記憶の断片6 炎(1)

 訪れた街は洗練されたデザインの建物が建ち並び、統一感のある見事な景観を形作っていた。


 街を歩いていると銅像や石像がいくつも目に入った。それだけではなく、なにを象っているのかわからない像があったり、壁一面に大きな絵が描かれていたりする。


 大きな美術館や画材屋が街の中心部の目立つ場所にあり、絵具を溶く油のにおいがかすかに香った。


「この街は芸術の街と言われてる。芸術家が集まって切磋琢磨して、数多くの美術品を生み出しているんだってさ」


 ラズの説明に、リトは感嘆の息を吐き出した。


 大通りでは通行人のほかに、イーゼルに立てたキャンバスに向けた絵筆を操っている人や、木炭を手に素描している人が何人もいた。


 たまに大通りの真ん中で一心不乱になにか描いている人がいたが、馬車が通るときなどは大丈夫なのだろうか。


「いやあ、聞いていた通りの街並みで面白いな」

「面白いというか……なんか圧倒されるよ」


 みんな、真剣になにかを作り出そうとしている。ある者はごく自然に息をするように。ある者は鬼気迫る形相で。


 既に芸術家として収入を得ている人だけでなく、一旗揚げるためにこの街まで来た者も多いのだろう。努力が報われるかどうかもわからないのに、膨大な時間をかけて自分の作品に向き合い、創作を継続する。

 そのことを素直にすごいと思った。


 画材屋の前を通りかかり、ラズは店を指さした。


「俺たちも挑戦してみるか? 画材や道具も豊富に揃ってるらしいぞ」

「描いたものや作ったものを抱えて旅はできないよ」

「この街で売って旅費の足しにすりゃいいさ」

「芸術の本場で、素人が作ったものが売れると思ってるんだ……」


 そんな軽口を叩きながら宿があるほうへ向かおうとすると、進行方向にいたエプロン姿の少女が、段差に足をとられて転びかけた。転倒はまぬがれたが買い物籠が傾き、中に入っていた果物や野菜が大通りを転がり出す。


