第8話 一瞬の攻防
木々の奥に、普通の人がいるとは思えない。魔女であるなら、黒薔薇さんが把握していないというのもおかし話だ。
つまり、そこにいるのは人間ではないものだと考える方がいいだろう。具体的には、魔女が倒すべき相手、捕食者なのではないだろうか。
「捕食者なの?」
「恐らく、そうでしょうね」
私の質問に、黒薔薇さんはそう答えてくれた。
やはり、私の予想は間違っていなかったようだ。相手は捕食者。その事実に、私の額から汗が流れていく。
「安心していいですわよ。私がいますもの」
「あ、うん。ありがとう……」
そんな私の恐怖を感じ取ったのか、黒薔薇さんは優しい言葉をかけてくれた。
その言葉で、私の緊張は少しだけ和らいだ。黒薔薇さんのような強い魔女がいるのだ。きっと大丈夫だろう。
「さて……隠れていないで、出てきたらどうですの?」
「あっ……」
そこで、黒薔薇さんの足元の地面から、一本の蔦が伸びた。
いや、それは蔦ではない。棘のついたそれは、茨という方が正しいだろう。
地面から伸びた茨は、真っ直ぐに木々の中に向かって行く。それと同時に、木々の中から何者かがこちらに飛び出してくる。
「けけけ……」
「えっ?」
「やはり……」
現れた者に、私は驚いた。なぜなら、現れた者は私が想像していた姿とまったく違う姿をしていたからだ。
現れた者は、人間に近い姿をしていた。だが人間ではない。明らかに、違う姿をしている。ただ、私の知っている捕食者ともまったく違う姿だ。
なんというか、蜘蛛のような見た目をしている。蜘蛛を人型にしたよう姿なのだ。
私は、捕食者が全員、以前見た姿をしていると思っていた。だが、それは勘違いだったのかもしれない。
「総、あれは捕食者の第二形態ですわ」
「第二形態?」
「捕食者は、魔力を多く蓄えると、あのように姿を変えるのですわ。あなたを以前襲ったのは、第一形態、今目の前にいるのが、第二形態ですわ」
私の疑問を察したのか、黒薔薇さんはそのように言ってくれた。
どうやら、目の前にいるのは捕食者の第二形態であるらしい。だから、前に見た捕食者と大きく姿が違うようだ。
「魔力を蓄えたって……」
「多くの人間を喰らってきたということですわ」
「そんな……」
第二形態というのは、多くの人間を喰らってきた捕食者が変化する姿であるようだ。
つまり、目の前の捕食者は、多くの人間を喰らってきたということである。その事実に、私は悲しみを覚えた。たくさんの犠牲者が出ているという事実に、私はとても辛い気持ちになったのである。
「当然のことですが、第一形態より、第二形態の方が強いですわ。あの捕食者も、以前あなたが会った捕食者よりも強力でしょう」
「そうなんだ……」
当然のことではあるが、第二形態は第一形態よりも強力らしい。
それは、今までの説明を聞いていればわかることである。多くの魔力を蓄えて変化した者が、変化していない者より強力なのは当然のことだろう。
「けけけ、まさかこんな所に魔女がいるなんてな……」
そこで、目の前の捕食者が言葉を放ってきた。
その言葉は、第一形態が放っていた言葉に比べて、とても流暢に聞こえる。どうでもいいことだが、そういう所も進化しているようだ。
「あら? ここは、魔女の訓練場のような場所ですわよ。むしろ、ここにいるのがおかしいのは、あなたのような間抜けな捕食者ですわ」
「間抜けだと? このスパイダス様に向かって、そんな口を聞くとはいい度胸じゃねえか……」
黒薔薇さんの言葉に、捕食者は激昂した。どうやら、あの捕食者はスパイダスという名前であるようだ。
「お前達二人ともまとめて、この俺が喰らってやる! 覚悟しやがれ!」
「あら……」
「えっ!?」
怒りの言葉とともに、スパイダスは手を前に出してきた。すると、その手から、白い糸のようなものが飛び出してきた。
その見た目通り、スパイダスは蜘蛛のように糸を操るようだ。その糸は、真っ直ぐ黒薔薇さんの元に向かっている。
「その程度の攻撃、躱せないとでも思いますの?」
しかし、黒薔薇さんは軽くその糸を躱した。真っ直ぐ伸びる糸を躱すのは、簡単なことだったようだ。
