記憶の断片2 旅立ち
災厄の予言によって王に殺されそうになった黒髪黒目の少年は、ラズという旅人に救われて、ともに旅をすることになった。
救われたのは命だけではない。ラズと出会って、真っ暗だった世界に光が差したように思えた。
怪我の手当てをしてもらい、木の棒を杖にした状態でなら歩けるようになった。なんとか動けるようになったので、ラズに協力してもらって使い魔を埋葬した。
土を被せた場所の前で膝を折って目を閉じ、フィースに伝える。
――ごめん。それから、ありがとう。
その後、夜を明かす場所を求めて移動して野宿の支度をしながら、焚火に照らされる中でラズはこう提案した。
「じゃ、お前のことリトって呼ぶか」
「そう、わかった」
これまで使い魔と魔術師しか呼ばなかった名前は捨て、リトと名乗ることになった。名前の良し悪しはよくわからないが、本で読んだ人名にそうした名前はなかったように思う。この国では珍しい語感なのかもしれない。
「いや、それで終わりかよ。理由とか訊かなくていいのかよ」
訊いて欲しいのだろうか。
「なぜリトなんだ?」
「俺の故郷の神様の名前」
「神様って、そんな恐れ多い」
「つってもあの国の神話には神様が沢山出てくるんだよ。子供に神様にあやかった名前つける人も多いぞ。だからそこまで恐縮する必要ねえって」
それならたまたま助けた相手に神様の名前をつけるのも、おかしなことではないのだろうか。
「へえ。ネグロディオスの神様は、天の上にいるのは一人らしいけど。他にいるのは異教の邪神とか悪魔とか……」
「この国は、最初は小国だったけど北の大陸を統一したんだもんな」
「そうらしいね。……それが神様の話となにか関係が?」
「だから、領土拡大していった先の民が信じていた神を、邪悪な存在だってことにしたんだろ」
あ、と腑に落ちた。本に書かれていることを鵜呑みにしているだけではわからないこともあるらしい。
「人智を超えた力を持った大いなる存在は、神にも悪魔にもなり得るってことだ」
「へえ……」
「そういえば、ネグロディオスって王族の中でも王位を継いだ王様が、
話題が変わった先で出てきた言葉は、塔に現れた王を思い出すのには十分だった。ぱちぱちという焚火が爆ぜる音を聞きながら、なんとか返事を口にする。
「……そうらしいね」
「王族は国を作った創造主の末裔で、王の言葉は神の言葉。現人神は天上神の代行として国の統治をしている、だったか。そのくらい尊大な心持ちでいねえと、領土拡大や国の統治なんてできねえのかね」
神の末裔。現人神。人智を超えた存在は、神にも悪魔にもなり得る。
あのときの王は、まるで悪鬼のような形相に見えた。彼がこの国の現人神だという。王は不穏な予言をされた子供を手にかけてでも、国と自分を守ろうとした。
これまでもそうやって少数を切り捨てて、国や多数の民を守護してきたのだろう。切り捨てられた者の痛みなど考えもせず、瑣末なことだと断定して。
「この国のことよりも、ラズの国のことについて聞かせてよ。リトってどんな神様?」
「困っている人の願いを叶えてくれるんだ」
「それはすごい。優しい神様なんだね」
「一年間毎日欠かさず祈ればいいとか、自分のもっとも大切なものを捧げるといいとか言われてるな」
「いきなり大変になったね」
そうまでして叶えたい願いとは、なんだろう。
これまで塔での暮らしを繰り返しているだけだった身では、強い願いなんて抱いたことはなかった。
塔の外の世界に多少の興味はあったけれど、行くことは禁じられていた。そして決まりを破った結果が、いまだ。
時間を戻せたらいい、フィースの死をなかったことにできたらいいとは思うけれど、それはどう足掻いても叶わない。
ラズの故郷の神様だって、世界の条理に反するような願いまでは叶えてくれないだろう。
ふと、疑問が湧いた。
「ラズはなにか願いがあるの?」
「ああ。もしかしたら叶うかもしれねえぞ」
「なに?」
「気の合う旅の連れが欲しいって思ってた」
リトの鼓動が跳ねた。
「願いが叶うかどうかは、リトのこれからにかかってんな」
屈託なく、そう言われた。
「それはまた……期待に応えられなかったらすまない」
「なんでそこでへこむんだよ。任せとけ、くらい言えよ」
