第八十八話「帰還」
僕たちは
黒の賢者の研究棟の外に出たが、大爆発によって研究員たちはパニックに陥り、右往左往しており、走っている僕たちに注意を向ける者は誰もいない。
傀儡にされていたため、何時なのかは分からないが、外はすっかり暗くなっていた。外から見ると、黒の賢者の研究棟は2階以上も大きく破壊され、更に他の賢者の研究棟にも被害が出ていた。
門にたどり着くと、不安げな表情の門番が研究棟の方を見ていた。詰所の中に兵士が数名いたが、全員が研究棟の方に注意を向けている。
研究所内は転移魔術が妨害されており、門を通って出る必要があるため、どうしてもここを通らないといけない。
「私が対応します。お二人は何もおっしゃらずに付いてきてください」
アメリアさんはそういうと、堂々とした足取りで門番に近づき、
「見ての通り、黒の賢者様の研究棟で事故が起きました。上からの指示で王国政府に救援を求めに参ります」
「ご苦労様です。それにしても事故ですか。この辺りまで爆風が来ましたが、皆さんご無事なのでしょうか」
「分かりません。私も指示を受けただけですので。では」
それだけ言うと、アメリアさんはスタスタと歩いていく。僕たちもそれに続くが、門番は「お疲れ様です」と言って頭を下げるだけで、すんなり通してくれた。
門番から見えなくなったところで、息を吐き出す。
「無事に脱出できましたね。戦っても勝てるんですが、何も知らない王国の兵士を傷つけるのは気が引けたのでよかったです」
襲い掛かってくれば別だが、門番の兵士たちはセブンワイズとは直接関係ないため、できれば戦いたくなかったのだ。
「転移魔術でグリステートに向かいますか?」と2人に聞いた。
「ライル様の転移魔術でどの程度飛べるのでしょうか」とアメリアさんが聞いてきた。
僕の
しかし、転移魔術は人数が増えれば、それに比例してMP消費量が増える。つまり、転移魔術を使って3人で行こうと思ったら、3日かかるということだ。
そのことを告げると、アメリアさんは少し考えた後、
「この近くから一度転移魔術で離れ、飛行魔術で行った方がよいでしょう。飛行魔術でしたら、お嬢様も私も使えますから」
飛行魔術は風属性の魔術で、元素系がすべて使えるローザはもちろん、風と火、暗黒魔術が使えるアメリアさんも使える。
僕とローザはあまり使っていないので、どの程度の速度が出るのか分からない。そのことを言うと、
「お二人ならすぐに慣れるでしょうから、時速50キロほどは出せると思います」
グリステートまでは直線で500キロメートル。10時間で到着できる計算だ。MPの消費量が少ないとはいえ、さすがに1日でそれだけの距離は飛べないが、それでも2日あれば充分に到着できる。
初めて飛ぶが、アルセニ山地の東の端を目指せばいいだけなので迷う心配もない。
とりあえず、この場からすぐに離れるため、転移魔術を使った。目的地は以前通った街道沿いの宿場町。この時間なら人に見られる可能性は低い。
僕たちは無事、王都シャンドゥから脱出した。
その夜は王都から10キロほど離れた森の中で過ごした。
無理をすればもう少し移動できたが、隷属魔術で傀儡にされていたため、思った以上に精神が疲労していたことと、ローザとアメリアさんも窮屈な魔導飛空船の中に潜んでいた状態から、休むことなく研究所で戦い続けたことから、無理をしなかった。
3人で不寝番をしながら夜を明かし、5月3日の早朝に飛行魔術を使ってグリステートに向かった。
街道から外れた森の上を飛んでいくため、何度か魔物に遭遇したが、魔銃で排除していく。
翌日も同じように飛行魔術で移動し、午後3時頃に無事到着した。
探知魔術を使うが、ローザの父ラングレーさんより強い人はおらず、賢者たちの部下が先回りしている感じはない。
屋敷に向かうと、そこにはラングレーさんとディアナさんの他に、アーヴィングさんもいた。
ラングレーさんはローザを見ると、すぐに駆け寄り、「無事でよかった」と言って強く抱きしめる。ディアナさんも同じように彼女を抱き締め、涙を零していた。
