第18話 朝起きて

 私は、ゆっくりと目を覚ました。

 昨日、私は黒薔薇さんとともに眠りについた。つまり、私の目の前には黒薔薇さんの顔があるはずなのだ。

 しかし、私の目の前には黒薔薇さんの顔はない。それどころか、何も見えないのである。

 もしかして、まだ夜なのだろうか。そう思った私だったが、微かな光があることに気づく。恐らくは、朝なのだろう。

 そして、私はさらに気づいた。なんだか、顔に柔らかいものが当たっているのだ。

 その柔らかさを、私は知っている気がする。昨日味わった感触に似ているのだ。

 それに、この柔らかいものは温かい。具体的には、人の温もりを感じるのだ。

 つまり、私の目の前にあるのは黒薔薇さんの胸であるということだろう。その事実まで辿り着き、私は動揺に震える。


「ど、どうしよう……」


 とりあえず、私は黒薔薇さんの胸から体を離そうとした。しかし、その行動をする前に、私はとあることに気づいた。

 私の体には、黒薔薇さんが腕を回してきているのだ。力強く、私の体を固定しているのである。

 これでは、動くことができない。黒薔薇さんから離れることが、できないのである。


「うーん……」


 私は、どうしようか悩んでいた。寝ている黒薔薇さんを、わざわざ起こしてまで、離れたいとは思わない。

 この感触は、心地いい感触だ。いつまでもいたい。そう思える場所なのである。

 そのため、このまま動かない方がいいとも考えられる。その方が、私はいい気分でいられるのかもしれない。

 一方で、ここから離れたいという気持ちもあった。この感触を味わい続けていると、私は大変なことになりそうだ。

 今でも、心臓の鼓動が早くなって、だんだんと汗も噴き出ている。このままでは、もっとすごいことになるのではないだろうか。

 だから、一刻も早く離れた方がいいとも考えられる。その方が、私の体調的にはいいのかもしれない。


「ん……」

「あっ……」


 私がそんなことを考えていると、黒薔薇さんが声をあげた。さらに、黒薔薇さんの体が少しだけ動く。どうやら、黒薔薇さんも目覚めたようだ。


「あら? 総?」

「えっと……」


 当然のことではあるが、黒薔薇さんも私がどうなっているかに気づいた。自分の胸に、私の顔が押し付けられているという事実に、黒薔薇さんは何を思っているのだろうか。

 ただ、黒薔薇さんも私が故意に飛び込んで行った訳ではないと理解してくれるはずだ。寝ている間の出来事だと、思ってくれているはずだ。

 それに、黒薔薇さんも自身が私を抱きしめていることに気づいているだろう。その状況から、私が離れられないということも理解してくれるはずだ。


「総は、中々抱き心地がいいですわね」

「え? そう?」

「ええ、温かくて柔らかくて、いいですわね……」


 状況を把握してから、黒薔薇さんはそのようなことを言ってきた。

 まさか、最初に抱き心地のことを指摘されるとは思っていなかった。私は、そんなに抱き心地がいいのだろうか。


「恐らく、私が夜中に無意識で引き寄せたのでしょうね。申し訳ありませんでしたわ。体に異常はありませんか?」

「あ、うん。大丈夫、どこも痛くないよ」


 黒薔薇さんは抱きしめていた腕を離しながら、私の体を心配してくれた。抱きしめていた腕などで、体に負担がないかを心配してくれたのだろう。

 私の体は、特に痛くはなかった。そもそも、腕一本はそんなに重くないので、そこまで負担はなかったのだろう。もしかしたら、抱きしめたのは寝てから少し経ってからだったのかもしれない。

