2章 遺跡(2)

 竜に乗って辿り着いた先に、目的の遺跡は佇んでいた。

 石造りの建物は堅牢そうだが苔むした壁は一部崩れていて、外にある柱は倒れている。長い時間の経過を感じさせる遺跡だった。


 遺跡に入っていくと、前回の街ほどではないが闇の気配が漂っていた。


「足元気をつけろよ」

「大丈夫」


 遺跡内部は壁が崩れていたり動物の骨が転がっていたり、外から太い木が伸びてきていたりするが、基本的に石畳の床なので歩き難いというほどではなかった。なにをそんなに警戒しているのだろう。


 天井が崩れている箇所から陽光が差し込んできて、灯りがなくても周囲は見える。時折魔物に遭遇したがラズが危なげもなく倒し、先に進んで行った。


 いくつか曲がり角を曲がって長い通路を進んでいると、セツナの足元が抜けた。


「――え」


 痛みと衝撃の中で、身体に降り積もる欠片を払いつつ起き上がる。床が抜けたことと下の階に落ちたことを理解した。警戒すべき要素は多々あったらしい。


「セツナ、無事か?」

「ああ、なんとか」


 頭上から声をかけられて上を見ると、天井に空いた穴から見下ろしているラズと目が合った。身体はあちこち痛いが、骨は折れていないと思いたい。


「すぐそっちに行くから、そこにいろよ」

「わかった」


 ラズの姿が穴から消えてから、セツナは嘆息した。天井や崩れた壁から光が漏れていた一階と違い、薄暗い地下ということもあって、気分が落ち込んでいく。


 ――情けない。


 ラズのように魔物を相手にすることはできなくても、足手まといになりたくはなかったのだが、新しい場所に来て早々、迷惑をかけてしまった。


 勇者と呼ばれる者と同じようにいくわけがないとわかっているし、そもそもこの世界の常識もよく知らない状態で、ぶっつけ本番で遺跡の攻略なんてできると思うほうが傲慢なのかもしれないが。


 失敗したことを落ち込むよりも、もう少しラズの役に立ちたいと思った。


 ――あれ?


 その感覚に覚えがある気がした。なぜだろう。ラズとは会ったばかりだし、この世界にも来たばかりなのに。


 頭を過ぎる光景があった。先を行く誰かを追いかけていく。会ってしばらくした頃、世間知らずだと呆れられた。だから努力して、世界のことを知ろうとした。重荷になりたくなくて、強くなりたかった――。