使い魔や魔術師のことが頭を過ぎる。フィースは災厄の予言をされた少年をかばって死んだ。レヴィンには裏切られた。
期待をしたら、また裏切られるかもしれない。行く道が分かたれることもあるのかもしれない。
だけど。
「ま、任せとけ……」
絞り出すように、リトはそう返していた。頬が熱いのは、焚火のせいだ。照れくさいとか、この対応で合っているのか不安だなんて、思っていない。
「おう、よろしくな」
焚火にかけていた鍋をかき回しながら、ラズは快活に笑った。
どうやらラズが望む反応ができたらしいと、リトは安堵した。
「あ、でも、旅をしながらやりたいことや住みたい街を見つけたなら、旅よりそっちを優先しろよ」
「え」
「俺だって命を狙われてて追っ手が来るかもしれん、なんて状況でなけりゃ、一つの場所から動きたくないって」
高揚した気分がしぼんでいくのを感じた。
「……旅に付き合えとか言っておいて、そういうことを言う?」
「それはそれ、これはこれ。未来のことなんてわからんからな」
未来。あのとき殺されていたら、閉ざされていたもの。だけど生き延びたからには、その先に広がっている。
「まずはしばらく一緒に旅をして、二人でやっていけるか試そう。その上でこれから先、お前がどうしたいか決めればいいさ」
「……ああ」
ラズとの旅がずっと続くものではないとしても、彼とともに塔の外へ行けるというのは、心が躍った。
その夜は疲労からか、リトは夢も見ずにぐっすりと眠った。
朝起きて、何事もなく夜が過ぎたことに安堵した。崖下の森にまで、鎧を着た兵士が捜索に来ることはなかったらしい。
リトとラズは森を出て近くの街まで行き、馬車で遠くの街を目指した。足の怪我が回復してからは港町を拠点にして、船代を稼ぐことを目標に旅費を稼いだ。
故郷にいた頃は剣技や武術を習っていたというラズに、剣や戦い方を習った。船代が溜まる頃には戦いの基礎が身についてきた。
最初は追っ手が来るかもしれないと警戒していたが、見るもの聞くものすべてが新鮮な状態では、それどころではなくなってしまった。
なにもかもが順調だったわけではない。大変な事態も多々あった。人同士の諍いに巻き込まれたり、滞在している街で事件が起きたりした。
森や洞窟へ行った先で、戦いの基礎が身についた程度では到底勝てないような魔物と出くわすこともあった。
けれどそれらも、ラズと一緒なら乗り越えていけた。
やがて目標の船代が溜まったので船に乗り、生まれ育った国をあとにした。甲板に出てきて、潮の香りがする中、リトは海を眺める。
「これが海……」
「はじめて見るのか?」
「うん」
どこまでも続く海原。水平線が遥か遠くに見える。
「そっか。で、どうだ? 国の外に出ることになって」
ずっと生まれ育った塔から出られないと思っていた。それなのにあの森から出たのみならず、国を出ようとしている。
あの日の夜に明かされた真実を知り、王に殺されそうになった少年は、ネグロディオスという国に居場所などないと感じた。
だけどラズとともに訪れた街で、様々な人と接した。彼らはリトを排斥することなくかかわってくれた。
街もそこに住む住人も、本で読んで期待をしていたようなものではなかったけれど、リトの敵でもなかった。
予言の件があるからと念のために人前では帽子を被っていたから、黒髪黒目ということを知られたらどうなっていたかわからないが。
「なんか、夢みたいだ」
「夢じゃねえよ。苦労して船代を溜めた日々を忘れたのか?」
「そうじゃないけどさ」
笑みをこぼして空を見上げる。よく晴れた空も、視界に広がる海も、ラズの瞳の色を彷彿とさせる鮮やかな青だった。
「あの日の夜、ラズに会えてよかった。旅に誘ってくれてありがとう」
「そう改まって言われると照れ臭いな」
はは、と笑ってラズは頭をかいた。
海を渡り別の国へ行くと、見える景色が変わった。ネグロディオスの外では災厄の予言は広まっていない様子で、帽子を被らなくてもよくなった。
こんな風に知らない世界を旅しているのが、奇蹟のように思えた。
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