第2話 華麗なるカーテンコール

 私は、州立刑務所にネーロ・タッソを訪ねた。意外にも、面会はすぐに出来た。ビアンカの差し金に違いない。随分、手際がいいことだ。


「久しぶりだな、スクワーロウ。兄貴は元気でやってるかい?」


 ネーロ・タッソはにたりと微笑んで、八重歯に埋め込まれたダイヤモンド製の入れ歯を見せつけてきた。ご丁寧にイニシャル入りだ。


 この男は密輸の罪で、兄のヴェルデの代わりにダイヤモンドを運んでいて服役したのだ。その頃、まだまだ、時代はハードボイルドだった。


「聞くところによると今度、特赦が降りて仮釈放になるんだって。気づかなくって悪かったな」

「ばあさんの手回しが良かったみてえだな。さすがあの人も、衰えちゃいねえや。兄弟にはおれが声をかけておく。おれが仮釈放記念にアリシアのパーティに顔を出す、と言えば、顔を出さずにはいられねえだろう」

「助かるよ」


 やれやれだ。まさか刑務所にいる人間に、助けてもらえるとは夢にも思わなかった。


「で、見返りと言っちゃなんだが、あんたに一つ仕事を頼まれてもらいてえ」

「仕事?」

 ネーロは頷くと、これみよがしにダイヤモンドの歯を見せた。

「おれをはめた奴がいる。そいつを探し出してもらいてえ。おかげで、仮釈放が五年も遅れたんだ」

「それは本当の話なんだろうな」

「ああ。かつてこのおれと同じ場所に叩き込まれたおれの親父、ドン・ノワールをはめた男、そいつの正体を追ってた。おれはもう後、一歩のところだったんだ。ばあさんがパーティを計画してくれて、そこでそいつを仕留める手はずだった。だがそいつの方が一枚上手だった。先手を打たれてヴェルデが訴追そついされ、兄貴の仕事を請け負ってたおれが刑務所ムショに入らざるを得なくなったって話さ。おれが出れば当然、奴は動くだろう」

「まさかアリシアのパーティで、ドンパチやろうって話じゃないだろうな?」


 こいつらは節操がない。私はじろりとネーロを睨みつけて念を押した。


「おれは、そんな無粋な真似はする気はねえ。ただ、事実を言ってるだけだ」

「ビアンカが組織の殺しのためにパーティを開く時代は、終わったんだ」

「それも分かってる。かわいい姪っ子だ。手荒な真似はしたくねえ。だから、あんたに頼んでる」


 困った。他愛のない仕事だと思ったのが運の尽き、どんどん、依頼の難易度が上がってくる。


 そしてついにハードボイルドな展開になったのは、パーティの前日のことだ。私はアリシアの買い出しに付き合ってやっていたのだ。彼女が作るピーカンパイの材料を、マーケットで仕入れていた。


 ピーカンナッツで作るパイは単純だが、それだけに個々の材料は欠かせないものばかりだ。実ぶりのいい上等の香ばしいナッツに、コーンオイル、バニラエッセンス。ビアンカ直伝のレシピは、確かなものだった。店も昔から取引があるのか、極上品をとって置いていてくれている。


「おじさんの分も、ちゃんと作ってあげるからね」

「悪いな」


 情けない話、思わず頬袋が緩んでしまう。ナッツが好物のリスにとって、昔ながらのピーカンパイはもはや殺人的なご馳走である。


 他にも子供たちに配るお菓子を買いたいと言うので、私はそちらにも付き合った。店の前に車を停めて、アリシアが戻ってくるのを待っていると、助手席のガラスを誰かが拳で叩いてきた。


