終章 空(1)
キレスタール王国の王都近くの街を治める領主に呼ばれて闇を回収した後、前に王城へ行った際の王の言葉を思い出したラズは、旅の連れとともに王都の城へと向かった。
謁見の間で向き合ったカルステン王は、数ヶ月ぶりに会った古くからの友人に顔をほころばせた。
「北の大陸の闇を祓ってくれたそうだな。感謝する。望みの品を取らそう」
「俺の望みの一つは、一応叶いましたよ」
「なんと」
王は目を丸くした。
「ではついに時を越えるすべを身に着けたというのか。うむ、子供の頃にその話を聞かされてから、ラズならばできると信じておったぞ」
「……それができていたら、もっと別の選択肢もあったでしょうね」
笑顔のまま、ラズはそう答えた。
カルステン王と会話に花を咲かせた後、城の中でミュリエルと会った。
「ミュリエル、久しぶりだな」
「あら、ラズ様、セツナ様」
金髪を揺らして振り返った姫君は、旅人二人を見て優雅に微笑んだ。
「この間の来訪は数年ぶりでしたのに、今回はわたくしの顔を忘れないうちにいらしていただけたようですわね」
「陛下に報告するついでにな」
「連れないお方ですのね。ですが、次にお会いするのがわたくしが老人になったときでなくてよかったですわ」
「また来るよ。もうこの国を訪れることはないかと思ってたけど」
「ラズ様……?」
「そうだ、いまはいいけど数年後だと、さすがに知り合いには軽く説明しねえとまずいか……」
億劫そうにぼやくラズを前にして、ミュリエルが不思議そうに小首を傾げた。
「ああ、これまでと違ってミュリエルのひ孫の顔は見れないかもしれねえのか。それは残念だな」
「わたくしにはまだ、子供もいませんわよ」
「キレスタールの王族は美形揃いだから、王族の血を引く子供の愛らしさがすごいって話だ。ミュリエルだって可愛い顔して、はいはいしながらあちこちに飾られた水晶細工を破壊して回ったって……」
ラズの昔語りにミュリエルは頬を赤く染めた。
「物心ついていない頃の話を持ち出さないでいただきたいですわね。まったく……そういうお話をなさるときはラズ様も、お父様や親戚のおじ様方と同じに見えますわ」
はは、とラズは苦笑いした。
ラズと話をしていたミュリエルは、もう一人の旅人に視線を向けた。
「ところでセツナ様。以前とお召し物が違うというのもありますが、なにやら雰囲気が変わりまして?」
「そうかな?」
「ええ。なんというか――うまく説明できないのですけど」
もどかしそうにしているミュリエルに、ラズが現状を端的に説明した。
「ああ、こいつはいま、リトと名乗ってるんだ」
「まあ、そうでしたの」
かつて魔王と化した少年の詳細について、世界の歴史には語られていない。
ラズが語らなかったこともあり、リトの名前を魔王と結び付けて考える者は、この時代にはもう存在しない。
「では、リト様と呼ばせていただきますね」
「うん。よろしく、姫様」
初対面かのような挨拶をされて、ミュリエルは大きな瞳を瞬かせた。
「いやー、久しぶりに城の豪勢な料理を食ったな」
その日も城に一泊させてもらうことになり、旅人二人は歓待を受けた後、城の中の広い客室へと案内された。
バルコニーに出てきて、夜風を浴びながら城下の景色を見下ろす。
「久しぶりというか……」
「そっか。リトは城に来たのははじめてだったな」
「城下町には来たことがあったよね」
「そうそう、懐かしいよな。洞窟の奥でしかとれない珍しい水晶を採掘しに行って、一度の依頼達成で結構な金になったんだよな」
「洞窟の魔物が強くて大変だったじゃないか」
「ああ。でも、いい思い出だ」
ラズは笑顔でそうまとめた。
「滅びた国や街もあるけど、キレスタール王国は存続してるんだね」
「そうだな」
「でも、街並みは大分変わった。建物の外観や街の住人の服装も」
「建物や服は流行り廃りがあるからな」
「ラズも変わったよね」
「悪いほうに?」
皮肉げな声音でラズはそう問いかけた。
「僕と旅していた頃には使えなかったような力をいくつも使えるようになって、強くなったんだねって話だよ」
「ああ……まあ、時間だけはあったからな」
「時間をかけたところでなにかができる人ばかりじゃないよ。ラズだからできたことじゃないかな」
夜風が城の中庭に生える木々の葉を揺らす。ざわめく音が、ここまで聞こえてきた。
「俺は――必死に力を追い求めて、過去の後悔から逃避してただけだ」
「そう」
「それに、また間違えたんだと思う」
小声でつけ足された言葉に、いつもの快活さはなかった。
「ラズ……」
「――なんて、リトに言ってもしょうがねえよな。さて、明日はどこに行きたい? 王都に来たのもふと思い立ったからだし、明確な目的もなくあちこち旅するのもいいもんだよな。リトと旅してた頃はそんな行き当たりばったり状態で……」
「ねえ、ラズ」
月の光に照らされる中、黒髪の少年は問いかける。
「君にとって、この身体の持ち主はなんだったのかな」
「――それは」
ラズの表情が苦渋に彩られる。
「……悪い。あいつのことはまだ、整理がついてない」
しばしの静寂の後、ラズのほうを見ていた瞳が逸らされた。
「わかった。じゃあ、部屋に戻ろうか」
「ああ」
「整理がついたら、いつか聞かせてよ」
「……そうだな」
客室のベッドに横たわり、目を閉じる。隣のベッドからは、既に規則正しい寝息が聞こえてきていた。