 転がってきた果物を拾おうと屈み込んで、セツナは果物を追いかけてきた少女と手が触れ合った。


「あ……」


 視線を上げ、琥珀色の瞳と目が合った。頭の両脇で結った波打つ茶髪が揺れる。


「あの、大丈夫?」


 リトの問いかけには答えず、少女は初対面の旅人をじっと見つめていた。


「理想的な姿が目の前に……」

「え?」

「艶やかな黒髪に端整な顔立ち、細身の身体……まさに想像通り! もう少し背が高ければもっとよかったけど、この際贅沢は言っていられないわ」


 早口で独り言を言ったかと思うと、少女はリトが拾った果物ごと、リトの手を取った。


「この国の住人とは異なる風貌ですが、異国の方ですか?」

「ああ、旅人だけど……」

「旅の資金は潤沢にありますか? ないならいい仕事を紹介しましょう」

「仕事ってどんな……」

「彫刻家の先生の納期がまずいのに、なかなか形にならなくて困っているんです。あなたなら理想通りなんです。是非ともモデルになってください!」


 一息で言われた内容に、リトと近くで聞いていたラズは、目を丸くした。




 彼女はジネットと名乗り、ユーグという彫刻家のアトリエで家事と雑用をしていると自己紹介した。旅人二人もひとまず名乗り返す。


 リトとラズが連れて行かれた先は、街の中心部から大分進んだ先の一角に建つアトリエだった。


 中心街は洒落た建物が建ち並んで統一感のある街並みを作っていたが、この建物は年季が入っているようだった。

 その古びた建物の扉を、ジネットは勢いよく開いた。


「先生、見てください! 例の童話に出てくる王子の印象通りの方を見つけました!」

「騒がしいな。オレの作業中は入って来るなと何度も……」


 室内にいた人物が、リトに目を留めてまじまじと見つめた。


 彫刻家の先生などと呼ばれていたからもっと年配の者を想像していたが、アトリエの主はまだ年若い。二十代半ばに見える。


 だが若いから溌剌としているという印象ではなく、目の下に隈があり、不健康そうな印象を受けた。


 そのまま作業をして汚れても惜しくなさそうなくたびれた古着を着ていて、伸ばしっぱなしにしている亜麻色の髪を無理やりまとめたような髪型だ。


 棚からものがあふれて雑然としている室内には、作りかけの彫刻が並び、材料や道具が散乱していた。


「どうですか、先生。依頼された童話に出てくる王子にぴったりでしょう!」


 王子、と聞いてリトはぴくりと身じろぎした。


「待って、王子って」

「ふむ。そうか。確かに――」


 不機嫌そうにしていた彫刻家の瞳に、だんだん光が宿っていった。


「こちらはリトさんという旅人です。彼をモデルにすればきっといい作品ができます!」

「よし、では入れ。この辺りに立ってくれ。素描する」


 ユーグは椅子に座り直して机に紙を広げ細い木炭を構えると、室内の辛うじて床が見えている辺りを指さした。


「え、えーと……」

「そういえば王子は剣を持っているのだったな。参考にと借りた模造刀がこの辺りに……おお、あった」


 剣を押しつけられ、リトは同行してきたラズに困り顔を向けた。


「ラズ……」

「じゃ、俺は宿屋押さえて買い物して、夕方になったら迎えに来るから。それまで頑張れ」


 なんの助けにもならない台詞を残して、ラズは去って行った。




 それから散々指定されたポーズを取らされ、描き終わるまで動くなと無茶な要求をされて、夕方になる頃には身体が固まってしまっていた。


「……それで、苦労したのは僕なのに、なぜラズまでお礼の夕食を食べてるんだろうね」

「いいじゃん。ご馳走してくれる、っていうんだから」

「リトさんとラズさんがこの街に来てくれたから、先生のやる気に火がつきました。これは感謝の気持ちです」


 ジネットは礼を述べて微笑んだ。


「彫刻家の先生は、ジネットがこんなに手間暇かけた夕食を作ってくれたってのに、後回しにしてぶっ続けで作業か」


 呆れたように、ラズがリトとジネットから聞いた話をまとめた。


 素描を終えた彫刻家は、水分を補給して肉と野菜を挟んだパンを三口で一気に食べただけで、彫刻の作業に戻ってしまった。イメージが沸いているときに一気に作業しないと霧散してしまう、とのことだ。


