11●これはSF。脳内の快楽物質、心の免罪符に潜む恐怖。

11●これはSF。脳内の快楽物質、心の免罪符に潜む恐怖。




      *


 さて、続いて第五の結末が想定されるのですが……


 これについては説明を控えさせていただきます。

 私自身の小説作品で、今、書こうとしているお話ですので。


 何者かが“恐怖”をもって世界を“平和”に支配しようと考えたら……この第五の結末があり得るかもしれません。

 フィクションの世界ではありません、現実リアルに、ですよ。



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 最後に本稿のまとめです。ここからはSFですね。


 第一の結末に、目を向けてみましょう。


 K殺隊が鬼たちを全滅させ、人類だけの楽園が実現します。

 しかしそれは、もともと人間であった鬼たち…つまり人類の一部分…を虐殺ジェノサイドした結果としてもたらされた、人工的(作為的)なユートピアに他なりません。

 めでたし、めでたし、と喜んでいいものか……


 よかったね、T治郎……と、涙して『K滅のY刃』のラストページを閉じるあなたは、抹殺された鬼たちがもともと普通の人間だったことを忘れてはいませんか?

「かわいそうだけど、しかたがない」と納得してはいませんか?

 鬼たちを一人残らず血煙ドバーッ、生首スパーッ、と処刑したことをあっさりと肯定して、「すべて終わったこと」と片付けてはいませんか?

「鬼だから殺されて当然」と価値判断している自分の、ちょっとした心のとがめを、T治郎とNZ子の笑顔で水に流していませんか?

 そのときあなたは、自分で自分を許していませんか?

 T治郎とNZ子が幸せを取り戻した喜びで、K殺隊が幾千幾万の罪なき鬼たちを虐殺した不条理を相殺し、「これでいいんだ」と安堵してはいませんか?


 もしも、そうだとしたら……


 おそらく、そのときあなたは、元人間もとにんげんの鬼たちを地獄の底へ突き落とし、その命を見捨てた罪業ざいごうに対する“心の免罪符”を手にしたことになるのです。



 これは大事なことです。

 ある作品が爆発的にヒットする要因として……


  一、読者や観客が主人公たちに共感し、物語世界に感情移入すること。

  二、そのことで、魂が救われるような幸福感を得ること。


 この二点が基本的に必要だと思われるからです。

 一と二が複合することで、おそらく……


 あなたののでしょう。


 それが、国民的な超巨大ヒットの正体であると、私は思います。

 だって、脳的に不快だったら、人はその作品をさっさと捨てるはずですから。




 さて、本稿の第5章までに述べましたように、『K滅のY刃』では……


 家庭崩壊した鬼たちは、私たちの“現実の家庭の姿”を鏡に映したものでした。

 ブラック企業なK殺隊は、私たちの“現実の職場の姿”を鏡に映したものでした。


 今の私たちの“不都合で醜い物事ものごと”がそこにあります。

 人肉を喰らう鬼のように、あるいは鬼にされた“人間”を斬首して良しとするK殺隊のように、弱い立場の人から自由と財産と生命を奪って平然と繁栄する、弱肉強食の世界。

 

 T治郎とNZ子たちは、その“不都合で醜い物事ものごと”を、物語という幻想の中で解決し、幸せをもたらします。


 そのとき私たちは、“不都合で醜い物事ものごと”の真っ只中にいる自分たちを、、みずからの意思で許しているのではないでしょうか。


「鬼たちはかわいそうだけど、しかたがない。これでよかったんだ……」


 それは、自らが自らのためにつくり出した、“心の免罪符”。


 そう、『K滅のY刃』を読めば読むほど、観れば観るほどに……


 弱い立場の人たちを冷たく突き放している自分の心が、ほんわかと救われていくような気がするのです。


 これは、“弱肉強食の罪を許す、免罪符”。


 私たちは『K滅のY刃』を利用して、このような免罪符を買っているのです。


 そこに……


 “弱肉強食の現実の中で、弱者を見捨てる、この卑怯な自分を許してもらおう”……と期待する無意識の欲求が、『K滅のY刃』の超巨大ブームを生み出す根源的なエネルギーとなっているのではないか? 

 ……という恐怖が生まれます。


     *


 いわゆる“コロナ禍”によって、世間の弱肉強食ぶりが際立っています。

 失業と廃業、貧困と自殺、そして、罪もなくウイルスに罹患した人に、まるで社会悪の“鬼”のように貼り付けられる「自業自得で自己責任」のレッテル。

 多くは社会的に“弱い立場の人々”です。強い人々は他者から責められませんから。

 それら弱者の悲劇を、無力な一市民である私たちは、こう嘆くしかありません。

 「かわいそうだけど、しかたがない」


 あるいは……

 このさい五輪の追加費用三千億円を看護師さんの待遇改善に回したら?

 そう思っても、私たちは声を上げることをせず、悶々と唱えるだけなのです。

 「かわいそうだけど、しかたがない」


 今、私たちは許しが欲しいのです。

 そうではありませんか?

 悲劇に対して、何もできず、弱者を見捨てて、しれっと生きている私たちの。


 もちろん私も、“大衆”と呼ばれる私たちの中に含まれます。

 「溺れる者はわらをもつかむ」と申しますように、大衆は大挙して、自分につかむことのできる、最も手近な“救いの藁”を探しているのだと思います。


 そこで、『K滅のY刃』に飛びつきました。

 「溺れる前にわらをつかもう」……という心境だったかもしれませんが。


 超巨大なブームの中で、幾百万、幾千万の、あまりにも多くの人たちが……

 脳内の快楽物質の広大な湯舟をゆらゆらと漂いながら……

 “人よりも鬼に近い自分たち”を許してくれる、“心の免罪符”を求め、めいめいが、救いのわらのようにそれを手につかんだとき……


 弱い立場の人から自由と財産と生命を奪って繁栄する“弱肉強食の現実社会”を、「しかたがない」と追認して、不都合で醜い物事ものごとから目を逸らし、心の免罪符を掲げることで、黙って「これでよかったんだ」と、自分自身と世界の全てを肯定し、うなずいてしまったとしたら……


 むしろ、『K滅のY刃』で斬首されるべき本当の鬼は……

 私たち、現実世界の人間ではないでしょうか?


 これはやはり、SFでありホラー。


 身の毛もよだつ恐ろしさではないかと思うのです。




                                  【了】



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