第2話 あの日の相棒

「どうして雇ってくれないんですか、スクワーロウさん!?」


 しぶといな。まーだついてきやがる。こうなると、意地でも給料払えないから、なんて言えないぞ。


「わたしが至らないところは、努力します。お願いです、わたし、どうしてもスクワーロウさんと働きたいんです!」

 ああっ、もうっ。無い袖は振れないが、私はついに根負けした。

「理由を聞こう」

「スクワーロウさん!」

「ただし理由を、聞くだけだ。君は決して無能な人材じゃない。警官の経験も板についてる。だが、どうしてだい?そんな君が、どうしても私なんかと働きたい理由はなんだ?」

「そ、それは…」

 肝心なことをずばり訊くと、クレアは口ごもった。なんだよ、大事なところで。

「もういい。話せないなら、帰ってくれ」

「父です」

 クレアは、決意したのか思いきった口調で言った。

「父が昔、あなたの相棒だったんです。ご存知ないですか?名前は、レイニー・スピレーン」

 その言葉を聞いた、私の表情が強張った。

「レイニーだと?君の父親が!?」

「やっぱりご存知なんですね…?」

 私は反射的にかぶりを振ったが、これでは、イエス、と言っているようなものだ。

「君はエイントワースだろう?」

 あわてて私は反問した。

「母方の苗字なんです。ニャーオーリンズで警官をしていた父はわたしたちを置いて、単身、リス・ベガスに行きました。父からはずっと仕送りが来ていました。父は言ってました。その街では警官にならず、事務所を始めたばかりのあなたと探偵の仕事を始めたのだ、と」

「ま、まさか」

 ああだこうだとやり取りをしているうちに、私たちは事務所についていた。

 みると、なぜか行くときにおろしたシャッターが上がっていて、事務所の窓が開け放されていた。私はクレアと頷き合うと、拳銃を携えて事務所のドアを前に立った。



「やあ、スクワーロウ」


 かんに障る音程の、金属質の声音が事務所に響いたのはそのときだった。

 開け放たれた窓際に、ダークスーツの男が立っていたのだ。


 見たところ苦み走った、年齢相応の狡猾こうかつさを顔にたたえた中年のブルテリアだった。


「暑いなあ、ここは。エアコンもまともに直さないのか?」

 ブルテリアはノーネクタイの開襟シャツのすそをはだけると、せわしなく壊れたエアコンのボタンを押しまくった。

経費節減けいひせつげんの一環でね。文句の多い客は、歓迎しないようにしてるんだ」

 びしょびしょに汚れた鼻を鳴らすと、政府の犬は首をすくめた。

「客を選べるいい商売だ、羨ましいな探偵屋」

「光栄だよ。あんたたちのようなスーパースターに羨ましがられるとはね、カルペッパー」

 内心にわだかまる嫌悪感を押し殺しつつ、私は軽口を叩いた。…ジョニー・カルペッパー、FBO (連邦犬査局エフ・ビー・ワン)のごろつきだ。こんなやつに喰い物にされた日には、目も当てられない。

「残念だね。もっと立派な場所でおもてなしをしたかったが、生憎と予定が詰まっていてね」

「デートなら後にしろよ、スクワーロウ。もうそんな年じゃないだろう?」

 クレアの方にあごをしゃくって、カルペッパーはくっ、くっ、と陰気な薄ら笑いを漏らした。

「なーに、そんなに手間のかかる話じゃない。同窓会があるなら、おれも混ぜてほしいって話だ。あの事件じゃ、捜査官の犠牲者が出ている。レイニー・スピレーンがこの街にいるんなら、おれはどんな手段を置いても捜し出すんだ。いつでも」

「あれから二十年、経ってる」

 私はカルペッパーを遮った。

「私にも、他の誰にも、レイニーは過去だ。今さら掘り返す価値もない。何か新しい情報が出た、って言う以外はだが、それも有り得ない」

「奴は生きてる。二十年前にも言った台詞だがな」

 ブルテリアは片頬に皮肉な笑みを浮かべると、私に向かって人差し指を突きつけた。

「未だにかくまってる、とは思えないが、あの男はお前が逃がしたんだ。分かってるなスクワーロウ。まだこの街で仕事したきゃ、おれに隠し事はやめろ。犯罪者を引き渡せ。今こそ、正義の義務を果たすんだ」

「義務なら果たしてる。あんたの給料だって、税金で払い続けてるんだ。レイニーをお前たちの言う、正義の義務とやらに巻き込んだのは、お前たちだ。私は、忘れちゃいないぞ、カルペッパー」

