08●大正のブラック企業、K殺隊(2)…旧態依然の日本刀依存【20201210~12追記】

08●大正のブラック企業、K殺隊(2)……旧態依然の日本刀依存。【20201210~12に追記】




二、旧態依然の日本刀依存、近代科学兵器研究の欠如



 K殺隊の主要兵器は、めいめいが玉鋼を選んで鍛えてもらった日本刀です。

 つまり、剣。

 それだけ?

 その点、どうしても物足りません。

 だって、大正時代ですよ。

 どうして未だに戦国時代のチャンバラなのか。

 そりゃまあ、特殊な魔力を込めた、超常力を発揮する剣ではありますが……

 にしても、「それしかない」状況でいいのでしょうか。


 若く未熟な隊員たちが、剣だけでは鬼に勝てないとしたら、もっと使いやすくて有効な、他の武器がありはしないかと、工夫してあげなくてはいけませんよ。


 大正時代は鎖国中ではなく、欧米の軍事科学が急速に流入し実用化されました。


 海軍なら高速戦艦金剛(新造時は巡洋戦艦)を英国で建造している最中です。

 36センチ砲、八門の超ド級戦艦ですよ。

 どうしてK殺隊は、対鬼用アンチデーモン砲熕ほうこう兵器を研究しないのか。

 軍ではすでに、ホチキス社の保式機関砲…実質的な重機関銃…を運用しています。

 K殺隊も、拳銃や機関銃、狙撃銃、あるいは火炎放射器といった新兵器の開発に取り組むべきでしょう。


 特殊な刀剣でなくては、鬼を殺せない……という魔法的な事情はありますが、それならば、あの玉鋼たまはがねを銃弾に加工してみてはどうなのか、命中した肉体の中にとどまって内臓をグジャグジャに破壊するダムダム弾仕様の銃弾を機関銃マシンガンで浴びせたり、遠方から狙撃したりすればどうなのか。火炎放射器で火葬することはできないのか。いろいろと試すべきことはあると思われます。

 かりに致命傷が与えられないとしても、銃弾や火焔で鬼の動きを止めることができれば、技量が未熟な新米隊員でも、その刀で鬼の首を取ることができるのではありませんか。


 たとえば最終選別でパスできなかった“落ちこぼれ”の候補生を死なせずに撤退させ、別途雇用する。彼らを中心に機関銃部隊を編成し、二人乗りの超小型装輪装甲車(当時現用のサイドカー付きオートバイに軽装甲を施すとか)に機関銃か火炎放射器を搭載して、先輩や幹部たちの援護にあたる……といった用兵も可能でしょう。


 あ、これって『ヴイナス戦記』……


 まあ、それら砲熕兵器を追加装備していくと、これはもう、『K滅のY刃』でなく『HELLSING』になってしまいますが……


 ともあれ最新の近代兵器に目もくれることなく、旧態依然なチャンバラにいつまでも固執するK殺隊が、相当に時代遅れなロートル組織であることは確かです。

 おそらく、古くからの幹部たちは、剣をふるって、血煙ドバーッ、生首スパーッ、というのを、やらかさなくては我慢できないのでしょう。


 これはやはり、組織の硬直です。

 柔軟な発想で、鬼に対する新たなアプローチを考案し、試していこうとする意欲的な人材を登用しなかった結果です。

 そうやって陳腐化し、時代に取り残されて潰れていった会社組織カンパニーが、なんと多いことか。


 それに加えて、医学的な兵器研究が、なおざりになっていることと思われます。


 生物兵器です。

 兵器といっても、殺傷を目的とするものではありません。

 K殺隊の隊員たちを、鬼化デモンナイズの脅威から守るワクチンや血清の開発です。

 戦いの最中に鬼に噛まれ、鬼化が始まった隊員は、無情にも、他の隊員が刀を振り下ろして“処分”しなくてはなりません。

 これは悲惨なだけでなく、隊員たちの根本的な士気にかかわります。

 まずは、人間を鬼化させる医学的原因を突き止めることです。

 たとえば特殊な“鬼化ウイルス”が人間の細胞内に侵入することによって、DNAを鬼バージョンに書き換え、ミトコンドリアを刺激してエネルギーを増産、急速に細胞の変異を促すのでしょう。