「馬鹿が! 直線に伸びるだけな訳がないだろう!」
「えっ?」
「総!」
そこで、糸は伸びる向きを変えた。どうやら、ただ直線に伸ばせるだけではなかったようだ。
問題は、その糸が伸びてきた方向である。糸は、私がいる方に伸びてきたのだ。
私は、咄嗟に動いて糸を躱そうとする。しかし、いつの間にか糸は私を囲むように伸びていた。つまり、私に逃げ場はないということだ。
「あっ!」
「けけっ! 一匹ゲット!」
私の体に、スパイダスの糸が巻き付いてきた。腕ごと体に巻き付かれたため、私はほとんど動けなくなってしまっている。
「勝負の鉄則は弱い方から狙う。最初から、目的はそっちの魔女だったんだよ!」
スパイダスは、黒薔薇さんに向かって堂々とそう宣言した。どうやら、狙いは最初から私だったようだ。
弱い方から狙う。その考え方は、とても合理的なものだった。強い黒薔薇さんを狙うより、私を先に狙った方が、色々と効率はいいだろう。
「ふっ……」
「な、何!?」
しかし、黒薔薇さんは笑っていた。スパイダスの勝ち誇った作戦を聞いても尚、笑っていたのだ。
その笑みは、明らかに勝利の笑みである。スパイダスの作戦など、取るに足らないとあざ笑うかのような笑みなのだ。
「な、何がおかしい!」
「あなたの勘違いが、可笑しくて仕方がありませんのよ」
「か、勘違いだと?」
スパイダスに対して、黒薔薇さんは堂々とそう言った。よくわからないが、スパイダスは何か勘違いをしているようだ。
しかし、私が黒薔薇さんより弱いのは事実であり、それを狙う作戦は非常に合理的である。その作戦を実行して、成功させたスパイダスに勘違いがあるとは考えにくい。
だが、黒薔薇さんの自信の溢れた態度から、何か勘違いしているのは間違いないだろう。一体、スパイダスは何を勘違いしたのだろうか。
「総、魔力を放出するのですわ。今よりも、もっと大きく放出してみれば、きっといいことが起こりますわよ」
「魔力の放出? わかった、やってみる」
そこで、黒薔薇さんは私に指示を出してきた。どうやら、魔力を放出するといいことが起こるようだ。
よくわからないが、とりあえず私は指示に従う。体の中に溢れる魔力を、今よりもっと放出するのだ。
「え?」
「何!?」
その瞬間、不思議なことが起こった。私に巻き付いていた糸が、消滅したのだ。
私の体を拘束していたものは、一瞬でなくなった。私が魔力を放出したから、こうなったのだろう。
「ば、馬鹿な! 俺様の糸が……」
「あなたのちっぽけな魔力では、総の多大なる魔力に勝てる訳がありませんわ。それがわかっていない時点で、あなたは間抜けですのよ」
驚いているスパイダスに向かって、黒薔薇さんはそう宣言した。
どうやら、私の魔力量が多かったから、あの糸は消滅したようだ。魔力の量が多いと、それだけで強力なようである。
「それに、自身の周りにまったく気づいていないのも、愚かな証拠ですわ」
「な、何を……え?」
そこで、スパイダスの地面から無数の茨が現れた。あまりに突然の出来事に対応できなかったのか、スパイダスは特に抵抗することもなく、茨に絡まれていく。
「こ、これはっ!?」
「先程、茨を伸ばした時、地面に仕込ませてもらいましたわ。そこに、あなたがのこのこと出てきた訳ですから、内心少し驚いていたくらいですわよ」
「な、ぐあっ!」
黒薔薇さんがそう言っている間にも、茨は拘束を強めていった。それに対して、スパイダスは苦しそうな声をあげる。
それも、当然のことだろう。茨の棘がスパイダスの体に刺さっているのだ。普通に拘束されるよりも、さらに辛いはずである。
「こ、この程度……」
「あら? まだわかりませんの? あなたはもう終わりですのよ」
「な、なんだ、と……」
そこで、スパイダスの様子が一気に変わった。顔色は悪くなり、体から力が抜けてきているのだ。
明らかに、茨による拘束以外にも何かが起こっている。それが何かは、すぐにわかった。私も、スパイダスの変化を感知できたからだ。
スパイダスの体からは、魔力が抜けていた。ここに現れた時と比べると、かなり減っているのだ。
