記憶の断片6 炎(2)

 その日の夜、宿屋に帰るとラズがにやにや笑いながら話しかけてきた。


「どうだった? 街の案内は」

「他の街では見られないような建築物や像を沢山見たよ。気軽に入れる美術館もあって、時間があったらもっとじっくり見たかったな。さすが芸術の街だね」

「感想そんだけか? 他になんかねえの?」

「着慣れない服を着てのモデルは大変だった。でも粘土の塊がどんどん彫られていくのは魔術みたいだったな」

「いや、そっちでもなくてだな」


 ラズがもどかしそうにしているのを前にして、リトは首を傾げた。


「じゃあどんな感想を求めてるんだ?」

「ジネットとデートした上での感想に決まってんだろ」


 予想外の答えに、リトは目を瞬かせた。


「デートって、今日のあれは違うよ」

「ジネット、お前といい感じじゃん」

「いい感じって?」

「好かれてるんじゃねえか、ってこと」


 ラズは他人とかかわるのが得意で初対面の人ともすぐに親しくなり、人を見る目もあると思っていたが、旅の連れの恋愛事情に関しては節穴なようだった。


「いや、ジネットは僕の外見しか見てないよ」

「見た目が好みなんていいことじゃねえか」

「童話の登場人物らしくて理想とは言われたけど、好みとは言われてないから」


 ふうん、とつぶやいてから、別方向から切り込んできた。


「リトはどうなんだ? 同じ年頃の可愛い女の子に優しくされて」

「彫刻家の先生のためにモデルを手放したくないんだな、って思う」

「だからそういうんじゃなくてだな」


 ラズはこれでどうだとばかりに続けた。


「異性と親しくなって意識したりしねえのか、って話」


 言葉に詰まり、沈黙が場を支配した。

 胸につかえたような想いを味わう。


「……そういうの、よくわからない」


 絞り出すように、そう答えた。


 なんだろう。ラズと話をするのはもうすっかり慣れたはずなのに、たまに意見の相違はあっても基本的になんでも話し合ってきたはずなのに――この話題は嫌だ。


「えー、一目惚れでも親しくなった後でも、誰かに対して思ったりしねえ? もっと近づきたいとか、自分のものにしたいとか、ずっと一緒にいたいとか」

「うーん……」


 ラズのほうを見てから、目を逸らした。


「自分のものにしたいとか、相手を人間扱いしてないみたいで嫌だな」

「それもそうだな」


 ラズが言ったようなことを思ったことが、ないわけじゃないけど。浮かんだ考えは、口にはしなかった。




 それからしばらく、彫刻家のもとでリトがモデルをする日々が続いた。同じ姿勢で固まっているのにも慣れてきて、ジネットやユーグとはすっかり打ち解けた。


 いつも笑顔で面倒見がいいジネットは、思い込んだら一直線な部分がある。

 ユーグは偏屈だが彫刻家としての腕は確かで、創作にすべてを捧げているような生き方をしていて、作業をしているときの集中力はとてつもない。


 そんな二人の性質を好ましく思った。


「こいつがユーグのモデルをやってるっていう旅人か」

「この変人彫刻家の要求を聞くのは大変だろう?」


 近場にアトリエを構える芸術家の若者たちと知り合った。服を買いに行った際に店で会った青年とも、再び顔を合わせた。


「また来たのか、きみたちは。集中してやってしまいたので邪魔しないでくれ」

「じゃあ、ジネットとお茶しながら話をしようか」

「うちの雑用係にも必要以上に構うなと言っている」


 ユーグは彼らを邪険にしているようだが、彼らはユーグやジネットのことをたびたび構いに来た。偏屈な彫刻家は、意外にも周囲の人間に好かれているようだった。


 ジネットの買い物に付き合って、よく利用する店と店員にも馴染んでいった。

 外から来た旅人だと気づかないようなお得な店を教えてもらい、ラズに軽食を買っていって土産にしたりした。


 あるとき買い物帰りの道で、リトはジネットに芸術家の街にしばらく滞在した感想を述べた。


「この街は平和で、住人もみんないい人達で、暮らしやすそうな街だね」

「そうですか? 旅をしている方にそう言ってもらえると嬉しいです」


 ジネットはくすぐったそうにはにかんだ。


「芸術家同士の軋轢や、依頼人との間に生じるあれこれもありますけどね。戦争や貧困で大変な街に比べたら、些細な問題ですよね」


 そしてリトのほうを見て続けた。


「戦うことこそ生き甲斐、といった人からしたら芸術なんて退屈でしょうし。リトさんはこの街の気風が合っているのかもしれませんね」

「そうだね」


 住むとしたらこんな街がいいかもしれない、と十日ほどの滞在で感じていた。もっとも、実現しないだろうからこそ思うことなのかもしれないが。


 ジネットは自分が生まれ育った街を褒められて、機嫌よさそうに微笑んでいる。彼女と二人で道を歩いていて、この街についた翌日にラズが言ったことを思い出した。


 ジネットはユーグの才能に惚れ込んでいて、色恋沙汰など興味なさそうな少女だ。

 多分ユーグが老人だろうが子供だろうが女性だろうが、同じものを作り出せるのならあんな風に敬愛して身の回りのことを引き受けて、支えようとするのだろう。


 リトが彼女のことを意識しているかどうかはともかく――いい友達になれた気がした。




 引き受けた日程の最終日の前日、終了時間になった際に、ユーグは名残惜しそうにリトと作成中の彫刻を見比べた。


「モデルをしてくれるのは明日までか。しかし完成まで程遠いな。あと半月ほど延長する気はないか」


 いまの粘土の状態を見るに、あと半月かけたくらいでは終わりそうになかった。等身大の全身像は顔回りはモデルが誰かわかるくらいに造形されているが、身体はざっくりと形を作った状態で、まだ先は長そうだった。


