第八十七話「脱出」

 魔法陣の制御室で灰の賢者から協力してほしいという話を聞かされた。しかし、七賢者セブンワイズは信用できないため、即座に断った。


 その直後、魔法陣の部屋が真っ白な光に包まれる。その中心にはマーカス・エクレストンの姿があった。


「何?」と灰の賢者が振り返った。


 僕も突然のことで頭がパニックになりそうになったが、あまりに強大な力に危険だと感じた。


「僕の横で姿勢を低くして!」とローザとアメリアさんに向かって叫びながら、床に身体を投げ出す。


 二人も危険を感じたのか、僕の指示と同時に動き、ピッタリと横に張り付く。

 二人の位置を確認し、すぐに魔力障壁を展開していく。それも多重発動を最大限に使い、32枚もの障壁を作り、僕たちを包み込んだ。


 この障壁はノーライフキングが使っていたものをイメージしているが、慌てて作ったため、強度には自信がない。


「頭を低くし目を瞑れ! 耳を両手で塞いで口を開けろ!」


 ローザがそう叫んだので慌ててそれに従う。

 モーゼスさんのタブレットに入っていた映画にこんなシーンがあった気がする。


 その直後、床が波打つように揺れ、猛烈なエネルギーが頭のすぐ上を通過していく。

 展開した障壁が次々に消えていくのを感じるが、今の僕にできることは障壁が耐えることを祈りながら、身を低くしていることだけだ。


 どのくらい経ったのか分からないが、エネルギーが唐突に消えた。

 耳を押さえていたが、耳の奥でキーンという音が鳴っている。


 障壁は何とか耐えた。確認すると、残りは僅か2枚。薄皮一枚で耐えきった感じだ。

 障壁を解除することなく、ゆっくりと周囲を見回す。


 それまでは灯りの魔導具で照らされていたが、すべて消え、真っ暗な状態だ。ハイヒュームになって強化された視力で何とか見えるが、周囲は無残な状態だった。


 魔法陣の部屋はガラスが吹き飛んだだけでなく、窓枠まで歪み、壁もところどころ剥がれている。


 僕たちがいた制御室も滅茶苦茶になっていた。机や椅子などはきれいになくなり、直前まで僕たちの前にいた灰の賢者たちの姿もなかった。

 転移魔術を使われ、どこかの廃墟に飛ばされたのかと思うほど、風景が変わっている。


「何があったのだ?」とローザが聞いてきた。


「マーカスが魔法陣を使って何かしたと思うんだけど……」


「この隙に脱出した方がよいのではありませんか?」とアメリアさんが言ってきた。


「そうですね。では障壁を解除しましょう」と言ったところで、ローザが「待て!」と鋭く言って止める。


「何が原因で爆発したのかは分からぬが、空気が悪くなっている可能性があるのではなかったか?」


「そう言えばモーゼスさんが話してくれた武器の中にそんな話があったね」


 詳しくは覚えていないが、気体状の燃料を爆発的に燃焼させる武器があり、その圧力で肺がやられ、更に燃焼した燃料によって人体に有毒なガス、一酸化炭素が発生し、死に至ると聞いた気がする。幸い肺は問題ないが、一酸化炭素があると厄介だ。


「神聖魔術の浄化で空気はきれいになるのかな。それとも風属性で空気を撹拌させた方がいいのかな」


 分からないので両方を試してみる。このままこの状態でいても3人の呼吸で空気が汚れるため、あまり時間がない。


 浄化の魔術と送風の魔術を同時に発動し、30秒ほど待つ。

 そろそろ息苦しくなってきたので、思い切って障壁を消した。

 埃っぽい匂いはするが、特に息苦しいということはなく、魔術が上手くいったのか、そもそも空気が汚れていなかったのかは分からないが、問題はないようだ。


「急ぎましょう。この隙に脱出すべきです」


 アメリアさんの言葉に僕は頷く。


「念のため、探知魔術で敵がいないか探ります」


 そう言って探知魔術で研究棟の中を探ると、地上2階までに人の気配はなかった。ここに戻る時には100近い反応があったはずだが、それがきれいに消えている。更にその上も探るが、20人もいない。

 そのことを2人に言うと、「先ほどの爆発でやられたのか」とローザが呟いた。


 安全が確保できたので廊下に出ていく。

 制御室を出た先の壁に、赤い塗料をぶちまけたようなシミがあった。更に歩いていくと、原形を留めていない死体が転がっている。ローブの色から見て、灰の賢者たちの成れの果てだろう。