「作業に集中しているときはいつもこうです。むしろ、思い通りのものが作れずに管を巻いていたここ最近よりはずっといいですよ。リトさんのおかげです」


 芸術家というものは得てして気難しく、取り扱い注意な存在らしい。


「それにしてもリトさん、王子のような顔立ちとか言われませんか?」

「いや、はじめて言われたけど」

「単に整った顔というだけではなく、なんというか、高貴さがあるといいますか」

「さあ……」

「実はお忍びで旅をしている貴族かと思いました」

「そうだったのか? 言ってくれればよかったのに」


 ラズまで乗っかってきた。ただしジネットと違ってからかい交じりの顔をしている。


 言ったところでどうなるというのだろう。血筋としては王子なのかもしれないが、城で暮らしたことなどなく、王からは疎まれて殺されそうになった、だなんて。


「僕が貴族だったら、苦労して旅費を稼いでいた日々はなんだったのさ」

「それもそうだな」


 鬱屈した想いに蓋をして冗談に軽口で返すと、ラズはおかしそうに笑った。


「そうだ、言い忘れていた」


 隣の部屋からユーグが顔を出してきた。


「ジネット、明日店が開いたらリトに合う王子らしい服を買ってきてくれ。経費を使うならいまだ」

「任せてください」

「きみのセンスは信頼しているから、その少年とともに行ってきてくれ」


 彫刻家の指示に、リトの頭に疑問が過ぎった。


「あの、素描は終わったんじゃ……」

「モデルがいるのだから、見ながら作るに越したことはないだろう?」

「僕たち、ずっとこの街にいるわけじゃないですよ」

「引き受けてくれるなら、モデルをしてもらう間の滞在費を払おう」


 そんな金があるなら、もっといい家に引っ越せばいいだろうに。喉元まで出かかった言葉を封印して、旅の連れに意見を求めた。


「ラズ、どうしたらいい?」

「しばらくモデルをすればいいんじゃねえか。報酬の他に宿代をもらえるなんてすげえよ。ジネットと先生が想像する王子の、理想通りの顔でよかったな」

「あまり嬉しくない……」

「旅はいつ問題が起こるとも限らん。いつかのように怪我をしてしばらく動けなくなったりな。稼げるときに稼いでおくのは基本だ」

「それはそうだろうけど」

「俺は一人でできそうな魔物討伐や依頼をこなしてるからさ」


 そこまで言われると、いつまでも拒否し続けるのも間違っている気がしてきた。


「わかりました、やります」


 そう返事をすると、ユーグは満足したように頷いた。


「では、一ヶ月モデルをしてもらうということでいいな?」


 一ヶ月。一つの街に数日しか滞在しなかったことを思い起こすと、大分長く思えた。


「もう少し短くなりませんか」

「二十日」

「もう一声……」

「半月。これ以上は短くならん」

「じゃあ、それで」


 押し問答の末、リトはしばらく彫刻家のもとでモデルをすることになった。




 翌日の午前中、アトリエに向かったリトは、ジネットとともに服を買いに行くことになった。

 街中に行くジネットは、昨日のエプロン姿よりも気合の入った服装だった。


「よろしければ店の周辺も案内しますよ。ラズさんもどうですか?」


 ラズはリトとジネットを見比べて訳知り顔になってから、首を振った。


「んー、俺はやめとく。二人で行ってきな」


 リトとともにここまで来たラズは、ひらひらと手を振ってアトリエから去り、依頼を求めて街の中心部へと歩いていった。


 宿屋からアトリエへ行き、それから街の中心部へ行くなら盛大な回り道なわけだが、なんのために来たのだろう。


 リトとジネットの様子を見たいから、などと言っていたが真偽は怪しい。昨日のように昼食にありつけるとでも思っていたのではなかろうか。


「まったく……そうだ、街の案内はありがたいんだけど、先生の作業が押してるんじゃ」

「昨日、夜遅くまで作業していたようですから、起きるのは昼過ぎですね。昼食を食べてからアトリエに向かえば丁度いい時間になるでしょう」


 そういうことなら、と店周辺の案内も頼むことにした。


 街の中心部へ向かい、普段利用しないような服飾店に入った。リトはどうにも場違いな気がして臆していたが、ジネットは慣れた様子で服を物色する。


「ほら、やっぱりこういう服が似合います」

「そうかな……服に着られているような」


 王侯貴族御用達の服は基本的にオーダーメイドだ。だがいまから作ってもらう時間などなく、もっと安価な既製品から選んでいた。


 そう、王侯貴族が着るような服よりは、安価なのだ。普段ぎりぎりの資金で旅をしている旅人からしたら、到底手が出ないような値段だとしても。


 やっぱり自分が王家の血筋というのはなにかの間違いなんじゃないか、と思いかける。塔で生活していた頃もいまも、贅沢とは無縁な暮らしをしていて、すっかり庶民の感覚になっているのだから。


