2章 遺跡(1)
夢を見た。
森の奥にある塔で獅子の頭を持つ使い魔と二人で暮らす平穏な日々は、唐突に破られた。
強大で恐ろしい王に殺されそうになり、塔から落ちた先で、旅人の少年と出会った。
彼の手を取ったことで、旅がはじまった。
カーテンを透かす朝日でセツナは目を覚ました。
あれほど臨場感があった夢は、意識がはっきりしていくのと反比例するように、詳細がぼやけて薄れていく。
――ああ、そうだ。ここはこれまで住んでいた家じゃなくて、昨日召喚された世界だ……。
被害を受けていた街の闇を祓い、領主の勧めもあってその後一泊させてもらったのだった。貴族が泊るような宿屋に案内されて、部屋は広くてベッドはふかふかだった。
慣れないことをしたからか、ベッドが安眠仕様だからか、夜はぐっすりと眠りにつけた。
「……いまの夢、なんだっけ」
上半身を起こしながらそうつぶやくが、夢の内容の細部は溶けて消えてしまったかのように判然としない。
でも確か――白金の髪の少年が出てきたように思えた。
この世界に来てはじめて闇を回収した翌日。セツナとラズは同じ大陸にある別の街に移動していた。
草原から街に移動したときのように、また竜を呼び出すのかと思ったが、そうではなかった。
魔法陣がラズとセツナの足元に浮かび上がって術が発動したかと思うと、セツナの視界に映る景色が様変わりしていた。
ラズは転移魔術が使えた。
「長距離を移動すると、次に使うまでに魔力をしばらく溜めないといけないんだよな。だからあまり便利に使えるものでもねえけど、これまでの街から遠方へ行く用があって、ちょうど魔力が溜まってたからな」
なんでも最初に訪れた街からこの街までは、馬車を乗り継ぎながら宿に泊ったり野宿したりして、半月ほどかかる距離らしい。
ラズは融通が利かない術だと言っていたが、この世界の移動手段が徒歩の他は馬や馬車や船だということを考えると、数日置きに一瞬で別の国や遠方の街まで移動できるなんて、大分とてつもないと思う。
さすが勇者と言ったところか。
そして街の手前に転移した早々、街の門近くで魔物が暴れていた。街の中への侵入を防ぐためか門は閉ざされ、外に取り残された馬車が右往左往していた。どうやら戦う力を持つ者は乗っていないらしい。
「さて、行くか」
そう軽い調子で言ったかと思うと、ラズは騎獣の竜を呼び出して剣を抜いて駆けて行き、手綱を操って高く跳躍した。
落下速度を利用した斬撃が、巨大な魔物を切り裂く。
鮮やかな手並みでラズは魔物を討伐し、馬車の乗客と御者からは多大な感謝をされた。
それを少し離れた場所から見ていたセツナは、思った。
――なぜこんなすごい力を持っている勇者が、わざわざ僕をこの世界に呼んで、協力を願ったんだろう。
門が開けられた城下町に馬車とともに入り、魔物討伐の報告をした二人が街を歩いていると、ラズにあちこちから声がかかり、人だかりができた。
「おや、ラズか? またこの街に来てくれるとは」
「街のすぐ外で魔物を退治したやつがいたって聞いたが、ラズが来てたなら納得だ」
「勇者が再びこの街を救ったって?」
「そいつはめでたい。ぜひともしばらく滞在してもらいたいもんだ」
ラズはどうやら人脈が広く、各地に知り合いがいるようだ。この街では勇者だから崇めているというよりも、友人のように気安い言葉をかけてくる者が多い。
セツナも集まった人々に揉みくちゃにされかけたが、ラズは断りを入れて集団から抜け出し、セツナを引っ張るようにして先に進み出した。
人心地ついてから、セツナは頭に浮かんだことをつぶやいた。
「知り合い、多いんだね」
「まあな」
さらりと返された。自分とはまるで違う、とセツナが思いかけたところで、ラズはなんでもないことのように続けた。
「でも、一番逢いたいやつにはもう逢えねえんだ」
ラズも家族や友人を亡くしたのだろうか。そうした部分に親近感を覚えてしまった自分に嫌気が差した。
「……いや、そういうわけでもねえのか」
小声で付け足された言葉の意味は、よくわからなかった。
「そういや、セツナは言わなかったな。名前を聞いたときに、俺に名前をつけて、って」
ラズは話題を変えるようにそう言った。
「召喚した相手に名前をつけるものなんだ?」
