一章 2

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 黒板には箇条書きで、「カラオケ大会」「芋煮会(河原)」「焼き肉(校庭)」「スポーツ大会」「肝試し(山)」の項目が並んでいた。各項目の下には得票数である「正」の字が書かれている。

 開票し終え、最後の一画を書き入れて、教壇のクラス委員―――月子は高らかに宣言した。

「では多数決により、クラス親睦会は裏山で肝試しに決定しまーす」

 教室中から歓声と不満げな声が入り混じって上がる。壱矢が机に突っ伏すようにしてぼやく。

「肝試しで親睦が深まるかな? 譲、そういうの得意?」

「いや、苦手。鷹谷は?」

「俺も苦手」

 いつの間にか譲と壱矢が距離を縮めており、それに伴って雪も譲と話すようになった。席が近いこともあって、移動教室や休み時間などは三人でいることが多い。

 初日に話したことは、あれ以来互いに触れていない。家に帰ってから雪は、対応を間違えたと一頻ひとしきり後悔した。嘘をついたことを謝って、ちゃんと話をしようと思ったのだが、譲が何も言わないので切り出しあぐねている。

 窓際に据えられたパイプ椅子に腰掛けていた担任の織田おだが、二人のクラス委員と入れ替わりに教壇に立つ。

「はい、クラス委員はお疲れ様。じゃあそういうことで、親睦会の詳細は明日にでもプリントを配ります。丁度いい時間ですね、これで六時間目を終わります」

「起立、注目。礼」

 日直から号令がかかり、織田は教室を出て行った。にわかに騒がしくなった中、机に突っ伏したままの壱矢が珍しく重いため息をついた。

「肝試しにはあんまいい思い出がないんだよね」

 首をかしげた譲が問う。

「たとえば?」

「昔、子供会の夏休みの行事で肝試しがあったんだけど。釣り竿でぶら下げられた張りぼての生首に頭突きを喰らったり、お化け役の子にトマトジュースを吹きかけられたり」

 壱矢の話を聞き、覚えがない雪は眉を寄せた。

「そんなことあったっけ」

「あったよ。覚えてないの? せっちゃんは生首避けてたじゃない。それでおれに当たったんだよ」

「そうだっけ?」

 雪と壱矢は地区が同じなので、子供会などの行事には殆ど一緒に参加しているはずなのだが、壱矢が言うような悲惨な記憶はない。単に忘れているだけかもしれないが。

 譲が不思議そうな顔をしているのに気付き、雪は短く説明した。

「俺と壱矢は幼馴染みなんだ」

 頷きながら壱矢が補足する。

「幼稚園から、小、中、高、と一緒。しかも、クラスまでずーっと同じ」

「物凄い確率だな」

「でしょ? ここまでくると、縁も腐れ果てて骨が見えるよね」

 目を丸くする譲へやれやれと言いたげにかぶりを振り、壱矢は続ける。

「子供会の肝試しなんて可愛い方でさ、遊園地で入ったホラーハウスでは、お化けにびびった人に思いっきり体当たりされて転んだし、別のお化け屋敷では最後尾になっちゃって受付のおねえさんに脅されるし。『背後にも気を付けてくださいね……』って、お化け屋敷でそれ言っちゃ駄目でしょ」