 なにかの間違いだったら、あの夜に王がわざわざ塔にやって来ることはなかっただろうけれど。


「リトさんは気に入りませんか?」

「そうじゃないよ。すまない、考え事をしてた」


 服をリトが気に入ろうがそうでなかろうが、ユーグに頼まれて服を選ぶのはジネットだ。彼女は一式を購入し、服が入った箱を積み上げて抱えようとした。


「僕が持つよ」

「大丈夫ですよ。あのアトリエで雑用をしていると、重いものを運ぶのもよくやりますし」

「いや、それでも。モデルの仕事は好待遇だし、荷物運びくらいやらせて欲しい」


 そう指摘すると、ジネットはふふ、と笑みをこぼした。


「じゃあ、半分お願いします」


 箱を半分受け取っていると、店内にいた客の一人が声をかけてきた。


「おやおや、芸術とユーグの作品に傾倒しているジネットにもついに春が来たのかい」


 からかい交じりの言葉からして、その青年はどうやらジネットの知り合いらしい。

 この店で売っているような華やかな服を身にまとっていて一見貴族のような姿だが、適当な物言いと雰囲気から風変りな印象を受けた。


「そんなんじゃありません。リトさんは旅人で、しばらく先生のもとでモデルをしてもらうことになったんです」

「ユーグがモデルを? へえ、余程彼の思い描く姿にはまったんだね」


 青年は興味が沸いた様子でリトを眺め回した。


「うちが先約なんですからね。大金を積まれても、そちらのモデルをしている暇はありませんよ。そうですよね、リトさん!」

「え、あ、ああ……」

「それはそれは。では、彫刻が完成するのを楽しみにしているよ」


 青年はジネットの反応がおかしくて堪らないといった様子で話に区切りをつけ、服を選ぶのに戻った。


「まったく……あの人も若手の芸術家なんですが、わたしや先生のことをたびたびからかってくるんです。アトリエに来ても無視してくださいね」


 青年はジネットを見かけたら声をかける程度には気に入っているようだが、ジネットは彼を苦手に思っているらしい。世の中ままならないものだ。


 さっきの若手芸術家の話題をこれ以上出すな、という空気を感じたので、リトは話題を変えた。というか、戻した。


「それにしても沢山買ったね」

「もちろんです。王子の姿を再現するなら、まだ足りないくらいです」


 芸術家の手助けをする名助手の顔になり、ジネットは頷いた。


「先生は童話に出てくる王子の彫刻を作っているんだったよね」

「そうです。この国に伝わる、誰でも知っている童話です」


 様々な試練を乗り越え、魔物に囚われた姫君を救い出し、やがては立派な王になる王子の成長譚。人を助けると見返りがあり、悪事を働いた者は身を滅ぼすという勧善懲悪の物語だ。


 ジネットが教えてくれた童話は教訓も含んではいるが、子供が憧れるような理想的な英雄譚だった。

 そんな童話の主人公とリトの境遇は、やはりまるで違う。


「童話における魔物は、古来よりこの国にとって脅威だった北の大陸にある王国を意味している、という説もあるんですよ」


 ジネットが付け足した説明に、リトはぴくりと身じろぎした。


「その国では、黒髪黒目の子供は災厄を呼ぶという予言が二十年ほど前に広まったそうですね。リトさん、ネグロディオスに行かないほうがいいですよ。いまでも黒髪黒目の子供や若者は酷い扱いをされているそうです」

「……そうだね」


 掠れた声でそう答えるだけで精一杯だった。


「そういえば、港町にネグロディオスの船が来航したとかいう話を聞いたが」


 渋い外見の店主が話に入ってきた。


「船くらい来るでしょう。現在、表立って戦っているわけでも、入国を禁じているわけでもないんですから」

「いやいや、ネグロディオスの噂が伝わってくるときは、大体が北の国がなにか仕出かしてくるときだ」


 辟易した様子で店主は溜息を吐き出した。


「北の大陸をあらかた占領して百年ほど経ったのだったか。他の大陸の侵略に再び着手したとしてもおかしくなかろう」

「何度も失敗しているのに、繰り返しますか?」

「ネグロディオスがこの国にとっての災いでなかったなら、あの童話が語り継がれることもなかっただろさ」


 童話の解説と店主のぼやきを聞いて、思った。ネグロディオスの王家の血を引く者が、その童話の王子の像のモデルを引き受けてよかったのだろうか、と。

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