第六十二話「ラングレーの戦い」

 4月21日午前0時頃。

 俺たちのパーティは402階にある安全地帯セーフティエリアで野営していた。

 見張りをしていたエルフのペネロペが、小さいが鋭い警告の声を発し、目を覚ます。


「迷宮の様子がおかしいと聞こえたんだが……」と眠そうな目をこする鬼人族のスタンリーが確認する。


「何があったんだ?」と俺が聞くと、


「魔物の様子がおかしいわ。遠目に見ただけだけど、デーモンが2体一緒にいたの」


「デーモンが2体だと? 偶然一緒になったんじゃないのか」と熊獣人のアベルがあくび交じりの呑気な声で聞いている。


「全員、出発準備だ。迷宮から脱出する」と俺は宣言し、脱いでいたヘルメットを被る。


 ディアナとペネロペはすぐに動き出すが、スタンリーとアベルの動きが鈍い。


「早くしろ。一刻を争うんだ」と強く言うと、渋々ながらも動きを速める。


「最近心配している魔物暴走スタンピードが起きたと思っているのか?」とスタンリーが言うが、それに応えることなく、準備の状況を確認していく。


 それでもベテランらしく、2分ほどで準備は終える。


「ペネロペに先行してもらう。だが、無理はするな。400階の転移魔法陣までたどり着けそうになければ、セーフティエリアでやり過ごすつもりだからな」


「了解」と短く答え、ペネロペは30メートルほど先に走る。


「戻れるかしら」とディアナが言ってきた。


「始まったばかりならな。まあ、無理でもセーフティエリアに逃げ込めれば、何とかなる」


 俺も妻と同じ懸念を抱いているが、リーダーとしては楽観論を言うしかない。


 先行するペネロペが手で止まれの合図を送ってきた。

 俺たちが止まると、後ずさるように戻ってくる。


「駄目だわ」と言い、首を横に振る。


「何がいた?」と俺が聞くと、「サキュバスよ」と低い声で答え、


「この階層にいるはずがない上位悪魔がいたのよ」と付け加える。


 サキュバスは女性型の悪魔で、男性型のデーモンと見間違えることはない。この言葉で懐疑的だったスタンリーとアベルの表情が一気に締まる。


「この近くで安全そうな場所はどこだ?」とディアナに確認する。


 ディアナは地図を取り出し、ある場所を指さした。


「200メートルほど奥にある曲がり角を曲がった先のセーフティエリアね。行き止まりだから逃げ場はないし、他の場所より階段室に近いから危険だけど、敵に見つからずに甲子から行けるのはそこしかないわ」


「分かった」と答え、他のメンバーに指示を出す。


「ペネロペが先頭、スタンリー、アベル、ディアナは彼女に続け。俺は殿しんがりで後ろを警戒する」


 俺の指示に従い、移動を始めた。


 何となくスタンピードが起きるような気はしていた。そのため、事前に対応方針は決めてあった。

 俺もディアナも200年以上シーカーをやっているが、さすがにスタンピードの経験はなかった。だから、スタンピードを経験した連中から聞いた話を参考にして大まかな方針を決めただけだ。


 スタンピードだが、発生すると魔物は外に出ようと階段室に向かう。

 そのため、迷宮から脱出しようと転送室や階段室に向かうにも、奴らと同じルートを通る必要がある。つまり、逃げようと思ったら次々と現れる魔物と戦い続けることになるのだ。


 だから脱出はごく初期、まだ敵が上がり始めた段階でしか難しいと思っていた。

 スタンピードが起きても魔物はシーカーを見つければ攻撃してくる。しかし、セーフティエリアだけは別で、そこにいればある程度近づかれても無視して上に向かうらしい。


 そのため、予め魔物が移動するルートから外れているセーフティエリアに目星が付けてあった。

 今回は最適とは言い難い場所だが、魔物と戦わずに行けるところがなかったのだ。


 セーフティエリアにたどり着き、一息ついたところで、「でも、いいのか。お嬢のところに行かなくても」とアベルが聞いてきた。


「俺がローザのことを心配していないと思っているのか」という言葉しか出てこなかった。


 実際、娘のことが心配で、無理をしてでも地上に戻りたかった。しかし、昔の仲間ならいざ知らず、今のメンバーで強行してもたどり着ける可能性は皆無だ。


「済まなかった。お前だけなら戻れたかもしれんと思ってな」とアベルが謝ってきた。


「いや、無理だ。サキュバスがいたってことはグレーターデーモンもじきに出てくる。そうなったら全滅するだけだ」


 俺がそういうと、ディアナが俺の手を握ってきた。


「俺が聞いた話じゃ、スタンピードは少なくとも2日は続く。交替で見張りをしながら、可能な限り体力を温存してくれ」


 魔物の通り道から遠ければ、何もしなくてもいいが、この場所だと俺たちに気づいて襲い掛かってくる奴がいないとも限らない。


 俺の懸念は30分もしないうちに的中した。

 見張りをしていたスタンリーが「デーモンが2体近づいてくる」と警告する。


「ディアナとペネロペは最初に現れた方に攻撃を集中してくれ。スタンリーとアベルはそいつを確実に倒すんだ。俺はもう一体の方を抑える」


 20メートルほど先の曲がり角からデーモンが無造作に現れた。

 すぐにペネロペが風魔術の“風刃”、ディアナが神聖魔術の“光の矢”を撃ち込む。ペネロペは弓術士だが、デーモンは飛び道具に対して防護する障壁を纏っているため、魔術で攻撃したのだ。


