの後私は永遠に繰り返す因果の起点としての使命を果たし、復讐の輪廻から解放されたんだ。
私にはたくさんの大切なものがあったんだということを。
頭痛は完全に無くなっていた。
「魔獣よ、感謝します。どうやらあなたの魔剣の呪いが強すぎて私にかかっていた呪いを無理やり剥がしてしまったようです。おかげで全てを思い出すことができました!」
「黙れえええ!俺は、あの子を守れなかった…。お前はあの子を殺したんだ!憎い憎い憎い憎い!ああ、悲しい、つらいよお…。」
私は剣の泉の精霊の言葉を思い返していた。
(武器は使う人によって価値が決まる。)
私は聖剣のレプリカを見た。
(取りに行くには遠すぎるか。)
そんな悠長なことを考えている間にも魔獣が斬りかかってきた。
「呪いだ、呪い殺してやる!」
魔獣は次々と斬撃を仕掛けてきた。
私は記憶を取り戻したものの戦闘状況としては一向に好転しておらず、むしろじりじりと追い詰められていた。
(このままじゃもたない。魔獣を止められる可能性はあるんだ、だけどこのままじゃそこまでたどり着けない。今はなんでもいいからあの魔剣を止める力が欲しい…!)
魔獣の重い一撃が振り下ろされた。
私はなんとかギリギリでかわしたが風圧で倒れてしまった。
この姿勢からでは次の攻撃は避けられない。
(そんな…ここまでなの?)
私が立ちあがろうと手をついたその時信じられないようなものを目にした。
魔獣にはもはや全てがどうでもよくなっていた。ただこの終わりなき呪うことの苦しみから解放されたかった。
途方もない量の負の感情の奔流に魔獣は心も体も振り回され続け疲れ果てていた。
今、目の前に這いつくばる人間の女を斬ればきっとこの苦しみから解放される。
そう信じて魔獣は最後の一撃を振るった。
「終わりだ…。」
ザブンっ
水の音の直後にガキーンと金属同士のぶつかり合う音が響いた。
魔獣が驚いて女の手元に目をやるとそこには紫色をした歪な形の剣が握られていた。
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