「必ず尻尾を掴んでやる」


 カルペッパーは壊れたリモコンを放り投げると、乱暴にドアを押し開けて出て行った。なんてこった。厄介ごとばかりは、どうしてこう、まとめてやってくるんだろう。



「そうか、やっぱりな。君もいなくなった父上の消息を捜し出そうと、私に接触した、と言うわけだ」


 夕方ぎりぎりに、新しいエアコンがやってきた。冷えきった部屋で極上のビールにありついた私は、ようやくまともな思考力が立ち戻りつつあった。


「あの男の目的は、マフィアの金だ。どう思っているかは知らないが、あんた、とんだ疫病神を招きよせてくれたな」


 あれはまだ、私が駆け出しの頃だった。リス・ベガスの片隅で探偵業を始めたばかりの私を、南部から来たレイニーと言う男が手伝ってくれた。


 まだ独立する前、私はレイニーの管轄の問題をいくつか、片づけてやったのだ。

 レイニーは私の腕に惚れこみ、警官にならないかと誘ったが、結局、自分が来た。煮え切らない上司とぶつかって、デスクに警察証バッジを叩きつけてきたのだと言う。


 レイニーは優秀な警官だった。猟犬よりも鼻が利き、執念深く、捜査では必ず実績を挙げてきた。探偵になってからも、警官臭が抜けず、苦労していたが、この街で起こる犯罪については、誰よりも詳しかった。


 私も駆け出しでろくに仕事がなかったときは、レイニーが仕入れて来る細かい仕事で随分しのいだものだった。元・警官だけにレイニーは真面目で甲斐甲斐しく、どんな人の頼みも無下に断らなかったからだ。


 だがその致命的とも言える人の良さが、彼を大事件に巻き込んでしまった。二十年も前のことだが、考えてみれば、まるで昨日のことみたいに思い出せる。


 レイニーは、FBOの囮捜査コールバードに手を貸したのだった。


 当時、側近のフェレット、フィッチ・ギャッロに裏切られたこの街のボス、ノワール・タッソは、十回目の訴追を受け、ついに刑務所に収監されるところだった。


 巷ではそのノワール・タッソの縄張りシマを横取りしたアルド・カーネが幅を利かせていたのだ。アルドはちんけなチンピラだったが、FBOの手先で組織の情報と資金を横流ししている、ともっぱらな噂だった。


 いよいよ殺し屋が迫って、気の弱いハウンド犬は、この街の狸の恐ろしさを知った。泡を食った男は身一つで、東海岸に逃亡しようとしていた。


「もうやくざは、誰も信じられねえ」

 窮したアルドは、チンピラ時代から世話になっていたレイニーにすべてを託した。


 そしてレイニーはFBOの捜査官から指示を受け、アルドの逃亡を受け入れるとともに、証人保護プログラムを受けさせる手筈を整えていたのだ。


 だが作戦は失敗した。アルドは待ち合わせ地点でマフィアの追手に追いつかれて死亡し、協力した捜査官も別の地点で、何者かに射殺されていたのだ。


 当然レイニーは金を独り占めして逃げたと目された。レイニーはなぜか指定した地点にアルドを連れて行かなかったのだ。これでは裏切り者扱いされても、仕方がない。



「当然、私の事務所にも手が入った。あのときは参ったが、レイニーを恨む気持ちは、今はこれっぽっちもないさ」


 私のダイ・ハードな時代の独白を、クレアは長い睫毛まつげを震わせて聞いていた。今はからっきしだが、ハードな時代だったのだ。事務所の営業も考えず何かと危険な橋を渡りたがる相棒に、若い私も理解があったのだ。


「その節は。父が、多大なご迷惑を」

 話し終わると、クレアは消え入るような声で頭を下げた。

「そのことはいい。それより問題は、目の前のハードな事情だ。なぜカルペッパーが私に、今さら接触してきたか、だ」



 案の定カルペッパーは、残された娘であるクレアにも接触していたのである。知らないふりも白々しいが、カルペッパーはネタを持っていたのだ。殺害されたアルドの、秘密口座に動きがあったのだ、と言う。


「奴が動き始めたんだ」


 総額三百万ドルと言われるアルドの逃走資金の行方は、いまだに分かっていない。執念深いカルペッパーは唯一の逃亡者であるレイニーが、金を動かすのをじっと待っていたのだ。


「だが、なぜ今さら」

「分かりません。皮肉ですが、それでわたしも失踪した父の手がかりをやっと得たのです」


 レイニーの失踪後、娘のクレアは、警察官になり父親の行方を捜していた。カルペッパーの情報で事件は永い沈黙を経て、動き出すかに見えたのだ。


「わたしは父の事件を洗いました。ベガスに渡ってからの、父の経歴から担当した事件まですべて」

「そこで私の名前を見つけた?」

 クレアは無言で頷いた。私のところになら、まだ見ぬレイニーの手がかりがあると思ったのだろう。だが、残念ながら見当外れだ。

ふるい事件だな」


 まだ冷たいビールの空き缶を棄てると、頬袋の中の胡桃を、私は何度ももてあそんだ。



 レイニーの記録は、保管庫の最深部に埋もれている。さすがに今さら、それを整理する気力はないが、経験から蓄積された第六感が何かを告げている。恐らく、致命的な見落としがあるのだ。

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