 魔術を受けたデーモンだが、大きなダメージは受けていない。これは想定内だ。そのデーモンは怒りに顔を歪め、ディアナたちに向かって飛んでくる。

 そこにスタンリーとアベルが武器を構えて間に入り込む。

 スタンリーは巨大なメイスを振り上げて待ち、アベルも大きな戦斧を低く構えている。


 二人の戦いを見ていたいが、俺にも仕事があった。

 ミスリルの長剣を構え、もう一体のデーモンに向かう。俺は魔術も使えるが、剣の方が得意だ。


 デーモンと一騎討ちだが、油断さえしなければ何とかなる。ただ、こいつらは無詠唱で中級魔術を放ってくるから厄介で、その隙を与えないことが重要だ。


「ハァァァ!」と息を吐き出しながら剣を突き出す。


 俺の渾身の突きをデーモンは闇の剣で払った。その勢いを利用して叩きつけるような斬撃を繰り出してきた。

 その行動は予想通りですぐに距離を取る。


 俺が下がったことでデーモンはニヤリと笑った。

 そして、左手を差し出す。魔術を放つつもりなのだろう。


「それを待っていたんだよ!」と言いながら、低い姿勢でデーモンの足元に飛び込み、突き上げるように下から上へ剣を振るった。


「グアァァァ!」というデーモンの断末魔の悲鳴が響く。そして、すぐに光の粒子となって迷宮に吸い込まれていった。


 その足元には白金貨と魔力結晶マナクリスタルが落ちているが、それを無視してもう一体のデーモンに視線を向ける。

 4対1ということもあり、ディアナたちも無難に倒していた。


 白金貨とマナクリスタルを拾い、4人に合流する。

 その後、30分に1回くらいの割合でデーモンとその上位種が襲い掛かってきた。有利な場所で戦っていたから何とか無傷で倒し続けていく。


 グレーターデーモンが現れた時にはヒヤリとしたが、ディアナとペネロペという神聖魔術の使い手が2人いるため、何とか倒すことができた。


 8時間ほど経った頃、魔物の種類が変わった。

 悪魔からアンデッドになったのだ。


 ワーウルフはそれほど脅威ではないが、ヴァンパイアは神聖魔術の使い手が二人いるにもかかわらず、変幻自在の動きと精神攻撃でスタンリーとアベルが一時戦闘不能に陥ったほどだ。


 それでも今回の戦闘で、俺たちのレベルは20近く上がり、ヴァンパイアくらいなら何とかなると思っていた。


 翌日の4月22日の午後9時頃。

 日付が変わるころからアンデッドの数が減り始め、ゴーレムの上位種に代わった。しかし、その数が異常に少ない。


 最初のうちは500階層より下層では数が少ないのかと思っていたのだが、ぽつりぽつりという感じでしか現れない。

 スタンピードが終わりつつあるのかと思ったが、それにしては少ないながらもミスリルやアダマンタイトのゴーレムが現れる。


 動きが遅いからこの隙に脱出しようと考えたが、足の速いケンタウロス型のゴーレムも混じり始め、結局セーフティエリアから動くことができず、悶々としていた。


 ゴーレムから上位悪魔に代わったが、その数も少なかった。

 4月23日になり、更に数が減り、脱出の機会を窺っていたが、その時、異常な力を感じた。

 その絶望的な力を持つ存在の気配に、震える手を止めることができない。


 ディアナも同じように震え、俺にしがみついてくる。

 スタンリーたちも恐怖を感じているのか、目を見開いてその気配がする方向を見つめていた。


「奴が来たらお終いだ……」


 俺が言ったのか、他の誰かが言ったのか分からないほど混乱していたが、それは紛れもない事実だ。

 それまでに戦ったヴァンパイアはもちろん、遠目に見ただけだが、悪魔の上位種デーモンロードらしき存在でもここまで恐怖を感じなかった。


 恐らくだが、レベル700を遥かに超える化け物で、俺たちの方に来たら何もできずに殺されるだろう。

 俺たちにできることは来ないことを祈るだけだ。

 その祈りが通じたのか、その化け物は俺たちの方に向かってくることなく、遠ざかっていった。


「助かった……」


 思わずそんな声が漏れた。


「あんな化け物が地上に出たら、七賢者セブンワイズでも対抗できないわ。この国が終わってしまう……」


 ディアナがそう呟いたが、俺も同じことを考えていた。


 それから1時間くらい様子を伺い、魔物の姿がないことを確認する。


「あれがこの迷宮の主なのかしら」


「分からん。だが、魔物の気配がない。今のうちに脱出しよう」


 400階の転移魔法陣まで2階層。距離は5キロほどしかない。移動だけなら1時間ほどで済む距離だが、思った以上に時間が掛かった。

 理由はあの存在を恐れたこともあるが、一度いなくなったはずのアンデッドが復活しており、そいつらから逃げなければならなかったからだ。


 不思議なことにゴーレムやデーモンなど、他の魔物の姿はなかった。

 結局、転移魔法陣に到着したのは4月23日の午後11時になっていた。

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