3章 代替(1)
ある街からしばらく行った先にある洞窟に闇が蔓延していると聞き、そこまで行って闇を取り込んだ。それから街まで戻る帰り道で、大雨に降られた。
大粒の雨が身体を打ちつける。雨だけでなく風も強く、雷の音も聞こえる。
「大雨というより嵐じゃないか、これ……」
転移魔術は洞窟近くの街に移動する際に使ったから、即座に街まで帰ることもできない。竜に乗って走っていると、速さのせいで余計に体温が奪われていく。
どこかで休もうにも、雨風をしのげるようなものは周囲にはなかった。
「セツナ、きつかったら言えよ」
「平気……」
「お前の大丈夫とか平気という返事は、当てにならんことに最近気づいたんだが」
それは日本人の特性だ。セツナだけが無理して強がっているわけではない。
身体が冷えて、頭が朦朧としてきた。後ろからラズが支えてくれていなかったら竜から落ちていたかもしれない。
目蓋の裏に浮かんでは消える光景。この世界に来てから見る夢の続きが再生されているかのようだ。
水の音。水――いや、波。海。潮騒。揺れるなにかに乗っている感覚は、船に揺られているかのようで。
「ほら、しっかりしろ」
ラズに声をかけられ、意識が戻ってきた。
「あ。あれ、建物じゃないか」
濡れて額に張り付く前髪を払ってからラズが指さすほうに視線を向けると、館が見えた。
そういえば街で情報収集をした際、街からしばらく行った先に貴族の別邸があると聞いた気がする。わけありな貴族が住んでいるという噂が流れていたような。
周囲も暗くなってきた。雨がやむまで休ませてもらえないかと、館を訪ねることになった。
館の扉をノックすると、軋んだ音とともに扉が開いた。
「どなた?」
高く澄んだ声がして、若い女性の白い顔が扉の向こうに現れた。背後で雷鳴が鳴り響き、光が明滅する。
作り物めいた整った顔立ち。髪の色も着ているドレスも白に近い淡い色で、暗い室内に浮かび上がっているかのように見えてしまい、セツナは思わず肩を跳ねさせた。
「どうされた」
女性の後ろから彫の深い相貌の茶髪の男性が現れる。彼は濃色の立派な服を身にまとっていて、女性よりは人間味があるように見えた。二人とも二十歳前後だろうか。
出迎えてくれた館の住人に対してなにを驚いているのだろう、とセツナは反省した。
ラズは名乗って用件を告げた。
「すまないが、雨がやむまで休ませて欲しいんだが」
「あら、この雨の中、大変だったわね。もう夜になるし、一晩泊まっていくといいわ」
淡い灰色の髪に青灰色の瞳の女性がそう提案してくれた。物静かそうだがすぐにそうした選択ができるあたり、館でのことは彼女に決定権があるのだろうか。
「いや、そこまでは……」
「ありがとう、助かった!」
恐縮するセツナとは対照的に、ラズは即座に礼を言った。
タオルと着替えを借りて、玄関近くの部屋で服を着替えた。乾いた服に着替えて髪を拭き、暖炉の前で温まらせてらもってセツナはようやく人心地ついてきた。
少しして使用人に呼ばれた。
「お嬢様が夕食をご馳走してくださるそうです。その代わりといってはなんですが、なにか面白い話をご存じでしたら、話して差し上げてください」
とのことで、夕食をご馳走してもらうことになった。
白いテーブルクロスがかかった長テーブルに趣向を凝らした料理が並び、来客二人と先程出迎えてくれた男女が席に着いた。
ドレス姿の女性はテレジア、濃色の服を着た男性はルーカスと名乗った。
「まあ、お二人は旅人なの。いいわね、自由にどこへでも行けて」
館の住人に対してラズはわざわざ勇者だと名乗ることはせず、旅人で通すことにしたようだ。
「いや、いまでこそ旅に慣れているからどうとでもできるけど、旅をはじめた当初は大変だったよ。なにせ金もないし、勝手もわからない。何回死ぬ思いをしたんだか思い出したくもないな」
人付き合いのうまさを証明するように、ラズは未熟だった頃の苦労話を面白おかしく語った。テレジアは目を細めて、興味深そうに聞いていた。
セツナとしても、ラズが旅に慣れていない頃の話ははじめて聞いたので、意外に思いながらも新鮮だった。
「旅に出て一年くらい経って、知恵もついて失敗も減っていった。二年ほど経って、やっとどうにかやっていけるようになった。でも一人旅は気楽でも、一人じゃなにかと不便なこともあるって気づいてさ」
「それでそちらの――セツナさんと一緒に旅をすることになったのね」
「ん? ああ」
ラズはあっさり肯定した。
「気の合う方と一緒に旅をするなんて素敵ね。わたしとルーカスも子供の頃、将来は二人で旅に出よう、などと夢物語を話したものだわ。ねえ、ルーカス」
「……ああ、懐かしいな」
テレジアとルーカスの話が右から左に抜けていく。
ラズの話が本当だとすると、旅に出て二年以内に魔王を倒したことになる。元々常人以上の強さだったというなら納得だが、さっきのラズの話では、魔物相手に苦戦したという話も出てきた。
それとも他にも紆余曲折あったが、今日はじめて会った人に話すようなことではないと、適当な返事をしたのだろうか。
キレスタール王国でのことを思い出す。ラズと旧知の仲のような会話をしていた年配の王。ミュリエルとも、何年も前から親交があったようなやり取りをしていた。