 それならば、あらかじめ鬼化ウイルスの抗体を体内に作り出しておくことができるワクチンを製造すること。

 そして、鬼化させられる途中に注射して鬼化ウイルスの増殖を阻止する血清(抗体カクテルみたいな特効薬)を用意しなくてはなりません。


 方法としては、NZ子のように、たまたま幸運にも完全に鬼化しなかった人間をできるだけ多数探し出すことです。かれらの体内には、鬼化ウイルスを抑止する抗体が造り出されていることでしょう。その血液から抗体を分離、培養して“鬼退治血清”をつくり、実験用動物に感染させるなどして、その血液からワクチンをつくる……といった研究が必要です。


 隊員の鬼化を防ぐことで、隊員の身体を守ることができてこそ、まともに鬼と戦えるというものですから。


 だって、「噛まれてもダイジョーブ」というのは、心強いじゃありませんか。


 1914年(大正3年)以降、北里柴三郎先生は「私立北里研究所」を設立し、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んでいます。

 天然痘のワクチンは既に江戸時代末期から実用化されており、国内の天然痘ウイルスは根絶に向かいつつありました。


 こうした研究を応用して、鬼化から人間を守ること、そしてあわよくば、鬼となった人を人間に戻せる特効薬を開発することが、鬼に対する戦いを人類の勝利で終わらせる、最善の策でしょう。


 『K滅のY刃』では、二巻目までの流れでは、たぶん、K殺隊ではなく民間の女性医師によってワクチンないしは特効薬の血清を完成させるべく研究が進められると思いますが、そもそもこれが戦いに勝利する唯一のカギであり、最も合理的な解決手段なのです。

 もっと昔から、K殺隊が医学研究部門を確立して、それこそワープスピードで研究を推進しておけばよかったのですが。

 そうすれば、とりわけ新人隊員たちの多大な(無駄死にとしか思えない)犠牲を最小化することができたはずなのです。


 いや、じつはあのN蜘蛛山の戦いで、鬼に噛まれて“蜘蛛化”する途中だった金髪の泣虫君(ただし弱虫ではない)に、K殺隊幹部の美女隊員が“解毒剤”の注射を施しています。

 そんなものがあるのなら、最優先で大量生産して、全隊員に配備すべきでしょう。

 後出しジャンケンはズルイですよ!



 K殺隊のトップの人物、いったい何を考えて部下を戦わせているのでしょうか?


 まともな組織であるのかどうか、はなはだ怪しくなってまいりました。

 

 ひょっとすると……

 K殺隊のトップは、本音のところでは最初から鬼に勝つつもりはなく、いつまでも永久に、人類が鬼と戦い続けることだけを望んでいるのかもしれませんね。

 「戦争が永遠に続く状態こそ、好もしい」とのたまった、映画『バルジ大作戦』のドイツ戦車隊指揮官、ヘスラー大佐のように。


 こうなるともう、救いがありません。

 K殺隊のトップ、重度のチャンバラフリークかもしれないな……と、私は疑いを持ってしまうのですが。






※追記1……


 K殺隊の武器が旧式な日本刀一辺倒でしかない……と、散々コキ降ろしてしまい、失礼いたしました。

 申し訳ありません。

 じつは、あの作品キサツの漫画本第十三巻で、銃砲類を駆使する隊士が一名、登場していました。

 使用する銃器は、片手持ちで発射できる短銃身の水平二連銃で、“大口径南蛮銃”と呼称されているようです。

 ただし、第十三巻の表紙画に描かれたその銃と弾体を見ると、散弾銃のような印象ですが、発射弾体が散弾なのか、単体の弾頭なのか、明確に判断できません。

 というのは、表紙画の銃と弾体は、21世紀のアマゾン等で販売されている“華山 MAD MAX ライフルガスショットガン”という商品名のモデルガンに酷似クリソツしていて、弾体の方も、同ショットガンで同時に24発のBB弾を発射する“ショットシェル”に酷似しているからです。