「そうじゃねえけどさ」
「じゃあ、君がつけたいと?」
前方を歩いていたラズが、セツナの方を向いた。
「本名があって名乗れるなら、俺がつける必要もねえな。――これまでの自分は死んだから、とか言わねえならそれでいい」
胸がずきりと痛んだ。屋上から飛び降りたことを見透かされた気がした。
死のうとしたはずだった。あの世界から消え去りたかった。
それなのにいま、ここにいる。知らない世界の街の雑踏の中を、会ったばかりの勇者とともに歩いている。
「あのさ。ラズは僕をずっと探していた、とか聞いたけど」
「ああ」
「それ、どういう意味――」
「それより着心地はどうだ?」
「……悪くないけど」
これまで着ていた制服だと、この世界の住人の中では浮くだろう。だからこの地の服を身に着けようということになり、二人はいま服屋にいた。
この街に急ぎの用があったのではなかったのか。それともその場所に行くには、この街に馴染まないような服装では失礼に当たるのだろうか。
それらの疑問に答えはなく、試着して出てきたセツナにラズは拍手を送った。
「似合う似合う。さすが王都、品揃え豊富だな」
楽しそうな様子を見ていると、セツナの服一式を誂えるためにこの街まで転移魔術でやってきた、と言われても信じそうだった。
「そうかな……こういう服って西洋的な顔立ちと体格の人が着てこそだと思うけど」
中世が舞台の洋画の登場人物が着ているような、時代がかった衣服。あるいはRPGの主人公や仲間が着ているような、アクションに映える衣装。それらに遠からず近からずな服や装備品が、店内には何着も並んでいた。
白金の髪に西洋的な容姿のラズならばよく似合っている服も、いかにも日本人的なこの年代の平均身長と、彫の深さとは無縁な顔立ちの自分にしっくりくるとは思えなかった。
「いや待って、その前に僕の問いに――」
「あ、こっちのブーツは歩きやすそうだな。履いて歩いてみてくれ」
「だからそれはそれとして」
「あと闇を祓うのにつき合わせるんだから、防御魔術が仕込まれたマントと装飾品と――」
「……そんなに買ってお金は」
「気にすんな」
心配になって発した問いに、まったく憂いなんてなさそうな返事をされた。
前回の街で領主から報酬をもらっていたようだし、この世界の物価も貨幣の価値もよくわからなないセツナが口を出すことではないのかもしれないが。
そうだとしても、高そうなものを気軽に選んでいるのを目にすると臆してしまうのは、庶民のさがだろうか。
思えば父親が捕まって以降、母子家庭できりつめた生活をしていて、すぐに欲しいものを買ってもらえるような家ではなかった。
娯楽品を買ってもらえるのは誕生日かクリスマスのみ。それ以外はなにかと理由をつけて、駄目だと言われた。そんなものは必要ないでしょう。お父さんがあんなことにならなければ買ってあげられたのにね、と。
そんなことを思い出しつつ、ブーツの試着をして歩きながら、店内をぼんやりと見つめる。多種多様な服、マント、帽子、靴。防寒着や丈夫そうな鞄。鎧の類はないが、それらは別の店の管轄だろうか。
「あ、もしかして自分で選びたいのか?」
「え、いや、どういうのがいいのかよくわからないし……」
「確かに好みとかあるもんな。じゃあ、ひとまず選んでみてくれ。防御魔術にしたって、後から付与することもできるんだし」
逡巡するセツナに、追い打ちがきた。
「セツナがやりたいようにやりゃいいんだよ」
もとの世界での、人間関係も家での生活も抑圧されてきた日々を、砕く言葉だった。
「じゃあ……これとか」
黒に近い濃色の上着を指さす。
「お、いいんじゃねえか」
否定されなかった。そのことが、嬉しかった。
服をあらかた選んだ後、装飾品が並ぶ棚の前へ行った。これまでアクセサリーの類を身に着けたことはなかったが、選ばせてくれても買わないという選択肢はないらしい。
「回復魔術で治せるとしても、予防しとくに越したことはないからな」
装飾品に込められた効用を説明しつつ、ラズはそう言った。
「いやー、いい買い物をしたな」
店を出たラズは、満足そうにそう言って伸びをした。
昼過ぎまで全身の服や装飾品を選び、セツナは買ったばかりの服に着替えていた。丈の短いマントに防御魔術をかけてもらうことになり、夕方受け取りに行くことになった。