 ぼやく壱矢に譲は半ば呆れたように言う。

「いや、入るのやめろよ」

「だから、嫌なんだってば。全部自分で進んで行ったわけじゃないし。みんな、なんでわざわざ恐がりに行くの? 何が楽しいの?」

 壱矢の疑問には雪も深く同意する。

「だよな。肝試しするくらいなら、焼き肉か芋煮の方がよっぽど生産的だ。食費も浮くし」

「そこ? つか、芋煮会ってなんだ?」

『えっ』

 雪と壱矢の声がそろった。譲が思わずといったふうに二人を交互に見る。

「え?」

「嘘でしょ!? もしかして佐瀬、芋煮知らないの?」

 横から入った声に、雪は肩越しに振り返った。いつの間にか彩葉と月子が雪の席の近くに立っている。

「なんだよ藤野。日村も」

「それはちょっと待って。佐瀬、どうなの」

 月子に気圧けおされるように、やや仰け反りながら譲は答える。

「芋の煮たやつなら……」

「違うわよ。何、本当に知らないわけ?」

 雪は月子の勢いに苦笑いしつつ口を挟んだ。

「実は芋煮は全国区じゃないんだって」

「そうなの!?」

「えー、嘘、知らなかった」

 声を上げる月子と悲しげに言う彩葉を見て、譲は訝しげに繰り返して問う。

「芋煮、芋煮……ああ、あれか、山形の。前にテレビで見た気がする。でっかいショベルカーで作ってるの」

「違うわよ! あれは牛肉の醤油味でしょうが! 宮城のは豚肉の味噌味なのよ!」

「……それ豚汁じゃね?」

「南東北ではね、秋に河原で汁物を作るんだよ」

 見かねた様子で壱矢が口を挟む。

「各地で味が違ったり、具材が違ったりするけどね。宮城では豚汁」

 端的に説明した壱矢へ、譲は味付けを間違えた料理を食べたような顔を向けた。

「どっから突っ込めばいい?」

「いや、ボケてないから」

「河原で豚汁って、校庭で焼き肉より謎だろ。第一、芋煮なら芋を煮ろよ」

「里芋入ってるよ。このへんじゃシーズンになると、広瀬川で毎日のように芋煮会やってる。週末なんか凄く混むよ。近くのコンビニが薪とか炭とか売り出すしね」

「んな、コンビニで薪って」

「大きい鍋を貸し出すスーパーもあるよ。材料はうちで買ってね、って。商売上手だよね」

「……え? マジで?」

 笑い飛ばそうとした譲が真顔になったところで、妙に感心した様子で彩葉がしみじみと呟いた。

「佐瀬くん、本当に知らないんだねえ」

「小さい頃から当たり前に行事としてあったから、疑問に思ったことなんてなかったわ……」

 呆然と言う月子に壱矢も頷く。

「確かに、なんで河原で豚汁なんだろうね」

 このままでは芋煮の話が延々続きそうなので、雪は纏めにかかった。

「まあ、夏の海辺でバーベキュー、みたいなノリだと思えばいい」

 今ひとつ腑に落ちていない表情の譲が眉を寄せる。

「夏は海辺でバーベキュー、秋は河原で芋煮会?」

「そんな感じ」

「謎の風習だな」

「……県外出身に言われると複雑になるな」

 話を遮るように月子が片手を閃かせた。

「わたしは芋煮について語りに来たんじゃないのよ」

「藤野がこだわったんだろ」

 雪の呟きを黙殺し、月子は一同を見回した。

「あんたたちもお化けやらない?」

 言い回しが引っかかり、雪は問い返す。

「あんたたち?」

「彩葉もやるの」

「うわ。よくもまあ好きこのんでそんな苦行を」

 雪の言葉を聞き、彩葉はきょとんと目を瞬いた。

「苦行? どこが?」

「参加者が通るまで暗がりに潜んで待機、頃合いを見て飛び出す、なんて、苦行以外の何物でもないだろ」

「えー、楽しそうじゃない、お化け。うんと怖がらせるからね」

 言いながら彩葉は両手で拳を握ってみせるが、小柄で、中学生だと言っても通用しそうな彩葉の恐ろしげな様子が想像できず、雪は小さく笑った。それは譲も同じだったようで、笑みを含んだ声で言う。

「日村のお化けは怖くなさそうだな」

「あ、佐瀬くん酷ーい。そんなこと言うなら、泣くまで怖がらせてやる」

 頬を膨らませる彩葉はさておき、雪は月子に向き直る。

「とにかく、俺はお化け役はパス」

「あ、俺も」

「おれも」

 口をそろえる男三人に、月子は不満げに唇を尖らせた。

「何よ、つまんないわね。じゃなくて、苦労してるクラス委員に協力しなさいよ」

 結局面白がりたいだけではないかと、雪は半眼で月子を見た。

「本音が出てんぞ」

 壱矢が月子を見上げて首をかしげる。

「月ちゃんはお化けやらないの?」

「あたしはクラス委員だもの。当日は仕切りとか色々あるの」

「大変だね」

「まあね。だから手伝いなさい」

「それは勘弁」

 壱矢に笑顔で断られ、月子は雪に顔を向けた。

「鷹谷はやるわよね」

「なんでだ。たった今パスっつっただろ」

「仕方ないわね。佐瀬だけでもいいわ」

 月子に水を向けられた譲は、慌てた様子で片手を振った。

「いや、俺もやらないぞ。参加するのも考え中だってのに」

「なんですって? 佐瀬、あんたまさか怖いなんて言わないでしょうね」

「そんなんじゃないって。わざわざ暗くなってから集まって裏山に登るのが面倒なだけで」

 譲が首を竦めると、月子は不満げに唇を尖らせた。

「何言ってんのよ、部活……は、やってないんだっけ。図書室あたりで適当に時間潰せばいいでしょ。―――あ、もしかして佐瀬って所謂『見える人』? 変なの見ちゃうから嫌なんだ?」