 毎日長時間作業してもこうなのだから、街のそこかしこにある彫像は完成させるまでにどれくらいかかったものなのだろうと、気が遠くなってくる。


「……すみません。最初の予定通りでお願いします」


 後ろ髪を引かれる想いなのはリトも同じだったが、ここで延長してしまったら頼み込まれて完成するまで続ける羽目になりそうで、鋼の意思で断った。


 ふむ、とユーグはあごに手を当てた。


「旅はそんなにいいものか。オレはこの街から出たことがないからわからんな」

「旅をしていたからこの街にも来られたんですよ。来てよかったです」


 追っ手が来るかもしれないから一つの場所に留まらずに移動している、なんて話をしても仕方がないから、そう返していた。


 ユーグはリトの反応に満更でもない様子で頷き、続けた。


「駄目だというなら仕方がない。あと一日、やり遂げてもらおう」

「はい」


 半月間ともに過ごした雇い主へ、リトは万感の想いを込めて返事をした。




 その日の夜、宿屋に帰ったリトが就寝までの時間をベッドに腰かけてゆっくり過ごしていると、ラズが話しかけてきた。


「明日でモデルも終わりか。頑張ったな、リト」

「うん」

「内心ではもっとやってもいいって思ってねえか?」

「そう言って延長していたら、いつまで経っても旅立てないよ」


 苦笑いしながらリトはそう返した。ユーグと話していたときに生じた、街で出会った者たちとの別れがたさを見透かされた気がした。


 それに対しては深く追求せず、ラズは話題を変えた。


「モデルは終わりとして、街の近くに出没する魔物討伐の依頼が出てるんだけどさ。明後日それをこなして、その翌日出発する方向でどうだ?」

「わかった」

「ちなみにその討伐依頼、魔物を倒した後に牙や毛皮を持ち帰ると、いい値段で引き取ってくれるってやつで。人手があったほうがいいんだ」

「僕は荷物持ちか」


 言われてみたら当然だ。これまでラズはこの街の周辺で魔物討伐をして、街で困っている人の手助けをしていたはずだ。魔物を討伐するだけなら、ラズ一人で済むのだから。


「そう不機嫌になるなって。お前、あの森で会った当初に比べたら大分強くなったよ」

「そうやって取ってつけたように褒められても……」

「いやいや、本当だって」


 その言葉で、ラズと知り合ってからのことが思い出された。

 あの森で会ったときのことが、遠い昔のことのように思える。あれから様々な場所へ行った。見たことがない景色を見た。塔にあった本には書かれていなかったことを知った。


 ラズと会わなければ、いまのリトはいなかった。


「今回、一杯報酬をもらったことだし、馬車と船で別の大陸まで行けるかな」

「そうだな。まだ行ったことがない国も街も沢山あるもんな」

「知らない場所に行くの、楽しみだね」

「ああ。その地の特産のうまい料理を食べて、街の名物を見て回って――」


 宿屋の窓のほうに視線をやってから、ラズは続けた。


「この街はわりと平和だったけど、他の街には苦しんでいる人もいる。困っている誰かを助けてやれたらいいな」


 相変わらずのラズらしい台詞を聞いて、リトは笑みをこぼしてから、「できるよ、きっと」と頷いた。


「ラズは以前、やりたいことや住みたい街を見つけたなら、旅よりそっちを優先しろって言ってたけど」

「そういや言ったな、そんなこと」

「僕がいま一番やりたいことは、ラズと一緒に世界を旅することだから」


 まっすぐに視線を合わせ、そう告げた。


 いつからか、願いができていた。この時間がずっと続けばいいと、望んでいた。

 そしていくら過ごした時間が長くなっても、言わないと伝わらないこともある。だからリトは自分の意志を口にしていた。


 ラズは虚を衝かれた顔をしたが、やがて破顔した。


「そっか」


 魔術国家での一件もあるし、でも俺の意見は以前と同じだから、と言われることも覚悟していたが、続けられた言葉は予想とは違うものだった。


「わかった。リトの願いがそうだってなら、行けるところまで行こう」


 不安は吹き飛び、リトの瞳に光が宿った。