 とにかく、私の体は何も問題はないのだ。これなら、黒薔薇さんも安心してくれるだろう。


「そうですか、それならよかったですわ」

「うん」


 腕が離れたため、私も黒薔薇さんの胸から体を離す。そこで、やっと黒薔薇さんの顔が見えてきた。私に異常がないことで安心しているのか、黒薔薇さんは笑顔である。

 それに、今が朝であることもわかった。胸に顔を埋めた時も、なんとなく光が見えたことで朝だとは思っていたが、ここできちんと理解することができたのだ。


「おはよう、黒薔薇さん」

「おはようございます、総」


 私と黒薔薇さんは、体を起こしてから向かい合って、笑顔で挨拶を交わす。なんというか、すごく気持ちがいい朝だ。


「具合はどうですの?」

「あ、そういえば、昨日の疲れは全然ないよ。すごく体が軽い」

「それは、よかったですわ。あなたも、もう大丈夫みたいですわね」


 黒薔薇さんは、昨日の魔力切れによる疲労について心配してくれた。

 私は、昨日に比べて、確実に良くなっている。気分はいいし、体も軽い。昨日までの疲労が、嘘のようだ。

 ただ、これは本来の私なのである。そのため、この体の軽さは普通なのだ。

 なのに、私はまるで自分の体が、以前より軽くなったかのように思っている。恐らくは、錯覚なのだろう。あまりに疲労していた体が治ったので、私はそのようになってしまっているのだ。


「さて、あなたが良くなったということは、もう私が傍にいる必要もありませんわ。今日はもう、家に帰りますか?」

「あ、そうだね……」


 そこで、黒薔薇さんはそのようなことを言ってきた。確かに、私は治ったので、もう黒薔薇さんに傍にいてもらう必要はないだろう。

 いつまでも、千堂院家に迷惑をかけられないし、両親も心配しているかもしれないし、そろそろ家に帰るべきなのかもしれない。

 しかし、それは少し名残惜しくもあった。黒薔薇さんと離れるのが、少し寂しいのである。

 昨日、一日中くっついていたため、私は無性に黒薔薇さんと離れたくなくなっているようだ。濃い一日だったため、猶更そう思うのだろう。


「少し、寂しいですわね……」

「え? 黒薔薇さんも?」

「あら? 総もですの?」


 そんなことを思っていた私は、黒薔薇さんの言葉に驚いた。

 どうやら、黒薔薇さんも同じことを思っていたようである。私と別れることを寂しく思ってくれているのだ。

 私と同じ気持ちを、黒薔薇さんが抱いてくれている。そのことは、少し嬉しいことだった。

 それに、黒薔薇さんが私をこんなに求めてくれることも嬉しかった。私といることを、幸福に思っていることが嬉しくて仕方ないのだ。


「……ねえ、黒薔薇さん。もう少し、一緒にいない?」

「もう少し?」

「うん。明日は学校だから、流石に家に帰らないといけないけど、それまでは一緒にいられると思うんだ」


 そこで、私はそのような提案をした。私も、黒薔薇さんも、寂しく思っている。それなら、もう少し一緒にいてもいいのではないだろうか。


「……確かに、もう少し一緒にいてもいいのかもしれませんわね」

「あっ……」


 黒薔薇さんは、私の体を引き寄せながら、そのようなことを言ってきた。

 私の体は、柔らかい黒薔薇さんの体に包まれる。その温かさが、とても心地いい。少し恥ずかしさもあるが、ずっとこのままでいたいくらいだ。

 私は、黒薔薇さんの体に手を回す。その体をしっかりと抱きしめて、その温もりをしっかりと確かめたかったのだ。

 今はとにかく、黒薔薇さんと一緒にいたい。その気持ちの強さが、私をそのように行動させたのである。


「黒薔薇さんやこの家の人達には、少し迷惑をかけてしまうけど……」

「そんなのは構いませんわ」

「それなら、もうしばらくお世話になってもいいかな?」

「ええ、もちろんですわ」


 私の言葉に、黒薔薇さんは力強く返事をしてくれた。それだけ、私を一緒にいたいと思ってくれているということなのだろうか。

 こうして、私は今日も黒薔薇さんと過ごすことになった。今日も、楽しい一日になりそうである。

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