第八十六話「マーカスの最期」

 灰の賢者は焦っていた。


(どうしてこっちに戻ってくるのよ。ここが行き止まりだと分かっているはずなのに……このままだとまずいわ。私の部下では時間稼ぎはできても一ヶ所に留めておくことはできない……)


 灰の賢者がライルたちの場所を把握できているのは、魔力探知能力に特化した部下を使い、常に追跡させていたからだ。


 神人族ハイヒュームとなったライルの魔力は賢者たちより強力であることと、最初の位置が特定できていたことから、建物の中という探知しにくい場所であっても何とか追跡ができた。


 一方、灰の賢者はライルがなぜ自分のところに戻ってくるのか理解できなかった。

 竜人であるローザやエルフであるアメリアの索敵能力が高いという可能性は考えたものの、魔物でもない自分を純粋な魔力から探りだせるとは考えていなかった。

 また、ライルの探知魔術という特殊なものはあることすら知らなかった。


 そして焦っている理由は脱出するすべがないからだ。ここに入る時に使ったルートはライルたちを誘い込むため一ヶ所を除いて封鎖されており、唯一の出入口はライルたちがいるルートだけだ。


(油断したわ。まさか最下層のここに戻ってくるとは……時間を稼ぐにしても、黒の賢者たちが追ってきていることは知っているはず……戦えば間違いなく殺されるわ。絶体絶命ね……)


 灰の賢者はライルに勝てる策を思いつかなかった。そのため、脱出に舵を切る。


(逃げるしか方法はないわね……転移を妨害する魔法陣を一時的に停止させるしかない。でもそれだと彼を逃がすことになる……)


 転移魔術を妨害する魔法陣は一度止めると再起動するのに時間が掛かる。そのため、灰の賢者が脱出した後に、ライルが転移魔術を使うと簡単に逃げられてしまう。

 しかし、灰の賢者は腹を括った。


(逃がしてあげるから協力するように交渉してみるしかないわね。それでも駄目なら転移魔術で脱出する。彼に逃げられることになるけど、私が助かることの方が重要なのだから……)


 そのことを念話で5人の賢者に告げる。


『一人では対処できないわ。一時的に転移魔術の妨害を解いて脱出する』


『待て! それでは逃げられてしまうではないか!』


『私がここで殺されても同じことよ。その前に交渉はしてみるつもりだけど』


 一方的にそう告げると、黒の賢者からの念話をブロックし、魔法陣の部屋から制御室に移った。

 魔法陣の部屋では罠を警戒されるためだが、その選択が後に事態を大きく変える。


「彼らと交渉するわ。こちらからは手を出さないように。但し、いきなり攻撃してくることも考えられるから、防御魔術だけは展開しておきなさい」


 その言葉に部下たちは驚くが、ライルたちの実力を知り、賢者がいたとしても自分たちでは勝てないことも理解している。そのため、すぐに首肯した。


 灰の賢者は念話で『転送魔術の妨害を解除しなさい』と命じる。


 部下からすぐに了解の返事が来るが、『解除に1分ほど掛かります』という報告が入る。


『分かったわ。でも急ぎなさい』と命じ、ライルたちを待ち受ける。


 ライルたちはそのすぐ後に制御室に入ってきた。


「僕たちをどうするつもりだ!」とライルが叫び、銃を構える。


「交渉したいのよ。黒の賢者たちが来る前にあなたたちを逃がしてあげるから、私個人に協力してもらえないかしら。協力といっても変な実験に付き合わせるつもりはないわ。ただ、普人族ヒュームとの間に子供を作り、その子がどのくらいの能力を持っているか調べさせてもらいたいの」


 ライルはあまりに意外な申し出に「子供を作る……」と一瞬呆けてしまう。


「ライル様、相手は七賢者セブンワイズの筆頭です。騙されてはいけません」


 アメリアの警告にライルは即座に頷く。


「時間を稼ぐつもりみたいだけど、その手には乗らない」


 そう言ってM4カービンを構えた。


 その時、灰の賢者の背後のガラス窓が白く光り始めた。

 灰の賢者は想定外のことに「何?」と言って振り向く。


 そこには黒いローブを纏った一人の若者が立ち、呪文を詠唱していた。


■■■


 時はライルたちが魔法陣の部屋から脱出した後に遡る。

 マーカス・エクレストンは地下をさまようように歩きながら、魔法陣の部屋の前にたどり着いた。


(ここが一番奥らしいんだが、ここに転移魔法陣があるのか?)


 そう考えながら扉を開けた。そこの床には血だまりがあったものの、複雑な魔法陣が描かれており、目的地だと安堵する。

 マーカスがライルと鉢合わせにならなかったのは、制御室とは反対側の通路から入ったためだ。


 しかし、魔法陣を確認すると、転移魔法陣と異なっていることに気づく。


(転移魔法陣じゃないぞ、これは……ここから逃げ出せないじゃないか……)


 彼がスールジア魔導王国でも滅多に使われることがない転移魔法陣について知っていたのは、王国軍の士官であったためだ。王国軍の士官は緊急時の連絡のために転移魔法陣を使用することを想定し、起動法などを習得している。


 他のことは真面目に学ばなかったマーカスだが、転移魔法陣は一度使ってみたいと思っており、真面目に講義を聞いていた。


(このままここにいても仕方がないな。元来た道を戻るしかないか……)


 そう考えて戻ろうとした時、自分が入ってきた扉の方から人の気配がした。

 即座に部屋の奥にある物置に隠れた。そこには魔法陣が描かれた木の板や魔力結晶マナクリスタルが入った箱などがあった。


 扉の隙間から覗き込むと、灰色のローブと仮面を被った集団がおり、その中の一人が魔法陣を見ながら話をしていた。


「起動準備は終わっているようね。これならこのまま魔力の増幅が可能だわ。あなたたちは制御室で待機していなさい。もし、黒の賢者たちから支援の要請が来たら、即座に対応するように……」


 灰の賢者たちも探知系のスキルは持っているが、ライルたちがいる場所が分かっていることからスキルを発動させなかった。そのため、マーカスがいることに気づくことはなかった。


 運よく発見されなかったマーカスだが、灰の賢者たちが魔法陣を起動しない限り、脱出できないと気づく。


(何をするつもりかは知らないが、終わらないと逃げることもできない。いや、終わったらここが開けられるかも……まずい状況だぞ。どうしたらいいんだ……)


 自分が袋のネズミであることに気づくが、いい考えが浮かばない。


 マーカスが悩んでいる間に、灰の賢者は魔法陣の中心に立ち、何かを待っていた。

 30分ほど経った頃、突然独り言を呟き始めた。


「どうしてこっちに向かってくるのよ……」


 そう呟いた後、灰の賢者は魔法陣の部屋から制御室に向かった。マーカスは今がチャンスだと物置から出る。

 そして、そのまま魔法陣の部屋から脱出しようとしたが、不意に何が起きたのか気になり、身を屈めて制御室側の扉に向かった。


 そこで灰の賢者が誰かと交渉するつもりだということを知った。


(誰と交渉するつもりだ? まあいい。そいつと揉めてくれれば、俺が逃げやすくなる)


 そう考え、その場を離れようとした時、制御室に入ってきた人物の姿が目に入った。


(ライルだと! なぜこんなところに……)


 ライルの姿を見た瞬間、黒の賢者に植え付けられた憎悪の炎が彼の中で燃え上がった。


(奴を殺す……だが、どうすれば……)


 そこで灰の賢者の言葉が頭に浮かぶ。


(灰の賢者様はこの魔法陣で魔術を増幅できると言ったな。前は失敗したが、これを使えば俺でも奴を殺せるだけの魔術を使えるかもしれない。逃げても俺の人生は終わったも同然なんだ。奴を殺せるなら、ここで捕まって処刑されても構わん……)


 マーカスは以前使った地獄の炎弾ヘルファイア・バーストという火属性の上級魔術を使うため、呪文を詠唱し始めた。


 詠唱と共に魔法陣の部屋は真っ白な光に包まれ、彼の身体の中に大量の魔力が注ぎ込まれていく。


(これなら奴を殺せる!)


 一瞬歓喜に震えたが、すぐに自分の状態に気付き、慌て始める。


(こんなに大量の魔力なんて扱えない! 身体が引き裂かれる! 止めないと……駄目だ。止まらない……)


 この多層魔法陣は取り扱いが非常に難しく、賢者か、それに準ずる能力を持つ魔術師が使うことを想定している。

 更に今の設定は、黒の賢者がライルに強力な隷属魔術を施そうと、通常よりも出力を上げたものだった。マーカス程度の未熟な魔力制御能力で御しえるものではなかった。


 マーカスは大量に流れ込んでくる魔力を魔術に変えることができない。

 彼の能力が今少し低ければ流入する魔力は暴走するに至らなかったかもしれない。しかし、セブンワイズによって生み出されたマーカスの才能は一般の魔術師より高かった。

 そのため、制御不能なほどの魔力が流入しても何とか耐えられたが、それが仇になった。


(……どうにかして魔術に変えないと……炎になれ! 早く!……)


 何とか炎の形になりかけたところで、マーカスは制御不能のまま発動のキーワードを叫んだ。


地獄の炎弾ヘルファイア・バースト!」


 次の瞬間、魔法陣の部屋に膨大なエネルギーが放出される。それは古代竜エンシェントドラゴンのブレスに匹敵するほどで、それが無秩序に爆発した。


 その中心にいたマーカスは痛みを覚えることなく、一瞬にして蒸発する。


 爆風は制御室のガラスを一瞬にして破壊すると、音速の衝撃波となって研究棟を破壊していった。

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