終章 空(2)
崩れた壁から上階に入っていき、ラズは魔物を倒しながら進んでいった。
塔の上階の研究室は、普段は重厚な扉で閉ざされているようだが、いまは魔物が暴れたせいでひしゃげて外れてしまっていた。
研究室前の廊下に立っていた大きな魔物を倒し、ラズは闇を回収するために後ろで手をかざしていたリトのほうを見た。この辺りに漂う黒い霧は多少薄れはしたものの、発生源から闇を回収して大元を絶った状態とは程遠かった。
「こいつが発生源ってわけじゃなさそうだな」
「むしろこの中から、濃い闇が溢れてきているような……」
「よし、じゃあ入るぞ。気を付けてついて来てくれ」
力任せに扉を外して研究室の中に入って行くと、一際濃い闇が渦巻く部屋の奥に、蹲っている魔物がいた。
黒く染まっているが、よくよく見ると小さな人体を組み合わせたような奇怪な姿をしていた。目だと思ったのは子供の顔。腕や足は子供の胴体。その身体も、普通の子供よりも痩せ細っている。
既に分解できないくらいに捻じれて融合して魔物の一部と化しているのに、一つ一つが別個の存在であることを主張するかのように、蠢いて声を上げていた。
「痛いよう、苦しいよう」
「薬を飲んであの子は死んじゃった。どうして? 人を助けるための薬じゃなかったの? ……わたしも死ぬの?」
「実験から逃げたかった、この塔から逃げたかっただけなのに」
「切り刻まれるのも血を抜かれるのも、もう嫌だったから……」
「魔力がないと、魔術師の一族の失敗作――だから父さんはあたしを売った……」
「このままじゃ、ぼくはぼくでなくなる……」
「いつか家族のところに帰りたかったのに――」
魔物は侵入者を排除しようと攻撃して来ることはなく、嘆きの声を上げて、闇を撒き散らしていた。
「た、助けが来たのか……?」
研究室の机の下に隠れるように座り込んでいた魔術師の青年が、声をかけてきた。
「生きているようだな。お前がザムエルか?」
「そうだが……」
「お前は闇の影響は受けてねえようだな。助けてやってもいいが、質問に答えろ。子供を使って人体実験をしていたってのは本当なのか?」
「あ、ああ! 私は不死の秘薬を作る研究をしていた。高い回復力を持つ薬はできた。あと少しだったはずなんだ!」
「……魔物になった子供はどこの子だ」
「貧しい家の子供や親に捨てられた子だ。親にすら見捨てられた魔力なしの子供を有効活用してやったんだ! この塔の魔術師ならみなやっていることだ。私だけでは――」
ラズが壁を殴りつけると、壁にひびが入った。魔術師がひっ、と声を上げた。
「不死なんて、呪いと同じだ。他人を犠牲にしてまで目指すものじゃねえよ」
その後、ラズが魔物を倒して闇を回収したが、魔物となった者はもとには戻れない。後には人体が組み合わさった魔物の死骸が残った。
非人道的な実験を繰り返された子供たちの嘆きが闇を呼び寄せ、子供に取り憑いて魔物と化し、塔を闇で染めた。闇は祓ったが、やりきれなさが残る事件だった。
「――もっとも、闇が蔓延する事態ですっきり終わることなんて滅多にねえけどな」
魔術師協会の長に事情を説明して、街の宿に移動しながら、ラズはそう言った。
「うん……」
「だから気にすんな、リト」
「わかってる」
オレンジ色の夕日が尖った屋根の建物が並び立つ通りを照らし出す中、二人の影が石畳に長く伸びている。黒猫が近づいてきて、ラズの足元にまとわりついた。ラズは屈み込み、猫の頭を撫でた。
塔の近くや中心街には多くの人がいたが、この辺りにひと気はなかった。たまたま人が途絶えた通りの一角に、穏やかな時間が流れていた。
猫が他に興味を引くものを見つけたのか、ラズの傍から駆けていった。それを見送り、ラズは立ち上がる。
「なあ、リト」
「なに?」
「俺はセツナがリトの転生だとわかっていても――あいつをお前と同じ存在とは思えなかった」
夕日と馴染みの薄い風景が感傷を呼んだのだろうか。これまでリトにもセツナにも言わなかったことを、吐き出していた。
リトは夕日を背中から受けながら、頷いた。
「そうだね。姿だけじゃなく、生まれも育ちも考え方も違うんだから」
「……お前もそう思うか」
