第16話 お風呂上がりに

 私と黒薔薇さんは、お風呂から上がり、脱衣所に戻って来ていた。

 お風呂は、本当に気持ち良かった。体の疲れが、しっかりととれ、気分的には入る前よりもいい。

 そんな私は、脱衣所に来て、初めて気づいた。よく考えてみると、着替えを用意していなかったのだ。

 そのことは、すっかり失念していた。お風呂に入るのだから、当然着替えが必要になるのは当然のことである。何故、そのことを忘れていたのだろうか。

 しかも、ここは黒薔薇さんの家である。私の着替えなどないのだ。

 そもそも、あったとしても裸のままでこの屋敷内を歩くことはできない。どちらにしても、着替えを失念していた私のミスである。


「総? どうかしましたの?」


 動揺している私に、黒薔薇さんはそのように問いかけてきてくれた。少し、心配させてしまったようである。

 着替えを忘れるというミスは、少し恥ずかしいものだ。だが、隠すようなことでもない。ここは、素直に打ち明けることにしよう。


「あ、黒薔薇さん、私、着替えを持って来ていないんだ」

「ああ、それなら問題ありませんわ。用意させておきましたもの」

「え?」

「お風呂に入るのですもの。着替えは当然、必要ですわ。ですから、きちんと用意させていますわよ」


 黒薔薇さんの言葉に、私は驚いた。どうやら、私の着替えは用意されているようだ。

 それは、とてもありがたいことである。このままでは、お風呂に入る前まで着ていたものを着ることになる所だった。

 黒薔薇さんは、馬鹿だった私と違って、しっかりと必要なものを見通していたようだ。流石は、黒薔薇さんである。


「ちなみに、サイズも問題ありませんわよ。全部用意するように言ってありますもの」

「全部用意……」


 黒薔薇さんの言葉に、私はまたも驚くことになった。

 着替えは、全てのサイズを用意してあるようだ。それは、かなりすごいことである。

 確かに、私のサイズは言っていないので、ぴったりのものを用意できたりはしないだろう。だが、それでも全部用意しようとはならないはずである。

 こういうことができるのが、お金持ちなのだ。改めて、千堂院家の財力に驚かされてしまう。


「あ、これだね……」

「ええ、それですわ」


 脱衣所を見回してみると、私が服を脱いだ棚の辺りに色々と並んでいた。

 下着から寝間着まで、色々なサイズの色々な種類のものがある。私のためだけに、それ程のものを用意してくれたということである。

 実際に見てみると、とても申し訳なくなってきた。こんなにたくさんのものを買ってくれたのだ。かなりの値段であるはずである。

 しかも、かなり良さそうなものだ。見ただけで、高いものだとわかる。

 私のために、そこまでお金を使ってもらったことが申し訳ない。先程までは驚きで気にしていなかったが、とても冷や汗が出てくる。


「ご、ごめんね。黒薔薇さん、私のためにこんなに用意してもらって……」

「別に構いませんわ。この程度のことで、そんなにかしこまらなくてもいいですわよ」

「で、でも……」


 黒薔薇さんは、気にしなくていいと言ってくれた。だが、これは流石に気になってしまう。こんなに用意してもらうのは、流石に申し訳ない。


「そもそも、これは元々、家に置いていたものですわ。だから、ただ持ってきただけに過ぎませんわ」

「そ、そうなの?」

「ええ、こういう時のために、常に備えているのですわ」

「そ、そうなんだ……」


 どうやら、黒薔薇さんの家にはそういう衣類は常備しているようだ。だから気にしなくていいと、黒薔薇さんは言ってくれているのだろう。

 しかし、それでも私のために多大なお金を使っていることには変わらない。そのため、私の気持ちもそこまで変わらないのだ。


「総」

「え?」


 そんなことを思っている私を、黒薔薇さんはゆっくりと引き寄せてきた。

 私の体が、黒薔薇さんの柔らかい体に包まれる。当然、その大きな胸も私の体に直接当たっている。お風呂の後であるため、黒薔薇さんの体はとても温かい。その温もりや柔らかさは、私を大いに動揺させてくる。