 コン、コン。思わずぎょっとして振り返るとそこには、私よりも数倍顔のでかい、毛むくじゃらの熊がいた。


「よう、リスの旦那。悪いが、ここちょっと開けてくれるか」

「あんた、まさかクマノビッチか」


 十分に警戒しながら、私はパワーウィンドウを下ろした。


 クマノビッチは、この街で今、一番恐ろしい男の一人だ。北から亡命してきた命知らずの連中を束ねる新興マフィアのボスなのだ。本人も恐ろしい大きさのヒグマだが、体格のいい特殊部隊出身の屈強なボディガードを二人も連れている。


「何か用か」

 私は内心の動揺を悟られぬよう、声を引き締めて尋ねた。

「用ってほどじゃねえさ。ただ、聞きたいことがあるんだよ。ビアンカばあさんのことさ。あの老いぼれが、まだ生きて何か企んでるんだって?」

「さあな。そうだとしても、関係ない話だ。おれにも、あんたにもな」

「どうかな。そう言えば、おれの記憶が確かなら、今あの店に入ってったのは、その老いぼれの孫娘じゃなかったか?」


 私は言葉に詰まった。まずい。こうなるとこの危険な男から、アリシアを守るのは、至難の業だ。すると。


「きゃああっ」


 アリシアの悲鳴が上がった。お菓子の包みが路上にばらまかれた音がした。驚いてクマノビッチから視線を外すと、アリシアはコートを着た細長い男に口を塞がれて、連れ去られるところだったのだ。


「くそっ」


 細い路地に入った男を追って、私は車を飛び出した。クマノビッチめ、これが狙いだったのだ。


 男は狭い場所をすいすい逃げていく。逃げ馴れているのか、アリシアを抱えてすごいスピードだ。細かい道が得意なリスでさえ、辟易してしまう。全く今回は、自信を喪失することばかりだ。


「アリシア!」


 頬袋のナッツを射出しようとして、私は立ち止まった。だめだ、距離が遠すぎる。しかもこれではアリシアに当たってしまう危険がある。


 そうこうしているうちに細長い路地から十字路に、男は飛び出した。と、同時に小さなワンボックスカーが停車する。仲間がいたのだ。しまった。車で逃げられる。そう思った時だ。


 発進しかけた車の横頭に、ごっついフレームの大型車が突っ込んできたのだ。砲弾が落ちたようなとんでもない音がした。鼻っ面をぶっ飛ばされたワンボックスカーはひとたまりもない。


 一気にバランスを喪った車体は、壁に当たってあっけなく停車した。すかさず銃を持って飛び出した男たちだが、出てきてまた泡を食わされる羽目になった。


 無理もない。大型車から出てきたのは、弾丸も跳ね返しそうな屈強な肉体を持ったツキノワグマのマフィアたちだったのだ。


「パーティをやるんだろ、リスの旦那!」

 後部座席からアリシアを大事そうに抱えた、クマノビッチが叫んだ。

「おれたちも、混ぜてもらおうじゃないか」


 アリシアのパーティは、穏やかな晴れの日だった。


 いつもは閑散と陽だまりが落ちるばかりのビアンカの家の庭には、バーベキューのセットが置かれ、テーブルにはタッソ一家のマフィアの兄弟たちとその家族が勢ぞろいした。うららかと言う他ない、まさに記念すべき日の始まりだった。


 一心不乱に鉄板焼きそばを作るヴェルデのところに釈放されたネーロがやってきて再会のハグを交わし、復讐に怯えていた兄弟たちが一堂に介して仲直りをした。


「あんたの狙いはこれだったんだな、ビアンカ」

 一人、二階の寝室から賑やかになった庭を眺めるビアンカに私は言った。

「アリシアを使って、あんたは私を上手く動かした。往年の手腕は、やっぱり衰えちゃいなかったみたいだな」

「馬鹿を言っちゃいけないよ、スクワーロウ。言っただろう、あたしの時代はもう終わりなんだって」


 私は、寝室のドアを開けた。そこにはアリシアを誘拐しようとした細長い男の黒幕である初老の男が、クマノビッチとその屈強なボディガードに引き立てられていた。


「やっぱりあんただったんだね、裏切り者は。イタチのフィッチ」


 フェレットのフィッチ・ギャッロは、小狡い瞳をすがめて、ふん、と鼻を鳴らした。この男こそは、獄中死したドン・タッソの連絡係及び資金管理をしていた男だった。


「訴追されたネーロはずっとこの男に目をつけていた。なぜなら知っていたからだ。このフィッツが、かつて父親のドン・タッソをはめたことを。ネーロの仮釈放にあわせて、この男もまた動き出すことを、あんたも知ってたんだ。それでビアンカ、あんたはアリシアのパーティを使うことにした」


