記憶の断片4 怪我

 リトとラズが森を進んでいると、必死の形相で逃げていく数人の大人たちとすれ違った。


 腹が出た身体に高価そうな服を着た壮年の貴族は、実用性よりも装飾性を極めたようなきらびやかな弓と矢を背負っている。

 残りは使用人らしい装いの青年が二人。使用人たちが声を上げる。


「主様、やはり私は戻ります! あの子を死なせたとあっては、彼の親になんと言えば――」

「使用人の子供など捨て置け! あれだけ怪我をしているのだ、もう助からん!」

「しかしっ――」

「あの子供を連れて馬車に乗っていたら、血の匂いを嗅ぎつけた魔物が追ってきて襲撃されるかもしれんだろう! わしになにかあったら、貴様は責任を取れるのか!?」


 貴族と使用人は言い争いをしながらも、近くにつないであった馬車に乗り込んで、その場所から見る間に立ち去った。


「どうやら、狩りに来ていた貴族のおつきの子供が取り残されたようだな」


 首を突っ込む気満々の様子で、ラズは彼らが逃げて来たほうに視線をやった。


「あの様子だと、魔物に襲われたようだけど……」

「鈍重そうな貴族のおっさんより、俺のほうが強い」


 だからといって魔物に勝てるとは限らないのでは、というリトの反論は黙殺された。


「誰かを切り捨てないといけないとか、そのおかげで大勢が助かったとか、貴族は尊い血だから低い身分よりも優先されないといけないとか。そういうの、嫌なんだよ」


 予言のせいで国のために切り捨てられそうになった身としては、そう言われるとそれ以上反論はできなかった。


 二人が森の奥に足を踏み入れると、狼のような魔物に囲まれながらも木の棒を振り回している十一、二歳くらいの少年が見えた。

 魔物から距離を取ろうとしているようだが、足を引きずっていて動きが鈍かった。


「助けに来たぞ!」


 ラズが呼びかけると、少年の瞳に輝きが宿った。


 魔物を倒したラズが少年を助け起こしていると、少年が旅人の肩越しのものを見て、目を見開いた。


「もう一体いた――」


 向かってきた魔物は牙を剥いて、旅人の二人のうち戦い慣れていないほうへと、飛び掛ってきた。


 リトは息を呑む。

 だがリトと魔物の間に、身を割り込ませてきた者がいた。




 宿屋のベッドのほうから声が聞こえた。


「なに泣いてんだよ」


 やれやれしょうがないなといった、感情を制御できない者の機嫌を取っているような声音に思えた。


「泣いてない」

「目、赤いぞ」

「嘘だ」


 はあ、と溜息が聞こえてきた。


「ったく、怪我したのはこっちだってのに、なんでお前が落ち込んでるんだよ」

「落ち込んでない」


 ベッド脇に持ってきた椅子に座っていたリトは、顔を上げてラズのほうを見た。


 魔物から旅の連れを庇って、ラズは怪我をした。リトは必死になって魔物を退け、怪我人二人を連れて逃げた。


 貴族の主を屋敷に送り届けた使用人が、やはり取り残された子供が心配だからと馬車で森に戻って来なかったら、手足を噛まれた状態で街まで行くことも難しかっただろう。


 子供と使用人に大層感謝され、怪我の手当てをしてもらい、街の宿屋で横になってようやく落ち着いたというわけだ。


 しかし、リトの内心は様々な感情が渦巻いていた。


「どちらかというと怒ってる。窮地の際は、自分の身を優先したほうがいい」

「実戦経験が少ない旅の連れがいたら、守ろうとするだろ」


 多少は戦えるようになってきたと思っていたが、ラズからしたら庇護対象であり、戦えない子供と同じなのかもしれない。


「そのせいで君に怪我させて、僕が喜ぶとでも?」

「死んでないんだからいいじゃん。双方無事だったことを喜んどけ」

「あのなあ……」


 リトと使用人の子供を守ろうとして、手足に包帯を巻いてベッドに横たわっている姿を見て、なにを喜べというのだろう。


 自分の存在は、ラズの負担になっているのかもしれない。そんな疑問が頭を過ぎる。

 しかし、口から出たのは別の内容だった。


「……僕、もっと強くなるから」

「おう」

「君が怪我することがないように」

「そりゃ頼もしい」

「――君が死ぬことがないように」


 小声で付け足された言葉は、多分ベッドに横たわる旅の連れにまでは届かなかっただろう。

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