第八十九話「セブンワイズ崩壊」

 ライルたちが研究所から脱出した時に遡る。


 マーカスが引き起こした魔力暴走により、黒の賢者の研究棟は壊滅的な被害を受けていた。


 地下部分はもちろん、地上部分も最上階である5階まで衝撃波の影響を受けている。廊下にある扉はすべて吹き飛び、研究室や執務室は滅茶苦茶に破壊された。それだけではなく、強い衝撃を受けた壁や床には大きく亀裂が入り、建物が崩壊する恐れもあった。


 また、地上部分で繋がっているため、他の賢者の研究棟も被害を受けている。但し、黒の賢者の研究棟ほど壊滅的ではなく、窓や扉が破壊された程度だ。


 人的被害は施設以上に深刻だった。

 黒の賢者の研究棟には100人以上の研究員がいたが、生き残ったのは上層階にいた僅か20名に過ぎなかった。


 更に深刻なのはすべての賢者が死亡したことだ。

 セブンワイズの長い歴史の中でも、トップに立つ7人の賢者すべてが不在という状況はなく、残された者たちは途方に暮れる。


 賢者だけでなく、彼らの上司に当たる優秀な魔術師たちもライルたちとの戦闘に駆り出されたため、傀儡にされた白の賢者の部下以外、研究が専門の魔術師しか生き残っていないためだ。


 生き残った白の賢者の部下もすぐには動けなかった。彼らはアメリアの施した暗黒魔術による催眠の影響下にあり、自我を失っていたためだ。

 指揮命令系統が完全に崩壊し、“セブンワイズ”という組織は機能不全に陥ったのだ。


 研究所で起きた爆発の音は1キロメートルほど離れた王宮にも届いていた。

 国王は直ちに騎士を派遣し、状況を確認させた。国王の下には魔物暴走スタンピード終息の連絡は入っていたものの、溢れ出た魔物の行方が分からず、それが襲ってきたのではないかと危惧したのだ。


 騎士は研究所に到着したものの、現場は混乱を極め、何が起きたのか把握できない。

 最も被害の大きい黒の賢者の研究棟に向かうが、建物がボロボロになっており、立ち入ることすらためらうほどだった。


 近くにいた若い魔術師を捕まえて話を聞くが、


「賢者様の研究関連としか聞いていないんです。他の賢者様も上席者の方も捕まらなくて、私たちもどうしたらよいのか……」


 他の魔術師にも聞いてみたが、大規模な魔術を使うため、すべての賢者が黒の賢者の研究棟に集まっていたことしか知らなかった。

 騎士はそれ以上の情報収集を諦め、王宮に帰還し、国王に見てきたことを報告する。


「賢者様方が大規模な魔術を使われたようです。また、すべての賢者様のお姿も見えず、上席者も同じく不在とのことでした」


「実験に失敗し、巻き込まれたということなのか?」と聞くが、


「魔力暴走という事象であることは間違いないようなのですが、巻き込まれたのか、それとも転移魔術で脱出されたのかは不明とのことです」


 転移魔術の妨害は爆発の直後に解除されたため、転移で脱出することは不可能だが、情報が錯綜しており、そのような情報が飛び交っていたのだ。


 国王は賢者たちが脱出したものと判断したが、とりあえず研究所の混乱を収拾する必要があると考え、人員を送り込んだ。


 夜が明ける頃に被害の状況が判明した。

 黒の賢者の研究棟で白の賢者を除く6人の賢者の仮面が発見された。また、白の賢者の遺体も研究棟の中に安置されていたことも判明した。


 報告を受けた国王は7人の賢者すべてが死亡したという事実に驚愕する。


「すべての賢者様が……お亡くなりになられただと……どうすればよいのだ……」


 スールジア魔導王国のトップは国王だが、飾りに過ぎず、セブンワイズが内政・外交・国防などの政策のすべてを決めていた。そのため、セブンワイズからの命令を実行する官僚はいるものの、政策の立案ができる者はいない。


「現在の最高位は白の序列第三位の魔術師殿です。但し、暗黒魔術を掛けられているようで、我々の話を聞いていただける状況ではありません」


 アメリアが暗黒魔術を掛けた相手だが、解除することなく、放置したため、未だに催眠状態だ。但し、レベルはアメリアより上であり、自力での解除の可能性は高いが、国王たちにそのことが分かるはずもなかった。


「他の上席者はおらぬのか!」


「赤、青、黄、緑、灰、黒につきましては、序列第十位までの魔術師はすべて行方不明とのことです」


 序列十一位以下の魔術師は最高でもレベル500程度であり、魔力注入による強制的なレベル上限解除は行われているものの、賢者クラスに比べれば圧倒的に経験と知識が足りない。


「これほどまでの被害とは……魔王の仕業ではないのか?」


 数日前にハイランド連合王国に魔王軍が現れ、ハイランド連合王国とトーレス王国に対し、通商関係の条約を結んだところだ。しかし、直線距離で4000キロメートルほど離れた場所での話であり、未だに情報は入っておらず、国王たちはそのことを知らなかった。


 セブンワイズと王宮が混乱し、スールジア魔導王国の政治は機能不全に陥った。


 10日ほど混乱が続いたが、白の序列三位が自力で催眠を解除し、新たな白の賢者となったことで、事態は収束に向かった。


 更に20日後にスタウセンバーグ駐留軍の連隊長オーガスト・オルドリッジ男爵が王都に来たことで、事態が動いた。


 オルドリッジはグリステートのパーガトリー迷宮で発生したスタンピードは黒の賢者の実験によるものと断じ、自らに暗黒魔術を施したこと、告発した流れ人モーゼス・ブラウニングを殺害したことなどを報告した。


