4章 ずっと前
闇を取り込むことを繰り返し、慣れてきた。
そんなとき、ふと思った。闇は本来、人や場所に瘴気を撒き散らし、悪影響を与えるものだ。
取り込んでしまっていいのだろうか。
あるとき闇の回収を終えた後、セツナの足元がふらついた。意識が途切れ、次に目覚めたら宿屋のベッドの上だった。
「お、気がついたか」
ラズが近づいきて、顔を覗き込んできた。
「知らない世界であちこちに行って、これまでやってなかったことを繰り返して、疲れが出たんだな。悪かったな、倒れるまで気づかなくて」
「いや……大丈夫」
返事をしようとして、掠れた声しか出なかった。
「大丈夫じゃねえよ。疲労回復の薬を飲んで、今日は休め」
「でも」
「決定」
次の行き先を決める者にそう言われてしまっては、それ以上言い返すことはできなかった。
ラズは心配し過ぎだと思ったものの、上半身を起こしたら身体が重くて頭がくらくらしている状態で、確かにいまは休んだほうがいいのかもしれない、と納得した。
差し出された苦い薬を飲み下して、コップの水で流し込む。
再び横になると、上掛けの上からラズが手を乗せて、子供をあやすように軽く叩く。そんな仕草が心地よかった。
「……倒れた理由、疲れだけ?」
そう問いかけると、額に手を被せられた。
「熱が少しあるな。風邪の自覚があるなら医者にかかるか?」
「いや、いいけど……もしかしたら闇を取り込んだからかと思って」
最近考えていたことを告げると、ラズはきょとんとしてから断言した。
「セツナが闇のせいで体調を崩した? それだけはねえよ」
「どうして?」
「それは――」
返事が来るまでに、しばし時間が経過した。
「そうだな、闇を取り込んだから影響を受けているのかもな。そうだとしても悪いようにはならねえし、そのうち治まるからさ」
「……そう」
よくわからないが、ラズがそう言うのなら信じるしかなかった。
「ところで、闇を取り込める人はこの世界にはいないんだっけ? わざわざ僕を呼ぶしかなかったくらいに」
「そうだな」
「万能の力を持つ勇者でも無理なんだ?」
「万能って言われてるけど、勇者の力なんてそこまで万能じゃねえよ」
剣の腕が立ち、回復能力が高く、竜を呼び出して乗りこなし、風や炎を操り、転移魔術が使える。十分万能な部類だと思うが。
ふと、あの嵐の夜の出来事を思い出した。
「死者を蘇らせることはできないんだったよね」
「それができたら、それはもう勇者じゃなく神の領域だな」
「他には?」
「時間を移動したり、過去を変えたりなんてことはできないな」
「へえ……」
「強い魔物を倒せる力があっても、それ以外の心の底から願ったことは叶わないようにできてるんだよ」
願い。ラズの願いとはなんだろう。
「セツナは? なんかやりたいこととか、欲しいものとかあるか?」
「そうだな……」
ラズに召喚されてこの世界に来て、これまで望んでいたことのいくつかは叶った。
行ったことのない場所へ行って、見たことのない光景を見ることができた。
自分の力を必要としてくれている人がいて、自分にしかできないことをやって人から感謝された。
どうやっても不幸な日々だと嘆くことは、なくなった。
「いまがわりと楽しいから、このままでいいかな……」
「そっか。ならよかった」
ラズは満足そうに笑った。
「そうだ、ラズは――これまでも世界を旅していたんだよね」
「ああ」
「二年前から……」
「なんで二年前?」
「テレジアさんの館でそう言ってたから」
「二年前から旅をしてたんじゃなく、旅に出て二年くらい経ってから、連れがいたほうが便利そうだなと思ったって話だ」
「なんだ……」
どうやら会話の流れから、誤解をしていたらしい。
「じゃあ、いつから旅をしていたんだ?」
「んー、ずっと前から」