 ビアンカは黙ってそれを聞いていた。澄んだ色をしたその瞳を見つめながら、私は話を続ける。


「ヴェルデの兄弟をおれに刺激させ、いいタイミングでネーロに会うように指示したのも、あんたの差し金だ。組織が動揺することで、このフィッチもその気になるからな。そしてとどめがこのクマノビッチだ」


 危険なヒグマの親方の胸を、私は拳の裏で叩いた。


「ビアンカ、あんたはいいタイミングでおれに情報を流してくれた。知ってるか。このフィッチってイタチ野郎は、若い頃から連邦犬査局エフ・ビー・ワン囮捜査コールバードに協力してやがったんだ。あんたの身内やおれの弟を売ったのもこのイタチ野郎だ。弟の裁判が始まる前に、このイタチ野郎を捕まえられて良かったぜ」

「こっ、こらあ、さっきからイタチ、イタチって言うな!フェレットだ!私はフェレットなんだ!」


 すると神経質なフィッツはついに居たたまれなくなったらしい。尻を蹴り上げられているような調子で叫んだ。


「ビアンカ、私はどれだけ、あんたとドンに尽くして来たか。それを忘れたわけじゃないだろうな。私には実力があったんだ。あんたの時代は終わったかも知れない。だが次は、今度こそ私の時代が来るはずだった!」

「そう、あんたの気持ちはよく分かったよ」


 怒りに震えるフェレットに対して、ビアンカは冷ややかだった。いやむしろ、長年の友人だったはずの人物の裏切りを、彼女は憎みきることが出来なかったのだろう。語りかけた口調には哀れみすらにじんでいた。


「ねえフィッツ。あたしたちの時代はもう終わったんだよ。あんたやあたしだけじゃない。いつか、ゲームを降りなきゃならないときは必ず来るんだ。あたしもあんたも、かわいい孫がいるんだ。そんなことは、とっくに分かってたはずじゃないかい?」


 もういい、と言うように、ビアンカは手を振った。私は、クマノビッチにフィッツを手渡すことにした。


「手荒な真似はするなよ」

「分かってるさ。ばらしちまったら、裁判には勝てねえ。ばあさんからそこのところは、ちゃあんと教わってるよ」


 クマノビッチはあごをしゃくって、部下にフィッツを連れて行かせた。これでいいのだ。これで、ビアンカの暗黒時代の精算は全てついたのだろうから。


「さて話は済んだね」


 ビアンカは、それから鏡の前でため息をひとつついた。老いてなお、彼女は大女優だった。今のため息ひとつで、彼女は年来の、重い気持ちを切り替えたのだ。


「スクワーロウ、連れて行っておくれ。あたしを、いとしい坊やたちのところへ」


 パーティは、ビアンカの登場で最高潮に達した。やはり血を分けた家族が顔を合わせると言うのは、他に替え難いものだ。そこに立ちあった無関係の私ですら、思わず幸せな気分になってしまうほどに。