ラズが旅をはじめて二年経った頃が現在だとすると、どうにも噛み合わない気がした。
自分のことを規格外だとラズは言っていたが――規格外とはなんだろう。
訊けば教えてくれるのだろうか。それともテレジアに話しているように、適当な話で終始するのだろうか。
ラズのことを知りたかったが、嘘を吐かれたり誤魔化されたりしたらどうしようという想いも膨らんでいった。
「セツナさん。雨に打たれて血の気がなくなっていたようですし、重いものは受け付けないのかしら。だったら料理人に別のものを――」
「あ、いえ、大丈夫です。おいしいです。暖炉のおかげで回復しましたし」
テレジアに話を振られ、考え事をしていて食事の手が止まっていたことを自覚し、セツナは慌ててそう返した。
実際、料理はキレスタール王国の城で出たものと比べても遜色ないくらいにおいしい。冷えた身体に温かいスープが染み渡る。
「ならよかったわ。そうだわ、セツナさんはラズさんと旅をする前はなにをしていたのかしら」
「え、ええと……」
こことは別の世界で学生をしながら鬱々とした日々を送っていました――と偽りなく話していいものか迷い、かといってこの世界の住人らしい過去も咄嗟には出て来なかった。
言葉に詰まるセツナが固まっていると、ラズが話題を変えた。
「そういえば、街で聞いたんだけど。ここの館に住む方に、最近不幸があったとか」
「ラズっ」
助け船を出すなら他の話題もあるだろうに、とセツナは声を上げた。しかしテレジアは気にした様子も見せずに、
「ええ、確かに」
と肯定した。
「ここの館に住む者にというよりも……わたしが哀しみに暮れてばかりで他になにも手につかなかったから、しばらく社交から離れて別邸で静かに暮らすことを家族に勧められたの」
「失礼だけど、誰がお亡くなりに?」
テレジアは静かに微笑んだまま、返事をせずに食事を続けた。
ラズもそれ以上追及せずに、出された料理に舌鼓を打った。
食事の後、用意してもらった客室に案内された。扉を閉められ使用人の足音が遠のいてから、セツナは溜息を吐き出した。
「貴族との食事は緊張したか?」
「いや、それもだけど、それだけじゃなくて」
あの場で色々と思ったことがあったけれど、まずはこれだとラズに問いかけた。
「なぜ館の住人本人の前で、街の噂の話を出したんだ?」
「この館、闇の気配がするからさ。街での噂も合わせて、なんかありそうだな、って」
「え……」
「取り越し苦労ならいいんだけど」
ラズの言葉で思い当たるものがあった。
嵐の夜に迷い込んだ、街から少し離れた場所にある館。貴族というだけでなく、どこか浮世離れした印象がある館の住人。そしてその住人には、なにか秘密がある様子。
考えてみたら、ホラーの定番の舞台仕立てと登場人物ではないか。
「もしかしてあの夫婦、幽霊とか……」
「幽霊なんて物語の中にしかいねえよ」
ラズの説明を意外に思った。この世界でもそうなのだろうか。魔物や勇者がいるのなら、幽霊が存在してもおかしくなさそうだが。
「幽霊、いないんだ?」
「人は死んだら終わりだ。魂も思念も、地上から消え去る。残るのは物言わぬ遺体だけだな」
それすら残らないこともあるけど、とラズは続ける。
「お化け――霊体のような魔物はいないと?」
「そういうのならいるぞ。それから実体を持たない精霊の類とかな。でもそれらはそうした精神体の種族だ。人間が死んだ後になる存在じゃねえ。幽霊は、人が死んだ後も意識や心が残ればいいと願った人間の創作に過ぎねえよ」
世界が変わっても、大切な相手が死んだ際に人が思うことは同じらしい。そして現実に叶わないことは、創作の中で語られる。
「死んだら終わり、か……」
「そう。またこの世界に転生してこない限りな」
転生の思想はあるらしい。
「……この世界に?」
「大きな罪を犯した者は、世界から追放される。魂が巡り巡っても、この世界に生まれてくることは二度とないと言われてるな」
もといた世界では、罪を犯した者は動物や虫に生まれ変わり、人間に転生できないという思想があると聞いたことがあった。しかしそれにしたって同じ世界で魂は巡っている。
世界から追放されるほどの罪とは、どれほどのものだろう。
「この世界の神様は、変わった法則を作ったんだね」
「神様、か」
どこか素っ気なく、ラズは口にした。
それっきり黙ってしまったので、セツナは次に気になっていたこと、旅に出たのはいまから二年前なのかという話を訊いてみようかと思ったが、それより先にラズが別の話題を出した。
「ああ、あと。セツナ、さっき館の住人を夫婦って言ったっけ」
「そう見えたけど」
こうした世界なら結婚も早いのかもしれない、と若い男女が並んでいたら夫婦かと連想した。兄妹や姉弟には見えなかったし、二人が仲睦まじい様子だったというのもある。
「指輪、してなかったな」
「そういえば……」
テレジアのドレスの袖から伸びる白い指先を思い出す。手袋をしていない手に、指輪はなかった。
「それに夫婦なら、使用人は彼女のことを奥様って呼ぶんじゃないか」
お嬢様と呼ばれていた女性の、ここではないどこかを見ているような瞳は、ラズが時折浮かべる表情に似ていた。
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