第3話 ハードボイルドじゃあ腹は膨れない

 クーパーとハードボイルドに別れてからほどなく、私はヴェルデのホテルに別の用事で行った。


 戻ってきたクーパーを迎えて少しはやくざらしくなったと思ったが、狸やくざは相変わらず、せっこいしのぎを画策していたのだ。



「ほれこれ、見てみい。これからはこれが来るで!全く新しい商売や」

 と、どう見ても怪しげなパンフレットをこっちに投げてくるヴェルデ。


 私は頬袋が引きった。やくざの癖に、利殖商法りしょくしょうほうに引っかかってやがったのだ。普通、だます側だろ。なにころっとだまされてやがるんだ。


「育つ天かすう?」

 死ぬほど興味がなかったが、思わず聞いてしまった。

「ああ、牛乳入れとくと、勝手に育ってくヨーグルトとかあるやろ。これはな、専用の養育器に特殊な油を継ぎ足すだけで毎日、新鮮な天かすが食べられる優れものや。名付けて、緑の狸印の『にょきにょき』生える天かす!」

「胡散くさっ!」


 絶対だまされてる。聞けば、この狸はすでに工場まで作ってしまったらしい。


「お前、どハッキリ言うたな!後でほえ面掻いても知らんで!」


 怪しいキノコのごとくにょきにょき育つ化け物みたいな天かすなんて、食べる気もしない。大体、新鮮な天かすってなんなんだ。わざわざ身体に悪いもの、毎日育てて食べようと言う感性がまず、分からない。


「それよりクーパーの奴はどうしてるんだ?出所してからこっち、あんたのシマでは全く姿を見ないが。まさか、義理人情の時代じゃないからって、門前払いしたんじゃないだろうな」

「阿呆言いな、クーパー・バウリンガル言うたらお前、死んだ祖母さんが頼りにしとったいちの腕っこきやないかい。このヴェルデ・タッソが、義理忘れる道理があるかい。ちゃあんと再雇用したわ。今はな、うちの江戸そばチェーンの幹部候補で店長研修を」

「馬鹿かっ!あいつに立ち食いそば屋の店長が務まるわけないだろ!」


 リス・ベガスいちのマフィアの親分であることも忘れて、私は突っ込んでいた。


「せやけどお前、今の時代、やくざも荒事ばかりではやっていけんで。めったに出入りもないさかいなあ。こないなこと言いたくないけど、うちも大所帯でかっつかつや。若手はどんどん出て来るし、今からあのクーパーを、どっかの組長にするゆうのも、それなりに手間が掛かんねや」

「相変わらずせっこいなあ、あんた」

「なんとでも言うてくれ。お前かて分かってるやろう。ハードボイルドじゃあ腹は膨れん時代や。…まあ、わしかて、祖母さんの時代の功労者や、心苦しい気持ちはあんねんで。だからお前、幹部は幹部でも、やくざやのうて、うちの外食チェーンの幹部にして、ゆくゆくは会社任せて」

 狸のかったるい話を、私は遮った。

「もういい。クーパーが研修に行ってる店を教えてくれ」


 ハードボイルドは郊外の立ち食いチェーンで、金網持って干しそばの水を切っていた。

 まあ顔はそれなりに渋いから、こだわりの職人に見えなくもないが、ファーストフードのチェーン店では、年下のバイトにあごで使われているのが見え見えだ。


 て言うかやくざの幹部と、外食チェーンの幹部じゃ、同じ幹部でも幹部が違うだろ。


「あんた、こんなところで何やってるんだ!?」

「いやなあ、親分に少しの間、辛抱してくれって頼まれたんだ。せっかく職世話してもらったし、断り切れなくてよ」


 連邦捜査官まで震え上がったギャングが、そば屋の研修生だ。何だか泣けてくる。


「さっさと辞めちまえっ、こんな仕事。時給バイトにあごで使われて、ハードボイルドが泣くぞ」


「店長、おれ夜番のシフト、やっぱ出らんねんで上がっていいすか?」

 口を挟んできた生意気なバイトを私は、無言で睨みつけてやった。


 バイトはびびったのか、そそくさと持ち場へ戻った。ったく、クーパーを分かってないにもほどがある。


「まあいいじゃねえか。おれもよ、娑婆の仕事するなんて経験、生まれて初めてだから、それなりに楽しんではいるんだ」


 と、せっこい親分への文句を一つも言わないクーパーはやっぱり、昔気質の男だった。


「あんたが言うように、タンカ切って引退するにも身、一つだ。出来なくはねえが、あまりに味気ねえじゃねえか。くたばるまでには、まだ長い時間、やることもなくちゃあな」


「だがな、あんたこれで満足か?クーパー、この街のスター、リス・ベガスの夢、とまで言われたあんたが」


「夢か。今は、夢は寝てみるものになっちまったな。終わっちまえば儚いものさ。ヴェルデの親分じゃないが、ハードボイルドじゃあ、腹も膨れねえ、そんな時代になっちまった」


「クーパー…」


 私は途端に寂しくなった。まさか、ハードボイルドで煮しめたようなあんたがそんなことを言うなんて。


「結局、エリーにしろ、この街にしろ、おれのことを待っちゃあくれなかったってことだ。おれもいい加減目を醒まして、身の振り方を考えねえとな」

 言葉もない私に、クーパーは片目をつぶってみせた。

「この前は無理して奢ってくれてありがとうな、スクワーロウ。今日は、おれのおごりだ。食ってけ」


 クーパーはそば玉を落とすと新鮮なワカメと分葱わけぎに、ぽつんと朝陽色の卵を落として熱い汁を注ぎかけた。


「おれの持論だがな、スクワーロウ。そばは半熟の月見が一番だ」

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