「そんなわけないだろ。幽霊なんていないっての」

 即答する譲を少々意外に思いながら、雪は月子へ揶揄混じりで尋ねた。

「藤野はお化け信じてんのか」

「そういうわけじゃないけど、怪談なんかしてると本物が出るって言うじゃない」

「本物が出ても、お化け役と区別つかなかったりしてな。つか、人数集めんのもクラス委員の仕事なのか。大変だな」

「そうなの、大変なのよ。だから協力するわよね?」

「それとこれとは別問題」

 雪がかぶりを振ったところで、時計を見上げた彩葉が月子の袖を引いた。

「月ちゃん、そろそろ行かないと。今日は合奏だよ」

「あ、そうね。あんたたち、参加はしなさいよ。出なかったら、三人とも今年一年ヘタレって呼んでやるから」

 言い捨て、月子は彩葉と連れだって部活へ行ってしまった。二人とも管弦楽部―――通称、オケ部に所属しているので、行き先は音楽室だろう。

 気がつけば、教室の中は閑散としている。雪は帰り支度を始めながら呟いた。

「理不尽な……」

 同じく、鞄を机の上にあげて壱矢が笑い混じりに言う。

「ヘタレって呼ばれるのはせっちゃんだけだよね?」

「なんでだよ。三人ともっつってただろ」

「全員ヘタレじゃ誰が誰だかわかんなくなるじゃん」

「んなもんヘタレA、B、Cでいいだろ」

「そんな、同種の魔物みたいな。せめてヘタレS、I、Yじゃない?」

「イニシャルはやめろ。つか、なんで壱矢は呼ばれるのを受け入れてんだ」

「だって、月ちゃんは言い出したら聞かないもん。肝試し出なかったら、本当に一年ヘタレって呼ばれるよ。面倒なのは一日だけだけど、ヘタレ呼ばわりは一年だと考えれば、出た方がましかも」

 言うだけ言い、手早く荷物を纏めた壱矢は自分も部活だと教室を出て行った。それを見送りつつ雪は立ち上がる。

「俺は帰るけど、佐瀬はどうする?」

「俺も帰る。帰って寝る……ふぁう」

 眠そうに欠伸を噛み殺すのを失敗している譲に、雪は首を傾げた。

「なんだよ。五月病か? まだ四月だけど」

「違うって。引っ越してから夢見が悪くて、ちょっと寝不足なだけ」

「ふうん? 環境の変化ってやつかな。案外繊細なんだな」

「そうそう、デリケートなの」

 軽口を叩く譲が大きく伸びをしたところで、教室の入り口から女子生徒の声がかかった。

「あ、いたいた。佐瀬くん、織田先生が呼んでるよ。職員室」

「先生が? わかった。ありがと」

 譲が返すと、女子生徒は頷いて廊下を戻っていった。

「担任に呼び出されるなんて、何やったんだよ」

「何もやってねえよ。一昨日、部活の話されたから、それじゃね」

「ふうん? 東京でも何かやってたのか?」

「向こうではフェンシング」

「あー、織田センってフェンシング部顧問だったっけか。せっかくだから続ければいいのに。うちの学校、結構強いぞ」

「まだ考え中。それじゃな」

 鞄を片手に、譲は慌ただしく教室を出て行った。雪も席を立つ。

(よりによって、肝試しとは……)

 会場となる裏山には、心霊スポットになるような伝説は何もなかったはずだが、譲を闇夜の篝火だと言った玉藍の言葉が雪の中でずっと尾を引いている。

 月子が言ったように、怪談をしているとが寄ってくるというのは、迷信ではない。ただでさえ、学校という場所は有象無象が集まりやすい場所だ。正確には裏山は校内ではなく隣接している場所だが、そのことは、有象無象が光を目指してやってくるのを妨げはしないだろう。

(何も起きなきゃいいけど)

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