ふかふかの豪華なベッドは、疲れている者のみならず、普段寝つきが悪い者すら安眠に誘う風格を有していた。
まどろみ、夢を見た。旅をしていた頃の夢。ラズと他愛ない会話を交わし、辿り着いた街で依頼を受け、多少無茶をしながらも協力して魔物を倒した。
寝る前にバルコニーで話題に出していた、キレスタール王国王都に来たときの出来事だ。洞窟の奥で発見した虹色に輝く水晶を見て、リトは目を輝かせた。
採掘した珍しい水晶の一欠片くらい、自分のものにしてしまってもよかったのかもしれない。だけど一時の興味とこれからの旅費を天秤にかけて、旅の安定を選んだ。
この身体で目覚めて、首から下げていた透明な石をはじめて見たとき、そのときのことを思い出したのだった。
口に出さなかった些細な望み。魂が同じならば、生い立ちにより性格や考え方が違っても、本質は同じ。
セツナが表に出すことがなかった願いは、なんだったのだろう。
セツナの意識は、扉の奥に封じられて鍵をかけられた。
その鍵はリトの手にはない。セツナの精神世界のどこかに隠されている。
翌朝。朝食を食べながら、旅人二人は今日の予定について話し合った。
「行きたいところがあったら選んでいいんだったよね」
「おう。どこがいい?」
「闇を取り込みに行こうよ」
「それでもいいけど……どうした、なんかやる気だな。城下町にもこの近場にも、結構見どころがある場所もあるんだが」
「世界に異変を起こす闇は魔王の残滓なんだから、回収できるならしてしまいたいんだ」
「……そんな気負わなくていいぞ」
「そういうわけじゃないよ。大丈夫」
ラズのフォークが皿に当たってかつんと音を立てた。
「お前……」
「ラズだって困っている人は放っておけないんだよね。だから行こう」
「……それもそうだな。じゃあ、そうするか」
最近ラズに届いた手紙に書かれていた相談に、魔術国家にある塔に時折闇が発生する、というものがあった。
協会に所属する魔術師が集う塔ならば、少々の被害なら自力で抑えられるだろう、と後回しにしていた案件でもあった。
しかし転移魔術で魔術国家に向かうと、街のどこからでも見渡せる高い塔は、黒い霧に覆われていた。その上空には暗雲が広がっている。街全体に被害は広がっていないようだが、周辺の住人が家から出てきて不安そうに塔を見上げていた。
「おお、ラズではないか。我らの塔の危機を察して来てくれたのだな。ありがたい」
塔に近づいて行くと、ローブをまとってフードを被り白い髭を生やした老人、魔術師にして魔術師協会の長がラズに声をかけてきた。
「そうだな、リトに先見の明があったのかもな」
闇の回収をしたいと言った少年をちらりと見て、ラズは本題に入った。
「見たところ、使い魔が運んできた手紙に書かれていた内容より悪化してるようだな」
「うむ。困ったことにのう」
そう頷き、長は現状を説明した。塔の中で闇が発生し、内部に闇から生じた魔物が出現した。戦闘向きではない魔術師は早いうちに脱出し、攻撃魔術を使える魔術師が残って魔物と戦っている。
しかしそうこうしているうちに、一階に出現した魔物が暴れた衝撃で出入り口が塞がってしまった。それにどうやら、上階の研究室に詰めていた研究者気質の魔術師とその協力者が取り残されている様子だ。
その話題になった際、近くにいた魔術師の青年が話に入ってきた。
「だからあいつのせいですよ、長! 怪しい研究をして、人体実験を繰り返して――ザムエルが禍々しい術を行使して、闇を呼んだんじゃないんですか!?」
青年はローブが薄汚れていて、怪我をしたのか片腕をもう片方の手で握り締めていた。塔の中にいて被害を被ったらしく、問題の魔術師に対する怒りが見て取れた。
「魔術師の中には秘された深淵を覗くことこそを本分と考える者もいる。あの者も、そうした昔気質の魔術師にして研究者だった。証拠もない段階で疑うのはよくないことだが……」
「戦う力もないのに避難していない時点で証拠のようなものでしょう。上階にいる魔物は、きっとザムエルが転じた姿だ。あいつが闇の発生源です」
憎悪を隠しもせすにそう決めつける青年を、同年代の魔術師が宥めながら長から引き離し、怪我人の治療をしている辺りへと連れて行った。
「魔術師の間でも色々あるんだね……」
「なんかこの国に来るたびに、そうした厄介事を目にしてる気もするな。あのときのリトの選択は正しかったな」
「そう。ところで、出入り口が塞がれてるならどうやって入るつもり?」
「上階の窓が開いていたり、壁が崩れている場所があるな。飛んでくか」
竜を呼び出したラズは、旅人二人を乗せた竜に命じる。普段はもっぱら地上を走らせているが、いまは翼を広げて空を行け、と。
地面を蹴って空に舞い上がった竜を見て、塔の周辺に集まっていた魔術師たちから声が上がった。
塔の外壁に沿って空中を移動していきながら、ラズの脳裏に過ぎるものがあった。
セツナと会った当初、冗談交じりに竜に乗って飛んで行くか、と持ち掛けたことがあった。
竜に乗って川や段差を飛び越えたことはあったけれど、セツナとともにこうして空を翔けたことはなかったかもしれない。
「リト、平気か?」
「ああ。……すごいね。竜に乗って飛ぶなんてはじめてだ」
後ろに座って手綱を握っているので横顔しか見えないが、弾む声を聞いてラズも笑みをこぼした。
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