「俺も、リトと旅ができてよかったって思ってる」

「そう……」


 目頭が熱い。目が潤んでいるのを悟られたくなくて顔を背けようとするが、はじめて会ったときのように、ラズは手を差し伸べてきた。


「これからもよろしくな」

「……ああ」


 もう泣き笑いのような顔を見られてもいいや、とリトはラズの手をつかんだ。




「何年か後にこの街に来る際は、完成した彫像を見て行ってくれ」

「街にまた来てくれるなら、絶対アトリエに顔を出してくださいね!」


 モデルの仕事が終わる日、ユーグとジネットに惜しまれつつ、報酬をもらったリトはアトリエを去った。未完成の彫像は目に焼き付けてある。もしいつか完成形が見られるのなら、楽しみだった。


 翌日、リトとラズは街の近場の平原で魔物討伐に勤しんで、陽が落ちてきた頃に街に帰り、持ち帰ったものを換金してから宿屋に戻った。


 それからしばらくして、宿屋の外が騒がしくなった。窓を開けたリトとラズの視界に映ったのは、あちこちで炎が上がる芸術の街だった。


「なんで……こんな」


 衝撃を受けて呆然とするリトとは逆に、ラズは我に返るのが早かった。


「消火を手伝うぞ!」

「う、うん……」


 宿屋から出て行くと、同じように建物から飛び出してきた人々が道に散らばっていた。宿屋の近くの建物も燃えていて、子供の泣き声が聞こえる。


 街の上空に光が弧を描いて飛び交っているのが見えた。火がついた矢だろうか。それを使って、無差別に放火して回っているとでもいうのだろうか。

 誰が、なんのために。


「あっちの……アトリエがある方が、特に燃えてるな」


 ラズが指さすほうを見て、炎が燃え盛っているから普段の夜よりもずっと明るいはずの街で、視界が暗くなるのを感じた。




 大通りを駆けて行く途中、いくつもの像が破壊されているのを目にした。その所業に、街の住人がこれまで積み上げてきたものを踏みにじる悪意を感じた。


 火がついた建物の近くには、命からがら逃げだして来た者や、怪我や火傷を負って自力では動けない者もいる。救助の手は足りていない。

 昼間まで平穏だった街が、地獄絵図に変わっていた。


 街の中心部に向かうと、広場に避難してきた住人が嘆きの声を上げていた。


「なぜこんなことに……」

「ネグロディオスの兵だ! あいつらが街に火を放った!」

「……え」


 聞き間違いだと思いたかった。けれど似たような内容は、あちこちから聞こえてきた。

 ネグロディオスの船が来航したという噂。それを聞いていたはずなのに、とリトは奥歯を噛みしめた。


 鎧を身にまとい、顔を覆う兜をつけた兵士たちが、街の住人を威圧するように金属質の足音を響かせて、人が集まる広場へとやって来た。


「この街に、黒髪黒目の少年が来たと聞いた」


 その言葉を聞いて、リトは息を呑んだ。


「災厄の予言を受けた子供だ。この街を訪れたのは事実だな」

「わざわざ陛下がいらしている。今度こそ、災厄の種の息の根を止めるために」


 鼓動の音が大きく早くなっていく。その音で兵士に気づかれるのではないかと思えるほどの音。


「居場所を知る者は、情報提供すれば莫大な報酬を出そう」

「だが偽の情報を口にしたり、匿ったことが発覚した暁には、死罪だと思え」


 兵士の主張が真実だというのなら、この美しい街が燃えたのは――。


「それから――この場にいるのなら、自分から出て来い。そうでなければ」


 別の兵士が後ろ手に縛った少女を連れて来た。髪はほどけて服もところどころ焼け焦げているが、知り合いの面影があった。


「……ジネット」


 リトはその名をつぶやく。


「街の外から来た黒髪の旅人とかかわった者を、一人ずつ殺していく」


 一際大きく鼓動が跳ねた。悪寒が這い上がり、身体を冷やしていく。


「やめっ……」


 兵士の剣が、ジネットの胸を背後から貫いた。

 住人たちの叫びが広場にこだまする。抗議の声は、兵士には届かない。


 はじまった悪夢は、醒めることなく続いていく。

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