当然、私に糸を伸ばしたりしていたため、魔力は消費していたのだろう。だが、明らかにそれだけで減る量ではない。
「
「ま、魔力の吸収だと……」
黒薔薇さんの口から、ゆっくりと今回の事象の理由が放たれた。どうやら、これは黒薔薇さんの茨によって起きた事象であるようだ。
茨の棘から、スパイダスは魔力を吸収された。だから、突然体から力が抜けたのだ。
「その茨が吸収した魔力は、茨の養分になりますわ。そして、その茨は、魔力を吸収することで、花を咲かせますの」
「うぐっ……」
「その花は、黒い薔薇……あなたに喰らわれた人々の憎しみや恨みを受け取っていただきますわ」
「ぎゃああああ!」
スパイダスの断末魔とともに、茨の先には一つの花が咲いていた。
その花は、黒い薔薇だった。美しい花だというのに、少し怖いような、そんな印象を与える花だ。
「さて、終わりましたわね」
「あ、うん」
魔力を吸い取られたスパイダスは、跡形もなく消滅していた。これで、この戦いは終わったのだ。
一瞬の攻防だったが、私にとってはとても長い間のように感じられた。その緊張から一気に解き放たれらからか、私はすごい疲労感に襲われた。
体に力が入らない。どうやら、私はあの一瞬でかなりの体力を消費していたようだ。
「うっ……」
「総?」
そこで、私はやっと気づいた。よく考えてみれば、私は魔力を解き放ったままだったのである。
恐らく、それが原因で、私はふらついているのだ。
「総!」
「あうっ……」
倒れ込んだ私を、黒薔薇さんが受け止めてくれた。その温かい体に、私は体を預けていく。というよりも、体に力が入らなかったため、そうせざるを得なかったといった方が正しいだろう。
「大丈夫ですか? 少々、魔力を使い過ぎてしまいましたわね……」
「うん、意識して止めないと、魔力は止められないんだね……」
「仕方ありませんわ。あなたは、緊張状態でしたもの。魔力の調整までに気を回すことができないことは、当然のことですわ」
私に対して、黒薔薇さんはそのように言ってくれた。その優しい言葉は、とてもありがたい。
だが、同時に申し訳ない気持ちもある。初心者とはいえ、ここまで迷惑をかけてしまうのは、駄目だろう。
「ごめんね、迷惑ばかりかけて」
「……あなたは、まだ魔女になったばかり、そのようなことを気にする必要はありませんわ」
「黒薔薇さん……わっ!」
そこで、黒薔薇さんは私の体と持ち上げた。所謂、お姫様抱っこの体勢だ。
突然の出来事に、私はかなり驚いた。どうして、このような体勢になったのか、まったくわからない。
「黒薔薇さん、どうしたの?」
「これから、この山を下りますわ。その方が、色々と都合がいいですもの。あなたは歩けないでしょう? だから、このような体勢になったのですわ」
どうやら、山を下りるために、この体勢になったようだ。
しかし、山を下りるにしても、何故このような体勢なのだろうか。お姫様抱っこは、かなり力がいるはずだ。まだおんぶの方が楽なのではないだろうか。
「お、重くないの?」
「ご心配なく、魔力で身体能力は強化してありますわ。それに、あなたはそうでなくても軽いと思いますわよ」
「あ、そうなんだ……」
黒薔薇さんは、魔力で身体能力を強化しているため、重さ的には問題ないようである。
それなら、別にお姫様抱っこでも問題ないのかもしれない。黒薔薇さんなら、なんとなく見栄えを優先して、これを選んでもおかしくはない気がする。
ただ、私としては少し恥ずかしかった。お姫様抱っこされるなど、人生で初めてのことである。
「うっ……」
「総? 大丈夫ですか?」
「ごめん、なんだか、とても眠たくて……」
そこで、私の意識は朦朧としてきた。なんだか、とても眠いのだ。
「恐らく、疲労感による眠気ですわね。別に、眠っていても大丈夫ですわ。私がついていますから」
「うん、ありがとう……」
黒薔薇さんの言葉を聞いた後、私はゆっくりと目を瞑った。既に、意識の限界だったのである。
こうして、私の意識は途切れていくのだった。
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