7章 北の地

 北の大陸へ行くことになった。かつて魔王の城があった地。魔王が真っ先に闇で覆い尽くし、人が住めない地にした場所だ。


 そこへは転移の魔術で行くことはできず、二人は船に乗って北の大陸を目指した。


 水平線の向こうにある大陸の中心部には、高い山のようなものが見える。

 それは自然にできた山ではなく、魔王が倒された後も跡地にある城からあふれてくる闇を遮断するために、勇者と賢者と魔術師が協力して作り出した、壁と魔術による結界だという。


「魔王が倒された後、長い時間をかけて復興していったから、魔王の城周辺以外は人が住めるようになったんだけどな。でも最近、また闇の影響が色濃くなった。だから俺たちが闇を祓うために赴くわけだ」


 大陸が近づいてきた頃、甲板に出て船が進む先を眺めながら、ラズはセツナにそう説明した。


「どうして闇に覆われた地を、再び人が住めるような地にしようと復興させたんだと思う?」

「え……もともと人が住んでいて国や街があったんだよね。なら、どうしてもなにも」

「でも被害は甚大で、多大な手間と人材と金がかかることは誰の目にも明らかだった。各国の王は被害を受けた自国を建て直すことに精一杯で、魔王の根城跡地がある大陸なんて放置すべきだ、と思っていたことだろうな」


 そう言われると、確かに後回しにされそうな場所だと思ってしまった。


「うーん……」


 考えても答えは出てこなくて早々にギブアップすると、ラズが答えを言った。


「この世界には、生まれた国に居場所がない人間が沢山いるんだよ。そういう人間が寄り集まって、新天地を求めた。闇に侵食された土地だろうが、自分たちを排斥する国や街よりはマシだってな」


 居場所がない。セツナにも覚えがある感覚だった。その話に出てきた者の心境に親近感を覚えた。


 けれどセツナはあの世界で生きていくことを放棄しようとしたが、開拓者たちは大変な思いをするとわかっていてなお、自分たちが住む場所を作るために大陸を復興させようとした。

