第5話
少女に近づいた青年は、立膝を立てて少女と同じ目線に合わせ、右手で少女の白い前髪を取り払った。
少女は彼の顔を見れない。彼女の心は壊れたままだ。一方で青年は彼女の顔をじっと見つめる。今彼女に何が起きているのかを一つ一つ確認していく。
やがて、彼は彼女の前髪を左右に分け、表情一つ変えずに立ち上がった。彼は何事もなかったかのようにドアに向かい、音を立てないように静かに出ていった。
ドアの前にはマスターがいた。
「おい、どんな感じだ?」
「・・・お父さん。」
夜空の髪の色をした、黒衣を着た青年は声を小さくして言った。
「ひとつ、確認したい。昨日の晩、酒場に集まった連中と一緒に、武器やら何やらで彼女を脅かした。それは間違いないのか。」
「あ、ああ。そうだが。」
「そして、銃弾の玉が彼女にあたったわけでも、切り傷を負わせたわけでも、捕食したわけでもない。そうだな。」
「ああ。間違いない。」
あのとても頼りになりそうだった酒場のマスターも、今ではすっかり青ざめている。
「なあ、あの子は大丈夫そうか? ちゃんと元気になりそうか?」
「いや。あれはすでに死んでいる」
青年は表情を一つも崩さずに言いのけた。
「は?」
「あれには目立った外傷もない。血流も止まっていない。脈も止まっていない。呼吸も止まっていない。だが、あれはすでに死んでいると言ったのだ。」
「ああ、なんかショックとかいう感じのアレか。それなら。」
「いいや? あれは本物の死だ。」
「えっ。」
彼は表情一つ変えずに言葉を続ける。
「彼女の身に起こっている現象だが、あれは完全に意識を失っているどころか、体温が異様に冷たい。生物学的に見れば、いつ死んでもおかしくない。だが、生きている。」
「えっと、つまり?」
「彼女は死にながら生きている。通常であればすでに絶命している状況で、全く別の力が無理やり彼女を生きさせている。そんな感じだ。」
青年は部屋の外の広間にあったソファに腰掛け、両手を広げてゆっくり息を吐き、やや目線を上げて話を続ける。
「そして、おそらく原因になったのはお父さん達ではない。」
「というと?」
「昨日、彼女が起こした奇行が説明できない。彼女は昨日、酒場から火だるまになって逃げだしたそうだな。」
「ああ。」
「彼女は人間だったがこの町を知らなかった。別世界から来たというくせに魔法が使えた。そして魔法を自由に出せたはずなのに、あの酒場でお父さん達を攻撃するわけでもなく、逃げる時にかく乱目的のために周囲に魔法を連射したわけでもなく、あろうことか自分に[ファイア]を放った。」
「ああ。それなら、わかるぞ。あれは自分の氷を溶かすために・・・」
「それも違う。さっきの話では、彼女は酒場に来る前に酒場の前で氷漬けになっていたという話だったが。」
青年はマスターの顔を見て言う。
「そもそも彼女は酒場の前までどうやって来たのか。」
「あっ。」
「ここは日中以外は極寒の地だ。だから少なくとも、彼女がここに来る直前まで何らかの防寒対策をしていなければおかしい。」
「じゃあ、ってことは。」
「お父さんたちが起こした事にも一因があったのかもしれない。だが、それは直接的な原因にはなっていない。彼女自身の何か別の原因がある。そんなところだ。」
「う、うむ。」
マスターは少し考えこんだ。青年はまだ話し続ける。
「あと、彼女のこの後についてだが。」
「ん?」
「しばらく経てば体調が良くなる。さっき言った通り、心臓も脈も動いている。あの調子なら体温も元に戻る。もう少しすれば、腹が減って起きる。」
「なんだ、そんなもんか。」
そう聞いた酒場のマスターは大きく息を吹いた。そして大きく息を吸い、もう一度大きな息を吐いた。
「じゃあ、あの状態でしばらく待てと?」
「ああ。それで事足りる。」
