第七十六話「陰謀の序章」

 4月30日の午前10時頃。

 マーカスとの決闘を終え、服を着替えたところで、ローザが声を掛けてきた。


「王国の飛空船がいる。今頃何をしに来たのだ」


 地上を魔物と戦いながら進んできた、オルドリッジ連隊長率いるスタウセンバーグ駐留軍が昨日到着している。そう考えると、彼女の言いたいことは分からないでもない。


「僕たちには関係ないし、気にしなくてもいいんじゃないか。それに王国軍の偵察隊が来たのは3日くらい前だから、王都から慌てて飛んできてもこのくらいになるんじゃないかな」


 王国軍の偵察隊がグリステートの町に現れたのは27日の夕方で、28日の早朝に出発したそうだ。スタウセンバーグまで飛行魔術などで飛べば、高位の魔術師ならその日中に王都シャンドゥに到着できる。


 魔導飛空船の1日の航続距離は250キロメートルほどなので、500キロメートル離れた王都から無理して夜間も航行したと仮定すれば、このタイミングで到着してもおかしくないという計算だ。


 僕には関係ないと思っていたが、ローザは違った。


「誰が乗っているかは分からぬが、今回の魔物暴走スタンピード制圧の確認に来たことは間違いないのだろう。そうなれば、ライル殿と某は呼び出されるのではないか?」


「確かにそうだね。なら、迷宮管理事務所に戻ってみようか。オルドリッジ連隊長もいらっしゃるから、そこで話をするだろうし」


 正直面倒だと思ったが、これ以上のトラブルはないはずだ。スタンピードは終わったし、因縁のあったマーカスは拘束されている。


 管理事務所に到着すると、漆黒のローブを纏った集団がいた。その数は30人ほどで、黒の賢者の部下たちのようだ。


(黒の賢者がなぜ? 魔物の残党を倒しにきたのなら、白の賢者か、元素系の賢者の方がいいはずなのに……)


 黒の賢者はその色からも分かるように暗黒魔術の使い手だ。ここの迷宮を含め、300階から500階くらいには悪魔やアンデッドが多い。つまり、暗黒魔術とは相性が悪い相手が多いということだ。


 疑問はあったが、町の外に設置した魔法陣のこともあり、その責任を取って、ここに来た可能性もあると思い直す。

 黒の賢者がオルドリッジ連隊長と話をしているが、僕たちは遠巻きにして見ているしかない。


 挨拶が終わったため、連隊長が2階に上がっていくが、黒の賢者は残ったままで、僕の方にゆっくりと向かってきた。


「君たちが活躍したことはオルドリッジ連隊長に聞いた。実に素晴らしい」


「ありがとうございます」とだけ答えるが、黒の賢者を信用できないので、それ以上は何も言わない。


 その時、僅かにゾワリという感覚に襲われる。何があったのかは分からないが、警戒だけは強めておく。


「君は七賢者セブンワイズの一員になる気はないか。君なら我が組織の指導的な地位を得ることは可能だ。それ以前に君ほどの才能をこのような場所に埋もれさせるのはもったいない」


 さっきの変な感覚は鑑定されたからじゃないかと思った。今まで僕に興味を示していたが、一度も誘われたことはなかったからだ。


「光栄なことですが、お断りします」


「それはなぜかね? セブンワイズの一員になれば、魔導伯家を継ぐことも可能になるが」


「興味がありませんので」


 魔物狩人ハンター探索者シーカーの自由な生活を知った今、魔導伯家を継ぐことに興味はない。

 それ以上に今更僕に興味を持ったことの方が気になる。恐らく、神人族ハイヒュームに進化したことに気づき、勧誘してきたのだろうが、彼らが何をするのか信用できない。


 僕のそっけない答えに黒の賢者は小さく肩を竦めた。


「どうやら誤解があるようだ。我々は君と敵対しているわけではないと思うのだが?」


「敵対しているかについてはよく分かりません。ですが、今回の一連の騒動に無関係だとおっしゃりたいのですか?」


「それはスタンピードを我々が引き起こしたということかね? それならば無関係だ。あれは町に魔物が入らないようにする魔法陣だからだ」


 その説明に疑念が強まる。

 確かに特定の魔物を入れないようにすることは、原理的にはできないことはない。例えば、風属性の魔物に対し、土属性の魔力を放出すればそれを嫌って近寄らせないことは可能だ。