 そのやる気と行動力には感心するしかない。


「大陸は復興した。でもその北の地は、魔王の呪いを受けていたのかもしれねえな」

「呪い?」

「闇は結界で遮断されているはずなのに、住人の平均寿命は短く、出生率が低い。幼い子供の死亡率も高いらしいな」


 ラズは空を見上げ、続けた。


「魔王はこう思ってたのかもな。この世界に生まれてきても幸せになんてなれない、生きていても仕方がない、って」

「……そう」


 覚えのある考えだった。


「でも、魔王は倒されたんだろう? 現在の問題を魔王の呪いのせいにしなくても――他に原因があるかもしれないよ」

「他に、か。なんだと思う?」

「北の地は寒さが厳しいからとか、作物が実り難くて栄養が足りてないからとか……」

「そうだな。俺もそう思う」

「じゃあなんで……」


 呪いなんて話を出したのか、と問いかけたが、それを遮るようにラズは言った。


「わかりやすい悪役がいて、そいつに悪いことを全部押し付けられると楽って話だよ」


 そしてラズは波の音に耳を傾けるようにして、口を閉ざした。北の大陸に関する話にきりがついたのだろうか。


 青い海とよく晴れた空が視界に広がっている。海は生命の源だが、海の底や海の向こうはあの世や死者の国とも言われている。そんな思想を思い出した。


 それらがこの世界で適用される考えかはわからないが――もとの世界で海と縁遠い地に住んでいた身としては、海の上を船で移動しているなんて、滅多に体験できない非日常だ。


 だからふと、普段言わないようなことが口をついて出た。


「……僕も以前は、生きていても仕方がないって考えていた。でもこの世界に召喚されて、ラズと一緒にいろんな場所へ行けて、よかったって思ってる」

「そっか」


 満足そうに、ラズは笑った。


 ――僕はラズが一番逢いたい人に、あるいはかつての旅の連れに似ているのかな。


 そんな問いかけを口にしようとして、何度も飲み込んできた。訊いたらなにかが変わってしまう気がした。


 質問をして適当に誤魔化されるのも嫌だけど――肯定されたら、どうしたらいいのだろう。

 そんな感情に囚われていたが、広大な海と空を見ていると、そうした悩みは些細なことに思えてきた。


 ラズがこの世界に呼んでくれたから、セツナはここにいる。ラズと一緒に旅を続けられるのなら、ラズの過去を気にする必要なんてない。

 そう、自分の心に整理をつけた。




 北の大陸に上陸し、竜に乗って港からしばらく行った先の街へ向かった。目指す場所は北の地でもっとも大きな街だという。


 王はいない。街ができた頃は統率者を据えていたが、どんなにできた人物でも街の統率者になると堕落した。


 暴力性をあらわにし、周囲の人間を傷つけ、街のためという名目で多くの人を苦しめた。圧政を敷いて、民から搾取した。


 それを何度か繰り返した結果、この街では統率者を一人選出することをやめた。


「その昔、魔王に滅ぼされた国の王は酷い愚王だったらしい。やはりこれも魔王の呪いか」


 この地に王という存在がいると、魔王の怒りを買うのではないかと恐れた結果だった。


 現在は十人ほどの議員の話し合いにより、街を運営していた。議員の代替わりを繰り返しながら、その構造でうまくやっていけるように思えた。


 余裕ができた街は、さらに他の国からの移住者を受け入れて発展していった。近年では小国をしのぐほどの人口となり、一つの国かのように他国と渡り合っていたという。


 その街が、闇で覆われていた。


「これは……」


 街の光景を見て、セツナは息を呑んだ。


 ラズから闇の被害を受けた街と聞いたときは、この世界に来て最初に訪れた街と同じ状態なのかと思った。


 空に暗雲が広がり街は黒い霧に覆われて、夜になる直前かのように薄暗い。これまで街になかったような棘のある植物が生い茂って建物に絡みつき、壁を砕くように伸びていって、人の手で作られたものを破壊している。


 それだけなら、あの街と大差ない状態だと言えるかもしれない。しかしこの街で起きていた異変は、街が黒く染まっただけではなかった。


 獣の咆哮と破壊音が途切れなく聞こえてくる。

 議員の半数が闇の影響を受けて魔物と化した。魔物に殺された残りの議員は、動き回る死体となって他の住人を襲っていた。


 巨大な魔物が街の奥のほうで、建物を積み木でできた家かのように砕いて破壊している。黒く染まったおぞましい姿。いくつかの動物を組み合わせたかのような奇形が、蠢いている。


 魔物や動く死者から逃げ惑う人々の様子は、混乱を極めていた。

 魔物に捕まった者を助けようとして広がる二次被害。動き回る死体に襲われた者は、命を落とした後に彼らと同じ存在となって周囲の者を襲う。


 悲鳴と泣き声が反響する。死の濃厚な気配が、街に満ちていた。


 ずきりとセツナの頭が痛んだ。視界に広がる地獄のような光景を、どこかで見たことがある気がした。


 ――駄目だ。

 ――知ってしまったら、戻れなくなる。


 頭痛が酷くなり、警告音が頭の中で響き渡る。引き返せ。いまならまだ間に合う、と。

 なぜこんな北の地に来てしまったのだろう。魔王なんて知らない。魔王の呪いなんて、あるわけがない。


 ――でもこの状況は、魔王の呪いと呼ばれるに相応しくて。




「セツナ」


 名前を呼ばれ、はっと我に返った。知らないうちに地面に横たえられ、頭の下に鞄が敷かれていた。


「魔物は倒した。闇を取り込んでくれ」

「あ、ああ……」


 見える範囲に魔物はいなかった。動き回る死体もいなかった。逃げ惑っていた街の住人も、誰も。視界に映るのは壊された建物の残骸だけだ。

 喧噪に支配されていた街は、いまは風が木々を揺らす音しか聞こえなかった。


 意識を失っていたのだろうか。あれからどれくらい時間が経過したのかわからない。空が暗いから、太陽の位置で時間を計ることもできない。


「街の住人は……」

「生き残った者は避難したから大丈夫だ」


 街の住人のうち何人が生き残ったのか、訊くのが怖かった。


 立ち上がると、足元はふらついたがなんとか歩けそうだった。ラズの手を借りて、闇の発生源――この街の議会が開かれる議事堂へと進んで行った。


 立派な建物は魔物に破壊され、見る影もなかった。

 闇が渦巻く建物に向かってセツナは手をかざした。街を覆う闇を取り込んでいく。街の闇が晴れていく。


 代わりに少年の心と身体と魂が、黒く染まっていく。


 ――ああ、そうか。


 剣で心臓を貫かれる痛みが蘇った。

 その瞬間、正気に戻った瞳には、こちらを睨みつける水色の瞳が映った。

 そのときに浮かんだ感情は、絶望よりも憎悪よりも、もっと透明ななにかだった。


 ――僕は……。


 浮かびかけた答えすら、黒い霧に覆われていく。

 闇を取り込み尽くしてから、セツナの意識は闇に沈んでいった。

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