 なにかに思い至りかけたとき、声をかけられた。


「人がいるの……?」

「えっ」


 驚いて周囲を見渡すと、通路の奥から誰かが近づいてきたのが見えた。


 十代半ばに見える少女だ。オレンジに近い明るい茶髪が背に垂れていて、ワンピース型の服を身にまとっている。

 彼女は不安そうにしていて足取りはふらついていたが、駆け寄ってきたセツナを見て安堵したように微笑んだ。


「よかった、人に会えたわ」

「君はどうしてこの遺跡に?」


 少女の衣服はよく見ると薄汚れて何ヶ所か破れていた。顔色は悪く、衰弱しているように見える。


「わたしはマルガ。馬車で移動している最中に魔物に襲われて、攫われて来たの」


 キレスタール王国城下町に来たときのことを思い出した。この辺りの魔物は馬車を襲う。そして襲われた馬車すべてが、誰かに助けてもらえるとは限らない。


「大変だったね。怪我は?」

「かすり傷よ。たいしたことはないわ」


 袖が裂けた腕を押さえながら、気丈にマルガは微笑む。


「僕も一階から落ちたんだ。だけど仲間が探しに来てくれているから、待っていたら救助が来る。僕たちの用事が終わったら、君を街に送っていけるよ」

「本当に? ありがとう、優しいのね」


 可愛らしい少女に礼を言われ、思わず胸が高鳴った。

 疲労の色が濃そうなマルガとともに、セツナは遺跡の床に腰を下ろした。マルガは遺跡を見渡し、遠い目をしてつぶやいた。


「魔物に攫われたときはもう駄目かと思ったの。でも、あなたに会えたのだから幸運だったわ」


 もとの世界にいたときは幸薄い人生だと思っていたから、セツナと会えたことが彼女にとって幸運かどうかはわからないが。


「僕よりも仲間のほうがずっと頼りになるよ」

「そうかしら。あなたにも、あなたにしかできないことがあるんじゃない?」

「それは……」


 思わずそんなことはないと返しかけて、ラズに会ったときに言われた言葉を思い出した。


 ――お前にやってもらいたいことがあるんだ。


 闇を取り込む力。その力で、街を一つ救ったのだった。


「……うん、そうだね」


 僕だけじゃなく仲間の功績が大きかったけれど、と続けようとして、セツナの視線のすぐ先にマルガの顔があることに気づいた。至近距離から目が合い、頬が熱くなった。


「あの、マルガ……?」

「あなた、変わった気配を感じるわ」


 唐突に話題が変わった。高い声に蠱惑的な響きが加わったように思えた。


「表には出ていないけれど、深い場所に強い力……その力、わたしにわけてくれる?」

「え……」


 マルガの細い指先が胸に触れたかと思うと、痛みが走った。

 鼓動が跳ねる。心を直接鷲掴みにされたような感覚。


 逃れたいのに身体が動かない。手足を動かそうとして、細い糸が肉に食い込むような感触がした。

 深部にまで爪が立てられる。自分ですら知らない奥底に眠っているものが、暴かれる。


 また、なにかが見えた。

 すべてを覆い尽くす闇。渦巻く闇の中心にある城。

 そこへやって来たのは――。


「そいつを離せ」


 ラズの声がして、セツナは閉じていた目を開けた。朧気だった意識が戻ってくる。視線の先で、剣を抜いたラズが鋭い眼光で睨んでいるのが見えた。


「セツナ。そいつがこの城にいる魔物の親玉だ」


 視線を巡らせると、マルガが立っているのが斜め下に見えた。マルガはそこまで小柄ではなかったはず、と思いかけ、セツナは自分の身体が浮いていることに気づいた。


 否、浮いているのではない。巨大な蜘蛛の巣に、磔にされるように囚われていたのだった。


「あら。そう、彼は勇者の仲間なのね」


 マルガの姿が変わっていく。下半身が膨れ上がり八本の足を持つ蜘蛛の形になり、髪は赤味を増していき、人間ではあり得ないような毒々しい赤紫に変わった。


 蜘蛛と人が合わさったような魔物だ。さっきまで会話していたのは攫われた少女ではなく、魔物が少女に化けた存在だった。


 本来の姿を見せつけるようにする魔物を冷めた目で見ていたラズは、淡々と言った。


「こんな遺跡に出没する魔物が、俺のことを知っているとはな」

「言葉を解する魔物の間で情報共有されているわ。白金の髪の少年を見かけたら戦いは避けろって」


 しかし彼女は自分が口にした内容に反して、余裕がある素振りで手を掲げた。


「でも、人質がいる状態で手が出せるかしら?」


 身体中に巻きつく糸が締め付けられ、セツナは叫び声を上げた。


 蜘蛛の魔物は糸を操る。これ以上力を加えられたら、皮膚が裂けて血が噴き出す。それだけではなく、身体を切断されるのではないかと思えるような痛みだった。


「勇者の仲間なのに特異な気配を持つ少年。興味があるわ」


 特異な気配。闇を取り込んだことを言っているのだろうか。


「お前にそいつのなにがわかる」

「あら、わかるわよ」


 魔物が手を広げると、遺跡地下に広がっていた糸が一斉に動いた。


「あなたがそこまでして守りたい相手ということくらいは」




 魔物は糸を操ってラズを翻弄し、攻撃していった。

 拘束のためだけでなく、高速で飛んでくる糸が鋭い一撃を与えてくる。細い糸は背景に溶け込んで地下の空間に張り巡らされ、糸に触れると刃物で切られたかのような傷ができる。


 素早く伸びてくる糸をラズは剣に付与した炎で燃やしていたが、魔物に近づこうとすると魔物はセツナを盾にしてくるので、決定的な一撃を与えられずにいた。


「どうしたの、こんなもの? かつて魔王を倒した勇者の力もたいしたことないのね」

「うるせえな」


 発言は強気だが、膠着状態が長引くほどラズが不利になっていくように思えた。

 いくらラズが強くて回復が早くても、手足を落とされたら瞬時につながるのだろうか。その状態で即座に動けるのだろうか。


 ラズが普段の力を発揮できないのは、人質がいるからだ。


 動き難そうにしているラズを見て、母親のことを思い出した。夫が殺人犯だとしても、人殺しの血を引く子供がいなかったらあそこまで追い詰められなかったかもしれない。自ら死を選ぶことはなかったかもしれない。


 ――ああ、まただ。僕のせいで、近くにいる人が不幸になる。


 暗い思考に沈みかけたとき、声が響いた。


「セツナ、お前、勝手に絶望してんじゃねえ! 俺は大丈夫だ!」

「ラズ……」

「お前のことも死なせない! 俺を信じろ!」


 言葉が心に染み渡っていく。ラズが言うのなら、どんな絶体絶命の状況だって、切り抜けられる気がした。


「――ああ!」


 セツナの返事に、ラズは満足そうに頷いた。

 拘束は相変わらず緩みそうにない。ラズのように炎を操って燃やすこともできない。だけど。


 ――僕にもなにかできることがあるのかもしれない。

 ――魔物は僕にも力があると言った。闇を取り込んだだけじゃなく、なにか他にやり方があるのなら。


 ラズによって引き出された力。

 鍵が開いた扉。魂の奥底。普段意識することがない深淵から、かすかに滲み出てくるなにかが訴える。

 力の使い方ならもう知っているはずだ、と。


 セツナは閉じていた瞳を開いた。

 漆黒の短剣が、その手にあった。


 ――これなら。


 短剣の周囲に漂う黒い霧が宙を舞う刃となり、セツナを拘束している蜘蛛の糸を断ち切っていく。


「一体なにを……!?」


 魔物が振り返ったときには、セツナは拘束から逃れて空中にいた。落ちた先には魔物の蜘蛛の身体があった。

 落下の勢いに任せて、セツナは黒い短剣を蜘蛛の下半身に突き刺した。


「ぎゃあああああっ!」


 魔物の絶叫が上がり、セツナは強い力で振り払われて床を転がった。武器を手放してしまったが、上半身を起こして魔物のほうを見ると、突き刺さっていた短剣は黒い霧となって空中に解けて消えた。