 吐き気を催すが、それを無視して先に進んでいく。

 通路沿いにある扉はすべて破壊され、部屋の中も滅茶苦茶になっている。


 地下3階に上がった先にも無数の死体があった。こちらもローブの感じから僕たちを追ってきた賢者クラスの魔術師たちのようだ。

 その死体を横目に見ながら、がれきの中を急いで移動していった。


■■■


 時はライルたちが魔法陣の部屋に向かう直前に遡る。


 黒の賢者は地下2階の階段を出たところの通路で、元素系の賢者たちと共にライルたちを待ち構えていた。

 5人の賢者はそれぞれレベル500を超える側近を2人ずつ従えているため、総勢15人にもなる。


 階段室を出たところの通路はL字型になっているが、その片方を黄の賢者たちが作った岩壁で完全に封鎖し、更に彼らの前にも胸ほどの高さの頑丈な岩壁が通路を塞いでいる。


「ここで待ち受け、火と風で牽制している間に、我らが氷壁を作ればよいのだな」


 水属性の魔術を使う青の賢者が中性的な声で確認する。


「その通り。とりあえず氷の壁で時間を稼ぎ、階段室の入口に岩の壁を作る。あの者たちでも賢者が作る壁を短時間では突破できん。その間に灰の賢者が時間を止めればよい」


 通路の幅は5メートルほどで、ライルたちが近づいてきたら、赤の賢者と緑の賢者が魔術で牽制しつつ近寄らせ、その間に氷の壁を作って閉じ込める。氷の壁では溶かされる可能性があるため、作るのに時間は掛かるが、頑丈な岩の壁で補強するという計画だった。


 そこにライルたちを監視していた灰の賢者の部下から念話が入る。


『実験体が地下に向かいました』


「何! どういうことだ!」と黒の賢者が驚く。


 ライルが探知魔術で待ち伏せを見つけ、戦力が少ない魔法陣の部屋に向かったのだが、黒の賢者たちには想定外だった。


「なぜだ? 袋小路にわざわざ戻る必要はないはずだが? 我らの待ち伏せが見つかったというのか」


 黒の賢者がそう自問するが、果断な性格の赤の賢者が下に向かうことを主張する。


「今はそのようなことを考えている場合ではない。すぐに向かわねば策自体が破綻する」


「確かにそうだ。では、向かうぞ」と言って壁を乗り越えて下に向かおうとした。


 しかし、でっぷりとした体格の黄の賢者が壁を乗り越えるのに手間取ってしまう。


 何とか壁を乗り越え、地下3階に降りたが、その時、灰の賢者から脱出する旨の連絡が入った。

 黒の賢者はそれでは逃げられると抗議するが、他の4人の賢者は諦めていた。


「ここに至っては灰の賢者の言うことの方が正しい」と黄の賢者が言い、青の賢者が続く。


「貴殿が失敗したことが原因だ。それに白の賢者のこともある。責任を取って、この件から手を引くべきだろう」


 その発言に黒の賢者が色めき立つ。


「私にこの研究から手を引けというのか!」


「そうではない。彼から手を引けと言っているのだ。それともこの事態から何とかできる策を持っているのか?」


 黒の賢者は「ぐぬぬ」と唸るものの、自由になったライルに対し、アーヴィングを人質に取るという策しか思いつかない。


 5人の賢者はそんな話をしながらも魔法陣の部屋に向かっていた。地下4階に降りる階段に差し掛かった時、灰の賢者から念話が入った。


『彼が来たわ。一度交渉してみるけど期待しないで』


 その直後、全員が強い魔力を感じた。今まで経験したことがないような巨大な魔力の塊だった。


「何だ! 何が起きている!」


「これほどの魔力がどこから……なぜこのように無秩序なのだ!」


「それよりこのままではこの魔力が暴走してしまう! 転移魔術が使えるようにすぐにするのだ!」


「逃げるぞ!」


 それぞれの賢者がパニックを起こし、慌てふためている。

 彼らは魔術の大家として魔力の暴走がどれほど危険なものか知っており、これほど巨大な魔力が暴走すれば、この場所では命に関わると直感していた。


「間に合わん! 全員で魔力障壁を張るしかない!」


 緑の賢者が階段室の出口に向けて魔力障壁を展開する。それに倣うように他の賢者と部下たちも魔力障壁を展開していった。


 レベル600を超える魔術師5人とレベル500を超える魔術師10人の障壁はライルの32枚の障壁を遥かに超える強度を持つ。

 魔力の暴走までに展開でき、これならば耐えられると誰もが思った。

 その直後、足元が大きく揺れ、突風のような猛烈な速度のエネルギーが彼らに襲い掛かる。


 そのエネルギーは予想を遥かに超える力を持っていた。

 確かに魔力障壁は耐えられた。

 耐えたものの強烈な圧力を受け、魔力障壁ごと術者たちは吹き飛ばされてしまう。


 吹き飛ばされた衝撃で魔力障壁が消え、その直後に音速を超える衝撃波が彼らを襲った。

 賢者たちは衝撃波によって身体をズタズタに引き裂かれた上、壁に叩きつけられた。


 彼らの失敗は圧力を逃がさなかったことだ。

 ライルは低い姿勢を取り、制御室と魔法陣の部屋の壁を盾にしながら、身体を包み込むように障壁を展開したが、彼らは通路全体を塞ぐように障壁を張った。また、別の階段も土属性魔術で完全に封鎖されており、爆発の圧力が逃げる道を失った。


 そのため、古代竜エンシェントドラゴンのブレスに匹敵するエネルギーのすべてを狭い空間で受けることになったのだ。


 黒の賢者は吹き飛ばされている僅かな時間の中で、理不尽な死に怒りを覚えた。


(なぜここで私は死なねばならんのだ! ここで私が死ねば豪炎のインフェルノ災厄竜ディザスターの脅威に対抗できん。私は人類の希望なのだ! それがなぜ……)


 彼は何が起きたかも分からないまま、500年を超える生を終えた。


 こうしてスールジア魔導王国を陰から牛耳る七賢者セブンワイズは全滅した。

 彼らが軽んじた一人の若者によって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る