「黒の賢者様がそのような……白の賢者様、これは事実なのですかな」


 国王に呼び出された新しい白の賢者はそれに頷いた。


「黒の賢者が暴走したことは前任者より聞いている。彼が研究に没頭するあまり、非合法な手段に手を出し、それによって事故が起きた。すべての責任は黒の賢者にある」


 実際には前任の白の賢者も黒の賢者の研究を黙認していたが、今回の騒動の幕引きのため、黒の賢者にすべてを押し付けたのだ。


「セブンワイズは我が国の守護者ではなかったのか。人為的にスタンピードを起こし、我が民を実験材料にする。自分に都合が悪くなれば、我が忠臣すら傀儡とし、正義の告発を行った者を惨殺する。魔物以下ではないか」


 国王は一時の混乱を脱すると、以前より王である自分を軽視するセブンワイズの力を削ぐことを思いついた。以前であれば、魔人族の存在に怯え、セブンワイズの力を削ぐところまでは考えなかったが、数日前に魔導飛空船によってもたらされた情報により、魔王が思った以上に常識的であると分かり、脅威はないと判断した。

 そんな時、オルドリッジの報告が入り、それを利用することにしたのだ。


 一方の新たな白の賢者は研究畑の魔術師で、政治に関与することに興味を持っていなかった。また、黒の賢者が行ったことは神聖魔術の使い手として看過できないとも思っており、国王の思惑に気づきながらもそれに乗った。


「陛下のおっしゃる通りでございます。今後、セブンワイズは人として倫理にもとるような研究はせぬと誓いましょう」


「それでは手ぬるい。今後、セブンワイズは王宮直轄とし、余の命に従うことを誓うのだ」


 白の賢者は即答を避けたものの、悪くないと思い始めた。


(神聖魔術の研究ならば、王家も否ということはあるまい。幸い魔王の脅威もない。豪炎のインフェルノ災厄竜ディザスターが現れたとしても、魔王に任せればよい。我らが抜きんでるには陛下の思惑に乗るのもよいかもしれん)


 賢者たちを集め、国王からの提案を説明する。


「今回のようなことが再び起きぬとも限らぬ。陛下の提案に乗るべきだと思うが、いかがか」


 新たな賢者たちは圧倒的に力の差がある白の賢者に首肯するしかなかった。


 白の賢者は国王に王宮直轄の組織になることを伝えた。

 その後、七賢者セブンワイズという組織は正式に“王立魔導研究所”と名を変えた。

 スールジア魔導王国を陰で支配し続けたセブンワイズはその長い歴史に幕を閉じた。



 マーカス・エクレストンについては、オルドリッジからの報告で黒の賢者が連れ去ったことは判明したが、セブンワイズの研究所で彼を見つけることができなかった。

 オルドリッジはライルたちの関与を隠すため、マーカスが爆発時に魔法陣の部屋にいたことを意図的に隠した。


 そのため、王国軍は調査を開始したが、状況的に黒の賢者の研究棟にいた可能性は考えられたものの、事故から一ヶ月以上経っているにもかかわらず、身元不明の遺体が発見されなかったことから、混乱に乗じて逃亡したと判断した。


 その報告を聞いた国王はエクレストン魔導伯家の取り潰しを決めた。

 当主のエクレストン魔導伯は嫡男が黒の賢者の指示で動いていたことから一定の配慮を嘆願したが、国王は一蹴した。


「賢者の指示とはいえ、敵前逃亡、決闘での卑怯な行い、更には余の裁定を受けることなく行方をくらませたのだ。情状酌量の余地があると思わぬ」


 国王はセブンワイズと繋がり強い魔導伯家の存在も煙たがっていた。そのため、この機に有力な魔導伯家であるエクレストン家を国政から排除することにしたのだ。


 この裁定は第三者が見ても妥当であるため、エクレストン魔導伯も味方を得ることができず、名門エクレストン家は取り潰された。


 また、マーカスが行ったことは大々的に公表され、マーカスには多額の懸賞金を掛けられた。しかし、何年経っても見つからないため、人々の記憶から消えていった。



 セブンワイズの下部組織である天眼ヘブンズアイも解体された。その一部は王立研究所に配属となったが、各地に散らばる諜報員たちは母体となる組織を失い、大いに混乱した。

 そんな中、諜報員との連絡役であったノーラ・メドウズが彼らを一時的に取りまとめた。


 ノーラは自らがトップに立ちたいという意思はなかったが、自分と同じようにセブンワイズに利用され続けたヘブンズアイのメンバーが路頭に迷うことが我慢できなかった。


 ノーラは組織を再編すると、ある人物に引き継ごうとした。


「私が諜報員たちの長に? 大恩あるメドウズ様のお言葉ですが……」


 その言葉をノーラは遮り、


「あたしゃ、お迎えが近いんだ。あいつらの面倒を見続けることはできん。その点、あんたなら長生きじゃし、魔王軍でのノウハウもある。それにあんたの主人たちのためにもよい“耳”はあった方がよかろう」


「確かにそうですが……分かりました。非才の身ではございますが、お受けいたします」


 こうして闇森人族ダークエルフのアメリア・リンフットは新たな諜報組織となったヘブンズアイの長となった。

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