「モーゼスはどうしたんだ」とアーヴィングさんが聞いてきた。普段の陽気さは全く感じられない。
僕はどう答えていいのか迷い、すぐに言葉が出てこない。
僕が口篭もったことでアーヴィングさんは察し、更にラングレーさんたちもローザを放して僕の方を見ている。
「僕を助けようとして、黒の賢者の部下に……」
「そうか」とアーヴィングさんはそれだけ言うと、静かに目を瞑った。
「くそっ!」とラングレーさんは吐き捨てる。
「それでセブンワイズはまた来るのかしら。そうなら逃げないといけないわ」
ディアナさんが心配そうな声で聞いてきた。
「それは大丈夫だと思います。奥様」とアメリアさんが言い、
「賢者は全滅しました。それに多くの人材も失っております。すぐに追っ手を出せるほどの余力はないでしょう」
「賢者が全滅? それは本当なの」とディアナさんが驚いている。
「アメリアの申す通りです。魔力暴走に巻き込まれ、全滅しました」
ローザの言葉にディアナさんから安堵の息が漏れる。
「そう言えば、昨日からオルドリッジ連隊長が正気に戻っていたわね。黒の賢者が死んだのなら辻褄が合うわ」
オーガスト・オルドリッジ連隊長は黒の賢者に強力な催眠を掛けられていた。黒の賢者はラングレーさんたちを牽制するためか、それとも単に忘れただけかは分からないが、催眠を解除することなく、ここを離れたらしい。
魔術師でもない連隊長が黒の賢者が掛けた催眠を自力で解除することはまず不可能だ。
「モーゼスの遺体は?」とアーヴィングさんが聞いてきた。
「僕の
僕の言葉にラングレーさんが答える。
「そうか。なら、モーゼスの葬式をしないとな。知り合いたちとの別れもまだ終わっていないのに、友との別れをせねばならんとは……」
今回のスタンピードでなくなった兵士やシーカーの葬儀はほとんど行われていないそうだ。理由は親族がスタウセンバーグからまだ戻っていないためだ。
アーヴィングさんはモーゼスさんが黒の賢者のところに行って戻ってこないことから、僕たちのことが心配になってゴーレム馬を駆って戻ってきたらしい。
ラングレーさんたちにこれまでのことを報告した後、迷宮管理事務所に向かった。
目的はオルドリッジ連隊長に帰還の報告と、セブンワイズが暴走したことを伝えるためだ。
連隊長は開口一番、「迷惑をかけた。済まぬ」と頭を下げてきた。
「自分の行動は覚えておらんが、部下から聞いた話では暗黒魔術を掛けられたことは間違いない」
更にモーゼスさんの死を告げると、がっくりと肩を落とした。
「ブラウニング殿が……まさか賢者様がそんなことを……いや、これは私の責任だな」
「この件に関して連隊長に責任はありません。相手は黒の賢者なんです。抵抗することは不可能ですから」
その後、セブンワイズがやってきたことを話した。
話したのは人体実験を行っていたことと、迷宮に魔力を注入してスタンピードを起こしたことだ。僕のことはもちろん黙っている。
「……あのマーカス・エクレストンも彼らによってここに配属され、何らかの実験の手伝いをさせられていたようです。そう考えると、彼も犠牲者と言えるでしょう」
「エクレストンも死んだのか。奴がやったことは許せんが、それもセブンワイズのせいだということか……ここであったことは国王陛下に必ず報告する。君の話が正しければ、セブンワイズが弱体化している今こそ、正しい姿に戻す絶好の機会なのだから」
「よろしくお願いします」と頭を下げ、事務所を後にした。
町を歩くと、生き残ったシーカーたちが声を掛けてくれた。
「無事に帰って来れたんだな! よかった!」
「一時はどうなるかと思ったぞ!」
彼らはローザとアメリアさんが魔導飛空船に密航する際、騒ぎを起こしてもらっているため、黒の賢者に僕が拉致されたことは知っている。
「ありがとうございました」と頭を下げ、ラングレーさんの屋敷に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます