第八十四話「救出作戦:その4」

 黒の賢者の研究棟の地下深くにある多層魔法陣の部屋では、ライルの隷属魔術の解除が行われていた。


 そこに元素系の賢者の部下たちが突入してきた。ローザとアメリアはその対応に追われ、その隙を突くように黒の賢者の部下も別の扉から侵入を果たす。


 黒の賢者はライルの魔術を解除していた白の賢者を殺し、彼を連れ去ろうとした。それに気づいたモーゼスは制御室から魔法陣の部屋に飛び込み、隠し持っていた魔銃で応戦する。


 しかし、一歩間に合わず、白の賢者は殺され、解除の魔術は中断してしまった。更に孤軍奮闘していたモーゼスも、黒の賢者の部下の攻撃を受け、致命傷を負い、倒れてしまった。


 ライルはその光景をぼんやりと眺めていた。


(モーゼスさんが……倒れている?……ここはどこ?……僕は何をしている?……)


 白の賢者の魔術により、僅かだが彼の意識は戻っていた。しかし、解除が完全ではなく、意識は混濁したままで、身体を動かすことすらできない。


 そこに黒の賢者がゆっくりと近づいてきた。


「間に合ったようだな。すぐに実験体を回収し、退避する」


 そう言うと、ライルの右手を掴み、「私と一緒に来るのだ」と優しいともいえる声音で命じた。


 その声に従わなければならないという思いがライルの心の中に強く湧き上がる。動こうとした時、血だまりに倒れるモーゼスの姿が目に入った。


(駄目だ……こいつは敵だ……誰が?……どうしたらいいんだ?……)


 ライルは黒の賢者の言葉でも動くことなかったが、未だに混乱しており、立ち尽くしている。


「何をしている。我が命に従え!」と黒の賢者が焦ったような声で叫ぶ。


「術が解けかけている。やむを得ぬ。ここで掛け直すしかあるまい」


 そう言ってライルの額に右手を当てようとした。


「モーゼス殿! ライル殿!」とローザが飛び込んできた。その後ろにはアメリアの姿もあった。


「ええい、役に立たぬ奴らだ」と黒の賢者は時間稼ぎに失敗した元素系賢者の部下たちを罵ると、自らの部下に「近づけさせるな」と命じた。


 黒の賢者の部下は10人を超え、賢者とライルを守るように壁を作っていた。


「ええい、邪魔だ!」とローザは強引に前に出ようとするが、今回は黒の賢者が自らの身を守るために精鋭を揃えており、容易に近づけない。


 アメリアもスピードを生かして回り込もうとするが、障害物のない部屋ということで牽制するように飛んでくる魔術のため、近づくことができずにいる。


 その間に黒の賢者はライルに隷属魔術を施していく。


「ライル殿!」というローザの叫びが響く。


 ライルはその声をぼんやりとした頭で聞いていた。


(ローザ……アメリアさんも……モーゼスさん……)


 ローザの声がきっかけとなり、ライルは無意識のうちに黒の賢者の隷属魔術をブロックしていた。そして、徐々に意識がクリアになっていく。


(黒の賢者様?……黒の賢者が何をしている?……僕に暗黒魔術を……逆らうとモーゼスさんが……モーゼスさん? モーゼスさんを助けないと!)


 血だまりに倒れるモーゼスの姿がライルの意識を覚醒させた。


「や、やめろ……やめるんだ!」と叫び、ライルは黒の賢者の手を払い除けた。


「な、何! 私の隷属魔術を自力で解除したというのか!」


 黒の賢者は一瞬呆けるが、すぐに部下たちに命令を下す。


「実験体を拘束しろ! 今ならまだ満足に動けんはずだ!」


 その命令に部下の2人が動き、ライルの腕を取ろうとした。

 ローザの父、ラングレーから格闘術を学んでいたライルは反射的に1人の腕を掴み、投げ飛ばす。その動きにもう1人も反応が遅れ、ライルはその隙を突いて距離を取った。

 しかし、まだ隷属魔術の影響が抜けきっていないのか、フラフラと身体を揺らした後、片膝を突いてしまう。


 黒の賢者側はライルの動きに混乱していた。ローザとアメリアはその混乱に付け込み、2人を斬り捨てる。


「何をしている! 早く捕らえろ!」と黒の賢者は叫ぶが、すぐに危険だと感じ、入ってきた扉に走り出す。


「一旦、引け!」と部下たちに命じ、自らは一番にその場から脱出した。


 黒の賢者の部下たちは命令に従い脱出するが、後ろから迫るローザとアメリアによって瞬く間に5人が殺された。


「お嬢様! 深追いはいけません! 今はライル様を優先すべきです!」


 アメリアの声にローザが動きを止める。


「ライル殿!」と言って、膝を突いているライルに駆け寄った。


 アメリアは黒の賢者たちが逃げたことを確認しつつも、周囲を警戒する。


「ローザ?」と言いながら、顔を上げる。


「ライル殿、大丈夫か!」と言ってローザは強く抱きしめた。


「ありがとう……」と言いかけたところで、モーゼスの姿がライルの目に入った。


「モーゼスさんが!」と言って、ローザを振り解き、モーゼスの下に駆け寄る。しかし、すぐに事切れていることに気づいた。


「どうして……」


「ライル殿を守るために魔銃一つで黒の賢者たちに立ち向かったのだ。済まぬ……」


 ローザは歯を食いしばって俯いている。


「僕を守るためにみんなで戦ってくれたんだ。モーゼスさん、ありがとう……」


 そう言うと、モーゼスに一礼し、ローザの肩を抱く。


「ローザもありがとう。僕が油断しなければ、こんなことにならなかったんだ。ごめん」


「ライル殿……」と言いかけた時、アメリアが割り込んできた。


「ここはまだ敵の本拠地の中でございます。まずはここから脱出すべきです」


「そうですね」とライルは言い、モーゼスの遺体を収納魔術アイテムボックスに入れた。


 更にアイテムボックスからM4カービンを取り出し、弾倉マガジンを装着する。


「準備完了。でも、ここはどこなんだ?」とローザに聞く。


「黒の賢者の研究棟の地下だ。脱出するルートは分かるが、敵が待ち構えているだろうな」


「転移魔術が使えれば簡単に脱出できるんだけど」


 ライルの問いにアメリアが首を横に振る。


「残念ながらセブンワイズの研究所内では転移魔術は転移魔法陣以外使えません」


「そうですか。ということは、向こうも転移できないんですね。考えようによっては悪くない」


 ライルはそう言うと、気合を入れるように自らの頬を両手でパンと叩く。


「行きましょう! 命懸けで助けてくれたモーゼスさんに報いるためにも、ここから脱出してみんなのところに帰るんです!」


「そうだな。では、参ろうか」


 アメリアを先頭に3人は制御室に戻っていった。


■■■


 時は魔導飛空船が研究所に到着した直後に遡る。


 マーカス・エクレストンは暗黒魔術によって催眠状態にされていた。更に魔導飛空船の中では猿轡を付けられ、更に両手両足も拘束された。万が一、催眠が解け、自暴自棄になって魔術を使われないための処置だった。


 飛空船から降ろされた後、明日王宮に引き渡すことになっており、研究所の倉庫に放り込まれた。その際、拘束は外された。マーカスに催眠魔術を自力で解除することはできないことと、彼が万が一解除して暴れても、墜落の危険がある飛空船と違い、ここなら簡単に制圧できるためだ。


 マーカスは催眠状態の中で夢を見ていた。それは自らが魔導伯家を継ぎ、魔術の大家としてセブンワイズの一員になったというものだった。


 幸せな夢は唐突に終わった。

 彼に掛けられていた催眠魔術が解けたからだ。


 魔術が解けたのは術者がローザたちに殺されたためだ。マーカス程度ならそれほど高位でない魔術師でも充分に効力が発揮できるため、黒の賢者の部下が掛けていた。


「ここはどこだ?……俺は何をしていたんだ?……」


 催眠魔術の影響で記憶はあいまいだが、徐々に自分の状況が分かってきた。


ライルあいつに決闘を挑んで負けて、魔物暴走スタンピードから逃げ出したことがばれてしまったんだ。このままこの国にいたら処刑されてしまう。逃げ出さないと……)


 拘束されていないものの、鉄の扉にはしっかりと鍵が掛けられており、部屋から出られない。

 扉に耳を付けて外の様子を伺うと、バタバタという足音と「急げ!」という声が聞こえ、何か起きていることだけは分かった。


(逃げるなら今しかない……この程度の扉なら壊せるはずだ……)


 彼が閉じ込められた部屋は専用の牢獄ではなく、ただの倉庫だった。そのため、鍵もそれほど頑丈ではなく、破壊は容易に思えた。


(音を立てたら見つかる。どうしたら……あの方法ならいけるかも……)


 マーカスは扉の蝶番を火属性魔術で真っ赤になるまで炙り、水属性魔術で水を掛けて冷やす。それを何度か繰り返すと、蝶番を固定している石壁にひびが入り、扉がぐらつき始めた。2ヶ所の蝶番を同じ要領で壊すと、扉が外れた。


 ギギィというきしむ音を響かせながら扉を動かすと、通れるだけの隙間ができる。


(これで出られる。あとはここから逃げ出すだけだ……)


 計画性の欠片もない脱出プランだったが、運が彼に味方した。この倉庫は地下2階にあり、ローザたちによって起こされた混乱で誰も彼に注意を向けなかったのだ。


 マーカスは見知らぬ建物の中でどちらに行けばいいのか途方に暮れるが、勘に従い下に向かった。

 下に降りていく途中、ローザによって蹴散らされた警備隊の遺体を見つける。黒いローブと剣、更には杖を見つけ、それを装備していく。


(賊が入り込んだんだろうか? まあ、俺にとっては助かるんだが。黒いローブと黒い仮面、黒の賢者様の施設のようだが、ここはどこなんだ?)


 そのまま、慎重に下に降りていった。

 最下層に着く前、後ろから人の気配がしたため、慌てて避ける。


「あの魔法陣を起動させたらまずいことになる。急げ!」


 赤や青の仮面をつけた8人の集団で、彼に気づいたものの一瞥することなく、走り去る。元素系の賢者の部下たちはマーカスが黒の賢者の部下だと思いこみ、無視したのだ。


(助かった……魔法陣? もしかしたら転移魔法陣があるのか?)


 更に降りていくと、戦っている音が聞こえてきた。近寄ると巻き込まれると思い、人の気配がなくなるまで、少し離れた小部屋に潜むことにした。

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