「ネーロ!あんたはずっと変わらないわねえ。何もかも昔のまんまじゃない」


 ビアンカはにこやかにネーロに話しかける。血で血を洗うマフィアとは言え、息子たちとの賑やかな触れ合いの時間こそが、彼女が年来、一番切望してきたものに違いない。


「あら、あんたは肥ったわねえ。もう少し、痩せないと長生き出来ないわよ」

「おっ、おがあちゃん!堪忍!堪忍やあ!」


 ヴェルデは一番楽しそうだった。ったく、現金なやつだ。この前まで葬式がどうとか、盆暮れがどうとか、しみったれたこと言ってたくせに。


「ありがとう、おじさん」


 テラスの部外者席で、ナッツをかじっているとかわいい声が立った。ピーカンパイを取り分けて、アリシアが持ってきてくれたのだ。


「これがグランマ直伝のピーカンパイよ。味を見て下さる?」

「ありがとう」


 私は皿を受け取ると、フォークでピーカンパイを頬張った。それはもう温かみを喪いかけていたが、抜群の香ばしさだった。


「最高だ。文句ない味だな。何よりの報酬だよ」

 お世辞でなく掛け値なしにそう言ってやると、アリシアは目を丸くして喜んだ。


「見て」

 アリシアは私の隣に座ると、賑やかな笑い声を立てるビアンカたちの席の方へ、あごをしゃくった。

「グランマ、喜んでる。グランマ言ってた。あなたは、最高の腕っこきだって」

「そいつは光栄だな」

 と、言う私の頬に、小さな依頼人はキスをした。

「今度は、わたしがあなたのお得意様になるね。また困ったときはお願いね?」


 不覚だった。有無を言わさず、うなずかされてしまった。さすがはビアンカの孫娘だ。答えに窮したまま、それでも黙っていると照れ臭そうに微笑みながら、私の元を立ち上がると、アリシアは駆けて行ってしまった。


「あれは、十年後だな旦那」

 打って変わって野太い声にぎょっとした。クマノビッチだ。まだ居やがったのか。

「馬鹿を言うなよ。十年後は、こっちが墓場さ」

 あわてて答えた私の皿から、クマノビッチは手づかみでパイを頬張った。

「悪くねえな。サーモンのパイの次に、こいつは傑作だ」


 つまみ食いをしたクマノビッチは代わりにワイングラスを渡すと、分厚い片目をつぶってみせた。


「さっきは部下の手前、ああ言ったがな、おれもばあさんには恩があるのさ。古い話だが、北から来たばかりの頃、親父を助けてもらった」

「あの人は、この街の歴史みたいなもんだからな」

 そううそぶくと、クマノビッチは大きな身体を揺すって笑った。

「あんたもな。まだこの街には、そんな連中が必要なんだ」

 私は黙って肩をすくめてみせた。時代は繰り返し、いつの間にか終わっていく。ビアンカも私も、まだその中にいることすら奇跡なのだ。


「今日は記念日だよ、あんたたち」

 ビアンカは祝杯の前に、一同を前にして言った。

「ドンの誕生日で命日だ。あの人はついに、戻っては来なかったけど、あたしたちに一番の記念日を遺してくれた」


 家族がまた、笑顔で集える記念日を祝って。


「乾杯」


 ビアンカの音頭で私も乾杯した。クマノビッチもウオトカを開けていた。なんて、穏やかな日だ。愛すべき家族の中で、その日のビアンカは笑顔を絶やさなかった。家族を守り通してきた何十年の心労が報われた、それはまさに彼女にとっても記念すべき日、だったのだろう。


 リス・ベガスの歴史そのものと言える、ビアンカ・タッソが旅立ったのは、それから二か月後だった。


 春を待つ穏やかなそのものなその日は、ビアンカとドンの結婚記念日でもあった。教会墓地での参列に私も加わった。春の花が添えられたのは、誰が撮影したのか、あの日のビアンカの忘れられない笑顔だった。


「記念日、か」


 ビアンカの葬儀から帰ってきた次の日、私はずっと飲まずにおいておいたワインを開けた。


 サッシの向こう、リス・ベガスの午後の陽が、通りに蒸れていた。輝かしくも真新しい春の陽射しの中で、冬の名残は跡形もなくほとびていく。私は永くも、安らかな冬眠に入ったビアンカの面影を一人、想い続けていた。

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