 そしてのたうち回る魔物にラズの剣が深々と突き刺さり、止めを刺した。




 遺跡に満ちていた闇を取り込んだ後、セツナはラズに声をかけた。


「怪我、大丈夫?」

「ああ。回復力高いのは知ってるだろ」


 ラズの服はところどころ切り裂かれていたが、怪我は塞がっているようだ。


「よかった……」

「こっちの台詞だ。駆けつけてみたら魔物に捕まってるとはな」


 捕まっただけでなく、少女に化けていた魔物を前にして油断していた。冷静に考えたら、魔物が出るという遺跡を少女が一人で歩き回っているほうがおかしいというのに。

 足元が崩れて落ちたとき以上に、自己嫌悪に襲われた。


「……ごめん」

「でもセツナのおかげで勝てたんだよな。すげえじゃん」

「……いや、そもそも君が苦戦したのは僕のせいで」

「過ぎたことを気にしてもしょうがねえだろ」


 些細なことだと笑い飛ばすラズを見て、うまくいかなかったことを引きずってばかりだった過去が、晴れていく気がした。




 キレスタール王国の城に帰り、魔物を倒したこと、闇を祓ったことを報告したラズとセツナに、カルステン王は賞賛を送った。


「二人に褒美を取らそう。望みの品を言うがいい」

「では、一昨日闇を祓った街で被害を受けた場所の修繕費を」

「相変わらず抜け目ないのう。……わしとしては、姫をもらって欲しかったのだが」


 そうしたやり取りをした後、謁見の間をあとにすると、今度は勇者の来訪を知っていたのか、ミュリエルが待ち構えていた。


「その様子ですと、成功したようですわね」

「まあな。でも今回魔物を倒した功労者はセツナだ」

「あなたが倒しましたの?」


 これまでラズしか見ていなかったような姫君が、輝く瞳をセツナに向けた。


「いや、僕は……」

「さすが勇者の仲間、一見そう見えなくてもお強いのですわね」


 ラズが細部を説明しないせいで、セツナが魔物を倒したかのような認識になっているようだが、これでいいのだろうか。


「そうですわ。今日の夜、魔物討伐を祝してパーティーを開きましょう。お二人とも出席していただけますね?」


 ミュリエルの提案の結果、二人は城のパーティーに参加することになった。貴族が着るような服を着せられ、飾り付けられた広いホールに案内された。


 パーティーが始まってから、ひとしきりラズのところに貴族が押し掛けて挨拶をしていたが、やがてそれも途絶えた。


 その様子を遠巻きに眺めていたセツナのもとに、飲み物を持ったラズがやってきた。差し出された飲み物で喉を潤す。冷たく甘い液体が喉を通る感覚が心地よかった。

 それから一緒にバルコニーへと向かった。


「お前まで揉みくちゃにされなくてよかったな。退屈じゃなかったか?」

「集団の中で一人でいるほうが、いつも通りだから」

「そっか」


 ミュリエルが見立てた様々な装飾がついた仕立てのいい服を着たラズは、整えられた白金の髪も相まって、どこぞの王子かのように見えた。

 この外見であの強さを有しているようでは、姫が気にするのもわかる気がする。


「もしもラズと姫が結婚したら、君は王様になるのかな」

「なんだ? 藪から棒に」


 ラズは自分のグラスに口をつけてから、続きを言った。


「あれは陛下と姫のお決まりの冗談だ。ミュリエルは年頃なんだし、既に婚約者がいるだろ」

「陛下のあの様子だと、冗談半分だとしても半分は本気に見えたけど」


 そう指摘すると、思い当たる節があるのかラズは苦笑した。けれどそのまま首を振った。


「俺が規格外の存在だってのは二人とも重々承知してる。王家にその血を入れようだなんて思ってないだろうさ」


 そう語るラズは、人脈が広くて多くの知り合いがいるはずなのに、その知り合いたちに一線を引いているかのように見えた。


 ふと、遺跡の地下で垣間見えた光景が脳裏を過ぎった。

 闇の中に建つ城。あれは一体、なんだったのだろう。


 ラズを見ると、月光に照らされた彼の横顔は、いつもの明るい表情とは違う気がした。


「あの……」

「ん?」


 淡い笑み。水色の瞳は、セツナではなくその先にいる誰かを見ているように思えた。

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