ずっと前。西洋的な顔立ちの若者は日本人より大人びて見えるからそれを考慮に入れて、ラズは同年代か少し上くらいだと思っていた。
しかしこの言い方だと、実はもっと年上なのだろうか。それとも旅をし始めたのが、もっと幼い子供の頃なのだろうか。
しかしそれよりも先に、別の疑問が口をついて出た。
「これまで僕の他に、旅の連れはいたのかな」
「いたよ」
その返事に、思った以上に衝撃が来た。長いこと旅をしているのなら、他の人と旅をしていた期間があってもおかしくはないし、ラズは旅の連れを欲していたという話を聞いたばかりなのに。
「……そう」
もしかして、その相手が言ったのだろうか。ラズに、名前をつけて、と。
そうだとしたら、ひどく羨ましくなった。これまでとは別の世界に来て、召喚した相手が名前をつけてくれるのなら、それでよかった。この世界に来てはじめての贈り物を受け取りたかった。
だけどいまではもう、「セツナ」と呼ぶラズの声は、耳に馴染んでしまっていた。
――でも、一番逢いたいやつにはもう逢えねえんだ。
その相手がかつての旅の連れだとしたら、道を違えたのだろうか。それとも――。
考え込んでいるうちに眠気に襲われて、セツナの意識は沈んでいく。
そしてまた、あの夢を見る。
翌日。薬を飲んで熟睡したからか、昨日の具合の悪さは消えていた。
「顔色よくなったな」
「うん、もう大丈夫。旅の続きも闇の取り込みもできるよ」
「そりゃ頼もしい」
今日はこの街に多くの人が訪れるから、見回りをしようということになった。
街は盛大に飾り付けられ、普段着とは異なる赴きの服を着た住人や、他の街から来た者たちであふれ返っていた。
「今日ってもしかして……」
「ああ。祭りの日だ」
街の中心部である大通りには様々な屋台が建ち並び、広場では音楽に合わせて踊りを踊っている者たちがいる。
最初こそセツナは祭りに賑わう街を注意して見て回っていたが、闇の気配はないようだ。
ラズもそれほど警戒している様子はなく、屋台の軽食をいくつも買って食べ歩きつつ、セツナにも差し出していた。
「あ、あっちの屋台に並んでるのもうまそうじゃねえか?」
「そんなに買っても食べきれないよ」
「いけるいける。せっかく祭りの時期に滞在してるんだから、後悔がないようにしねえとな」
病み上がりに食べ過ぎても具合が悪くなって後悔する羽目になりそうだが、ラズは気にしていないようだ。
セツナの先を行くラズは、実に生き生きしていて楽しそうだった。それにつられてセツナも心が弾んでいった。
非日常の街を興味深く見ていたセツナの耳に、ラズの声が聞こえてきた。
「この街は、三百年前に焼け野原になってから復興したんだ」
意外な解説に、思わずラズのほうを振り返った。
「昔栄えていた文化も特色もなんもなくなっちまったけど、生き残った住人の子孫がいたり、それから――焼けて壊れたけど、修復されて現存してるものもあるんだ。あれとかな」
指さした先には、目立たない場所にひっそりと、人間と同じサイズ感の胸像があった。
修復されたと言っていたが、顔は崩れていて顔立ちも表情もわからない。肩から下の腕が折れたように欠落していることも含めて、異様な感じがした。
これがこの世界の芸術の表現なのだろうか。
「かつて街に災いを呼んだ者の像、だってさ」
そう説明するラズの顔は、遥か遠くを見ているかのようだった。
日が落ちてくると、街のあちこちに灯りがともされた。満天の星空の下で丸い覆いで囲われた灯りが街を照らし出し、神秘的な光景を作り出した。
「綺麗だね」
「ああ」
セツナはラズと一緒に祭りを楽しんだ。もしかしたらセツナが気分転換になるよう、ラズが取り計らってくれたのかもしれない。
魔王の残滓である闇を祓う旅の途中での、束の間の休息だった。
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