この世界に来た当初のように、セツナの服装を見て怪訝そうに振り返る通行人はいなくなった。
「それで、この街には買い物をしに?」
「いや、まさか。闇を祓って欲しいと呼ばれたから来たんだ。明日、改めて行くぞ」
「どこに?」
「あそこ」
ラズが指さした先には、街の建物の向こうにそびえ立つ城が見えた。
キレスタール王国の城は、広大な敷地に白い建物が建ち、そこかしこに大きな水晶が飾られていた。
セツナとラズが謁見の間に通されると、礼や格式ばった挨拶もそこそこに、この国を治めるカルステン王が椅子から立ち上がって近づいてきた。
「久しいのう、ラズ」
白い毛皮で縁取られた赤いマントを羽織り、白髪交じりの金髪に髭を生やした王は、ラズを前にして顔をほころばせた。
「陛下もお変わりなく」
「寄る年波には勝てぬよ。それに変わりないのはおぬしのほうであろう」
「ええ、まあ。それで今回の件は、この城下町からしばらく行った先にある遺跡が闇で覆われて住みついた魔物が凶暴化した、と手紙にはありましたが」
「うむ。ぜひともおぬしに魔物討伐と闇の除去を頼みたい。この周辺の魔物がたびたび人を襲うのも、遺跡の闇のせいだと思われるのでな」
「お任せを」
確実にやり遂げられると断言しているような返事だった。
その返事に満足したように王は頷き、話題を変えた。
「ときにラズよ。我が国の姫と婚姻を結んでくれる気になったか?」
「なりません」
「形だけでもよいのだ」
「一つの国に所属するつもりはないので」
「そうだとしても転移魔術が使えるのだから、もっと頻繁に訪ねてくれてもいいではないか」
「俺も忙しいんですよ。そして陛下は俺以上に多忙でしょう」
「忙しくても合間を縫って会う時間を捻出するのが友というものではないのか?」
「はいはい、友人だからこの国の問題を解決しにはせ参じたんですよ」
国の最高権力者相手にラズの口調は多少丁寧になったものの、ラズと王があまり遠慮のない間柄だということが伝わってきた。一国の王と知り合いなだけではなく、旧来の友人のようだ。
しかし世界を救った勇者というなら、王からのこの扱いも納得かもしれない。
ラズと自分との違いを見せつけられた気がしたが、おまけのように謁見の間に同行したセツナは、最後にラズから王に紹介された。
「そうだ、彼はセツナ。新しい俺の旅の連れです」
「旅の連れ……?」
ひどく驚いたかのような反応をされた。
「もう誰かと旅をすることはないと言っていたように思うが」
「彼は特例です」
その言葉に、ぴくりと反応する。
「闇を祓う力を持っているので」
いや、その力を引き出したのはラズなのではないか。そして祓うというよりも「取り込む」ではないのか。そうつっこみたかったが、
「ほう、それは素晴らしい! やはり勇者が見込んだ者は、そうした特異な力を持っているものなのだな」
「お褒めに預かり光栄です……」
王からじきじきに賞賛の言葉をいただいてしまい、セツナは緊張しながら礼を述べるしかできなかった。
謁見の間をあとにして城から出ようと長い廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ラズ様!」
セツナとラズが振り返ると、巻き毛にした金髪に鮮やかなドレスをまとった少女が、ドレスの裾をつまんで近づいてくるところだった。
「もう、城にいらしていたなら教えてくださればよかったのに」
ラズは彼女をまじまじと見つめ、しばらくしてから誰か思い至ったようだ。
「ああ、ミュリエルか。見違えたな」
「お会いしたのは数年ぶりですものね」
「陛下からまた例の話をされたよ」
「あら、わたくしはどうせ定められた相手と結婚するなら、あなたがいいですわ」
どうやらミュリエルは王の娘でこの国の姫のようだ。姫なら婚約者がいそうだが、王といい姫といい、その手の冗談を言えるくらいにラズのことを気に入っているらしい。権力者や美しい姫君に好かれているなんて、結構なことだ。
「――俺なんかと一緒になったら、人並みの幸せは望めなくなるよ」
笑顔でラズはそう返した。
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