 しかし、その場合、土属性の魔物が近寄ってくる。


 つまり、すべての魔物が嫌う魔力を出すことは不可能だということだ。第一、あれほど広範囲の魔法陣の場合、魔力の密度が低すぎてほとんど効果はない。


 それに僕が調べた限りでは、あの魔法陣は魔力を放出するのではなく、集めるものだった。それも迷宮に向けてだ。


 迷宮に魔力を注入すれば、迷宮が活性化し、スタンピードが起きる。これは誰でも知っている常識だ。

 僕はそのことを指摘することなく、別の質問をした。


「そうなんですか。魔法陣については分かりました。ですが、マーカス・エクレストンがこの町の守備隊長になったことに黒の賢者様が関与されていると聞きました。これも根も葉もない噂に過ぎないのでしょうか」


「その通りだ。私に人事に関する権限はないし、第一、エクレストンに肩入れする理由がない」


「マーカス本人が黒の賢者様から声を掛けていただいていると自慢していましたけど」


 実際には又聞きだが、鎌をかけてみた。

 どんな表情をするのか見たかったが、仮面を被っているため確認できない。

 僅かに沈黙した後、それまでと同じような口調で答え始める。


「確かに彼にはある程度期待していた。魔導学院の首席なのだから当然だろう。しかし、それは今までの首席卒業生と変わらない。この地に来る用事があり、偶然いることに気づいたから声を掛けたに過ぎないのだ」


「他の首席卒業生にも声を掛けていらっしゃったのですか」


 賢者の一人から直接声が掛かるということは、国王陛下からお言葉をいただくくらいの印象がある。毎年の首席卒業者に声が掛けられているなら、必ず噂になるが、そんな話は一度も聞いたことはなかった。


 いずれにしても胡散臭い印象が拭えない。


「それで答えはどうかね。我々のところに来てくれぬか」


「お断りします」と答えて頭を下げる。


「そうか。それは残念だ」と言って、黒の賢者はあっさりと引き下がった。


「君に対する門戸は開かれている。気が向いたらいつでも王都に戻ってきなさい」


 それだけ言うと、立ち去っていく。

 僕たちの会話を黙って聞いていたローザが小声で話しかけてきた。


「どう言っていいのか分からぬが、気に入らぬな。魔法陣のことは真実を言っていないことが特にな」


「確かにそうだね。少なくとも誠実さは全く感じなかったよ。モーゼスさんやラングレーさんがセブンワイズを警戒する理由が何となく分かった気がする」


「しかし、これで大人しく引き下がるのだろうか?」


「僕も同じことを思っているよ。でも、こちらから何か行動を起こすのも変だと思うし、向こうの出方を待つしかないかな」


「そうなのだが……」とあまり納得した様子はなかった。


 その時、兵士の一人が僕たちに声を掛けてきた。


「連隊長より、伝言です。これより黒の賢者様にスタンピードの経緯について報告しますので、出席いただきたいとのことです」


「了解しました」と答え、その兵士の後についていった。


■■■


 ライルとの話を終えた黒の賢者は、想像以上に自分に対して警戒していることに、頭を悩ませていた。


(ブラウニングに預けたのが仇になったか……穏便に済ませたいが、それでは埒が明きそうにない。かと言って、私の魔術でも洗脳は難しいだろう……)


 黒の賢者はスールジア魔導王国でも屈指の暗黒魔術の使い手だ。しかし、精神系の魔術は相手の魔術耐性が強いと抵抗される可能性が高い。


 ライルの場合、魔術防御に関わるステータス、精神力MND値が高く、黒の賢者の魔術成功に関わる知力INT値の6倍以上ある。これほどの差があると、相手の同意がない限り、精神魔術はほぼ成功しない。


 黒の賢者はライルと顔を合わせた際に鑑定でそれを確認しており、秘かに魔術を施して傀儡にする方法を断念した。


(能力は高いが、精神は未熟だ。ならば、搦め手を使って従わせればよい。あの者が使えなるな……)


 黒の賢者は頭の中でプランを組み立てると、部下に指示を出していった。

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