 なぜ、くだんの隊士がメインの武器として銃を採用したかと言うと、剣術が得意でない自分の不利を補う必要性にせまられてのこと、だそうです。

 まずその銃で鬼に打撃を与え、行動を停止させます。

 それだけで致命傷を与えられない場合は、すぐさま刀を併用してトドメを刺す……という戦法のようです。

 このような運用は誠に慧眼、合理的で素晴らしい着想です。


 ショットガンとして使用された場合は、一般に有効射程が短く、ライフル銃のような長い銃身でも五十メートル程度とされていますので、短銃身のこの銃では、有効射程が十数メートルにとどまっていたかもしれません。

 とはいえ、おそらくほとんどの場合、刀でチャンバラできるほどの接近戦になるのが常と思われ、ショットガンでも命中率が高く、十分に威力を発揮できたことと思われます。


 第十三巻の表紙画の銃口を見る限り、螺旋状のライフリングを施していない滑腔砲かっこうほうとなっており、それだけでも射程はライフル銃に比べると決定的に短いと思われます。

 散弾でなく単体の弾頭を発射したとしても、接近戦に限られる特殊な武器であるということでしょう。


 ただ、惜しむらくは、この隊士一名の個人用武器パーソナルウェポンで終わってしまったらしい、ということです。

 実戦に使用して戦果を上げたのですから、K殺隊として積極的に標準兵器に採用し、大量生産すべきだったと悔やまれます。

 ハンドメイドの刀と異なり、そもそも緻密に部品設計してこそ完成できる銃と弾体ですから、交換部品や予備弾体があらかじめ準備されていたはずです。つまり、それぞれの設計図が存在し、最初からマスプロに対応できたのです。

 大口径ゆえ発射の反動が大きく、この隊士にしか扱えなかったとされますが、それならば銃床を肩当て式に変更し、スプリングや板バネ等の緩衝機構を内蔵するなど工夫して、下級隊士でも安全に扱えるハンドウェポンとして整備すれば、戦局に大きく寄与したであろうと推測されます。

 数十人規模のアサルトチームを編成し、戦国時代の鉄砲隊に倣った集団運用を確立すれば、相当に使い物になったと思うのですが……


 まことに残念ながら、大口径南蛮銃を使う隊士はその後殉職してしまい、この種の銃器が十人二十人の隊士によって構えられ、一体の鬼に対して一斉射撃される……という近代戦の一場面が現出することはなかったようです。


 まことに……残念至極でした。


                            (20201210)





※追記2……


 あの作品キメツのTVアニメ、第十九話は“神回”と讃えられていますが、私にとっての神回は第二十一話でした。

 ここでT治郎がK殺隊の幹部に向かって「鬼はもともと人間だった」といった趣旨のセリフを叫ぶ場面があり、観客をして、作品のテーマの重大な要素に気付かせてくれるからです。

 これ、作品中の最高の名言ではないでしょうか。

 作者様、最も大事なことをきっちりとフォローされているわけで、心から感服いたす次第です。

 T治郎自身、実の妹のNZ子が鬼にされているのであり、他人事ではなく、切羽詰まった立場にあることが伝わります。

 どうにかして、妹を救えないか……

「鬼も人間なんだ……」と、T治郎の切実にして凄絶な心の叫びです。

 鬼がしていることは、自分の意思でなくても罪は罪、死をもって償わせる……という、K殺隊の幹部の冷徹さと、T治郎の“苦渋の良心”が対比され、両者の間に、小さいけれど決定的なズレが生まれ始めていることがわかります。