 何より、お互いに一糸纏わぬ姿であることが問題だった。黒薔薇さんの温もりも柔らかさも、直接伝わってくるのだ。これは、かなりまずい状態だろう。

 そもそも、何故黒薔薇さんは、私を抱きしめてきたのだろうか。その意図が、よくわからない。


「そんなに気にしなくてもいいのですわ。あまり気にされると、私の方が参ってしまいますわ」

「黒薔薇さん……」


 黒薔薇さんの言葉で、私は気づいた。黒薔薇さんは、私が気にしすぎることで、参ってしまっているのだ。

 確かに、善意でやったことを相手に気にされるのは、そこまでいい気分になれるものではないだろう。これは、私が余計な心配をしたせいだ。

 こういう時は、相手の善意は何も言わず受け入れた方がいいのだろう。私が気を遣ってしまえば、相手に失礼になるのだ。

 私は、今それを理解した。だから、もう今回のことは気にしないことにする。


「黒薔薇さん、ごめんね。私、気にし過ぎていたみたい……」

「いえ、別に総が悪いという訳ではありませんわ」

「もうそういうことは気にしないことにする。黒薔薇さんの善意に、素直に甘えさせてもらうよ」


 黒薔薇さんの体を抱きしめ返しながら、私はそのように言った。

 もう黒薔薇さんの善意に対して、余計なことを考えることはやめる。素直に善意を受け取る方が、黒薔薇さんも気持ちよく思うのだ。それなら、そうした方がいいに決まっている。

 この気遣いのお礼は、日頃の生活で返していけばいい。返しきれるかわからないが、黒薔薇さんが困っていたら助けたりするということでいいのではないだろうか。


「……さて、そろそろ服を着た方がいいですわね」

「あ、うん。そうだね……」


 そこで、黒薔薇さんがそのように言ってきた。確かに、そろそろ服を着た方がいいだろう。

 ここまでの会話の間、私達はずっと裸のままだった。いくらお風呂上がりで、脱衣所も温いとはいえ、このままでは風邪を引きかねない。

 それに、恥ずかしさをなくすためにも、服は着た方がいいだろう。少しは慣れてきたが、まだ恥ずかしいのは恥ずかしいのだ。

 少々名残惜しいが、私は黒薔薇さんから体を離して、服を脱いだ棚の前に立つ。とにかく、服を着るのだ。


「えっと……」


 私は、自分にあったサイズの下着を手に取る。今は、とりあえずサイズがあっていればいい。そう思いながら、その下着をすぐに身に着ける。

 下着を身に着けられたので、次は上に着る服だ。私は、用意されている服を見てみる。


「……」


 最初に目についたのは、布が薄そうなネグリジェのようなものだった。流石に、これを着る勇気はない。少し透けているので、気が引けるのだ。

 次に目に入ってきたのは、熊の着ぐるみのようなパジャマである。これも、着る勇気はない。嫌いではないが、黒薔薇さんの前で着たいとは思えないのだ。

 その次に目に入ってきたのは、ごく普通のパジャマである。長袖長ズボン、とても一般的なパジャマだ。これこそ、私が望んでいたものである。

 私は普通のパジャマを手に取り、身を包む。可もなく不可もない、それが今は一番しっくりくる。


「着られたようですわね」

「あ、うん……え?」


 言葉に反応して、黒薔薇さんの方を向いた私は、驚いてしまった。なぜなら、黒薔薇さんが私が着なかった布が薄いネグリジェを着ていたからだ。

 別に、大切な所が隠れていない訳ではないが、結構透けている。中々、セクシーな印象を与えてくれる装いだ。

 私は、かなり動揺している。黒薔薇さんは、自身の体を見せるのに躊躇いはないのかもしれない。だが、その体は少なくとも、私にとっては凶器である。刺激が強すぎるのだ。


「総? どうかしましたの?」

「あ、いや、黒薔薇さんがすごくセクシーだと思って……」

「あら? そうですの?」


 私の言葉に、黒薔薇さんは少し顔を赤くしながら嬉しがっていた。思わず口に出したセクシーという言葉だが、黒薔薇さんには褒め言葉として受け取ってもらえたようだ。


「ありがとうございます。総は、見る目がありますわね」

「あ、うん……」


 黒薔薇さんは、私のことを見る目があると言ってくれた。だが、この姿の黒薔薇さんを見たら、誰だってセクシーだと思うだろう。

 そのため、私の評価はまったく特別なものではない。ごく普通の評価なのである。


「さて、いつまでもこうしている訳にはいきませんわね」

「あ、そうだね……」


 黒薔薇さんの言葉に、私はゆっくりと頷いた。いつまでも、こうして話している場合ではない。色々とやることがあるのだ。

 こうして、私達はそれなりの時間をかけて、服を着たのだった。

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