青年は再び天井を見つめる。マスターは広間を出て、作業再開の為に別室へと向かった。診療結果はこんな感じだったが、彼は診療結果の全てをマスターに伝えてはいなかった。
「(俺には魔術の解析はできない。だが彼女のあの魔力の流れ、あれは・・・)」
青年はここで少し考え、結論をまとめてから口に出した。
「あれは、弱い回復魔法を超高速で自分にかけ続けているのではないか?」
事の真意はこの青年にはわからない。
そして、この青年は大きな過ちを犯していた。二人が話をしていた丁度同じころ、部屋の中では・・・
「・・・・・・」
少女が本を読んでいた。
青年がマスターを会話している最中、処女は青年の言う通りに腹が減って我に返ったのだ。そして、少女は自分がいた部屋の隅に、一冊の本が置き去りにされていることに気づいたのだ。
その本はかつて青年が少年だった頃の、教材の一種として都会から取り寄せた学生用の魔術書だった。
「・・・汚い本。」
先に内容を言ってしまうと、内容は本当に学生向けで初歩のうちの初歩、簡単な魔法の仕組みと、習得すればだれでも使えそうな魔法ばかりが載っている。だが・・・
「全然読めない。」
彼女がこちらに転移してきてから、既に何人かと同じ言葉を交わしてきた。だが、それで本が読めるわけではなかったようだ。本に書かれていたのは英語でもスペイン語でもない、全く別の象形文字らしきもので書かれていた。
だが、一部の文字は・・・
「あ。この模様、見たことが・・・」
ページをめくったところにある見出しの部分、この部分だけは象形文字ではなく、バーコードのように描かれていた。彼女は一度これを見たことがある。
ブォン
「・・・そういえば、メガネは。あ、あった。」
彼女はメガネを探した。メガネといえば先日、酒場から逃げる時までパジャマに入れたままだったのを思い出した。だがそのメガネは偶然、彼女の手に握りしめられていたままだったのだ。
丁度、本に書かれているバーコード部分が気になった。あの時と同じ文字なら何か判るかもしれない。度が入ってないメガネでもあるが、何らかの役に立つだろう。
彼女はメガネをかけて、バーコードを見た。
【:[ファイアⅠ] 対象に〈着火〉[火]:】
「あっ。」
読めた。今までバーコードだった部分がメガネをかけた途端、突然読めるようになったのだ。慌てて彼女は本を閉じ、本の表紙を見る。
【魔法「エレメント」の基本】
1ページめくる。
【目次、エレメントについて、火/熱、水/氷、風/雷、聖、闇、応用、あとがき】
さらに1ページめくる。ここはエレメント魔法についての説明があったが後程。さらに1ページ目食ったところ、上記の見出しが書かれていたのだ。
そのページには見出しに続き、魔法の使い方、有効射程、効果、副作用などが書かれていた。他のページにも似たようなことが書かれている
【:[ファイアⅠ] 対象に〈着火〉[火]:】Pow:- Range:0~5m
【:[アクアⅠ] 魔法由来の水流を直線状に発射 [水]:】Pow:1 Range:0~10m
【:[アイスⅠ] 対象の温度を急速低下 [水]:】Pow:1 Range:0~5m
【:[ウィンドⅠ] 魔法由来の突風を直線状に発射 [風]:】Pow:1 Range:0~10m
【:[サンダーⅠ] 対象に〈放電〉及び〈着火〉[雷]:】Pow:2 Range:0~5m
【:[ヒールⅠ] 対象に魔術由来の回復魔法 [聖]:】Pow:10 Range:0~5m
【:[■■■■](なぜか読めない) 対象の魔術由来効果および魔法解除 [闇]:】Pow:1~100 Range:0~10m
彼女はそのまま一人しずかに、ゆっくりとページをめくっていた。
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