 K殺隊幹部に命じられるままに鬼を断罪するならば、妹NZ子も断罪せねばならない。それはしかし、正義であっても受け入れられない。

 この宿命的なジレンマを、作者様はどのように解決されるのか……

 これが作品の真骨頂であると思います。


 また同じ第二十一話で、傷ついた下級剣士をそのまま見殺しにせず、戦いがほぼ決着した時点で、K殺隊の救護専門の集団が駆け付ける場面がありました。

 救護隊のメンバーは、剣術の技量に劣るがゆえに剣士になれなかった隊員で編成しているとのこと。この配慮も、すばらしいですね。

 K殺隊を人命軽視のヘタレ集団の如く評価してしまい、失礼いたしました。

 申し訳ありません。


 とはいうものの……


 N蜘蛛山の戦いでは、結局のところ、蜘蛛タイプの鬼の中で一番強い者から順に三体までが、K殺隊の幹部によって苦も無くやすやすと撃破され、斬首、もしくは毒殺されています。

 そういうことなら、最初から幹部が直接に率いる形で全部隊が侵攻すれば、簡単に勝てたのでは?……との懸念はぬぐえません。

 鬼の糸に操られたあげく首をへし折られ、あるいは繭の中で溶かされシチュー化されるなどして、下級剣士の相当数が命を失ってしまったからです。


 N蜘蛛山への侵攻当初から、強い鬼は幹部が引き受け、弱い鬼は下級剣士が殲滅する……といった役割分担が徹底していれば、T治郎たちの負傷も含めて、死傷者はほとんど出さずに済み、救護隊の仕事も最小限に抑えられたでしょう。


 救護隊の諸氏、黙々と仕事をこなされていますが、本音のところは上司に対する憤懣もあることでしょう。

 そこは一般企業で下働きをする皆様方と同じかも。つまり……

「余計な仕事を増やすんじゃないよ! もう……」


 人員の適材適所には配慮しつつも、実際の作戦行動となると合理性を欠いて、無用な犠牲を少なからず出してしまい、そのことについて幹部側は自己分析や反省をしない……といった傾向が浮かび上がります。


 K殺隊の幹部剣士の皆様は、雑魚の鬼を下級剣士が片付けてくれるのを待って、あとからユルユルと、勿体をつけて現場に登場するつもり、だったのでは?

 カッコをつけすぎた結果、下級剣士の犠牲が増大してしまったのかもしれません。


 対して鬼たちは、カッコつけずに下級剣士を次々と各個撃破で血祭りにあげ、蜘蛛の糸で操って、敵を同士討ちさせる作戦に出ましたね。

 これ、じつに合理的で賢いやり方です。

 「味方は殺せない」という仲間心理を利用した卑怯な戦術ですが、数の上で劣勢である鬼側にとっては、最適解と言うべきでしょう。


 また、蜘蛛の糸で捕縛した剣士を即座に殺すことをせず、苦悶する状態に留め置いているのも、卑怯ながら賢い戦術です。

 これは人類同士の戦場でも同じですが、殺されずに苦しみ悶える仲間を見捨てるわけにはいかず、応急処置と後送のために兵力を裂かせることで、敵をより弱体化させる……という、心情的には汚い発想です。

 ベトナム戦争時に、現地ゲリラが米軍に対して仕掛けたジャングルのワナがそうだったと聞いています。靴裏を貫通させる毒塗りのトゲや竹槍を立てた落とし穴など、敵をその場で殺すよりは戦闘力を失わせて、苦しめることを目的としていました。

 死んだ戦友はともかく、生きている戦友は必ず救おうとする敵兵士を心理的にも疲弊させる戦術だと考えられます。

 残酷で、卑怯で、唾棄すべき戦い方ですが、それが戦争のえげつない実態であると認めざるを得ません。


 本気で戦争をしていたのは、鬼たちの方だったのです。


                              (20201212)









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