「魂や本質が同じでも、育った環境や生い立ちが違えば別の性格になるんじゃないかな。ラズだって身内が罪を犯さなかったら、国を出て旅をすることもなく人助けに奔走することもなく、故郷でのんびり暮らしたかもしれない」
魔王を倒して勇者になることもなく、この時代まで生きていることもなく、普通の人生をまっとうしていたとしたら。そんな仮定の話を何度考えたかわからない。
だけどあの国で平凡な生活を続けていたら、リトには逢えなかった。
「人助けか……最初はそのつもりだったんだけどな」
「どうにもできない状態を悔やんでも仕方ないよ。今回は魔術国家を救ったし、三百年前は世界を救ったんだから」
今回の事態の発端となった魔術師も、多くの人間を救うために秘薬を作ろうとして、人体実験をしていた。犠牲になった者の怨嗟の声は、先程聞いたばかりだ。
声なき者の声は、本来なら誰にも届かない。死者の声も、消えてしまった者の声も。
「俺はセツナに酷いことをした。どうしたらいいんだろうな」
しばしの間の後、返事があった。
「……さあ。僕はセツナじゃないから」
「そっか。そうだよな……悪い」
苦笑いしてから、ラズは話に区切りをつけるように歩き出した。その後を、リトが追いかけた。
森の中を移動しているときに、巨大な魔物と遭遇した。
竜から降りたラズが魔物の相手をしている最中、魔物の攻撃の衝撃でリトは吹き飛ばされた。魔物を倒したラズは、リトに駆け寄って助け起こした。
「リト、大丈夫か?」
衝撃を殺すために咄嗟に闇で壁を作ったのか、周囲に闇をまとわりつかせながらリトは身体を起こした。
「ああ。怪我はないよ」
リトの胸元からなにかが滑り落ちた。防御魔術のかけられた首飾りの紐が切れて、地面に落ちたのだった。
ラズは透明な丸い水晶がついた首飾りを拾い上げた。
「次の街で直してもらうか」
「そうだね」
リトは受け取って鞄のポケットに入れた。
「それ、ラズが買ってあげたのかな」
「選んだのはセツナだったな」
小さな水晶と革紐で構成された首飾りだ。防御魔術がかけられている装飾品の中で、装飾性が低い部類の一品。
簡素な意匠だがこうしたものを身に着ける習慣がなかったからか、セツナは買った当初は首にかける際に居心地が悪そうにしていた。
その様子が薄れたのはいつからだろう。旅を進めるうちに首飾りをつけるのにも慣れた様子で、城下町で揃えた旅装束とともにセツナに馴染んでいった。
水晶には問題はなさそうで、紐くらい簡単に直せるはずだ。だが、魔王城跡地に辿りつくまでの旅の間ずっとつけていた首飾りが壊れたことが、セツナの意識が消えたことと関連しているかのように思えてしまった。
街につき、首飾りの修繕を依頼しようと店に向かいかけたラズに、リトが声をかけた。
「ねえ。その首飾り、なくても問題ないって言ったらどうする?」
「え? あー……確かにお前、あれ以来闇を操って攻撃も防御もできるもんな」
この世界にも旅にも慣れていない少年を案じて用意した装備は、もう必要ないものなのかもしれない。防御魔術がかけられた丈の短いマントなら、防寒の役には立つ。しかし壊れた首飾りは、わざわざ直すまでもないのだろうか。
「そうだな、いらないなら俺がもらうか」
手を差し出すと、リトはその手をまじまじと見つめてから首を振った。
「いや、最初にラズが言ったように直してもらおう。――セツナにとっては大切なものだろうから」
そう言われ、ラズの胸がずきりと痛んだ。
セツナに対する罪悪感が渦を巻いている。
それと同時に、なぜ、という疑問があふれてくる。なぜあのとき殺してくれなかったのか。なぜセツナはリトを蘇らせる選択をしたのか。
それから――リトとの再会を求めていたはずなのに、以前リトのことを考え続けていたのと同じくらい、セツナのことを思い出しているのか。
裏切られて絶望しても、闇に染まりきることがなかった少年。ラズの願いを跳ねのけ、結果ラズを救ってくれた。リトと再会させてくれた。
そんな彼に、また逢いたかった。
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